そのじゅうきゅう
――19――
空から無数の刃が降り注ぐ。それらは全て、キアーダが振った手からこぼれ落ちた血の雫だった。
「ほらほらどうした?! 可哀想な儂の鈴理を、この呪縛から解放したいのじゃろう?! “干渉湾曲”!」
「平面結界――きゃあっ」
魔導術を展開しようとすると、こうやってことごとくを防がれる。だから悔しくても、キアーダの望むように、異能を使って切り抜けるしかなかった。
自己干渉。速度、膂力、硬化。アレと違って中身は人間だから、掌を切り裂いたらあとでどう消耗するのか掴めない。なら、なるべく、体力は温存して戦う!
「さぁ、次だ! “干渉侵略”!」
キアーダが打ち込んだ剣が地面に突き刺さり、そこから血が侵食を始める。傍にあった石がぼろぼろと崩れるのを見て、わたしは慌てて飛び退いた。
「“干渉遮断”! あ、あれ?」
干渉を止めようとしても、止まってくれない。その間に、侵食は広がっていく。
「干渉は完了している。それはウィルスじゃ。なれば、己の侵略で上書きするしかない!」
「っ“干渉侵略”!」
地面に干渉。手順は同じ。一度、感覚を地面と同一させた後に切り離す。するとどうだろう。切り離された異能はせめぎ合い、やがて相殺された。
「カカカッ! 良いぞ、素晴らしい才能じゃ! もう喰ろうても良いが、はてさて。そうじゃ、どこまで堪えきれるのか、まずは趣味と実益のために、その顔が歪むところでも見せて貰おうかのう?」
「“干渉――」
「遅い」
わたしの肩に、キアーダの足が食い込む。
鎖骨から響くような激痛。折れてはいない。けれど、怯んだわたしの頭を、キアーダは掴み上げる。
「ねんねには早いぞ?」
「つ、ぁあっ!!」
「く、カカ、いいぞ、その表情だ。みんなみんな、そうやって、痛みの中に死んでいった。ああ、そうそう、良いことを教えてやろう」
「な、にを」
「おまえの友達、碓氷といったな? アレの父親を喰ったのは、他ならぬこの儂じゃ」
耳打ちされた言葉。その名前の意味するところなんて、直ぐ解る。
「キアーダ、あなた! まさか!!」
「カカカッ! いいぞ、良い怒りの波動じゃ! どぉれ味見でも――」
痛みと悔しさで息切れするわたしに、キアーダはそう嗤う。嗤って、急に、その顔が横にぶれた。
「――ガッ!?」
キアーダの頭にぶつかったのは、鉛の弾丸。高速戦闘を繰り広げる夢ちゃんが、ウィンクと共に投じてくれた一石。会話は聞こえてなかったようだけれど、それで良い。こんなこと、聴かせたくない。
夢ちゃん。夢ちゃんがいない世界。そっか、そういうことだったんだね。この世界でのわたしは、夢ちゃんと、親友になれなかったんだ。
「チッ、サイレントエッジめ。炎以外の遠距離攻撃はないなぞと適当な調査を」
「――さない」
「なに?」
夢ちゃん。わたしに最初に手を差し伸べてくれたひと。彼女が生まれてくる理由を奪ったのが、この化け物だった。静音ちゃんもそうだ。この世界に来られたのなら、それは、いなかったから。
リュシーちゃんを閉じ込め、フィーちゃんももういないのだという。夢ちゃんのお父さんを殺して、静音ちゃんもきっと、この戦争の中で。
「許さない。あなただけは、ぜったいに!」
「カッ、許さなければどうする!」
霊力を使えば喜ばせる。
魔力を使えば散らされる。
「“自己干渉”」
「ほう? 魔導術ではないのか。ふむ」
「“干渉解放”」
「ふむふむ、もう応用か! 愉快、これは愉快! 結局は、頼るのは儂の力か!」
なら、その中間は?
