そのはち
――8――
灯り。
蒼い光。
冷たい風。
手を濡らす水、
「あ、れ?」
「おはようねぼすけさん?」
「夢、ちゃん?」
目を開けた先には、ちょっとだけ制服をくたびれさせた夢ちゃんの姿。
目に見える先には、石壁がむき出しになった天井とゴツゴツとした床。
目を瞠って見渡し、そこが蒼い光と苔のある、大きな洞窟だと知った。
「え? あれ?」
「お、起きた? 鈴理」
「よく寝る。案外図太い?」
夢ちゃんの向こう側には、地図を広げるアリスちゃんと、無骨な両手剣を腕輪で研ぐ静音ちゃんの姿。ゼノのこと、砥石ってことにでもしたのかな? って、今はそうじゃなくて。
「師匠は?! それに、赤嶺様や幸眞さんも」
「はぐれたわ。ああ、でも安心なさい。あんたが寝てる間に状況の確認はしたから」
「ぇえ……うぅ、ごめんなさい」
「いいのいいの。どうもこの世界、魔導術の消耗が激しいみたいだからね。私とあんたは省エネで行くわよ」
説明してくれる夢ちゃんに、ほっと息を吐く。どうも、師匠は無事で、方針の話も出来たらしい。わたしたちはわたしたちで、ハワイを目指す……ような感じだ。
「問題はここがどこか、なんだけど……それっぽい洞窟のある場所をアリスに聞いているところ」
「で、出てしまっても良かったんだけど、そ、外が敵の縄張りだったら困るから」
「なるほど、そっか。そうだよね。ところで静音ちゃんのその剣は、どうしたの?」
「ああ、倒壊前に一本かっぱらっといたのよ。流石に選べなかったけれど」
「未知の生徒が強かすぎて、向こうの教育がちょっとよくわからない」
アリスちゃんの率直な意見に、思わず頬が引きつる。まぁ、色々あったもんねー。何か一つ行事があれば必ず遭難していた気がする。最初の方は戸惑っていたけど、なんだかだんだん“どうせ遭難するなら戸惑う時間って惜しいよね”みたいな空気になってきたし。
「やっぱり、現在地はよくわからない」
「転移の術に嵌まったっていうよりは、分断しようと遮断したら、空間の歪みに巻き込まれたってところかしら」
「うひゃー、ハンバーグにならなかっただけラッキーってことだよね?」
「す、鈴理、想像しちゃうよ。うぅ」
亜空間とか亜次元とか、なんかそんな感じだよね。こわい。
「もう、出てみるしかないかと思う」
「ま、アリスの言うとおりね。元々、鈴理が起きれば行くつもりだったし」
「い、いざとなったら叩き切るから……」
「気弱そうに叩き切るとかいう人間は初めて見た」
アリスちゃんの目がだんだん空ろになっていくのは置いといて。
そういうことなら行動あるのみだ。足踏みしていたってしょうがないからね。
「あとは、敵の正体よねー」
「夢ちゃんにもわからないの?」
「影の者っぽいけどね。さてさて、この世界ではどこの家が生きているのやら。少なくとも、“碓氷”は一人いないみたいだし」
平然と語る夢ちゃんに、深く同意する。それは、わたしも静音ちゃんも、同じなのだから。
「あとはそうね、“影都”、“門音”、“孔雀院”、それから――」
夢ちゃんは指折り数え、ふと、動きを止める。それに合わせて、静音ちゃんが剣を構えて一歩前に出た。
次いで、わたしとアリスちゃんも気がつく。洞窟の先に、なにものかの気配があることに。
「ひょぇっ、ひょぇっ、ひょぇっ、そう警戒せんでも良いじゃろうて」
その姿が露わになると――わたしは思わず、顔を引きつらせながら夢ちゃんを見た。夢ちゃんは全然動揺していない……ように見えて、額に冷や汗を掻いている。静音ちゃんはまだ見たことがないようで、ただ普通に警戒していたけれど。
「だ、誰?」
「なに、わしはこの洞窟の管理人さ。変な気配がするから追い出してやろうと思ってねぇ」
警戒心を抱かせながらも、脅威ではないと思わせる手法。
まるで、厄介だけど無力、という存在であるかのような演技力。
