そのに
――2――
目が覚めたら、空でした。
一面の蒼い空、白い雲、強い風。まだ、お昼頃かな? 放課後の夕焼けとは打って変わって、清々しい空だ。
「なんて、言ってる、場合じゃない!」
空中浮遊。
いやいや、自由落下。
重力に引かれて落ちる身体。
「【速攻術式】」
速攻詠唱。
対象視認。
目標測定。
魔力算出。
術式実行!
「【浮遊設置指定・5固定・展開!】」
鈴理さん、静音さん、夢さん、そして“あの子”。
気を失っているみんなと自分に魔導術式による浮遊術式を付与。身体に負荷を与えないように、ゆっくりと落下速度を落としていく。その最中で私は、眼下に広がる光景を見た。
「ああ――やっぱり」
大地に穿たれた孔。
戦闘の傷跡が残る大地。
「起きたら、巻き込んでしまった鈴理さんたちに謝って――それから、ちゃんと話を聞かせて貰うよ、アリスちゃん」
そう、私は落ち行くアリスちゃんの頬を撫でて――必死で、着地場所を探すのであった。
結局、着地場所は見つからなかった。
それではもちろん済まないので、森の一角を魔導術でなぎ払い、場所を確保。なんとか四人を四角く成形した木の上に寝かせると、ようやく一息吐くことが出来た。
「さて、と」
まだ目を覚ます気配はない。事情を知りたいところだけれど、無理に起こすのも忍びない。とりあえず、今、自分に出来ることをしよう。
「【速攻術式・超広域化展開陣・追加・自動情報収集・展開】」
魔導術で生まれた不可視の魔導陣が、無数上空に浮かび上がり、八方向に飛来する。これでしばらくして回収すれば、日本から中国の端まで程度なら地図化して情報を纏めることが出来るだろう。さすがに、範囲設定を優先したから地理地形以上の細かな情報収集は難しいだろうけれど。
ぐるりと周囲を見回すと、以前のように、矢が突き刺さり、樹に爪痕が残され、白骨化した先住民の姿がある。やっぱりここは、かつて私が加護を得るために与えられた試練。精霊の導きで訪れた、“もう一つの可能性”の世界なのだろう。出来れば同じ世界ではなく、更に違う可能性の世界であれば良かったけれど……それだと、アリスちゃんが私を求めて来た理由がなくなる。
なにかあったのだろう。
アリスちゃんが、こんなにぼろぼろになって世界を渡ってきた理由が。
サーベでもなく、テイムズさんでもなく、馨でもなく、春花ちゃんでもなく、凛さ……凛でもなく、アリスちゃんだった理由が。
「――んっ」
「夢さん?」
最初に目を覚ましたのは、夢さんだった。夢さんは右手の腕甲“黒風”を左手で握りながら起き上がる。さすが忍者。気を失って起きてからの対応能力がずば抜けている。いや、敵意を持って近づいたら自動で起きるであろう鈴理さんと、意識覚醒より早く切り捨てるであろう静音さんも負けていないのだけれど。
「未知、先生?」
「はい。具合はいかがですか?」
「……問題ないです。防御姿勢が間に合いましたかねー」
首を回したり肩を動かしたり指を曲げたり……夢さんは姿勢の確認をしながら、軽い口調で私に告げる。
「あ、れ? 夢? 観司先生?」
「や、おはよー静音」
「お、おはよう??」
続いて静音さんも目を覚まし、ゼノの腕輪をさすりながら起き上がる。
何か周囲にまずいものがあれば一刀両断。あれはたぶん、そういうことなのだろう。流石だ。
「二人とも、ごめんなさい。おそらく私の事情に巻き込んでしまいました」
「――最初は未知先生だけが、次は鈴理だけが、見知らぬ世界に巻き込まれたと聞きました。いつも。置いてけぼりで歯痒かったそれに、今度は私も踏み込めた。これ以上のことなんてないですよ、未知先生」
「そ、そうですよ、先生。わ、私は、私たちは、あとから聞かされることの方が、よほど辛いです」
「……二人とも――。必ず、帰します。みんなで帰りましょう。ですからそれまで、力を貸して下さい」
二人の言葉に。
向けられる感情に、報いなければならない。
「はい!」
「は、はい!」
そう、頭を下げた私に、夢さんと静音さんは笑顔で頷いてくれた。
「で、起きてるんでしょ? 鈴理」
「え、えへへー……入り込みづらくて。わ、わたしも同じ気持ちですよ、師匠!」
「ふふ、ありがとう、鈴理さん」
さて、私たちの意思疎通は大丈夫そう。けれど肝心のアリスちゃんは、未だ目が覚めない。
