そのじゅうろく
――16――
未知と別れて、千歳は崩れ掛けの屋敷に足を踏み入れた。
(思えば、不思議なひと)
凛として美しく。
ときに、少女のように初心に。
修羅の如く強く。
ときに、稚児のようにか弱く。
(それでも、赤の他人に、こうも心を砕いてくれる)
最後まで自分を案じて、誰よりも危険な戦いに赴いた彼女。未知の姿には、強さと美しさがあった。成人をとうに経た大人の女性であるのにも関わらず、ああも可憐に。
だから、千歳はこの場を買って出た。危険さで言えばそう変わらないだろう。だが、あの女性に、七大家の尻ぬぐいをさせたくはなかった。
「シッ」
飛来する空気の刃を、霊力を纏わせた拳で弾く。誘い出しているつもりなのだろうが、千歳は、そんなことをされずとも動く気であった。なにせ相手は、誇り高き退魔七大家に置いて序列三位を頂戴しながら、人類を裏切った古名家の面汚し。
誰よりも平静さを失わない当主といわれている千歳とて、逃がしてやる気はまったくなかった。
「遊戯は終わり?」
招かれたのは、屋敷――青葉邸最奥にある道場だった。青葉の秘術にとって屋根は不要。板の間では強度が心許ない。よって、空が開けた石造りの空間。それこそが、もっとも多くの青葉当主を生み出してきた修練場の姿であった。
「うん、終わり。待ってたよ、千歳」
「やはりあなたなのね、空」
「そりゃあね」
青みがかった黒髪を束ねた少女。袴姿で、籠手と脚絆を填め、腰には脇差しと打刀。
青とも黒とも言えぬ、深海の色を瞳に携えた少女は、千歳という強敵を前に愉しげに嗤った。
「引きこもりの強者を引っ張り出すのには苦労した。やっと、望みが叶いそうだ」
「それだけのために、人間を見捨てたの?」
「? そうだよ?」
ため息を一つ。
千歳は、拳に炎を纏わせる。
「退魔七大家序列一位、赤嶺当主、千歳」
「……退魔七大家序列三位、青葉当主、空」
体勢を落とす。
空の刃に、稲妻が宿る。
「灼法【気焰練】」
「蒼法【雷鳴傀】」
紅炎。
あるいは。
蒼雷。
「いざ」
「推して参るッ!!」
二つの秘術が、激突する。
――/――
つまらなかった。
年上の男の子でも、私が剣を振ると直ぐに竹刀を投げ出して、泣いて逃げ出した。
つまらなかった。
ずっと遠くにいると思ってたお祖父様もお父様も、直ぐに有象無象とかわらなくなった。
つまらなかった。
他事に手を出しても、何一つとして興味が持てなかった。
私には、剣しかない。
なのにみんな、剣のことになると逃げていく。
だから私は、あれらと同じように暴力で応えた。
血と。
――きれい。
涙と。
――きもちいい。
恐怖。
――ああ、なんて。
暴力は愉しい。悪魔が現れて暴力に正当性が出来ると、それをいたぶって遊んだ。天使が現れて暴力を推奨されると、それに倣って血と力に酔いしれた。
でも、本当は、こんなものでは足りない。人と人が魂を削って戦って、その中で、私の暴力を刻み込む。もっと強い人に、もっと美しい人に、もっと、もっと、もっと!
「もっと、私を愉しませて見せろォォォォッ!!!」
霊力が蒸気のように空に上げられ、雲と混ざって雷雲を生み出す。
「青葉源流【雷鳴剣】!!」
稲妻を纏わせた刃で、落雷を吸収・放出、及び反射する。反応速度さえも雷の領域に置き、人類の認識速度を上回るかのような、閃光の刃だ。当然、ただの人間に避けられるモノじゃない。けれど、あのひとは、こんな程度で切り裂かれてくれるほど優しくはない。
「燃えろッ」
赤嶺の秘術、気焰練。ため込むように練り込んだ多量の霊力を解さなければ、決して消えることの無いという凶悪な炎。それを扱う千歳さんは、美しくて強い。
いったい、気丈で可憐な彼女は、どんな顔で命乞いをするのかな? 楽しみで、たのしみで、稲妻のボルテージが跳ね上がった。
「あっはははははは! さすがだねぇ、赤嶺千歳! でも、燃やすだけの秘術でなにができる!!」
「さて。もろとも燃えてみればわかるのでは?」
やっぱり、気にくわない。いつだって彼女はそうだった。私が暴力を揮うと、そうやってすました顔で文句を言って、また、時子様の元へと帰って行く。一度だって、私と戦わずに逃げ回っていた、地位だけの女。
本気でやったらどっちの方が強いかなんて、わかりきっていることだ。それをわざわざ証明してあげるんだし、感謝されたっていいはずだ!
