そのいち
――0――
――関東特専北部・0:05
閃光。
木々に覆われた山間に、轟音が響く。それは一瞬、夜の闇を照らし、けれど誰にも気がつかれることなく光が収まった。
木々をなぎ倒し、草を焼き、地面を抉るクレーター。その中心部には、ぼろぼろの外套を羽織った小柄な影が、おぼつかない足取りでクレーターから這い出ようとしている。
「――成功? ……行かなきゃ」
足を引きずり、木に体重を預け、焦りを滲ませ影は歩く。
顔を上げた先に見えるのは、遠く、寝静まった校舎の様子だ。
「……どうか」
不意に、風が吹く。
外套のフードが落ち、影の姿が露わになった。赤混じりの金髪と、赤い瞳の少女の姿。彼女はその瞳に悲壮な決意を刻みつけて、夜の森を進む――。
――†――
――同時間軸・某所
静謐な光。
聖なる火。
荘厳な樹。
「気分はどうだ?」
大樹の幹に埋め込まれていた彼は、不意に告げられた声に目を覚ます。
「悪いが睡眠中だ。話しかけるな、クソ野郎」
「言葉が悪いな。指導が足りなかったか? 英雄殿」
「てめぇの教養が悪いんじゃねぇのか? オレの知ってるセンセイは、随分とわかりやすかったがね」
「先生? ああ、落伍者共の導き手か。だが、それももういない。そうだろう?」
「クッ……ハハッ」
埋め込まれた男の前に、浮かび上がる男。くすんだ銀髪に、背には三対六枚の天使と悪魔の翼。青と白で満たされた空間に佇む、神秘的でありながら歪な光景を前に、埋め込まれた男は愉快そうに喉を鳴らした。
「なにがおかしい?」
「無知は怖ぇなって話さ。アレがいない? だからどうした。そんなんだからおまえたちは失敗したんだよ」
「――口を慎め」
浮かび上がる男は、手に持つ金色の書を掲げる。書が光を放つと、呼応するように、樹が鳴動した。
「ガッ?!」
「貴様を養分とするのは手間だが、時間を掛ければどうということはない。精霊の血で満たされれば、彼の御方への道も通ずることであろう」
「ッ外道が」
「それはおまえたちにこそ相応しい名だ。反逆者共よ、そこで、足掻きながら果てよ」
そう、浮かび上がる男は踵を返す。
「聖樹よ、汝の産声を待とう」
大きな木だ。
高層ビルにも匹敵する、巨大な木だ。
周囲は白い網目模様の卵殻と、向こう側から透けて見える海の青で満ちている。巨大な聖樹に未だ葉はなく、その樹皮には埋め込まれた男と――他にも、無数の人間たちが埋め込まれている。彼ら彼女らは一様に項垂れ、瞳からは生気が失われていた。
「我が祝福の声。我が歓喜の歌。我が希望の鐘。我が信仰の福音よ」
浮かび上がる男は、手を広げ、謳う様に宣誓する。
それは誓いか、宣言か、願望か、展望か、あるいは、怨嗟か。
「光あれ!!」
ただ聖樹だけが彼の呼び声に応え、大きく震えた。
エンディング後の魔法少女は己の正体をひた隠す EX
――1――
春。色々あった二年生が矢の如く過ぎ、私たちは無事、三年生に進級することが出来た。みんなそれぞれ進路に向けて受験勉強をしたり、就職活動をしたりと忙しくしている。私は、というと、観司先生や時子様が動いて下さったおかげで水守の呪縛から完全に逃れ、みんなで一緒に大学受験のための準備中だ。といっても、特専からのエスカレーター。一定水準さえ満たしておけば、一般入試ほど難しくはないらしい。とはいえ、私はかの退魔七大家……名門中の名門、古名家の一角に恐れ多いことに後見していただく立場だ。生半可な成績で、ご迷惑をおかけするわけには行かない。
……ボロボロになった校舎? 魔法少女聖教って、すごいよね。観司先生泣いていたけれど。
「ゆ、夢、ここわかる?」
「んー? ああ、ここはほら、こっちの公式」
「あ、そっか」
ということで。私たちは放課後、魔法少女団の部室で、机を囲んで勉強をしていた。
レイル先生はSクラスの補講で参加できないらしく、残念ではあるけれど、あとから観司先生も来てくれる。メンバーも私と夢と、やっぱりあとから合流する鈴理だけだけれど、私は十分すぎるほど嬉しい。
「静音は将来は、やっぱり特課?」
「う、うーん。時子様たちとお話ししてみて、それからかな。だ、大学には行かせていただけるから、その間によく見極めておくように、って」
「なるほどねぇ」
ぼんやりと呟く夢に、私はそう漠然と応える。
時子様――時子さんと呼べと言われているけれど、恩が多すぎる――からは、ゆっくりでいいとおっしゃっていただけているけれど、早く恩を返したいという焦りもある。
将来、かぁ。
できればずっと、鈴理と夢とリュシーとフィーと、みんなと居たい――なんて、我が儘だよね。
「ゆ、夢は?」
