そのにじゅう
――20――
崩れゆく洞窟から逃げるように脱出して、わたしたちは島の上まで戻ってきた。
その頃には、泣きはらした目を冷やしながら、夢ちゃんはなんとか、自分の足で歩いていた。
「情けないところを見せたわね」
「それで情けないんだったら、わたしは今ごろ大恥だよ、夢ちゃん」
辛うじて、という様子だったけど、それでも逆に落ち込んでしまった静音ちゃんを慰められるくらいには持ち直したみたいで、ほっと胸をなで下ろす。
「ほら、ティッシュ使う?」
「ずびっ、ごめん、あ、ありがとう、ゆめ。ぐすっ」
「私が背負おうか? 静音」
「ううん。あ、ありがと、だ、大丈夫だよ。アリス」
なんとか一息吐いて、原っぱに腰を下ろす。頑張って歩いてきたけれど、うん、ちょっとわたしも限界だ。
「そうだ。キアーダを倒したんだから、未知先生に報告しましょう」
「うん、だね、夢ちゃん」
夢ちゃんは、空元気ながらそう告げると、カフスに手を触れる。
師匠の声を聴けば、もう少し、安心できるかも知れない。そう思ったのは静音ちゃんとアリスちゃんも同様だったみたいで、わたしたちは目を合わせて小さく微笑んだ。
「あ、未知先生? 夢です! えっ、いえ、泣いてなんか。え!? そ、そんな、私で良ければぜひああでも鈴理も静音もリュシーもアリスも一緒にって違う! え、未知先生、ですよね?!」
んんんん?
な、なんだろう。なぜだか雲行きが怪しい。
「ああああはははははい、ままままたののののちほど」
夢ちゃんは動揺たっぷりに通信を終えると、真っ赤な顔で立ち尽くし。
「夢ちゃん?」
「……きゅぅ~」
「夢ちゃん!?」
そのまま、ぱたんと倒れてしまった。
「し、師匠? いったいなにが?」
答えは返ってこない。
だけれど、倒れた夢ちゃんを放置するわけにも当然いかず、わたしたちは慌てて夢ちゃんを介抱するのであった。
――/――
――霊術船
霊術船で潜行すること一時間。私の視界に映ったのは、巨大な“卵”のような何かだった。殻に当たる場所は網目状の格子になっていて、その向こう側は白く輝いているため、外から中を窺うことは出来ない。
矢印は中へ続いていると見て問題ないと思う……というか、明らかに本拠地はここだろうし、間違いないだろう。慎重に潜って下部に横付けすると、船内から殻を眺めてみた。
「……うーん」
殻に隙間があるようにも思えない。ありがたいことに鍵はここにある。これが本当に殻の鍵かどうかはともかくとして、試してみないわけにもいかないだろう。となると、やっぱり外に出て触れてみないと駄目、かな。
「【速攻術式・潜行展開陣・展開】」
水中潜航を可能にすると、船外に出る。そのまま霊術船を収納して、鍵を持って殻に触れた。
『承認』
それだけで、鍵は勝手に殻に吸い込まれ、網目状の格子の内側が、一枚だけ透明になった。
入れ、ということなのだろう。まぁ、いつまでもここにいるわけにはいかない。鍵は一つしか無いのに吸い込まれてしまったからね。恐る恐る殻に触れると、すんなりと内側に入り込めた。振り向けば、もう、通り抜けは出来ない。一方通行? そんなことはないとは思うけれど……なにか、出る方法があるのだろう。
魔導術を解除して、ぐるりと周囲を見回す。左右には外周に沿った壁。ホテルの廊下みたいだ、なんて思いながら、ひとまず探索することにした。
「【速攻術式・遁行展開陣・展開】」
透明+気配遮断+気配察知の複合魔導術式を展開。その上で、いつものように窮理展開陣を起動して、内部構造を確かめる……のだけれど、どんな素材で出来ているのやら、中央に向かうにつれて見えなくなり、中心部はまったくなにもわからなかった。
ただ、中心部に向かうルートだけはなんとなく把握できたので、向かうだけ向かってみることにした。指輪の矢印も中心部に向かっているようだし、安心して――あれ?
(あ、あれぇ……?)
