そのよん
――4――
天狗の住処。
アリスちゃんがわたしたちの血を使って案内してくれたそのお屋敷は、近くで見るとよりその荘厳さがわかった。ずっしりと重くのしかかるような“きれい”さ。なんだろう。息が詰まるほど、静かで澄んでいる。
「お目通り。着いてきてくれたら良いよ」
「ええ、わかったわ」
アリスちゃんの言葉に師匠が頷いて、わたしたちはそんな二人についていく。
門を潜り、また一つ空間が変わった。大きな枯山水の庭と、玄関に続く砂利道。門の前から見たときは、玄関まで距離なんかなかったのに。
「こりゃ手が込んでるわね。ほら、鈴理、見てみなさい」
「窓?」
「そ。室内の様子がはっきりとはわかんないでしょ?」
夢ちゃんに言われてみてみれば、なるほど。角度の問題で見渡すことが出来ない場所があるときのように、天井や壁は見えるけれど他はよくわからない。全部の窓がそんな感じだと、夢ちゃんの言いたいこともわかる。
「お屋敷の中も、見た目より広い?」
「おそらくね。空間というものの扱い方が別次元よ。そうなると、屋敷の中には確実にあの人がいるわね」
「あのひと?」
「ええ。空間術のスペシャリスト。話では、こちらについているのは次期当主。結界の古名家」
アリスちゃんが玄関の扉を潜り、師匠がそれに続き。
それから夢ちゃんが、静音ちゃんが、それにわたしが門を潜って。
「わっ」
視界が、光に包まれた。
「え? あれ? ――みんな?」
板間の床は黒く。
板張りの壁は黒く。
板組みの天井は黒く。
「ここは……?」
周囲には幾つもの御札。
複雑な紋様は、赤く光り。
視界のまっすぐ先には、紫紺の髪の、男性。
「アリスはうまく騙せたようだけれど、おれは、そうはいかないよ」
「誰……?」
穏やかな笑み。けれど、目は笑っていない。
のんびりとした口調。けれど、宿る感情は緊張。
静かで柔らかな佇まい。けれど、身を奔る力は苛烈。
「キアーダ・トゥ・サナート」
「?」
「色を変え、仕草を変え、霊力の質を変えたことはさすがの手腕だと感心させられたよ。それでも、“医”に携わる紫理に、身体の音は隠せない」
「あの、なにを?」
「知らないように振る舞うのなら、それでも構わない。幼気に微睡み涅槃に沈め」
雰囲気が、変わる。
穏やかな海から、苛烈な嵐に変わるように。
「紫理源流結界術・壱式結界【和】」
「ッ【速攻術式・平面結界・展開】!」
壁状の半透明の結界が、“縦”に飛来する。咄嗟に張った平面結界で受け止めようとして、バターを切るみたいに、盾が両断される。とっさに体を屈めて避けることが出来たのだけれど、いつもの盾で相殺できないことに息を呑んだ。
「【ひ・ふ・み・よ・いつ・む・な・や】」
「えーと、えーと、八つ!?」
同じように、八つの結界が縦に飛来する。わたしも好んで盾を使うけれど、これは、奇妙さで言えばその比ではない。仄かに霊力の宿る詠唱一句で、とんでもない技量で形成された結界が、攻撃の意志を纏って飛来するのだから。
なんとか身を翻しながら避けて、床に手を付きながら半回転。空中で【二重展開】を唱えると、平面結界を二つに増やした。
「【反発】&【硬化】!」
向かってくる盾をどうにか硬化のみで防ぐ。もう一方はぎこちなく、使いこなせない……ように見せかけておく。この状況を打開するには、この場を壊して逃げるか、意表を突いてあの人を引きはがし、話を聞いて貰うか。壊してアリスちゃんの責任になってもイヤだ。だったら、わたしは、愛と勇気と希望で乗り越える!
「……うまく猫を被ったね。まだ、か弱い振りをするつもりか?」
「息を潜め、牙を研ぎ、獲物を見据え」
「?」
「冷たきを外へ、熱きを裡へ、心意に満ちるは刃の如く」
猫を被る?
冗談。わたしはこれでも、誇り高き狼だ。いつだって、己の牙と向き合ってきた。そこに恥はなく、痛みはなく、ただ誇りと勇気だけがある。
血が滾る。
――霊力循環・身体強化。
頭が冷える。
――超覚・目標までの最短距離。
心が震える。
――大丈夫。わたしなら出来る。だってわたしは、魔法少女の弟子だから!
「“狼雅”!!」
スローモーションになった視界。
彼はわたしに向けて片手を向けている。けれど、霊力の形成よりも先に、わたしが追いつける。
「【回転】」
硬化の盾を回転。
「【固定】」
反発の盾を固定。
「ゥゥゥ――がうッ!!」
反発の盾に脚を踏み込み、最大パワーで跳ねる。わたし自身を砲台にして、ひねりを加えることで盾ごと回転。
「ッ参式結界【積】!」
六角形の盾が幾重にも連なり、鉄壁の要塞と化す――よりも、少し早く、わたしの盾がたどり着いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「ぐっ――おおぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
盾が紙のように結界を切り裂き。
結界が死角からわたしを斬り潰そうと飛来し。
(なんだろう? このひと、心の奥深くで――泣いてる……?)
