そのご
――5――
頬に落ちた雨で、不意に目が醒める。
俺は、いったい何をしていたんだろう。確か、そう、あのいけ好かない女を泣かしてやろうと思って、それで……?
「つぅ」
痛い。
体の節々が、ぎりぎりと痛む。
そうだ、思い出したんだ。
代々特殊な異能を持ち、それを研磨していく名門、秘伝十三家の一つ、“薬仙”の楸に生まれた。
父さんは異能を持たず血だけは立派な入り婿で、母さんは体が弱く異能を扱いこなせない女性だった。自身に薬仙の秘術を用いてやっと生まれた俺を、なによりも可愛がってくれたひとだった。
やさしい、ひと、だった。
父さんに対する思い出は、幼少期で途切れている。柔和で優しく、よく遊んで貰ったものだった。だけどそれも、俺が“薬仙”の使い手のみならず、かの英雄、楸仙衛門に勝るとも劣らない仙法の才能があると発覚する、までのことだった。
柔和さは卑屈さに、優しさは自己陶酔に。本性をむき出しにした父は、体の弱い母に暴力を振るい、俺を貶し、口癖のように化け物呼ばわりして、それで。
母さんは、笑わなくなった。
父さん、だった人は家から追放された。
母さんは、日がな一日ぼぅっとして、思い出したように泣いた。
だから俺は、気がついたんだ。
特別な人間が、特別で無い彼らを統制して支配して導かなければならない。そうでなくては、くだらない劣等感に支配された彼らは、俺たちの大事なモノに手を上げる。優れた人間である俺たちが、それを阻止しなければならない。
なのに。
『だったら、わたしもそうだよ』
声が。
『特別な人間だから、支配する権利がある。特別で無い人間だから、尊厳も命も感情も、差し出さなければならないと、そう、言われてきた』
離れない。
特別な人間に、全部差し出す?
それは、ただの人形じゃ無いのか。母さんが、父さんにされてきたことじゃないのか。
いや、だったら、そうだ。
俺は、父さんのようになりたくなくて。
でも、父さんが母さんにしたように、振る舞っていたと、したら?
「なんだよ、それ」
ああ、また雨だ。
あいつはもう、俺を見限って逃げたことだろう。
だって、俺がしたことは、俺が言ったことはそういうことだから。
雨が、指に落ちる。
赤い、赤い雨が――
「は?」
痛みに震える体を起こして、霞む視界を拭って、見据える。
「なんだよ、それ」
震える足で。
ぼろぼろの体で。
どこもかしこも、無事なところなんてなくて。
「なん、で」
なんで、おまえは、俺のことなんか庇ってるんだよ。
「わたしの“友達”には、指一本触れさせない!」
友達?
ああ、言ってたな、そんなこと。
はは、なんだよそれ。おまえは憎しみを友情に変えられるのに、俺は、いつまでも八つ当たりしてさ。
なんだよそれ、なんだよ、ちくしょう。
「【仙法・迅雷鋼体】」
格好いいじゃないか。
俺なんかよりも、ずっとずっと強くて、かっこいい。
羨ましいよ、心の底から。
だから、俺も。
「俺のことを忘れんじゃねーよ、偽物野郎!!」
おまえみたいになりたいよ、笠宮。
――/――
向かってきた黒い芹君が、白い稲妻で押し返される。
その光に思わず尻餅をつき、唖然としてしまう。
「おい、大丈夫か?!」
「え、うん、むしろこっちの台詞だよ?」
「こっちの台詞であってるんだよ、このバカ!」
口は悪いのに、差し出す手は優しい。
あれ? 芹君、もしかして黒い芹君が中に入ってたせいで乱暴だったのかな?