――干渉感覚領域解放。世界と同調。自己分離。
『死にたくなかった』
聞こえてくるのは、キアーダが刻んだ悪趣味な彫像に宿ってしまった、死者たちの最期の遺志。事象に干渉する力が、彼らの叫びを捉える。
なら。
(教えて。わたしに、あなたたちの声を聴かせて。どうか、その無念を晴らさせて!)
わたしは、それを受け取りたい。
悪意に一度は打ち勝ち、もう一度、立ち向かって、打ち克つために!!
『助けて』
『いやだ』
『こんな姿でいたくない』
『解放して』
『こわして』
『帰りたい』
『どうか伝えて』
『愛していると』
『伝えて欲しい』
『幸せになって』
『あいつは頑固で臆病だからさ』
わたしの隣に立って、寂しそうに笑う女の子。二つ結びの髪の彼女は、紫色の髪留めを、切なそうに握りしめた。
『だから、待ってるって伝えて。早く来たら追い返すけどね、ともね』
「はい、わかりました――彩音さん」
彼女は朗らかに微笑むと、わたしの中に消えていった。
『眉に皺が寄っている。まったく、あれほど笑えと言ったのに』
白髪交じりの男性が、やれやれと肩をすくめた。
『俺を惚れさせたんだ。悪意の一つや二つ、蹴り倒せと伝えてくれ。ああ、あと、なんだ……娘、か。そういう可能性もあったのか。くく、俺の勝ちは揺るがなかったようだな!』
「はい、もちろんお伝えします。かっこういいですね、甲さん」
わかっている、と笑うと、彼もわたしの中に消えていった。
その、遺志のすべてが、わたしの力になる。わたしの、理由になる!
「――息を潜め、牙を研ぎ、爪を揃えて、獲物を見据え」
「ぬ? ――なるほど、自己暗示か? 良いだろう。異能の強化に必要なら見守ってやろう。カカッ」
侮ったな。
「――思考を回すは冷たき意思を、思念を燃やすは灼熱の意志を」
わたしの。
「――思惑をかき消すは稲妻の遺志を」
群れの長たる、狼の誇りを!
「――摂理に満ちるは、我が矜持!」
笑っていられるのは今のうちだ。
その侮りごと、闇の狭間へ消えてゆけ!
「【“霊魔力同調展開陣”】」
翠の燐光、鮮やかな霊力が循環する。
蒼の閃光、眩い魔力が混ざり合う。
「毛色が違うな? ならば無用だ。“干渉湾曲”――ぬぅ?! 解除できない?! ならば直接、切り裂くまでよ!」
剣が振りかざされる。でも、今更止まる気は無い。意地でも、この身体で一撃食い止める!
そう、キアーダをまっすぐと睨み付けたわたしの視界に、影が、躍り出た。
「させない」
「ぬぅ?! ――ハッ、石の剣で、我が血脈を防げると思うたか!?」
「思っていないよ。その未来は既に斬り捨てた。断て【ゼノ】」
投げ捨てられた西洋剣。
怯むキアーダ。
翻る、黒剣。
「汝は悪、汝は罪人、汝は希望を侵せし愚者。なればその身に纏うは【咎人の枷】と知れ♪」
「なに、ぐっ、身体が、動かん!?」
静音ちゃんの左目を覆う、黒い鎧。その瞳にはめ込まれた水晶が、銀に輝いた。
「ぎゃあああああああああぁぁぁッ!? 馬鹿な、儂の身体が斬られるだとォッ!?」
「す、鈴理! 足止めは、私と――リュシーに任せて!」
「ぁ」
――リュシーちゃん。
そっか、リュシーちゃんが、助けてくれたんだね。
「サイレント・エッジ、どうなってる!? 貴様、情報を隠し抜いたのか!?」
なら、わたしはそれを、無駄にはしない。
「【“心意刃如”】」
翠と蒼は、混ざって金に。
「【“創造干渉・狼雅天星”】」
黄金の光が満ちる。
手足は鎧に包まれて、黄金の耳と尾が生える。
けれど、今日はこれで終わりじゃない。
あのときと一緒だ。
あなたはまた、あなたの与えた力でわたしを強くする。
「自分の悪逆の代償を、自分の手で支払え、キアーダ・トゥ・サナート!!」
血を吐きながら後退し、仕掛ける手の“先手”を全て静音ちゃんに潰されながら、キアーダはわたしを睨む。でも、もう、怯えるだけのわたしなんか、どこにもいない!
