そのじゅう
――10――
――海上・偽装客船“ふじ”・客室
元生徒たちを乗せた客船。その客室の一角に横たえられた銀の棺桶が、彼らが魔天兵から強奪したものだという。外装には茨の装飾があしらわれた美しい棺桶で、天力による守護の術が感じられる。もっとも、ほとんどの効果は失われているようだが。
これが、“神器”か。天使が現世に顕現するための仮の身体が確か、天装体といって、これもアバターやらアヴァターやらと言われていた気がする。天装体に近い技術によって作られたもの、ということなのだろうか?
「私たちは、こちらの海域ギリギリを航海し、ノアに動きがあればこれを牽制する任務に就いています」
そう説明するのは、この集団のリーダーであり元生徒。棟方弥由さんだ。彼女は一番最初に教えた当時が十五歳だったはずだが、今や大人びた女性になっている。まだあどけなさが残るが……今、いくつなのだろうか。
「その最中、魔天兵が慎重に運ぶこの棺を見つけ、強襲を掛けました」
「魔天兵の護衛を抜いたのですか? ――立派になりましたね、棟方さん」
あの頃はまだ、雛のようだった彼女。それが今や、こうしてみんなを率いて、みんなのために動いてくれている。その成長を間近で見られなかったことは少し寂しいけれど、それ以上にうれしさがあって、前のように、茶色の髪の彼女の頭を撫でててしまった。
「ひぇっ……んんっ。やめてください、頭が真っ白になってしまいます」
「そ、そう?」
「それに、私たちだけの力ではありません。異能を保つ従兄弟が搭乗していたので、その異能で棺を確保しました。護衛対象が私たちの手に移ったため攻撃の手が緩んだことを利用したのです」
「素直に、とても良い作戦だと思うのだけれど……その、従兄弟の方は?」
「霊力の使いすぎで寝てます」
「そう、なのですね?」
なんだかちょっと、従兄弟さんに対して淡泊な気がする……。いやまぁ、身内の気安さ、というやつなのかな?
「であるのなら、私が後ほど霊力を譲渡しましょう」
そう名乗り上げてくれたのは、千歳さんだ。棟方さんは恐縮してしまっているが、今回の従兄弟さんは今回の功労者だ。それくらいは良いだろう。この船、他に異能者は乗っていないようだし。
「さて、それでは棟方さん」
「あ、できればその、従兄弟と被るので……」
「え? ああ。失礼しました。それもそうですね。では、弥由さん」
弥由さんは耳を赤くして頷くと、棺に近寄る。幾つかの魔導術式で保護していたのだろう。接触によりそれらを解除すると、彼女はゆっくりと棺を開いた。
「――人形? 精巧な造りね」
そう、感嘆する千歳さん。けれど私は、思いも寄らぬその姿に、思わず息を呑む。
「そんな」
シルバーブロンドの髪。両目を覆う銀の目隠し、白と銀で美しく装飾されたドレス。私の知る姿よりも幼いその人形は、私の生徒で、鈴理さんたちの親友で――私の、友達でもある少女の姿とうり二つであった。
「……アリュシカ、さん」
アリュシカ・有栖川・エンフォミア。有栖川博士の娘であり、稀少度Sランクの多重能力者。どう見ても、彼女の姿に相違なかった。
「観司先生?」
「っいいえ、なんでもありません」
「そうですか? ――では改めて、“これ”の使用方法ですが……」
使用……そう、そうだよね。いくらアリュシカさんとそっくりといえど、人形だ。なにかしらの意図があって作られたものなのだろう。抵抗があることは否めないが、なにもかもわからない現状では、確かめなければ始まらない。
弥由さんはアリュシカさんの人形に手を翳す。なんでも、先ほどの多重展開術式で念入りに解析したらしい。この世界は私の世界よりも魔導術への信仰心が強い。世界に触れるようなことでも、多少は何とかなるのかも知れない。
「……聖樹の主が問う。我が道を遮る壁を示せ。【起動】」
『――……ヒカリカガヤクタマシイ。オオカミ、シノブモノ、ギンユウシジン、ホノオノミコ。カミノウツワヲカイホウセン……――』
機械音のような声がそう告げる。これは、えっと?
