そのじゅうご
――15――
――聖樹・卵殻
聖樹は日々、少しずつ、その姿を変容させていた。光を取り込み、希望を吸い上げ、その卵殻ごと大きくなる。その成長が海面に出たとき、聖樹は最後の成長を遂げ、ダストの悲願までまた一歩近づくことができる。
その壮大な計画を担う聖樹は、今も近づくモノを圧倒する偉容さで、爛々と輝いていた。
「~♪」
その傍で愉しげに微笑む少女――キアーダに、ダストが近づく。いつものように、キアーダは振り返ることもなく、ただ傲岸不遜に聖樹だけを眺めていた。
「仕事だ」
「……へぇ?」
キアーダが駆り出されることは滅多にない。それは彼女が彼女の“異能”で、希望を集めている――ようは、ストッパーであるからだ。にも拘わらず仕事の要請となれば、それ相応のコトが起こったのだろう。
キアーダは身内の不幸であるにも関わらず、愉しげに嗤った。
「予知者のことを覚えているのか?」
「なんじゃったかのう?」
「……報酬まで払った人間を、わざわざ殺したことがあっただろう?」
「んー……ああ、思い出した、思い出した。幸せの絶頂ですと言わんばかりの笑顔だったからのぅ。遊んでやったんじゃよ。あの娘には、復讐の代弁者として感謝して貰わねばならんな。カカッ」
「当初、幽閉予定だったあの娘から、|人間としての機能を奪う《・・・・・・・・・・・》ように計画変更したのも貴様だろうに」
ダストの言葉に、キアーダはただ笑みを深める。予知者――今はアリュシカと呼ばれて居る少女は当初、幽閉して予知を聞きに担当が出向くだけの予定であった。それを、眼球をえぐり出して人形に移し、予知者の量産を行おうと進言したのが、このキアーダであった。
結果として、精度は落ちるが様々な場所での予知を可能とし、アル・サーベの捕獲を初めとして、様々な場面での恩恵をもたらした。だが、果たしてダストの計画のために、そこまでの非道が必要であったのか。
(詮無きことか。所詮、私もコレを利用する立場だ)
それでも、ダストはこの悪魔にも劣る邪な存在を見下して、軽蔑の目を向け――しかし、興味を失ったように目を背ける。
「まぁ、良い。その予知者の施設で異常が起こった。貴様に対処を願いたい」
「対処? なるほどのぅ。好きにして良い、と?」
「予知者の、五体満足での回収。それ以外は貴様の裁量に任せよう」
「カカッ、カカカッ、いいじゃろう。久々の外出じゃ――いくらか兵を借りていくぞ」
「好きにしろ」
ダストの言葉に、キアーダは笑みを深くする。異常、ということは侵入者であろう。それ以外にあの施設をどうにかする手段はない。
(ならば、待つのが吉か)
卵殻を出て、海上を目指す。その最中、キアーダの頭にあるのは、このあとの“お楽しみ”のことだけだ。厳重な施設をくぐり抜けられる実力者が、アメリカに侵入してバレないはずがない。そうすると、考えられる手段は三つ。
一つは身内による裏切り。だが、裏切られて困るものなどサイレントエッジくらいだが、彼女はアメリカで合流すると通達があったばかりだ。裏切ったのならば、こんな怪しいタイミングで連絡は寄越さないだろう。
一つは潜入特化の人員で侵入したケース。だがこれも、結局は発見されるような人員では警備に潰される。そして、発覚の情報が来ている時点で、調査にいけなどとは言われない。
最後の一つは――なんらかの手段、それこそ外部にいる人形などを使ったり、ダストに報告していない能力があればそれを使って、予知者自身が人を招き入れたというもの。
(最後が一番可能性が高い。なら……)
侵入者と予知者が絆を育み、友情を覚え、幸福を確信して。
「それから奪ったのなら、どんなに心地よいものだろうか」
美しい少女の顔を、邪悪に歪めて、キアーダは残酷に嗤う。
そうして、キアーダは空に昇り、無数の兵を侍らせて上空で眠りにつく。情報がもたらされてきっかり一日経ったら、遠くにも行けず、けれど情を覚え、希望も抱いているだろう。
果報は寝て待て。愛と希望を刈り取る収穫のその時まで、キアーダは浅く瞳を閉じた。
――/――
――偽装客船“ふじ”
人形の調査と魔天兵の撃退、それから魔導術の教鞭を執りながら、私たちはハワイへと向かっていた。