うん。全然わからない。凄すぎる。
だからこそ、一抹の罪悪感がある。だって、わたしたちはその正体を――
「管理人?」
「そう。名は、キヨとでも、呼んでおくれ」
――カンニングみたいな方法で、知っているのだから。
「ひょぇっ、ひょぇっ、ひょぇっ、この年になると足腰が辛くてのう」
対処に困っているうちに、夢ちゃんがうまいこと交渉してくれた。
わたしと夢ちゃんが油断しなければ大丈夫だろうし、静音ちゃんはその空気に合わせてくれる。アリスちゃんには申し訳ないけれど、まずはどんな手口でどうする気なのか探らないとならない。
ということで、今は、いざとなればゼノという切り札がある静音ちゃんが、キヨさんの要望に従い負ぶっている。
「ほれ、そこを右じゃ」
言われた方向を超覚で探知。
問題ないことが解ると、そのまま連れて行く。その繰り返しで、かれこれ一時間。なんだかやっと、明るいところに出てきた。
「わぁ」
そこは、開けた場所だった。
なにかの遺跡に伝う蔦と花。広々とした空間の天井は崩落していて、青空が見える。神秘的な光景に、思わずため息を吐いてしまうほど。なるほど、こんな光景を見せられたら――油断、しちゃうよね。普通は。
「シッ」
小さく息を吐く声。
鋭い金属音が鳴り響く。
「おや、油断させたつもりだったんじゃがのう」
「鈴理が油断してなかった。そ、それだけで、信じる材料は充分」
「ひょぇっ、ひょぇっ、ひょぇっ、参ったねぇ」
背負われた体勢のまま静音ちゃんをクナイで刺そうとして、剣で切り払われたようだ。易々と奇襲返しを防御して見せたキヨさんは、ひらりと跳躍して広場の中央に立つ。
「演技を見抜かれた実感はなかったんじゃが?」
「その手口に覚えがあるだけよ。“顔のない鬼神”さん?」
「ッ――ほう、中々侮れないようだ」
途端、キヨさんの口調が変わる。
彼女はおもむろに外套を纏うと、その中で姿を変えた。大きく膨らむ外套。それが、人の形を作る。性別不詳、正体不明。もしも彼女がキヨさんの姿を取らなければ、わたしたちも騙されていたかも知れない。それほどの隠密能力。
その姿は間違いなく、幸眞さんの見せてくれた写真の一人。“ノア”の幹部の一人と目されている謎の人物、“サイレントエッジ”のもので間違いない。
「私はサイレ――」
「そういうの良いから。もう少し、“乙女”のように振る舞ったらどう?」
「――!」
驚愕に息を呑むサイレントエッジ。
自信満々堂々と、胸を張って言い放つ夢ちゃん。
「生かして帰すわけには行かなくなったよ」
告げられた夢ちゃんの顔は、険しい。だって、目の前の相手の正体は、夢ちゃんが誰よりも深く知る人間なのだから。
「さて、私のような小娘に本気にならなくても良いんじゃないですか? おばさん」
「大人になっても本気で取り組んだ方がいいのさ。早く帰って酒が飲めるからね」
夢ちゃんが、小太刀“蒼灰”を手に前に出る。
静音ちゃんが、そんな夢ちゃんの横に並ぶ。
アリスちゃんはそっと斜め後に立って。
わたしはみんなの後ろで構えた。
「みんな、行ける?」
「も、もちろん!」
「愚問だよ」
「うん!」
快音。
「シッ」
轟。
「風間流忍術」
「碓氷夢幻流」
斬。
「はぁッ!!」
鈍音。
「援護!」
「は、早すぎる」
「灼き……狙いがぶれる」
わたしは魔導術を展開。
残像を刻みながら激突する二人。
静音ちゃんは時折こちらに跳ぶクナイを切り払い。
アリスちゃんは攻撃と攻撃の隙間を縫うように異能を揮い。
「蒼灰よ、我が意に応えろ――【灰被り】!」
「風解解震、我が相異に準ず――【戒戟】!」
夢ちゃんが蒼灰を揮うと、蒼い霜が灰のように舞い、視線を狂わす。
キヨさん……ううん“乙女”さんが二指を立てると、風の刃が空を駆け。
わたしは。
「【速攻術式】」
