そのきゅう
――9――
日本から出てハワイへ向かう。言うには易いが実行するとなると問題が出てくる。なにせ、ツアー会社が旅行プランを立ててくれるわけでもなく、空港から飛行機が飛んでるわけでもない。復興直後ならいざ知らず、今、飛行機で飛び立とうものなら直ぐさま魔天兵に墜とされてしまう。そんな状況で移動手段を確保するのは難しい。
転移能力を持つ異能者なら話は別なのだろうけれど、長距離転移なんかSクラスの稀少性を持つ。特性型の術者であっても、稀少性が高い。そもそも、キアーダの居場所は方角しかわからないので、通り過ぎると困る。ならどうするのかと言うと。
「船を使う」
「船? フェリーとかがあるのですか? 千歳さん」
「いいえ。霊術船よ」
霊術船。聞いたことのない名前に首を傾げていると、千歳さんは懐から折り紙の船を取り出した。
「黄地に協力を仰いで式化した、霊力機関によって稼働する船」
「そんなものが……? すごいですね」
「そちらの世界にないのだとしたら、コストの問題ね」
「えっ」
「一隻組み上げるのにアル・サーベの加速空間で二年。諸経費で億。稼働には高位の術者」
あー、なるほど。確かに、私たちの世界ではそこまで霊術船を用いる必要はない。交通機関は安全で発達しているし、そこまで害を及ぼすような敵は滅多におらず、いても直ぐに治安機構が排除してくれる。その状況で、そんな高価な船を作る理由はない。
「それでも私たちには必要だったの。霊力さえあれば敵に見つからずに移動できる迷彩機構、いざという時の迎撃も可能な霊術武装、隠密に運ぶことが出来る隠匿性。そのどれもが、長く戦いに晒されてきた私たちの、貴重な財産」
淡々と説明をしながら、千歳さんは海に折り紙の船を浮かべる。海までの道中は、とくに妨害はなかった。飛行術式による高速低空飛行での移動だ。多少目立つことも致し方ないと思っていたが、私の目前に突きつけられたのは、妨害なんかではなく、避けられない“現状”だった。
(荒廃した街、戦闘の爪痕、一箇所に集められた首のない白骨……)
まるで、人間を弄んでいるような。
「未知?」
「……ごめんなさい、なんでもないわ」
千歳さんに声を掛けられて、頭を振る。私まで、怒りに、憎しみに支配されてはいけない。魔法少女の力の源泉は“愛”と“勇気”と“希望”だ。立ち向かう覚悟は良い。けれど、黒い感情は変身を妨げる。それは、魔塵王たちとの戦いで身に染みてわかっていることだ。
気を取り直して、千歳さんの様子を視る。荒廃した港から海辺に浮かべた折り紙は、千歳さんの祝詞とともに姿形を変えていく。卵形、とでもいえば良いのだろうか。銀色の船体は弾丸のように尖り、窓もなく入口もなく、大きさは乗用車程度といったところか。思っていたよりもSFチックな外見に、開いた口が塞がらない。
「続いて」
「え、ええ……え?」
その入口のない船体に、千歳さんは気負いなく飛び込んだ。すると、銀の船体に波紋がたち、水滴が落ちるように千歳さんの身体を呑み込む。これ、けっこう怖いよね?