本来は精霊の力を用いるような大秘術。並行世界への転移。それを己の力で為せるとしたら、それはやはり七――サーベの力だろう。彼は精霊神の息子だ。やりようによっては世界に干渉できる異能者。では何故、サーベが来なかったのだろう? アリスちゃんは戦士として習熟しているとはいえ、まだ幼さが残る。体力面で言えばサーベか、テイムズさんか、馨か……凛でも、いいかもしれない。もちろん、単に希望してくれただけかも知れないけれど――最悪は、想定しておかないと。
「ぁ――れ?」
「あ、起きた? 夢ちゃん、静音ちゃん、師匠!」
アリスちゃんについていてくれた鈴理さんに呼ばれて、慌てて駆け寄る。鈴理さんたちが治療してくれたのだろう。傷跡だけが、小さく残った身体。ぼろぼろの外套に染みついた血が、痛々しい。
「アリスちゃん、私がわかる?」
「み、ち……?」
「そうだよ。やっぱり――アリスちゃん、なんだね」
「わ、たしは、私は――――……ここはどこ?!」
勢いよく身体を起こし、慌てて周囲を見る。周りは切り拓かれた森。けれど、その空気は馴染みのある物だったのだろう。アリスちゃんは小さく息を吐き――ある一点を見て、硬直する。
「彼女、は……」
「ああ、向かって右から碓氷夢さん、笠宮鈴理さん、水守静音さん。偶然、術式に巻き込まれてしまったの」
「巻き込まれ……じゃあ、未知の世界の?」
「ええ、生徒よ」
混乱からか、何度も目を擦り、じっと鈴理さんを見る。ん? なんで鈴理さんのみに焦点が合っているのだろう? いや、単に情報を整理しきれていないだけかな。
「いや……でも……生徒…………生徒?」
「ええ」
「っっっ」
アリスちゃんは表情の乏しい顔を珍しく慌てさせ、それから痛む身体を押さえつけるように地面に跪く。
「ごめんなさいっ! まさか、私の事情に巻き込んでしまうなんて……」
「あはは、いいよ、気にしないで。わたしたちも手伝うよ!」
「わざとじゃないんでしょ? 焦ってるときは判断なんて緩くなるからね」
「だ、大丈夫だよ。観司先生も夢も鈴理もいる。だ、だったら怖いものなんてない」
「……未知の周りは、みんなお人好しなの? 勘違いしてごめんなさい。そう言ってくれて、ありがとう」
いつものような無表情に戻ったアリスちゃんが、頬を赤らめながら頭を下げる。良かった、いつものアリスちゃんだ。ずっと余裕がなさそうだったから心配していたのだけれど……。
「でも、今は危険が多すぎる。安全とは言い切れないけれど拠点はあるから、そこで――」
「そこまで! アリスちゃん? だったよね?」
「――え、ええ。鈴理、で、良かった?」
身体を乗り出す鈴理さんに、アリスちゃんは思わず一歩引く。小柄なアリスちゃんと鈴理さんはそう変わらない身長だけれど、こういうときの彼女の迫力は、人一倍だ。
「うん。わたしは、なにも知らないまま、人に決められるまま、誰かに守って貰うコトなんてしたくない。迷惑かも知れないけれど、足は引っ張らないって約束する! だから、わたしにも、あなたの事情を教えて?」
「ちょっと鈴理ー、わたし“たち”でしょうが」
「そ、そうだよ。水くさいよ」
アリスちゃんは、彼女たちの言葉にたじろぐ。
それから、一度だけ、目元を拭った。
「アリスちゃんの、負けかな」
「未知……うん、私の負け。聞いてくれたあとで、やっぱり辞めても構わない」
「いいからいいから。あ、でもその前に」
「?」
夢さんはそういうと、どこか悪戯っぽく笑う。
「まずはちゃんと、自己紹介からしようか?」
――/――
「――最初は、小さな集まりだった」
そう、切り出したアリスちゃんの言葉に耳を傾ける。
鈴理さん、夢さん、静音さん、それから私で、アリスちゃんに授業を受けるように座り込むと、アリスちゃんは少し照れくさそうにしていた。けれど、話すにつれてその表情も曇っていく。
「これまで甘い蜜を啜っていた特権階級の嫉妬。天使にごまをすって贅沢を享受していた家畜の憎悪。風潮に便乗して弱者を虐げて欲を満たしていた外道。それらが、魔導術師やそれを擁護する異能者に向けて、“神を穢す”とし、反抗していた」
脳裏に過ぎるのは幾つかの顔。
――ラピスラズリ怪盗団として、富裕層を狙ったとき。暦の御当主を私欲のためにこき使った彼らのことは、よく覚えていた。
「それでも所詮は時代の敗者。油断せずに駆逐しないと湧いてくるから対処はしていたし、とくに問題はなかった。――あの男が、現れるまで」
突如として犯行組織をまとめ上げた謎の人物。彼は天使の羽と悪魔の翼を持つ仮面の化け物であっという間に組織をまとめ上げ、旧アメリカ大陸に拠点を築き、あっという間に世界を二分した。