徐々に押されるのは夢ちゃんだ。風の刃は変幻自在で、なにより術者が巧すぎる。それになにより、誰より優しい夢ちゃんは、そう簡単に割り切れない。割り切れなくても、わたしたちが動揺したりしないように、誰よりも前に出て、誰よりも先に飛び出した。
でもね、夢ちゃん。わたしは、わたしたちは、夢ちゃんの友達で大親友だよ? そんな風に置いてけぼりで、独りで戦わせて、傷つかせるようなこと――許せるわけがないよ。
「【平面結界・付加・爆発・追加・六十】」
細かい操作を捨てて。
なんだったら強度も捨てて。
ただ、数だけの量産ならなんとかなるから。
「爆ぜろ――【展開】!!」
盾が、夢ちゃんと乙女さんの間に割り込む。同時に、盾を砕こうとした乙女さんがクナイを振りかぶった。でも、この盾は接触爆破だ。爆発の方向性は、夢ちゃんに当たらないように乙女さんのみに向かい、小規模な爆炎が彼女を襲う。
「この程度――」
―― 一枚砕いて爆発。
「っ」
――二枚、三枚、四枚と難なく弾き。
「なっ」
――十枚目で捌ききれず、二十で爆発は連鎖を呼び。
「ぐッ」
――連鎖爆発で石壁を削り、六十枚の盾は乙女さんの身体を弾く。
耳をつんざく轟音。
びりびりと爆炎に揺れる空気が身体の芯を抜けていった。
思わず呆然と乙女さんを見ると、遠く離れた遺跡の壁にうがたれたクレーターの中で、俯いている。
「あ、あれぇ?」
「す、鈴理、すごいね」
「異世界の魔導術師って非常識」
静音ちゃんとアリスちゃんの言葉が刺さる。
あ、あそこまでやる気はなかったんだけど……あっ、夢ちゃんの顔も引きつってる。
「【鬼々来々】」
と、不意にそんな声が響いた。
咄嗟に見れば、外套をはだけさせ、真っ黒な長い髪を揺らしながらわたしたちを見る乙女さんの姿。その瞳に宿るのは、血のように紅い光。
「我が異能、骨の髄まで愉しみなさいな――【百鬼夜行】」
それが、乙女さんの異能の、本当の名前なのだろう。外套の下が膨れあがり、乙女さん自身の身体が作り替えられる。己の中に、百のあやかしを閉じ込める――そんな意味合いの、異能なのだろうか。
身体のラインがわかるボディスーツ。身体の所々に巻き付かれた、黒い布、黒い装甲の嵌められた左手。
「灼鬼顕現」
そして、鋭い爪を持つ大人の男性よりも太く硬い、真っ赤な右腕。
赤く染まった瞳も、左の額から生える真っ赤な爪も、彼女が異形であると告げていた。
揺らめく煙の様に足り上がる霊力の波動。翠玉の霊力が、異能の力で真紅に染まる。
「燃え尽きろ、塵芥」
その言葉一つで、乙女さんの周囲が軋む。振り上げられた異形の腕が、空気を震わせながら真紅の炎を立ち上げた。目算で、百メートルは離れているはずなのに、肌がひりつくように、熱い。
「【灰被り】――でぃやぁぁぁッ!!」
夢ちゃんの蒼灰が、灰色に輝く。その能力の詳細は、わたしも知らない。秘密、と告げた夢ちゃんの疲労の残ったまなじりを思い出す。習得にどれほどの努力を重ねてきたのか、“観察”をするまでもなく察することが出来た。
夢ちゃんの身体がぶれる。夢ちゃんはわたしの目の前に居たはずなのに、もう、乙女さんに肉薄していた。残像を空に刻むほどの速度。デタラメに見えて計算され尽くされた軌道。その全てが、夢ちゃんの研鑽の証。
「その目、あの人によく似ているわ。無謀で、愚かだったあのひとと」
乙女さんの、伏せられた瞳。けれど、瞬時に向き直り冷たく沈む目。それにきっと夢ちゃんは気がついて、それでも夢ちゃんは止まらない。
傷ついて、痛くて、悲しくて、寂しくて、それでもいつだって自分が一番矢面に立つのが夢ちゃんだ。
「静音ちゃん」
だから。
「うん」
わたしが空けた距離も、夢ちゃんの速度なら直ぐ詰めてしまう。わたしが作った隙も、乙女さんの異形の腕が猛り燃えさかりながら埋めてしまう。でもそれって、夢ちゃんはわたしを介入させまいと焦り、乙女さんはわたしを警戒しているってコトだよね?