でも、うん、そんなことは言っていられないしなぁ。
「すぅ、はぁ」
深呼吸。
跳躍。
膜。
沈み込んだ身体が、広い空間に落ちる。
「これが、船内……?」
「ええ、そうよ。せっかくだから内装は凝ってみたの」
「ぇぇ……そうみたいね」
こう、空間が弄ってあるのだろう。“天狗の住処”と同じだ。見た目よりも遙かに広い空間。床は畳で、水晶玉のような操縦桿が置かれた操縦席には柔らかそうな座布団。周囲は全方位が見えるようになっていて、背後には透明な空間にぽつんと一枚の襖。おそるおそる開けると板の間が続いていて、ちょっとしたお屋敷のようになっていた。なるほど、これは億ね……。
「迷彩起動、自動操縦稼働、方角設定」
腕輪に輝く座標を設定し、霊術船は音も無く港を立った。
――霊術船内部
割り当てられた部屋で思考の整理をしていると、不意に、襖の向こうに気配を感じる。どうぞ、と短く返事をしてみると、襖が開き、千歳さんが顔を出した。
「ごめんなさい、少し良い?」
「? ええ、もちろん」
頷いて、促されるままにあとを着く。操舵席に案内されると、船は一時的に停止されていることがわかった。
「なにかありましたか?」
「ええ。あれを見て」
顔を上げると、そこには周囲を見回すことができるモニターがあった。そして、それを見れば、千歳さんが伝えたかったことにも簡単に察しが付く。海上を不穏に飛ぶ、黒と白の翼。無数の彼らが追い立てるのは、中規模の船――フェリーだ。
「寄り道をしてもいい?」
「見捨てる、と言われたら納得できないところでした」
「ふふ、ありがとう。では行きましょう、未知」
「はい!」
霊術船が明滅。迷彩は解除せず、私たちと霊術船を入れ替えるように出現・収納させるのだという。
「直ぐに海上よ。準備は?」
「【速攻術式・飛翔制御展開陣・展開】――万全です」
「重畳。行くよ」
「承知致しました!」
霊術船が掻き消え、海上に投げ出される。千歳さんはそのままなんなく海の上に立ち、私はそのままふわりと浮き上がった。目視で確認すると、思いの外、フェリーは遠い。けれどそれは、魔天兵に――敵に、私たちの出現情報を渡さなかった、ということでもある。この場合、メリットの方が大きい。なにせ、こんな距離、ものともないのだから!
風を切るように、海を裂くように飛翔する。けっこうな速度が出ているのに、隣を併走する千歳さんは、その速度を落としたりはしない。やがて魔天兵も数体が私たちに気がつくけれど……もう、遅い。
「【展開】」
スーツの袖口に潜ませたのは、術式刻印により刻まれた【目標捕捉・魔力圧縮・強化切断】の魔導術式。思い切り魔力の込められたそれは、短い詠唱と腕の振りに併せて飛来。魔天兵が構えるよりも早く、彼の体を両断した。
「流石ね」
いつの間に追いついていたのだろう。千歳さんは、身体に炎を纏わせながら、私の隣に浮かんでいた。
「ありがとうございます」
「私も、負けていられないか――灼法【気焰練】」
私に続いて放たれた真紅の焔が、海を薙ぐように広がって、フェリーの横腹を攻撃しようとしていた魔天兵を呑み込む。すると、燃えさかり灰になる彼の火の粉に触れた魔天兵が、同じように延焼。熱から逃れるように海に飛び込むも、気焰練はその程度では消えない。多くの魔天兵が、“海の中”で、燃え上がって消えた。
さて、まだ数はいる。けれど、ここまで近づいてしまえばもう、海上戦の必要はない。
「乗り移るよ、未知!」
「はい!」
海上を跳躍。
魔天兵を斬り、燃やしながら着地するのは、フェリーの甲板だ。
「七大家赤嶺、魔導術始祖観司、両名救援致します」
静かに、千歳さんはそう告げる。魔導術始祖ってなに?? とは思ったけれど、それは後回しだ。
甲板の上にはちらちらと見覚えのある顔もあった。深く関わりのあった人ではなく、以前、元の世界に戻る寸前まで私が教鞭を執っていた生徒たち――本人か、そのご兄弟だろう。いやだって、こう、思いの外、成長しているから。千歳さんもアリスちゃんも見た目が変わっていなかったから気にならなかったけれど、今ってあれから何年経っているのだろうか? もしかしたら、一年程度ではないのかも。
「赤嶺様に……先生!?」
「これは心強い! 総員、捕縛魔導術に切り替え展開! 的を作るぞ!」
リーダーらしき女性が手を上げると、元生徒たちが四列に並ぶ。そして、魔力を空間で循環させながら、ベルトコンベアのように機械的な魔導陣を構成した。
「了解、連続詠唱開始します。【術式開始・接続】」