その道中もあと僅か。夜が明けた頃には島の様子が見えてくることだろう、とは、弥由さんの言葉だ。
私は好意に甘えて仮眠をとらせて貰い、夜明け前に起き出して甲板に立つ。すると、そこには、夜風を浴びる千歳さんの姿があった。
「こんばんは」
「……未知? ええ。こんばんは。仮眠はとれた?」
「ええ。いつでも動けます」
「そう」
私よりも頭二つ小さい千歳さんは、私の言葉に頷くと、また、水平線に目を移した。
「聞けずに居たことがあります」
「?」
「私がこの地を去ってから、どれほどの時が過ぎたのでしょうか?」
「ああ……時の流れが違うのね。まだ、たったの四年よ」
四年……そうか、四年か。四年も経ったんだ。
「二年は平和だったわ。それからノアが現れ、今また、あの頃に戻ろうとしている」
「阻止、しないとなりませんね。なんとしてでも」
「ええ」
まだ、敵の目的すらハッキリとしていない。けれど、ミカエラさんから手紙が届いたときに、なんとなく察することは出来た。神さま候補になって実感したことだが、あの人はおいそれとは接することが出来ないような立ち位置の方だ。いやもちろん、“おじいちゃん”ほどではないのだけれど。
そんな人があんな形で手紙を寄越したのであれば、やっぱり――彼が、関わっているのだろう。私の、この世界に住まう人々の、避けては通れない敵。
「未知、あなたはどうして、ここまで命を賭して戦ってくれるのかしら? ここは、あなたの世界ではないというのに。義務感? 責任? それとも――」
「好きだから」
「――え?」
珍しく、心底驚いたような顔で首を傾げる千歳さんに、少しだけ笑ってしまう。
「この世界が好きだから。だから、助けるんです」
それはかつて、魔法少女になったときの、誓いのように。
大切な誰かを、未だ出会わぬ、友になれるかも知れない人を、前世なんてモノを持つ自分を受け入れてくれたこの世界を。
「好きだから、守りたいから、私は願ったんです。“どうか、私に戦う力を”――と」
ミラクル・トランス・ファクト。
奇跡を為せるモノへの、変身。
「そう――あなたにたくさんの人がついてくるのは、そんなところに惹かれたから、なのでしょうね」
千歳さんは優しく微笑むと、そう告げて。
「私も、貴女になら――」
それから、言葉を詰まらせた。
「――未知。あれ」
「え? ――あれは……カラス?」
指さす先。緩く顔出し始めた朝日の向こう側。島に掛かるように飛び交う鳥のようなモノ。いや、違う、この距離から見えるのなら、もっと大きいサイズでなければならない。
「魔天兵――ハワイが、襲撃されている!」
煙。
閃光。
音は聞こえず、影が落ちる。
“ふじ”にはもう少し近づいたところで待機をして、偽装を掛けさせて貰った。いざというときの避難民の誘導と、人形を守って貰うためだ。すれ違い続けて弥由さんの従兄弟さんにはついぞ出会うことが出来なかったが、私たちが出発する直前に起き出して、防衛に当たってくれるという報告だけ聞くことが出来た。
私と千歳さんは、あえて霊術船は出さず、高速飛行でハワイに向かう。出してしまう手間を考えたら、こちらの方が臨機応変に戦えるからね。
「それから」
出発間近、従兄弟さんのことと一緒に聴いたこと。それは、大慌ての中で咄嗟に、弥由さんが人形を使ったということだった。
「シェルニセマルレイリョクノフネガ、シュノサマタゲトナルダロウ」
――卵殻に迫る霊力の船が、主の妨げになるだろう。
それきり、うんともすんとも言わなくなってしまい、突如震えだして灰になってしまったのだという。アリュシカさん本体に、何かあったのかも知れない。その、嫌な想像はいまはしまっておくけれど。
とにかく、霊力の船とは、“ふじ”のことではなく霊術船のことだろう。やはり、敵の本拠地は海上、もしくは海中にあることは間違いないようだ。となれば、ハワイに行けば場所がハッキリするのかも知れない。指輪の矢印はキアーダの位置を示すモノだ。本拠地に行けばキアーダがいるのか、本拠地は通過せずにキアーダに遭遇するのかは、まだわからないけれど。
「到着する」
「はい!」