交わる視線が。
磨き上げられた観察眼が。
彼の心に届くよりも、早く。
「ッッッ」
盾と結界が、届――
「双方、そこまで」
――かなかった。
「なっ!」
「へっ?」
高速回転するわたしの平面結界。
せめぎ合い火花を立てる彼の六角結界。
その二つを、指二本で受け止める、小柄な少女の姿。
「この立ち会い、赤嶺千歳の名に於いて私の預かりとします」
人形のような落ち着いたたたずまい。
座敷童みたいな物静かな容貌と、声。
黒髪に赤い瞳の少女は、そう、一言静かに宣言した。
――/――
――鈴理転移直後・天狗の住処・玄関。
アリスちゃんに続き玄関をくぐり抜けた、直後。違和感と警鐘。霊力の変動を感じ、振り返って手を伸ばした。
「鈴理さん! アリスちゃん、これは――」
夢さんと静音さんの間を抜けて、手を伸ばし、けれどそこに人影はない。間に合わなかった!
「す、鈴理……?!」
「なっ! アリス、これはどういうこと?」
動揺しながらも、ゼノの腕輪に手を掛け構える静音さん。目を瞠り驚くも、一瞬で持ち直し冷たく問いかける夢さん。私は、彼女たちの姿に声を張り上げようとした自分を抑えて、不安と怒りと不信感を露わにした二人の安全を確保するように前に出て、アリスちゃんに問いかける。
「アリスちゃん……?」
「防犯にかかった? ごめんなさい、手違いだと思う。直ぐに救出する」
「鈴理がどこにいるのかわかってるの? アリス」
「うん。飛ばされるとしたら地下。入口とかはとくにない」
アリスちゃんはそう、申し訳なさそうに眉を寄せ、私たちに頭を下げる。刹那、夢さんと静音さんに目配せをすると、二人はこくりと頷いてくれた。彼女の悪意や敵意によって鈴理さんが飛ばされた訳ではない。同時に、アリスちゃんもまた、私たち同様、鈴理さんが転移に巻き込まれた理由がわかっていない、と。
「入口がない?」
「うん。でも、友達になってまで、助けてくれようとした目に嘘はなかった。なら、私が誠実を返さない理由はない」
そう、アリスちゃんは指先を床に向け、霊力を高める。
「穿ち抜け【焦焔――」
「アリス? なにをしているのですか?」
「――ぁ」
アリスちゃんの指先に紅い光が灯り、爆ぜようとしたその瞬間。
意識に割り込むようにかけられた声に、アリスちゃんはその手を止めた。私たちもアリスちゃんに次いで声の主に向き直ると、この世界でしか交友のない、珍しい顔に息を呑む。
「千歳さん……?」
日本人形のような容姿の、美しく落ち着いた少女。
「久しぶりね、未知。あなたがいるということは、後ろの方は同郷の?」
退魔七大家序列一位、灼法・気焰練の赤嶺当主――赤嶺千歳様。
「はい、お久しぶりです。ゆっくりと積もる話はありますが、まず、術式に巻き込まれ同行、協力を約束してくれた私の弟子が、転移の術に巻き込まれてしまったようなのです。救出を願えませんか?」
「転移……? なるほど、承知しました。アリスは客間へご案内を。二人は私が連れ帰ります」
「はい。――千歳様がそう仰るのであれば問題ない。行こう」
それは、信頼の表れなのだろう。アリスちゃんがそう、胸をなで下ろして私たちに伝える。アリスちゃんの気持ちは、私としてもよくわかる。けれど……。
「ぶ、無事が保証されるまで動きません」
「私としては救出後でいいわ。今は急いで貰って――それから、キッチリ説明して貰うわ」
硬い口調で告げる、静音さんと夢さん。彼女たちにとっては未開の地。躊躇うことなく屋敷を破壊して鈴理さんを救おうとしたアリスちゃんに対しては、敵意や警戒はほとんどないようだけれど……ぽっと出の千歳さんのことも、到着から直ぐに消えた鈴理さんの状況も、二人にとっては何一つとして安心できないはずだ。
「説明は必ず。ただ、直接客間に連れて来ますので、待つのであればそちらへお願いします。では」
そう告げて、掻き消える千歳さん。鈴理さんのことは心配、だけれど……いえ、だめね。私自身がアリスちゃんと千歳さんにすっかり気を許していたせいで、不測の事態への対処が遅れた。
ここは、私の知るあの世界ともまた、状況が違う。痛感させられた。ここ以外で突きつけられていたら、こう簡単にことは運ばなかったことだろう。もう、繰り返しはしない。
「夢さん、静音さん」
「はい。静音、行こう?」
「……うん」
俯きながら、静音さんは夢さんに手を引かれる。夢さんは私を見ると、少しだけ眉を下げて苦く笑った。そんな二人の姿に、アリスちゃんは顔を蒼くして、それからやっと小さく零す。
「ごめん、なさい。こんなことになって」
「アリスに怒ってるわけじゃないわよ」
「そ、そうだよ。日は短くても、なりたいと思ったら、その瞬間から友達なんだ。す、鈴理が、教えてくれたこと」
「……――ありがとう」
ずっと厳しい環境で生きてきたアリスちゃんは、振り絞るような静音ちゃんの言葉に、アリスちゃんはまた、小さく瞼を拭った。