「と、このように、魔天兵たちの首領にとって壁となる存在を教えてくれるようです。ただ、よほど大規模な儀式を用いてこうしているようで、抽象的な言葉になってしまうようですが……間違いなく、予知であると思います」
なるほど……。ならやはり、これはアリュシカさんとなんらかの繋がりがある物なのだろう。彼女の能力もまた、未来予知――啓読の天眼なのだから。
今にして思えば、レルブイルがあそこにいたのは、この人形を取り返すためではなく受け取るためだったのかも。その前に奪われ、焦って取り返しに来た、と。どこに運ぶ気であったのかも気になるけれど、今は、彼女が喋った予知の内容も気になる。千歳さんは判断しかねている様子だ。なにせ、情報が少なすぎる。でも、私からしたら十分すぎる。
オオカミ――狼。
シノブモノ――忍者。
ギンユウシジン――吟遊詩人。
ホノオノミコ――炎系異能者。
そして、カミノウツワ――神器だとするのなら。
(鈴理さん――あなたたちが、たどり着くのね)
なら、願わくば、彼女の告げた“解放”が――どうか、救いであるように。そう、祈らずには居られなかった。
「予知の解析は必要。けれど、まずはこの船の目的地を聴いてもいい?」
「は、はい、赤嶺様。本来は巡回して本土に戻るのですが、モノがモノなので一度、ハワイに立ち寄ることになっています」
「燃料は?」
「本土で異能持ちの方が、圧縮して積んで下さいました」
「そう。同行しても良いかしら?」
「! 心強いです!」
千歳さんがそうとりまとめてくれたので、ほっと一息。その途中でもしレルブイルの言う本拠地があるのであれば、私と千歳さんだけ霊術船で潜行し侵入しても良いだろう。キアーダを倒さねばならないとはいえサーベを解放させてからでも遅くはないはずだ。本拠地に引き籠もっていてくれたら、一石二鳥なのだけれど。
快く引き受けてくれた弥由さんに、私からもお礼を言う。
「ありがとうございます、弥由さん」
「いえ! それでその、もし良かったら、なのですが、航海中に魔導術を見ていただけませんか?」
「ええ、もちろんです」
「ありがとうございますっ!」
喜んでくれる弥由さんを促して退出する。道中の護衛は必要だろうが、このまま、一路ハワイまで進められるのなら戦局も変わってくるだろう。
だから、それまではどうか――みんな、無事で居て。
――/――
――聖樹・卵殻内部
荘厳な樹。
聖なる大樹。
その威容を眺めるのは、小柄な体躯の少女だ。
「なにをしている、キアーダ」
緩やかな黒髪、小麦色の肌、黄金の目。
軍服のようにも見えるブレザー姿に身を包み、キアーダは楽しげに嗤った。
「いやなに、希望というやつを眺めていたのさ」
そう楽しげに応えるキアーダに、ダストはただ一言、そうか、と頷く。
「貴様の働きには期待している。事が終われば望みは果たそう。だから、妙なことを考えるなよ」
「カカッ、わかっておるわ。第一、儂程度の浅はかな策謀など企てたところで、お主には無駄じゃろう?」
「無論。だが、手駒を失うのは惜しい。セブラエルのように、な」
セブラエル。その言葉を聞いて、キアーダはさらに笑みを深める。天使の中の天使。もっとも神に深く忠誠を誓った熾天使。至高の天使。だからこそ彼だけはダストに反抗し、神に真意を問い、無残にも背中から撃たれた哀れな天使。
キアーダはその時の感触を思い出して、恍惚に頬を緩める。
『私は神の尖兵! 紛い物たちを主とは認めない!』
『無為な虐殺に意味などある物か! それは選定ではない、悪逆だ!』
『私は我が神に、我が大いなる父に真意を問う。如何によっては、貴様たちの最後と知れ!』
『き、さま、なに、を……?』
『おゆる、し、くださ、い――わが、父、よ』
『――――……――』
貫いた手。
魂を握りつぶす快楽。
「わかっておる、わかっておるわ。カカッ――あの悦楽をおいそれと手放せるほど、儂は我慢強くはない。ああ、本当に、本当に、魂とはなんと香しい、美味なるモノなのだろうか。なぁダストよ、反逆者共のリーダー。あれも、食わせてはくれんかのう?」
「事が終われば好きにしろ」
「カカッ、心得た」
キアーダはそう、楽しそうに、愉しそうに、無邪気な子供のように嗤う。
「そう言うのであれば、剣士についていけば良かったのではないか?」
「アレは一人で愉しみたいとさ。ま、気持ちはわかる。儂は時が来れば動こうぞ」
「その言葉、忘れるな」
去りゆくダストを見送ることもなく、キアーダは聖樹を見上げる。
「希望、希望か。全ての希望は儂が閉ざした。だというのに、またどこからか希望を携えて抗う人間が居る。それらの魂を砕くとき、いったい、どんな顔で喚いてくれるのか――儂はただ、それが知りたい。クク、クカカッ、カカカカカカッ!!」
聖なる領域に、歪な狂笑が響き渡る。
それはまるで、悪魔の産声のようであった――。