それならちょっと、悪いことしちゃったかも。
「とりあえず飲め。“薬仙”で作った回復薬だ」
「あ、ありがとう。……あれ? 苦くない?」
「自分で飲むものを苦く作るわけ無いだろ。……傷、どうだ?」
お茶にも似た味わいの薬を飲むと、すぅっと傷が治り、あろうことか貧血まで良くなった。なんだろう、秘術ってすごい。
心配してくれる芹君に頷くと、芹君はほっと胸をなで下ろして黒い芹君に向き直る。
「あとは俺に任せろ」
「やだ」
「よし、じゃあ下がって……って、はぁ?!」
乱暴なのは素なのかな。声が大きくて耳が痛い。
でもやっぱり、さっきまでよりもずっと優しい。別人みたいでちょっと違和感……というのはまぁ、さすがに口には出さないけれどね。
「わたしだって戦うよ。友達だからね」
「っ……ははっ、とんだお転婆だ」
「死語だよ、それ」
「仕方ないだろ。師匠が爺さんなんだ」
「もう。自分の師匠にそんなこといっちゃだめだよ」
「なぁ」
「なに」
「悪かった。おまえと、おまえの師匠のこと、馬鹿にした」
「ううん。わたしも、きついこと言ってごめんね」
「んじゃ、お互い様だ」
「うん、お互い様」
前を見据えて言葉を交わす。
互いの表情は見えないけれど、視えすぎてしまうよりはずっといいような気がした。
うん、しかたない。仲直りしてしんぜよう。だって、冷たくいがみ合うよりも、そっちの方がずっと温かいから。
「得意技は?」
「防御とカウンターと奇襲」
「組みにくいな?! 普段、どんなヤツと組んでんだよ」
驚く芹君に、思わず苦笑する。
だってしょうがないじゃないか。奇襲が増えただけでも成果なんだよ?
「遠近狙撃忍者さんと、遠近両用先取速攻さん」
「あー、わかった。臨機応変、な」
「うん、お願い」
「任せろ」
自由にしていい。
そう言われた気がしたので、とりあえず前に出る。
黒芹君は? 起き上がったところだ。なら、もう一度、寝て貰う!
「【反発】! ――【回転】!!」
『ガァッ?!』
反発で加速。
回転で足を払う。
「本来は、仙法ってこんな技なんだぜ? ――【仙法・樹刻錬縛】!」
『ちぃっ』
芹君が地面に手を置くと、蔦や木の根が伸び、黒芹君を拘束する。
黒芹君は驚異的な力でそれらを振り払おうとするが、上手くいかない。
「“息を潜み、牙を研ぎ、獲物を見据え”」
木の上に登る。
次から次へと伸びる蔦を、振り払おうと藻掻く黒芹君。
「“冷たきを体へ、熱きを裡へ、故にこれぞ、狼の矜持”」
負担がすごいのだろう。
額から汗を逃す芹君。
それでも彼は、心配をかけまいと不敵に笑ってくれている。
「“狼雅”」
わたしは狼、獲物を狩る。
わたしは狼、群れを守る。
わたしは狼、牙を研いで。
わたしは狼、その矜持で。
わたしは狼、敵を食い破る!
「“クロウ=サイズ”」
木から飛び降りて、体を縦に回転。
縦回転させた結界ごと体を回し、わたしの体は全てを切り裂く狼の牙となる。
「これで――」
『やめロォォォォォォォォッッ?!』
「――終わりっ!!」
黒芹君のガードの上から切り裂き、盾をその場に残して飛び退く。
「合わせて!」
「おうよ!」
そして、残した盾に魔力を込めた。
「【起爆】!!」
「【仙法・樹刻焦焰】!!」
けたたましい音と共に、真紅の炎が上がる。
その爆炎から轟くのは、邪悪に包まれた男の断末魔だ。普段の精神状態ならば思うところもあるけれど、今のわたしは狼だ。群れを守る狼に、情け容赦は必要ない。
『オ、オオ、オオォ』
「まだ息があるのか」
「トドメ、刺さないと」
黒芹君は、最早芹君とは言い切れない。
ただそこに立つのは、むき出しの骸骨。角持つ人の骨だった。
「なんか気配がおかしいと思ったが、そういうことか!」
『コロ、ス、コロスコロスコロスコロスコロスココカカカカカカカッ!!』
「離れて、芹君!」
「っああ!」
トドメを刺す暇も無く、燻っていた火も闇も、全て骸骨が吸い取る。
そこに残るのは熊のような体に鬼の角を持つ、巨大な化け物だった。
「あれ、は?」
「悪魔の骨に妖魔が取り付いたってことだろうが、くそっ、上級妖怪クラスの化け物かよ!」
「まずいって、ことだよね?」
「ああ。逃げ」
「逃げたら、人里に降りてしまうかも知れない。そうだよね」
「ああ、ああ、そうだ。だから俺たちができるのは」
「師匠たちが来るまでの、時間稼ぎ!」
わたしは、芹君の隣に立って、妖魔を睨む。
悪いけれど、負けてあげるつもりはこれっぽっちもない。
群れを守る狼の牙、抜けるとは思わないでね!!
2017/04/03
誤字修正しました。




