そのご
――5――
――天狗の住処・客間。
わたしと彼の間に突如介入した、日本人形みたいな女の子。赤嶺様、というらしい彼女に連れられて、わたしは客間に通された。
「鈴理さん!」
「す――鈴理っ!」
「……良かった。無事そうね」
最初に師匠が腰を浮かし、弾丸のように飛び出してきた静音ちゃんがわたしに覆い被さって、そんなわたしたちを見る夢ちゃんの安心したような苦笑と、ほっと息を吐くアリスちゃんの姿。
なんだろう。胸がじんわりとあったかいや。
「幸眞、どういうこと?」
アリスちゃんはそう、鋭い声で彼に問う。
幸眞――それが、あの人の名前なんだ。
「すまない、アリス。おれの勘違いだ」
「勘違いで済む話じゃない」
「わかっている。罰は、如何様にも受けよう」
「あなたの結界術がないと、私たちは立ちゆかない。それでもそういうのは逃げだ」
「至極真っ当だ。だがそれでも、裁量は彼女に委ねよう」
「やっぱり幸眞はばか。そうやって信じられるのなら、最初からできた」
「面目ない。それから、謝罪を」
幸眞さん? は、一言そう告げると、未だ腰に静音ちゃんを装備したわたしに、手を突いて頭を下げた。
「一目、君の瞳に向き合えば、輝きに気がつけたはずだ。それを焦燥と私憤私怨にかられて、君を攻撃したことを申し訳なく思う。すまなかった――罰は、如何様にも」
真摯な言葉。
けれど、私憤私怨――その声だけが、ずっしりと響いていたようにも思える。
「鈴理、斬る?」
「静音ちゃん……だいじょうぶ、大丈夫だよ」
「でも」
「ね?」
「……ん」
こくりと頷いてくれた静音ちゃんは、未だ冷徹な瞳を幸眞さんに向けたまま、そっと下がってくれた。
「幸眞さん、顔を上げて下さい」
「しかし」
「わたしも、あなたの悲しみに触れました。それに、結果的に怪我一つ無く終えています。わたしは大丈夫ですから。謝っていただければ、それで充分です!」
「……わかった。あなたの裁量に感謝を」
でも、と、一言だけ。
触れていいことではないのかもしれない。
でも――こうなってしまったら、聞かないわけには行かない。そうでないと、静音ちゃんも夢ちゃんも、納得できないだろうしね。
「わたしを襲った理由を、教えて下さい。その、敵に似ている、というだけだとも、感じられませんでした」
「――そうだね」
幸眞さんは、一つ頷く。
それから、鮮やかなアメジストの瞳をそっと伏せた。
「その前に」
「へ?」
そんなわたしたちの間に、やはり、絶妙に意識に割り込むように赤嶺様が口を挟む。
「まず、遠路はるばるありがとうございます」
「は、はい」
「重要な話も、枝葉末節もございましょうが、互いを深く知る前に、土台を築かねばうまく成り立つことも成り立たなくなりましょう」
「千歳さん? それは……?」
師匠の問いかけに、赤嶺様は小さく苦笑を浮かべる。笑い慣れていないのか、少しだけ引きつっているようにも見えた。
「まずは自己紹介。互いの名を知り合ってからでも、遅くはないでしょう?」
「ぁ」
言われてみれば、確かにそうだ。
わたしたちは一様に顔を見合わせて、気まずそうに目を逸らした。ええっと、はい。恐悦至極、です。
まず、粛々と頭を下げたのは、意外なことにこの場で一番偉い人らしい、赤嶺様だった。
「もはや肩書きにさほど意味はありませんが、形式として名乗らせていただきます。退魔七大家序列一位、赤嶺当主の千歳と申します」
柔らかく赤嶺様がそう仰っていただけたらからか、自然と、わたしたちの肩からも力が抜ける。
さっきから、この世界に来てから、わたしはずっと今日まで辞めていた“観察”を続けていた。時間が空いたから落ちるかと思ったわたしの観察能力は、価値観が広がったせいかより精度を増したように思える。わたしの、根源となった力。
その力が、赤嶺様のことを教えてくれる。意識への割り込み、言葉の選択、表情の動かし方、動作、仕草。このわたしよりも小柄な少女は、己の身体と能力で出来る全てを十全に把握して、精密機械よりも正確に、超覚よりも機微に空気を読み、自分の全てを操って行動している。
そして。
当然のようにわたしの確信に気がついて。
さっきの引きつった笑みが嘘のように、嫋やかに微笑んで見せた。
「ゆ、夢ちゃん」
「……なんだかよくわからないけど、序列一位って尋常じゃないからね?」
「痛感してます、はい、うぅ」
戦慄するわたしと、わたしの肩を叩く夢ちゃんと、首を傾げる静音ちゃんと、苦笑する師匠。あっ、これたぶん、師匠もわかってたやつだ。
そんなわたしたちのことはさておいて、次いで名乗り出たのは幸眞さんだった。
「退魔七大家序列七位、紫理次期当主、幸眞という。この度は救援の旅人に対し不躾な行為をしたこと、この場で改めて謝罪させていただきたく存じます」
紫理、紫理。
どこかで聞いたことがあると思っていたけど、そうだ。確か、関東特専の新しい結界を構築したのが紫理だったはず。うーん、同一人物、なのかなぁ?
