そのよん
――4――
森に満ちた“気配”に、仙じいと顔を見合わせる。
「これって……」
「いかんな。加勢に――」
「待って、仙じい!」
「――ぬぅ」
森の方向から沸き上がるのは、濃密な“悪魔”の気配。
だが、私たちの周囲。地面からしみ出すように現れ始めた“それ”は、また違った空気を醸し出す。
それはともすれば、“悪魔”よりも純粋に、“魔”に偏った気配。
「妖魔、か」
「妖魔? って、あの?」
「うむ」
妖魔。
あるいは妖怪、などとも呼ばれる存在。人間の悪意や邪悪な信仰によって生まれた、人間の敵対者。退魔師が千年の間、戦い続けてきた存在。
その形は、伝承の妖怪の姿をとることも多いが、ほとんどは動物の形を準える。私たちの周囲に滲み出てきた彼らの姿もまた、動物のそれだ。
熊、猪、猿、鳥、虫。その体を構成するのは、闇を凝縮したような黒。湯気のように漏れる闇色のオーラ。ただその目だけは、血のように紅く輝いている。
通常の妖魔であれば、私と仙じいがいるのだ、時間は掛けない。だがあの、奥の“熊”だけは別だ。ヒグマ、それも三メートルはくだらないクラス。悪魔とも渡り合える強力な妖魔だ。放っておけば、いずれ更に強力な妖魔となって、人間に牙を剥く。
「人里離れているとはいえ地続きじゃ。ここで仕留めんと、まずいのぅ」
「今は、弟子たちを信じよう。行くよ、仙じい! ポチ! 【速攻術式】!」
「おうさ! 【仙法・赤熱鋼体】ッ! ぬぅおおおおおおおぉぉぉッッッ!!!!」
『ここでなら我も力を揮えよう。“狼雅”』
彼らはここで、仕留める。
だから鈴理さん、芹君、助けに行くまでどうか、無事で居て――!!
――/――
空気を切って奔る剛腕が、わたしの肩を掠めて抜ける。
先にあった木を容易くへし折って見せたその腕は、漆黒に染まっていた。
『殺す、殺す、殺すッ! 俺を弱くする全てを、殺すッ!!』
「もう、わからずや! それ、ゲームで勝てない相手を物理的に攻撃するのと変わらないよ?! うひゃあっ!?」
反発踏み込みで距離を取っても、詰められる。
自己暗示、“狼の矜持”で避けることはできるけど、掠めはするしそれだけで軽い怪我を負い続けている。このままだと、集中力が切れたら、まずい――!
「目を覚まして! 楸君!」
呼びかける。
けれど、白黒反転した目は、わたしを捉えることは無い。
『父さんもそうだ! あの人も、特別な人間の足を引っ張ることしか考えていなかった! 血だけは上等で、だから母さんの足を引っ張って! 母さんを笑いものにするために女と逃げたッ! だからッ! 世界は、特別な人間だけで導かなければならないんだァァァッ!!!』
慟哭。
そっか。
虐げられてきた誰かが、傍に居たんだね。
「だったら、わたしもそうだよ」
楸君の空ろの目が、わたしの瞳と交差する。
回転、受け流し。反発、避ける。頬を掠めて、赤が、唇を伝った。
「特別な人間だから、支配する権利がある。特別で無い人間だから、尊厳も命も感情も、差し出さなければならないと、そう、言われてきた」
楸君の瞳が、僅かに揺れる。
けれどまだ攻撃の手は緩まなくて、右腕を掠めた一撃が、掌を赤く濡らす。反撃は、できない、けど。
『おまえは全てを差し出せば良い』
『苦しむ顔を見せておくれ』
『痛ましい声を上げておくれ』
『涙を枯らして空ろに笑え』
『おまえのような人間は』
『私に全てを投げ出して』
『全てで奉仕して死んでゆくのだよ』
――もう終わったことなのに、今でもまだ夢に見る。
顔色をうかがわなければならなかった。望む全てに応えなければならなかった。命と尊厳を奪われないために、感情の全てを捧げて己を殺してきた。
わたしが、特別な人間では無かったから。
「でも、でもね。やさしい人も居たんだよ」
わたしに意地悪をした手塚君は、全部終わった後、こっそりわたしに謝ってくれた。
わたしにとってずっと遠い存在だと思っていたリュシーちゃんは、わたしたちの親友になった。
わたしに襲いかかった変質者の一員だったポチは、なんだかいつの間にか頼れる相棒だ。
わたしが、遠巻きにしていた全てを、師匠はわたしの傍に置いてくれた。
わたしが憧れていた、おとぎ話の魔法少女。師匠があの日、声を掛けてくれてから、わたしは色々なものを見て、触れて、手にすることができるようになった。
「あなたには、いなかったの? あなたを案じてくれる“特別でないひと”」
『俺は、お、れ、には、そん、な、存在は、いな、い、いら、ない!!』
「あぅっ」
胸襟を掴んで持ち上げられる、ギリギリと首が絞められて、苦しい。
「な、ら。わたしが、なるよ」
『なに、を』
「喧嘩、から、はじまったんだ。きっと、これから、すっごく、なか、よく、なれる、よ」
苦しい。
頭がぼんやりする。
でも、直接首を絞められているわけじゃ無いんだ。だったら、話すことはできる。
「ともだちに、なろう?」
『とも、だち』
「くっ、ぅ、ぁ……そう、だよ」
少しだけ、手が緩む。
もう少し、もう少しだけ、保って。
「こわい、のは、悪いことじゃ、ないよ。怖くなくなる、まで、わかりあえば、いいんだよ」
『なんだ、なんなんだ、なんなんだよ、オマエ』
「わたしと、友達になろう。芹君」
『ぁ、ああ、ぁあああああああああああああッ!!』
振り回して、投げられる。
ダンッと強い音。木に背中が打ち付けられて、一瞬息が止まった。
その衝撃で結界も消えてしまったが、張り直す余裕が無い。
「うぁっ、ひゅっ……げほっ、はっ、っつぅ……」
苦しい、けど、楸君、芹君は、どうなった?