だったらほら、二人に思い知らせてあげなきゃ。一人で戦っているわけじゃない。一人相手に戦っているわけじゃない、って!
「【速攻術式・平面結界・多重起動・展開】」
精度も込みで一度に出せる、わたしの最大級。六枚の盾は、二枚は足の裏、二枚は背中、二枚は両手。【反発】を利用して高速跳躍をすると、わたしは二人の間に躍り出た。
「ッ――邪魔!」
「なっ、鈴理?!」
夢ちゃんの蒼灰に【回転】を合わせて軌道をずらす。乙女さんの炎に【反発】を向けて炎を弾く。乙女さんは炎を吹き払おうと腕を振るけれど、うん、そこはもう静音ちゃんの距離だ!
「一刀――」
「甘いわ。妖よ、雪と散れ」
振りかざす剣。
乙女さんの左手から漏れる、白い光。
「焔旋」
その左手を弾く、不可視の熱。
「――両断」
「ッッッ」
乙女さんの外套が切り捨てられる。
右手を盾にしたのか、人間の形に戻った腕からは、赤い雫が滴り落ちている。
「あ、ありがとう、アリス」
「いい。でも、作戦があったなら事前に言って」
「ごめんアリスちゃん。なんとなくでやったので作戦はありません!」
「ぇぇ……あなたたちの故郷ってこわい」
静音ちゃんとわたしの会話に、あからさまに引くアリスちゃん。なんだか、ツーカーが当たり前になっちゃったんだよねぇ。
そんなわたしたちを、呆然とみる夢ちゃん。乙女さんの方にも注意を向けなきゃ行けないけれど……先に、夢ちゃんだ。
「夢ちゃん」
「なんで……あの人の強さは知ってるでしょ! 私が攪乱するから鈴理たちで隙を突いてくれたら良い。なのに、あんな危ない真似して」
「夢ちゃん」
「ッ、一歩間違ったら、どうなるか」
「夢ちゃん」
「鈴理! 静音、アリスも! 私は」
「夢ちゃん、信じて」
まっすぐと、夢ちゃんの瞳を見る。そうしたら、揺れていた夢ちゃんの瞳が、静かに見開かれた。
「信じて」
「――はぁ、もう。鈴理には教えられてばっかり。まだまだね、私も」
揺れた瞳が、戻る。夢ちゃんは苦笑して蒼灰を鞘に収めると、一筋だけ涙を流して、それから苦笑してくれた。うん、いつもの夢ちゃんだ。
「ごめん、焦ってた」
「うん、知ってる」
「そっか」
「そう」
「よし」
「いく?」
「はっ、もちろん」
「ふふ、それでこそ」
乙女さんと向き合ってくれていた静音ちゃんの、隣に立つ。そんなわたしたちを、アリスちゃんはどこか懐かしそうに、寂しそうに見ていた。ほとんど表情は変わらないけれど……わたしには、わかるから。
「ね、ねぇ、鈴理。う、動きがなさ過ぎる」
「うん……確かに」
じりじり、じりじりと近づいて、不意に、アリスちゃんがなにかを思いついて指を向ける。すると――乙女さんの身体が、その場で溶けた。
「ええっ」
「やっぱり。熱を感じなかった」
「あちゃー、氷像を作って幻覚被せて逃げ出したわね、こりゃ」
「あぅ。ご、ごめんみんな、気がつかなかった」
項垂れる静音ちゃんを慰めつつ、ひとまず、危機が去ったことに息を吐く。
「ま、収穫はあるわ」
「夢ちゃん?」
「こちらの手の内、なにを明かした?」
――ぁ。
わたしは直ぐに発覚するような手札だけ。アリスちゃんは調べ尽くされているらしいから意味はない。静音ちゃんは当初の思惑通り、剣だけで圧倒。夢ちゃんは、焦りから剣術しか見せていない。ブレインも、アリスちゃん以外の遠距離攻撃手段もない、脳みそまで筋肉でできてそうだと言われそうな活躍しか、していない。
「んじゃ、作戦立案――の、前に、脱出かしら?」
すっかり調子の戻った夢ちゃんの様子に、ほっと一安心。やっぱり、こうでなくっちゃね。
2024/02/09
一部表現に加筆。