「改めて、アリス。異能者。よろしく」
アリスちゃんはそう、誰よりも気軽に告げた。そんなアリスちゃんの頭を師匠が撫でて、頬を染めている。むぅ、いいなぁ。
「では、私から失礼します」
そう、師匠が咳払い一つで気持ちを切り替えて、声を上げた。
「私は観司未知。かつて鉄錆の要塞“アルハンブラ”でアル・サーベたちとレジスタンスの一員として人類解放に微力なら協力させていただいた――異邦人です」
「! では貴殿が、かの神“ミラクル☆ラピ”から遣わされたという魔導術の祖、御使い殿であられるのか!!」
目に見えて、石のように固まる師匠。
ふんぐっふ、と奇妙な声を上げて吹き出す夢ちゃん。
わたしはそっと、静音ちゃんと二人で夢ちゃんの背を撫でた。
「ゆ、紫理様。御使い殿、というのは、その」
「ああ、失敬。この時勢でそう名乗るのは無用な争いを産むのですね。承知致しました。では、観司様、と」
「様も、その……」
「そうですか? それでは、観司さん、と。おれのことも、どうぞ呼び捨ててください」
「ぇえ……」
師匠が困っている、ので、わたしが名乗り出ようとすると、夢ちゃんがこほんと咳払いした。落ち着いたのかな?
「次に進めましょう。私は碓氷夢。未知先生の生徒で、魔導術師です」
夢ちゃんの挨拶は簡潔だ。生徒であるという繋がりを言いながら、忍者としての己を隠している。そんな夢ちゃんの自己紹介に、静音ちゃんもまた片眉を上げ、得心のいった表情で続いた。
「み、水守静音。未知先生の生徒で、異能者です。能力は身体強化で、獲物は西洋剣。こ、ここに来るときに取ってこられなかったので、剣があれば貸して欲しいです」
「なるほど。確かに、芯の通った佇まいです。では後ほど、武器庫にご案内致しましょう」
てっきり剣の方を隠すのかと思ったけど、そうか。この赤嶺さんを前に、身のこなしを隠せない。だったら、そっちを前面に出した方が効果が高いんだ。
でも、何故だろう。幸眞さんに対して警戒して隠しているかと思えば、そうでもない感じだ。かといって赤嶺様やアリスちゃんにたいしてでもない。うーん。なにも気がつかなかったように自己制御して、話せるの時に話してくれるのを待とう。
「では、最後に。わたしは笠宮鈴理。観司未知先生の生徒で、弟子で、魔導術師です」
「未知の弟子? ならあなたも、魔法使い?」
「魔導術師だよ???」
「そっか」
アリスちゃんはそう、納得したように頷いてくれた。
師匠をちらっと見ると、額に冷や汗を掻いている。あっ、そういう。アリスちゃんも、そっか、あえて他にわからないような聞き方をしてくれたんだね……。でも、大事だよね。あんな格好良い衣装、わたしには似合わないしなぁ。
「で、さっさと本題に移りましょう」
夢ちゃんがスパッとそう告げると、静音ちゃんもこくりと頷いた。
「――敵の組織“ノア”には、“ダスト”の元に現在三人の幹部が確認されている。一人はおそらく影の者、正体不明、年齢不詳、名すらもわからないことからその名を“サイレント・エッジ”。幹部、と言うが、どの程度の繋がりかもわからない」
幸眞さんが取り出した写真には、襤褸切れのような外套を器用に身体に巻き付けた、性別不明の姿が映されている。振り抜かれた手。写真の端に移るのは、クナイだろうか? もしかしてこの撮影をした人は、既に……。
「次に、こちらは人類の裏切り者だ。身内の恥をさらすようで悼ましくもあるが……彼の名は紫理洞眞。おれの父であり、紫理の現当主。彼の下には、青葉の若き当主、青葉空もいる。利己主義で選民思想の洞眞と違い、彼女は純粋な戦狂いだ」
続いての写真は、白髪に紫の袴を着た、紫紺の目の老人。それから、黒い髪に青い瞳の、胴着姿の少女が付き従っている。
「そして、コレが――彼女が、最後の一人」
差し出された写真。その姿を見て、わたしは……わたしたちは、思わず息を呑む。