中心部に向かっていた矢印が、一度、丸い点になる。それから直ぐに軌道を変えて、中心部よりも随分と南東側にぐるりと舵を切った。
(こここここ、これって、もももももしかして)
上空に待機していたキアーダが、きままに動いて、それから長距離移動を開始した。
いや、地下かも知れないけれど、さすがにこの海底で地下は考えにくい。霊術船で移動していたからこそ見逃していた、痛恨のミス。
上空に居る時に仕留められていたら……いや、空中戦で敵うかどうかは別として、こう、もう少し鈴理さんたちに楽をさせてあげられたのではないだろうか。というか、この長距離移動、アメリカ大陸側への移動だろうし、ひょっとしなくとも鈴理さんたちのところに行ったんじゃ……。
(外には出られない。進むしかないのなら――)
鈴理さん、夢さん、静音さん、アリスちゃ……アリス。
任せてくださいと言ってくれた彼女たちを、私は信じよう。信じることしか出来なくとも、それだけは。そして、せめてサーベを救出するか、情報を掴むか、いずれかのミッションはかならず達成して、極力早く鈴理さんたちに合流しよう。
しっかりしろ、観司未知。
私はあの子たちの先生であり、師匠だ。私が弱音を吐いてどうする。
決意を新たに、歩き出す。足取りには、僅かに焦りがあった。
……なんて焦っていられたのも、最初の三時間程度。今はとにかく、進行に全力を尽くさなければ、という危機感の方が強くなっていた。
なにせこの場所、ぜったい開かない扉があったり、通り抜け不可能なサイズの魔天兵が扉の前に居たりと、やたら回り道を要求される。こんなんじゃ、鈴理さんたちにも笑われてしまうことだろう。
外壁は一律で白く、所々が蔦で覆われているのが気になる。中心に向かうにつれて緑は多くなり、まるで経年劣化した廃墟のような風貌を見せていた。天使レルブイルが木になって息絶えたことも慮ると、ダストというのはよほど木に関わりがあるのだろうか。そういえば、組織の名前は“ノア”だ。ノアの方舟……なら、この中心に方舟がある、と?
(っと)
見回りの魔天兵を見つけて、柱の陰に身を隠す。大きな魔天兵と普通の魔天兵。それに、目玉のついた黒い球、というのが見回りで見かけるラインナップだ。ぐるぐると一定のルーティーンで見回りをしているようで、正面はリスキーなので試していないが、背後ならまず気がつかれてはいない。
その調子で大きな魔天兵のところも、回り込んで足下を抜け、そっと扉を開けて閉めれば問題なく通過できた。おそらく、魔導術師への知識は低いのだろう。もしかしたら多少在るのかも知れないけれど、このクラスの魔導術式の開発には未だ辿り着けていないようだし。
(そろそろ、中心部)
まったく見えなかった中心部が近づく。神さま候補になってからというもの、睡眠不足による衰えが感じにくくなってきたおかげで、夜通しだって探索できる。ここは時間を惜しんで、なるべく早く到着できるよう努力しよう。
そう決意した、というのに、また足止め。今度はさっきよりも深刻な問題で、単純に、開け方がわからない。
(まさか、内膜とは)
ここに侵入したときにもあった、網目状の格子。格子の一枚一枚はとても大きいので、通り抜けようと思えば簡単だ。問題は、どうやって通り抜けられる状態にするのか。
ただ、最初のものとは違い、こちらは半透明だ。顔を張り付けて頑張れば、向こう側が見えないこともない。どうにかこうにか目をこらして、見渡してみる。
(木、かな?)