「丸焦げになれば、その余裕も消えるかな? 【雷霆】」
落雷を刃で受け止め、手首のスナップで拡散させる。
稲妻が縦横無尽に駆け巡る青葉の殲滅秘術。所詮、殴ることしか出来ない赤嶺と、広範囲を覆う青葉。どちらが有利かなんて言うまでもない。まるで竜の顎のように、蒼い稲妻は千歳さんに食らいついた。
「【炎角】」
「ッ」
煙の向こうから現れた千歳さんの拳に、刃を立てて避けさせる。
足に纏わり付く炎。爆発させて速度を上げた? 距離を詰める手段くらい、いくらでも持っているか。面倒な。
「赤嶺源流、櫻ノ型【楼閣落とし】」
「なにをしようと――っえ?」
刃先に手を添えられ、気がつけば空を見ていた。
投げられた? どうやって?!
「赤嶺源流、躑躅ノ型【断鉄】」
追撃。
踏みつけ。
「チッ」
跳ね上がって避けると、地面が陥没し、その揺れで私の体幹が崩れる。
「しまっ――」
「赤嶺源流、蘇芳ノ型」
逃げようとした足を踏まれ、千歳さんの小さな身体が私の懐に潜り込む。
「【破城鎚】」
「――がはっ!?」
衝撃。
鈍く響く音。
「づァっ?!!」
鎚のように重い拳が、私の水月に抉り込まれる。
呼吸が止まり、思考が白濁され、ほんの僅かに意識が飛んだ。
「――」
だめ、だ。
こんな、ところ、で。
たったの、いちげき、で。
「雷、我」
「っ【鉄塞門】!」
「き、え、ロォッ!!」
稲妻を纏って放つ。防御された、けど、距離は空いた。
父上は弱かった。
私を殴って、返り討ちにされて、逃げた。
母上は弱かった。
逃げた父上に縋って、身体を壊して死んだ。
お祖父様は弱かった。
修練と称して私をいたぶって、返り討ちにされて、死んだ。
お祖母様は、弱かった。
優しさなんて無意味だと、誰よりも私に見せつけて、死んだ。
私は強い。
「私は――」
雷雲形成。
積乱雲変成。
雷霆域顕現。
蒼雷、充填。
「――強いんだァァァァァァァァッ!!!!」
雷帝剣、発動。
蒼い稲妻が、千歳さんを呑み込むように、巨大な砲となって放たれる。積乱雲から放たれるものと、刃から跳ね返るモノの二条の雷。対大型妖魔決戦秘術が、千歳さんを見えなくした。
「どうだ、私が一番強いんだ! これで――これで」
これで、なんだっけ。
ああ、いいや。なんでもいい。また、終わっちゃった。次の獲物を探さないと。時子様はもうちょっと足掻いてくれるかな? 橙寺院や緑方はどうだろう? まさか、引きこもりの藍姫が来るとも思えない。あれ? 藍姫は味方だっけ? まぁいいや。
全部、全部、全部。
斬って、斬って、斬って。
殺して、殺して、殺して。
全てが、灰になれば良い。
「なるほど。どうやら、私にも非があるようね」
「!」
確かに、確かに燃やし尽くしたはずだ。それなのに、千歳さんは煙の向こう側から出てきた。ああ、いや、でも、無傷ではない。煤に塗れた身体は、所々がボロボロだ。【雷我】から守るための防御術が切れていなかったのだろう。気焰練を身に纏い、防御術で凌いだか。
「それならそれでいいや。戯れ言は聞かなかったことにしてあげるから、続きをしよう」
「私が、幼少の頃のあなたにもっと向き合っていれば、こうはならかったのでしょう」
「っうるさいな! 保護者面? 長い間、お偉いさんになって、慢心でもした?」
向き合う?