「【“体威迅如”】」
光が、収縮する。
耳と尾に、身体に、額に、鎧が填められていく。
それはまるで、戦乙女のように。
ううん。ちょっと違うな。
「【“創刻干渉・金瑠璃法”】!」
師匠の、わたしの希望の。
魔法少女のように!!
「これがわたしの、一回こっきりの必殺技! みんなの、彩音さんや、甲さんの意志を受け継いだ、愛と希望の魔法少女!」
右手に宿るのは、片刃の剣。色は夢ちゃんの蒼灰のように、形は、片刃にしたゼノのように。
「魔法狼女フェンリル◇ラピ!! 今日のわたしは、ひと味違うんだから!!」
ぴしっと決めポーズ。わかっています、師匠。こうすることで、すっごく強くなれるんですよね?
「あ。うん? ……ま、まぁいい、多少変わったところでどうなる!」
「静音ちゃん、夢ちゃんの援護を!」
「う、うん。――か、かっこういいよ、鈴理!」
「えへへ、ありがとう。みんなが居てくれたから、わたしはこうあれたんだよ」
走る。
常時発動型祈願干渉。それが、この力の大きな部分だ。ここではみんながみんな、キアーダへの無念に悲しんでいる。だからできる、キアーダを倒すためだけの、希望を繋ぐためだけの、わたしの力!
「舐めるなよ、小娘ェェェェェェッ!!」
「【“疾風”・“鬼神”・“金剛”】――装填」
「“血脈憎填”――“大刃”!!」
巨大化する血剣。
わたしはそれに、強化干渉を装填した剣を当てる。
「は?」
ガラスの割れるような音。
粉々に砕ける血剣の向こう側で、呆けるキアーダ。その表情は、わたしに本当によく似ている。
「解放――【“壊星法撃・呪幻核絶】!!」
剣が輝く。
瑠璃色と、眩いばかりの黄金。
その煌めきは、キアーダの身体を斜めに切り裂いた。
「ぐぎゃあああああああああああああああァァァァァァッ!!!!??」
その一撃が切り裂くのは、“魂核”。魂の一番奥、存在基底の要。斬られてしまったら、二度と、戻ることは出来ない。
「さようなら、鈴理」
『――あり、が、とう』
黄金の粒子が、空に上がる。倒れ伏したキアーダの身体は、起き上がることはない。
「なんて、甘いことは言わないよ。【“創世遮断”】」
『ぐぎゃッ!? な、何故!!?』
滲み出るように、肉体を捨てて現れた泥。持ち前の生き汚さで、再生の保険くらいは残しておいているはずだと思ったら、やっぱりだった。
ぐずぐずの泥は、異能を元から絶たれて、どんどんと身体が崩れていく。
『うぐ、ぎ、再生しない、力が使えない、何故だ、がアァッ』
「むき出しのあなただから、できたこと。存在に干渉して、異能の力を遮断した。それだけだよ」
『ばかな、下位互換のちからで、ギッ、グ、ァ! ガ――は、おまえ』
その、泥の元に、ぼろぼろの影が近づく。
同時に、わたしの隣に夢ちゃんと静音ちゃん、それから後ろにアリスちゃんが集った。
――正直、もう、限界だ。最後の意志で揮った力が解けて、消えていく。それを、後ろにいたアリスちゃんが支えてくれた。
「大丈夫?」
「う、ん。ありがとう、アリスちゃん」
それよりも、乙女さんを止めないと。
ここで逃がしたら、もう、どうなるかわからない!