幹の内側からぼんやりと輝く、荘厳な樹。聖樹とはこういうものと言われたらすんなりと納得できてしまいそうな、そんな樹だ。
この内膜から樹までは相当な距離があって、おかげで幹が見渡せる。外周は屋久杉なんて目でもないほど太い。というかこれ、下手したら東京タワーの特別展望台くらいはありそうな太さだ。
(うーん……【速攻術式・展望陣・展開】)
望遠を簡単に展開し、さらに奥を見通してみる。下は海水か真水。そこに根が浮かんでいるから、土から養分を吸収するわけではないのだろう。なら、代わりのモノがどこかにあるのかな? もうちょっと、良く見て――
「っ――サー、ベ?」
――樹の幹。内枠から伸びる細い橋の先。幹に埋め込まれ、項垂れているサーベの姿。橋がなければ見逃してしまいそうなほど奥深くに、サーベは捕らえられていた。
よく見れば、他にも多くの人間が幹に取り込まれている。浅いひとで下半身、深いひとでもう口元しか見えない。改めて慌ててサーベを確認すると、両手も完全に取り込まれ、胸部と首から上が露出しているだけの姿になっていた。それも、目に見えて、取り込まれる速度が早くなっている。
もう、手間取っている暇はない。
橋の真上まで移動して、内膜に手を当てる。やることは単純だ。結果はどうなるかわからないけれど……試してみる価値はある。
魔力を手に纏い、内膜に当てる。軽く衝撃を当てると、その波紋に狙いを定めてもう片方の手を突きだした。
魔震功。
かつて魔王の防壁すらも破った一撃は、正確に内膜を砕いた。――周辺六枚を犠牲にして、それはもう派手に。
「うっ、こんな音がするとは。でも、逆に吹っ切れた」
跳躍。
飛行制御。
橋に沿って飛翔し、くくりつけられたサーベの傍まで駆け寄る。息はある。まだ、助けられる。
「サーベ!」
呼びかけ、けれど憔悴した彼の瞼は動かない。それならそれで後回しにして、引き抜けないか試みる。
脇に手を回して、抱きつくように引っ張り上げて!
「は、は、中々、ぐっ、大胆じゃねぇか」
「サーベ! 目が覚めたのね? 具合はどう?」
「これくらい、たいしたことはねぇよ。だが、ああ――はは、夢でも見ているのかと思ったよ。本当に、おまえなんだな。未知」
優しく、まるで七のように、そう呟くサーベ。その以前では考えられないほどに消耗した姿に、胸が締め付けられる。
「霊力、分けるわよ」
「ああ、頼む。気が抜けなくて焦ってたんだ」
「もう」
そんな、気軽に言うことでもないでしょうに。
そう考えながらも、とりあえず治療が先だ。額と額を重ねて、ゆっくりと霊力を送る。七は――サーベは、精霊王の息子だ。彼女が窮死の子に人間の血を与えて蘇生した半人半精霊。普通の精霊ほど霊力枯渇が問題にはならないが、普通の人間よりは遙かに危険な状態になる。だからこそ、霊力を分け与えたら、青白かった肌に僅かながら体温が宿った。
「ふぅ……口づけじゃ、ないんだな」
「ばか。それより、早く脱出しましょう。なんとか安全地帯まで逃げて、それから他の人の救出を――」
「待て、未知」
しよう、と、続けようとした私の言葉が止められる。警戒を深めるサーベの、その視線の奥。振り向いた私の先に居たのは、くすんだ銀髪の男だった。いや、顔立ちも骨格も、中性的ではあるのだが……どこか、歪な空気を感じる。
背には三対六枚の翼。全部が天使のモノではなく、左右で天使と悪魔に別れている。堕天使――なぜだか、そんな言葉が思い浮かんだ。
「人様の逢瀬を無言で見ようとは、マナー違反じゃないのか? ダスト」
「人様の住居に無断で侵入し、住居の破壊までしてくれた相手を、相応にもてなそうとしただけだ」
中性的な声。
それに、どこか機械的な抑揚。
「あなたが――ダスト」
「如何にも。貴殿が……魔導の始祖などと持て囃されている人間か。レルブイルの最期の通信では要領を得なかったが、ここまでたどり着いた実力を見ればそれも頷ける」
「褒めてくれるのですか? 意外ですね」
「評価は正当に下す。――墓標には、相応の実力も記載してやろう」
そう、ダストは浮遊して近づく。
空間が軋むような錯覚。痛みを孕むような不快感。無理矢理安らぎを与えられるような拒絶感。どこかで、私は、この空気を知っている。
「神槍」
ダストの宣言と同時に、彼の手に槍が握られる。その生成過程に使われていたのは、魔力でも霊力でも、妖力でも天力でもない。
――ああ、だから、私は彼に心当たりがあるのか。だから、ミカエラさんが助言をくれたのか。希望を取り戻して、神さま候補になった私に、“越権”を止めるように、と。
「――オリジン」
「ッ」
神槍がぶれて、掻き消える。閉じられたままの瞼を強く顰めて、ダストは唸るように、低く声を発した。
「何故その名を知っている? ああ、いや、だから貴様がこの場に来られたのか。縁者か、予知者か、使者か、それはどうでも良い。だが――完膚なきまでに殺さねばならないことは、確かなようだ」
閉じられていた瞳が開く。その色は、まるで、宇宙の色のようだった。