かすむ目を無理矢理開いて前を見る。がむしゃらに手を動かして、ナニカに抗うように暴れる芹君。その体からは徐々に“黒”が抜けて、そして。
『ァアアアアアアアアァァァァァァァァッァァァァァアァッッァアァァア!!!!』
芹君の背中から、起き上がるように“黒”が立ち上がった。
『殺す、殺す、殺す、殺すゥゥゥゥゥゥゥゥッ』
「ぁ、ぐ、つ、ぁ」
倒れ伏した芹君の上から立ち上がったのは、さっきまで戦っていた黒い芹君。
芹君の詳しい状況はわからないが、生きては居るようだ。なら、“アレ”から、芹君を引きはがさないと……!
「つっ、いたた、はぁ、はぁっ……すぅ、はぁ」
息を整いながら、立ち上がる。
再び詠唱をしようと、前を見据えて。
――ズガンッ
「きゃぁっ!?」
衝撃が、わたしを襲った。
サッカーボールでも扱うように蹴飛ばされて、また宙に行く。身体強化がまだ残っていてくれたからこの程度で済んだのだろうけれど、それでも、焼けるように背中が痛い。
薄く目を開ければ、黒い芹君はへし折られた倒木を持って、わたしを睨み付けていた。あれを投げられたら、さすがにもう、だめかな。
魔導術は、その性質を理解した上で、術式に刻み込まれた意味を論理的に組み上げ、魔力を持って形成する技術。使い慣れたそれを紡ごうとしても、ぼんやりとした頭は“それ”を組み上げてくれない。
なら、どうしよう。もっと感覚で、理論を吹き飛ばすほどに繰り返し刻み込んでいた、光景。ああ、そうだ。わたしの心を闇から掬い上げた、憧れの魔法少女。わたしが、近くで見続けてきた。
倒木が、投げられる。
それを、わたしは。
「【速攻術式】」
――『【祈願】』
手を、かざして。
「【切断】」
――『【等しく斬り分ける光】』
魔力を、“願い”を、込めた。
「【展開】」
――『【成就】』
真っ二つに切れた倒木が、わたしの左右に落ちる。
頭は驚くほどクリアだ。世界に満ちている魔力がどんな風に流れているのか、視覚的に感じることさえできる。
同時に、理解させられる。魔導術とは、魔法からこぼれ落ちたもの。究極の到達地点であり、同時に異能でもある魔法は、進化しながら遡らなければならない神域の術。その魔法を一番近くで見てきた魔導術師は、きっとそんなにいなかったのだろう。魔法を、常の癖で無意識に深く観察し、“理解”し、わたしの“魔導術”が進化した。
そっか。それなら、なるほど。こうまでしないと扱えないのなら、なるほど、“速攻術式”は机上の空論なのだと頷けてしまう。
『殺す!』
「【速攻術式・平面結界・展開】!」
――ガギンッ!
『な、にィッ!?』
通常、魔導術の展開にはどんなに早くても五秒はかかる。
でもこの速攻術式に必要な時間は、長くて二秒。三秒の壁は、黒い芹君の行動に適応しきってくれた。
「【速攻術式・操作陣・展開】!」
平面結界を動かして、黒い芹君の連撃を凌ぐ、けど、重い!
「【反発】!」
『ぐぅッ』
弾いて、距離を取って。
「【速攻術式・術式持続・展開】!」
詰めてきた黒い芹君を、回転でいなして。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
なんとか、芹君を背中にかばえる位置まで移動できた。
黒い芹君は、ずっと芹君の様子を気にしていた。その視線の種類は、憎悪。きっと芹君は、自分自身にも嘆いていて、芹君を象った黒い方も、それを引き継いでいるんだろう。
あのまま放っておいたら、芹君がぷちっとされかねない。友達になるって宣言したのはわたしなんだ。友達は、何があっても守る!
「どうだ! おまえなんかに、わたしは負けない!!」
……といってもまだ、相手に与えられたダメージはゼロなんだけどね!
うぅ、本当にどうしよう。このままだと千日手……なら、まだいいけど、血を流しすぎてくらくらするし、芹君の調子も心配だ。カウンターと奇襲ばかり練習してきたせいで自分から攻撃するのって苦手だし……。
こうなったら、もう。
「わたしの“友達”には、指一本触れさせない!」
は、はったりで時間稼ぎ。これしかない。願わくば、早く師匠が気がついてくれますように!
2024/02/01
誤字修正しました。