「キアーダ」
『サイレント、エッジ。は、はは、見たか小娘、天運は我にあり!』
させない。
そう踏み込もうとてふらついたわたしを、夢ちゃんが抑える。
『さぁ、再起を図るぞ、儂を連れて――』
「この時を、待っていた」
『――グギッ、がっ、は?』
泥の身体に深々と刺さった刀。
その刀身に刻まれた文字は、“碓氷甲”と。
『何故、何故なぜナゼ、ああ、アア、いやだいやだいやだ、消えたくない、死にたくない、儂はまだ――』
「黙れ」
その剣を、乙女さんは、深々と押し込んだ。
『――ギギャァァァァァァァァァァァァッッッ!?!?!!』
それで本当に、最期だったのだろう。泥は、装儀は、キアーダは……じゅうじゅうと音を立てて、ただの泥になった。コールタールのような、真っ黒な泥に。
「乙女さん」
「行きなさい。待ってる人が居るんでしょ?」
「あんたも来なさいよ! 罪も償わないで、逃げる気!?」
「……夢ちゃん」
悲壮に、けれど目を逸らさずに、夢ちゃんはそう問う。
「そうね。ふふ、まったく、本当にそう。あなた、素直じゃないところは私にそっくりね」
「なっ」
「それに、かっこつけしいで優しいところは、あの馬鹿にそっくり。なるほど、そういう可能性もあったのね」
まるで、これで最期みたいに笑うから。
だから、わたしは。
「あの! 甲さんから、伝言が!」
「知ってるわ」
「え……?」
「私に宿った異形は、そういうモノだから。だから、聞こえてきた。まったく、本当に、あいつは」
乙女さんはそう、優しく微笑む。
そして――自らの手首を、縦に切り裂いた。
「ッなにやってんのよ、ばか! 治療を、早く」
「近づくなッ!!」
「っ」
乙女さんの声に、わたしたちは足を止める。その足下に広がるのは、なにかの陣だった。
「こういう生き穢い輩はね、最後の最後まで油断は出来ない。だからこいつの砕けた核ごと、私が持っていくよ」
「なに言ってんのよ、ねぇ、母さん!!」
「――ごめんね。そっちの私には、こんな技、使わせるんじゃないよ」
乙女さんの足下が、燃え上がる。血のように黒い炎。泥と乙女さんに巻き付く、黒い腕。
「【百鬼夜行・地獄回帰】」
地獄の門を開いて、連れ去ってしまう。きっと、それで間違いないんだろう。伸ばそうとした手は空しく漂う。一歩を踏み込む力さえ、残っていなかった。
「やめて、離して静音ぇぇぇッ」
「だめだよ夢! アレに触れたら、一緒に呑み込まれる!!」
「いや、いやぁぁぁッ! 手を伸ばしてよ母さん、なんで、なんでそんなやつのために!」
「――罪を償うときが来た。この、血に汚れた手で誰かを救えるなら、私はそれを選びたい」
「生きて償いなさいよ、死んで、死んで欲しくないって言ってんのよ!!」
「うん、だから、ごめん。――向き合ってくれてありがとう、友達を大事にね。夢」
炎に、呑み込まれる。誰も、ひとときも目を離すことが出来ないまま、乙女さんは優しく微笑んで――そうして、炎の中に消えていった。
「夢、ちゃん」
「うぐ、ぐすっ、ご、ごめん、夢、ぅぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、わ、私、私!」
泣きながら、静音ちゃんは、項垂れた夢ちゃんに縋り付く。わたしも、アリスちゃんも。
「ううん……止めてくれて、ありがとう、静音。心配掛けてごめん、鈴理。支えてくれてありがとう、アリス」
「夢ちゃん」
「なによ、最期の最期まで笑っちゃって。いつもみたいに、ぁ、自信満々に笑ってさ、っ、なんで、なんで、なんであっさり死んじゃうのよ、っぁ、なんでよ、なんでよ! 母さん」
「夢ちゃん」
「ごめん、ごめん鈴理、ちゃんと乗り越えるから、だから」
「大丈夫、大丈夫だよ、わたしたちが、傍に居るから」
「っ――母さん、母さん、ぅぁ、ぁああ、ぁぁぁ…………――っ……ぁっ!!!!!」
縋る夢ちゃんを抱きしめる。
ただ、ただ――少しでも、彼女の痛みが和らぐように、と。