こうはならなかった?
面白い話だ。三流の小話だ。聴く価値もない戯れ言だ。だってなにもかも、私が悪いわけじゃない。私より、弱いヤツが悪いんだ。
「弱いヤツが、吼えるなよ。私はそれが、一番嫌い」
「そうね。そうでしょうね。なら、私ももう、出し惜しみは辞めましょう」
「はぁ?」
そう言って、千歳さんは、何故か構えも取らずに自然体になった。どこからでも打ち込んでこいと? 必要のない罪の意識で自殺願望でもあるのなら、介錯だけでもしてあげようかな。
そう、刀を振り上げて。
「幕を上げろ――」
聞こえてきた言葉に、首を傾げて。
「――“機械仕掛けの闘士”」
目を、瞠る。
「なに、なんなの、それ」
声が、巧く出ない。
状況が、理解できない。
だって。
退魔七大家序列一位の。
霊術と秘術でも以て最巧の。
誇り高き古名家である赤嶺の、当主が。
「異形憑き。向こうの世界では、共存型というハイカラな言い方もあるようね」
両手を覆う黒い腕甲。
隙間から見える無数の歯車。
ぎゃりぎゃりと音を立て、隙間から蒸気を噴き出している。
両足を覆う黒い脚甲。
隙間から見える大きな歯車。
ぎゅるぎゅると音を立て、噴きだした蒸気をメモリで制御している。
「それと一つ、訂正を」
「な……に?」
「平和呆けで慢心、ということはあり得ません。私も貴女と同様、戦場で己を駆り立てることは好みとしておりますゆえ。ふふ、昂ぶるとついつい丁寧語になってしまい、他家の稚児に怖れられるから自重しているのですが」
そう、千歳さんは笑う。
三日月のように弧を描く口元に、思わず、息を呑んだ。
「さぁ、お待たせしました。再開しましょう」
「は、はは、望むところだァァァッ!!」
雷帝充填。
雷我変成。
蒼雷降臨。
「青葉源流【雷神傀】ッ!!」
蒼い稲妻が身体を包む。全ての痛みが麻痺すると、私の身体は稲妻になった。
「我が運命は流転せし闘士の歯車」
「わけのわからないことを!」
反応は出来ていない。当たり前だ。これで、千歳さんの首を切り落とし、居間に飾ってやればいい!
「捕まえましたよ」
「は?」
刃にそう黒い指。
ぎゃりぎゃりと鳴る不快な音。
「灼法【気焰練・業火】」
「あづっ!?」
どろりと溶ける刃。燃え移った袖を斬り落とす。
間一髪。あとちょっとで、燃えてなくなるところだった。くだらない挑発に乗らず、あくまで確実に息の根を止める。もう、それしかない。次は距離を取って。
「闘士は舞台で幕に上がる」
「え?」
稲妻の速度で後退し、まったく同じ速度で、ぴたりと私に張り付いてきた千歳さん。
「あ」
だめだ。
間に合わない。
「解放――“闘士の鬨”」
反応は追いつかない。でも、引き上げられた感覚が、起こっていることを見せつける。
高速で回転する歯車。蒸気によって腕甲の溝が開き、硬質な音を立てて黒い拳が露わになる。拳の外側に脈動するのは、血液のような炎。気焰練を餌にして、腕甲は爆発音を断続的に打ち上げた。
なんとか、腕が動いた。霊力で強化。クロスして――
「ぎッ、ぁああああああああああああァァァァァァァッッッ!?!?!!」
――両腕の折れる音。痛みよりも、吐き気が先に上る。身体が浮き上がり、地面に一度も触れることなく壁に叩きつけられた。
「あ、がッ、は、ぁう」
いきがくるしい。
もう、わからない。
いやだな、ぁ。
しにたく、ない。
でも、だめだよ、ね。
ちちも、ははも、みんな、みんな、みんな、しんで。
「罪を償いなさい」
え?
「それが終わったら、今度こそ、一から鍛え上げてあげましょう」
は、はは。
あなたには、敵わないよ、千歳さん――。