白い海岸に、滑るように着地する。火と、煙と、悲鳴と、怒号。以前に訪れたときとは様相を違える、地獄のような光景だ。
「まずは中央部。頭を叩いて行動を途絶えさせる!」
「はい、承知致しました!」
飛行術式を【再起動】。空を駆ける千歳さんについて、中央部――時子姉の屋敷を目指した。
中央部に近づけば近づくほど、戦乱の模様は激しくなる。
「時子ね……時子様はどこに?」
「時子様なら防衛に――っ」
突如、地上から飛来した鎌鼬のようななにかを、千歳さんは驚異的な反射速度でたたき落とす。風の刃を見ずに落とせるってすごい。
襲撃者はその様子を視て思うところがあったのか、崩れそうな建物の中に入っていった。
「様子見でしょうか?」
「挑発ね」
「おびき寄せている、と?」
「アレであるのなら、十中八九」
襲撃者に心当たりがあるのか、千歳さんは眉を寄せる。
「やっぱり、時子ね……時子様に合流して――」
それから、襲撃者を追い詰めよう。そう言おうとした私に、影が掛かる。
「時子姉、で良いよ、未知」
朱雀を憑依させているのだろう。炎の翼を携えた時子姉が、変わらぬ笑みで私を迎える。その優しげな眼差しに、かつてのような呪いに侵された仕草は見当たらない。
良かった……本当に、本当に良かった。
「――ぁ」
「久しぶりね、未知。それから遅れてごめんなさい、千歳」
「いいえ、お気になさらず」
飛び回って防衛に当たっていたのだろう。袴姿だが、所々煤に塗れている。けれど、怪我をしている様子などはない。
「積もる話はあるけれど、後回しね」
「はい……ご無事な姿をお目にかかれて、なによりです」
「あななたちが来てくれたのなら、私は防衛に回るから、そちらはアレをお願い」
アレ、というのはもう、流れからしてあれなのだろう。
裏切り、ダスト率いるノアについたという七大家当主の一人。
「七大家序列三位、青葉空、ですか?」
「ええ、そうよ。よく知っていたわね。えらい、えらい」
そう言って、時子姉はにこにこと私の頭を撫でる。あのそのえっと、なんだろう、確実に私の世界の時子姉よりも甘い。瀬戸先生が好きなタイプの甘さだ。
「時子様、未知、一つご提案があります」
「なに? 千歳」
「未知は共通の妹分に――と、間違えました。アレへの対処は、私一人に任せていただけませんか?」
「え?」
え? え、いやいま、その前に変な言葉が聞こえた気がするのだけれど……いやだめだ、この空気で突っ込めない。
「この混乱の最中です。敵はここに戦力を集中させたと思い込んでいることでしょう。そこへ、迷彩を施した霊術船で、戦力の知られていないであろう未知にキアーダの元へ乗り込んで貰います。未知によると、キアーダを倒せば問題の八割は解決するようです。キアーダを倒すか、あるいはある程度のダメージを与えて混乱させれば、敵の戦力も一気に削れることでしょう」
……確かに、そうだ。キアーダさえ倒してしまえば、私は魔法少女に変身できる。そうしたら、そのままダストと決着を付ければ良い。
いや、うん、変身せずに済むならそれが一番だけど、今回は躊躇いません。世界の命運がかかってるし、ほら、いずれ去らなければならない世界でなら、身バレしてもダメージはない……いや、ちょっとしか……でも、弥由さんたちにまで……うぅ、我慢、我慢。
「そろそろアレも痺れを切らすことでしょう。私はアレの頭を冷やして参ります」
「未知。――あなたの目を見れば、あなたの覚悟はわかる。だから、これだけ言わせて」
「は、はい」
「生きて帰ること。いいね?」
「――はい、必ず」
時子姉に声を掛けられ、千歳さんに手を握られ、大きく頷く。
「では、また後ほど」
最初に時子さんが空に上がり。
「頼らせて貰うわよ、未知」
次に千歳さんが地上に降りて。
「はい、承知致しました」
私は、さきほど千歳さんが手を握りながら渡してくれた、待機状態の霊術船を手に海上に降りた。
千歳さんに教えて貰った手順で海に浮かべると、霊術船が姿を顕す。私はそれに乗り込んで偽装を施すと、指輪の矢印に向かって一息に直進した。
「首を洗って待っていなさい、キアーダ・トゥ・サナート……!」
ただ、この戦いを終わらせるために。