腰までかかる緩やかな黒髪。小麦色の肌。黄金の目。身に纏う色以外の全ての要素が、わたしに酷似した姿。率直に、わたしの色違いといっても過言ではないけれど、その表情は残虐な笑みに彩られていて、ちょっとわたしでは出来そうにない。
「“キアーダ・トゥ・サナート”」
「その名前……」
転移の術によって幸眞さんと対峙した時、彼がわたしに告げた名前。
「もっとも多く人間を殺した異能者。殺塵姫の異名を持つ外道。そして――かつてのおれの、最愛の人を殺した仇」
「っ」
私憤私怨。
そういう、ことなんだ。
「それが、君を襲った理由にならないことは百も承知。どうか、アレと同じように無辜の民を殺そうとしたことを、罰して欲しい」
「いいえ」
「な……」
即答して、それで、幸眞さんは目を瞠る。
「わたしは気にしていません。だから、許します」
「しかし!」
「良いんです。……一緒に戦う仲間を、怒りの目で見たくありません。だってわたしは、愛と正義のまほ――魔導術師の、弟子ですから!」
そういって胸を張る。
師匠はいつだって、そうやってわたしたちを守ってくれた。いつだって、犠牲がないように奔走してくれた。なら、その背中を見てきたわたしが、自分を恥じるようなことはしたくない。師匠に恥を掻かせるようなことは、やりたくない。
「だから、これはわたしの自己満足。罰を与えないことが、あなたへの罰です」
「……お人好しだな。ああ、けれど、誓おう」
「へ?」
「許されたこの身が新たな罪に砕けようと、我が霊力は、紫理の結界は、貴殿らを護り続けると」
そう、静かに燃えるような目で、幸眞さんは宣言する。その目に宿る心は本物だと、わたしの直感が告げている。
「夢ちゃん」
「しょうがないわね」
「静音ちゃん」
「な、何かあれば叩き斬る。でも、それまでは信じるよ」
「……師匠」
「鈴理さんの、思うように。私はそれを全力でバックアップします」
「はい……っ」
ということで。
そう言って、わたしは幸眞さんに手を差し出す。
「よろしくお願いします、幸眞さん!」
「っ――ああ、ありがとう、鈴理」
手を取り、和解した。そうしたらあとは、気負いなく走り抜けるだけだ。
でも……やっぱりわたし、顔は隠しておいた方が良さそうだなぁ。
今後のことを話す前に、休憩時間を設けよう。そう師匠が提案してくれたので、みんなとりあえず一休み。わたしもちょっとお手洗いを借りて、それから、部屋に戻る道すがらに枯山水を見ていた。だって、こう、わびさびというか……うん、すごく立派な庭だったからつい。
そうしていると、どこか難しい表情をした幸眞さんが、不意に、廊下の端から歩いてきた。
「アリスに聞いた。こちらに既にいる人間は、連れてこられないそうだね」
切り出されて、頷く。
ただ、いまいち要領が掴めない。
「――おれたち紫理は、分家に医学者を多く持つ“医”に通ずる家系であり、おれも、医者としての心得がある」
「そういえば、あのときも……」
“医”に携わる紫理の目は誤魔化せないとか、なんとか、そう言っていた。
でも、もう彼の目にわたしを疑う感じは見受けられない。えーと?
「告げるべきか迷ったのだけれど――おそらく、必要なことだろう」
「それは、どんな?」
「キアーダ・トゥ・サナート……十中八九、彼女は、君の“血縁者”だろう」
――そう、か、そっか。だから、幸眞さんは間違えたのか。
「殺塵姫と血縁者と言われるのは、良い気分がしないだろう。すまない」
「あっ、いえ! 大丈夫です。心構えが出来ていた方が助かります。だから、教えてくれてありがとうございます!」
「そう、言ってくるんだね……ありがとう、は、こちらの台詞だ」
不意に、彼の表情が柔らかくなる。
けれども直ぐに、表情を戻して薄く笑った。
「もう、戻るといい。おれも直ぐに行こう」
「はい、じゃあまたあとで!」
頭を下げて、幸眞さんと別れる。
去り際に小声で呟いた“名前”は、たぶん、そういうことなんだろう。
(彩音さん、か……)
最愛の人。
仇の異能者。
この名は、胸に刻み込まなきゃならない。
――なぜだか、そんな、気がした。