「接続了解。詠唱第二陣続きます【接合・形態・捕縛展開陣・接合】」
「接続了解。第三陣展開【接合・様式・複数捕捉・接合】」
「接続縫合します! 第四陣展開【統合・術式安定・付加・術式持続・展開】」
なるほど、これは面白い。個々人の力量では大きな効果を及ぼすことが出来ない魔導術式を、複数人かつ複数組で連携させることによって、大規模魔導術として発動させているのか。つまり、疑似的な図式術式ということかな。
広域展開された魔導陣からいくつもの円環が射出。その全てが魔天兵に絡みつき、彼らの動きを縫い止めた。
「未知、彼らの努力に応えてあげて」
千歳さんの言葉。彼らの努力――今日まで、魔導術の力を磨き、研鑽してきたコトへの返答。なら、表向きは魔法少女から魔導術式を伝授され、導き広めた者として、彼らの期待に応える義務がある。
でも、そんな義務がなくたって、応えたい。力なき人々を守る魔導の力を、正しく成長させてくれた、この世界の人々に応えたい。
「ええい、なにをしている! 人間共に手間取るとはどういう了見だ!!」
と、不意に響いた声。上空に現れたのは、厳めしい翼を持つ天使。
……というか、ええっと、どこかで見たことがあるような気がするけれど、思い出せない。その程度の相手だったということかな。でも、彼らの捕縛術式で捕らえるのは厳しいだろう。懐から、無地のトランプに術式刻印を刻んだものを取り出して、投げ飛ばす。天使はきょとんとした顔つきで軽くトランプを手で払い。
「【展開】」
「ぐあっ!?」
トランプから展開された、天力封印術式の鎖に絡め取られ、空中に縫い付けられた。
「この私を誰だと心得る! 我が名はレルブイル!! かつてはセブラエル様の腹心にして、彼亡き今はダスト様の忠実なる僕であるぞ!!」
うん、やっぱり思い出せない!
気を取り直して、魔力を循環させる。せっかくいい魔導術式を見せて貰ったのだ。今はそれに応えることだけに集中しよう。重装、でも良いのだけれど、ここはやっぱり。
「【術式起動・図式術形態・展開指定】」
展開するのは、複数の魔導術式。彼らの見せてくれた魔導術の、発展系の一つ。
「【第一図形:対象指定・第二図形:既存術式可変・第三図形:余剰魔力吸収・第四図形:術式魔力循環・図式接続】」
正面に大きな魔導陣を展開。その魔導陣と連携して、三つの魔導陣が起動。それぞれが歯車のように稼働しながら連関を作る。
「【第零番図形:詠唱起動展開】」
そして、正面に展開してあった大きな魔導陣が明滅しながら変化し、私の号令を待つばかりとなった。
「おいおいあれ、どうなってんの?」
「私たちがやってることを独りでやってるんでしょ?」
「マジかよさすが先生女神だな」
「ああ、やっぱりお美しい。神はその座を先生に明け渡すべきだ」
「全面的に同意だが黙ってろ、見逃すぞ!」
見て……くれているよね??
ま、まぁいいか。気を取り直して。
「【焔】」
既に展開されていた彼の捕縛魔導陣に干渉・適合・可変を加える。
『ごぁっ?!』
『がっ』
『ぐろぉぁッ!!?』
閃光。
焔の球体に包まれて、灼き消える魔天兵。前だったら正直こんなに威力はなかっただろうが、神さま候補になってからというもの、あからさまに威力が上がっている。丈夫だろうと多めに魔力を込めて放った図式術式は、期待以上の効果で彼らを灰に変えた。
……手加減するときは、もっと気をつけないと。神獣の残党には変身で対処しちゃってたからなぁ。
「な、何故だ!? 何故こんなに強い人間が居る!? この海域に警戒対象はいないはずだったのに!?」
一人残った天使レルブイルは、可変を加えられていない私の捕縛術式だったので、燃え尽きることはなかった。そのまま手元に引き寄せて甲板に着地させると、ちょっと仕込みをさせて貰う。
「【速攻術式・真偽判定・展開】」
レルブイルの足下には白い魔導陣。本当なら青、嘘なら赤に色が変化するという……言ってみれば、嘘発見器だ。魔導術によって形成されたころは魂壁に作用するので正確なのだが、私以外が扱うと、それこそさきほどの彼らが見せたような連携魔導術式が必要であろう高難易度魔導術式であったりする。これも、神さま候補となったことでやたら簡単になったんだよね。
「私の質問に答えて貰います」
「ク、ククッ、下等な人類に応えることなど何もない! おまえたちはただ粛々と我らから掠奪した“神器”を差しだし、ダスト様による“新世界統一計画”の礎になるのだ!!」
……ええっと、目的と計画名は判明した。でも私、まだ何も聴いていないのだけれど?