「組織の名は“ノア”。男の名は“ダスト”。魔天兵と欲深い異能者をまとめ上げ、悪を敷く者」
アリスちゃんは憤怒を湛えた目で、その名を告げた。
「テイムズと馨は最前線のハワイ諸島で敵を足止めしている。凛と春花はかつてのアルハンブラ最前基地……現ラピスラズリ魔術学校で魔導術師の卵を守っている。古名家は紫理と藍姫の現当主があちらにつき、次期当主がこちらについた。本当は私も最前線で戦いたかったけれど、アルが」
アル・サーベ。こちらの世界での七。細かいところはともかく、あの鈴理さんが過去に飛ばされた事件のあと、私の時のあらましは鈴理さんたちにも聞かせていた。それはあるいは私の寂寥であったのかも知れないけれど――今、みんなが話を呑み込むのに役に立っている。
「サーベ……サーベは、どこにいるの?」
「――元々、これは“最終手段”だった。自分たちの世界の事情に、未知をまた巻き込むわけには行かない。わかっているけれど……本当にどうしようもなくなってしまった時。アルになにかあった時。未知を頼るようにと、この精霊石を渡された」
アリスちゃんが掲げてみせるのは、色を失った石が嵌められた腕輪だった。
「まさか、サーベは」
「信頼と実力が兼ね合い、かつ、条件が揃う対象は私だけだった。だから、このまま少しずつ押されて、時間の猶予がなくて、アルが」
アリスちゃんが、震える声で唇を噛む。
私も……私も、震える自分に活を入れて、彼女の肩を抱きしめた。
「アルが、敵との交戦中に行方不明になった。私を、逃がすために、光の中に消えていった。だから、私が来た。――こんなこと、図々しくて身勝手だと思う。でも、どうか、みんなを、仲間を、アルを……私の世界を助けて、未知――っ!!」
サーベ。
右も左もわからない、異邦人だった私に手助けしてくれた彼。
私を、あの鉄錆の街で、好きだと言ってくれた大切な人によく似た男性。
その手助けができるのなら、私は――躊躇う理由なんてない。
「ええ、任せて。今度は私が、アリスちゃんたちに恩を返す番よ」
「未知……ありがとう、ありがとう……ッ」
私にしがみつくアリスちゃんの頭を、優しく撫でる。彼女がこれ以上、傷つかないように。
「はい、師匠!」
「鈴理さん? どうぞ」
「アリスちゃん!!」
鈴理さんは、ため息を吐く夢さんと苦笑する静音さんに後押しされるように、大きく踏み込んだ。
「な、なに?」
「わたしたちは?」
「えっ? でも、連れてきておいて言えたことではないけれど、巻き込むわけには」
「わたしたちは?」
「だ、だから、危険がいっぱい危なくて」
「わたしたちは?」
「でも、その、えっと」
「……わたしたちじゃ、助けに、なれない?」
迫力だ。
鈴理さんは、いえ、鈴理さんたちは、手助けしたくてしょうがないのだろう。でもアリスちゃん同様に、相手の迷惑に躊躇っている。誰かを思うから、踏み出せず、
「うぅ……未知、どうすれば」
「彼女たちは、強いよ。それに、言い出したら聴かないわ。私だって何度も遠ざけようとしたけれど……ふふ、負けてしまったわ」
以前であれば、この状況であっても私は、誰よりも生徒を守ることを主軸にしたことだろう。自分よりも先に、彼女たちをなんとしてでも帰還させ、一人で戦ったことだろう。
それが信頼ではないと、私の助けた誰かが、私と共に戦うことを望んでいると教えてくれたひとがいた。原初の神々に“想意精霊”と呼ばれる存在。私のかつての“妹”の姿を持った、絆の結晶。今も瑠璃の花冠に宿る彼女が、ただ身体を守るだけでは、その人の意志を守ることは出来ないのだと気がつかせてくれた。
「未知……うん、わかった」
アリスちゃんは、そう、強く頷く。
「鈴理」
「はい!」
「夢」
「ええ」
「静音」
「う、うん」
「私に、力を貸して」
『もちろん!』
合わさる声。響く音。優しい言葉に、アリスちゃんは頬を染めて俯いた。
「ならアリスちゃん! 今日からわたしたち、友達だね!」
「鈴理……あなたは少し変」
「変って?!!」
「でも、ありがとう。未知といるみたいだ。救われそうな気がする」
差し出された手を、鈴理さんは嬉しそうに重ねる。
それに、夢さんと静音さんも重ねて、視線で乞われた私も重ねた。
「よーし! 正義の味方、ラピスラズリレンジャー結成だね!」
「却下。ださい」
「夢ちゃんひどい?!」
少女三人寄れば姦しい。四人と女一人でも、それは変わらない。
あんなに沈んでいても笑顔で溢れ始めた場に、アリスちゃんは呆気にとられ、それから小さく……ほんの僅かに、微笑んだ。