微妙な目で私たちを見る千歳さんから目を逸らし、気を取り直して次の質問に移行する。
「あなたたちの本拠地はどこ?」
「ハッ、この私が方舟の海図を渡すとでも思ったのか? 阿呆め」
「海図? 陸地ではなく海にあるの?」
魔導陣の色は青。そっか、そうなんだ。なら、霊術船という選択肢は正解なのかな。
「海中にあるのかしら? 沈黙は肯定と見なします」
「うぐ……私の沈黙が肯定か否かなど、判別の使用もあるまい。好きに思え。馬鹿め」
青。
よしよし、嘘発見身は察知されていないね。
「入るには特別な手順が必要?」
青。
「それはアメリカ大陸で手に入る?」
青……逡巡して、赤。どちらとも言えないということか。
「あなたは直ぐに帰還できる?」
赤。
えっ、帰れないの?
「……この船にあるものがなければ、帰れない?」
青。
なるほど。さっき言っていた“神器”が鍵か。となると。
「神器は、アメリカ大陸にある何かと繋がりがある?」
「ッ」
青。
それで微妙な反応だったのか。
「それを奪われたから、帰るに帰れなくなった、と」
「黙れ! 先ほどから聞いていれば小賢しいことを!」
青。
否定はしていないものね。
「あなたが帰還する方法で、他の者も行き来できる?」
「出来るわけがないだろう、馬鹿め!」
赤。
わかりやすいけど、ダストというのは実は間抜けなのかも知れない。大丈夫? 自称側近さん、こんな具合だけど。
「帰還方法は……」
「この偉大なるレルブイル様が、ぺらぺらと情報を渡すとでも思ったか?」
「知らない、と?」
「そんなはずがないだろう?! 魔天鍵は渡さんぞ!」
「ええっと……それは、今、持っているの?」
「持っていない!」
赤。
目配せをすると、千歳さんが頷く。
「ポケット」
「は?」
赤。
「装飾品」
「な、なにを」
青。
「腕輪」
「気でも狂ったか?」
赤。
「ネックレス」
赤。
「足?」
赤。
千歳さんが割り込んで、じっとレルブイルを見る。
「翼の根元に着いているそれ、装具のように見える」
「ッ…………」
青。
「【麻痺】」
「ぐがっ!?」
捕らえている鎖に麻痺属性を加える。それから直ぐに千歳さんが円環状の装具を外すと、それは、レルブイルの身体から離れた途端、鍵のような溝のある剣に姿を変えた。
なるほど、これが魔天鍵か。知らなければ絶対に見つけられない。
「ば、ばか、め、ただの人間に卵殻にたどり着くことなど――グガッ?!?!!」
「ッ、みんな、離れて!」
私の言葉に従い、全員が交代する。それと同時にレルブイルの身体から紋章が浮かび上がり、彼は、突如として苦しみの悲鳴を上げだした。
「おやめくださいダスト様、私は、忠実なるレルブイルは裏切ってあがががががが!?!?!!」
そして彼は、内側から食い破られるようにして、歪な“樹”へと姿を変えた。
「どうやら、裏切りをキーワードに発現する呪いのようね」
「わかるのですか? 千歳さん」
「馨ほど詳しくはないけれど、ええ。おそらくキーワードは情報流出。“卵殻”というのがそうでしょうね」
仲間でも、こんな簡単に切り捨ててしまう残酷さ。
仲間でも、信用はせずに呪いを仕込む冷酷さ。
仲間とは、ダストにとって何であるのか?
「待たせてしまい悪かったわね。赤嶺千歳、観司未知。両名合流します。そちらの話を聞かせてくれる?」
千歳さんがそう告げると、船に乗っていた元生徒たちが大きく頷く。
「もちろんです、歓迎いたします!」
「あななたちが乗ってくださるとは、心強い!」
「先生! もしよければ、魔導術について教えて下さい!」
けっこう派手に搭乗してしまったけれど、反応は好意的だ。
「千歳さん」
「ええ」
なら、詳細を聞かなければならない。
レルブイルがこれほどの魔天兵を引き連れて取り返そうとしたもの。
彼らの持つ、神器について。