「私も色々考え中よ。進学はするし碓氷を極めるって目標もあるけど、おまんま食えなきゃ生きていけないし」
「あ、あはは、そうだよね」
夢は、目標意識がしっかりしていてすごいと思う。碓氷の目標、それと現実的な視点。落ち着いているときの夢は、本当に頼りになる。ちょっと暴走することはあるけれど。
「す、鈴理はどうするんだろう?」
「鈴理はねぇ。ま、誰の背中を追いかけているのか気がつけば、あの子はあっという間に走り抜けていくに決まってるのよ」
「? 誰の――ぁ」
いつだって、ピンチに駆けつけてくれた瑠璃色の背中。
星を背負って、いつだって自分の身を犠牲にして、それでも世界を救ってくれたひと。
観司先生――鈴理は、師匠と呼び慕うあの人の背中を、ずっと目で追っている。
「そ、そっか、うん、そ、そうだよね――寂しく、なるね」
「否定はしないわ。でもね、静音」
夢はそう、頬杖をついて私を見る。困ったような笑顔。でも、確信に満ちた目。
「道が分かれたぐらいで、私も鈴理もリュシーもフィーも、あんたを離してなんかあげないわよ」
声。言葉。優しい、目。
夢が背中を押せてくれたのだと気がついて、私は自分の頬が緩むことを自覚した。
「夢――ふふ、そうだよね。うん、私が間違ってた」
「わかればよろしい! 鈴理に密告するのはやめておいてあげましょう」
「あはは、す、鈴理、拗ねちゃうもんね」
「そうそう。あの子ったらむくれると長――ん?」
だだだだだだ。
廊下を走る音が聞こえる。鈴理の足音、にしては、重い。でも、肌で感じる気配は鈴理のものだ。なんて、首を傾げながら腕輪を握る。
「夢ちゃん! 静音ちゃん! 師匠いる?!」
肩で息をしながら扉を開け放つ姿は、思ったとおり鈴理のものだ。けれどなんだろう。背中に、ぼろぼろの布きれを背負って――違う。布きれじゃない。人、だ。
「保健室に人も居ないし、連れてきちゃったんだけどどうしよう?!」
「はいはい、静音は机を横に繋げて。鈴理はその人を並んだ机の上に。魔導術で治療をするわ」
「うん、わかった!」
「う、うん!」
言われたとおりに急いで動かす。
なんだろう。きっと将来も、こんなことはたくさんあるような気がする。
きっと、そう――退屈とは、無縁なんだろうなぁ。
――/――
その日は、いつもと変わらない“いつも”だった。
授業を受けて、放課後になって、師匠のところへ行こうと思ったら瀬戸先生に呼び止められて。
「――特異魔導士である君は、世間から大きな期待を寄せられる。将来の選択肢には否応なしに注目が集まることだろう。もちろん、我々は一教師として、一生徒である君の選択が如何なるものであっても尊重し、最大限のサポートを約束しよう。だが同時に、学校という枠から一歩出たとき、心ない言葉に晒されることもあるだろう。そのときは背負い込まず、私や観司先生、教師たちに相談して欲しい」
瀬戸先生はそう、まっすぐとわたしに告げてくれる。その気持ちと言葉が嬉しくて、胸のずぅっと内側がほんのりと温かくなるような、そんな気がした。
「はい! そのときは、ご相談しても良いですか?」
「いつでも、声を掛けると良い。君の一歩を応援しよう」
「ありがとうございます!」
職員室を出て、少しだけ早歩きになる。特専に来て、高校生になるまでは、もどかしい日々だった。過去は怖くて、未来は真っ暗で、現在を警戒して、夢ちゃん以外に心から信じられる人が居なくて。
けれど、もう過去は辛くない。未来は、いつだってきらきらと輝いている。今を生きるのが、なによりも楽しい。こんな風になれるだなんて、想像もしていなかった。
「えへへ……ふふふふふ」
『鈴理よ。一人でにやつくのは我でも怖いぞ』
「だいじょうぶだよ、誰も見てな――ポチ?!」
掛けられた声に、思わず振り向く……けど、誰も居ない。
あれ? と首を傾げて周囲を見る。気のせい、では、ないと思うのだけれども。
『こっちだ』
「ポチ? どこに……って、そこでなにを?」
見れば、外側から窓枠に前足を乗せ、鼻先だけ見えているポチの姿。ここ、二階だよね? しがみついているのかな? ポチなら落ちたりはしないと思うけれど……気になって、窓を開けて引っ張り上げた。
「もう、危ないよ? ポチ」
『うむ。意外と怖かった』
「ポチって、そういうとこあるよね」
『チャーミングだろう?』
「ノーコメントかな」
ポチはいつものように飄々と、それでいて大胆に語る。
ポチもわたしにとっては大親友の一角なんだけど、それでもこんなポチが、かつては七魔王の一柱であったなんて信じられない。ちょっとだけ、自作自演の可能性も捨てきれない。
「それで、どうしたの?」
『おお、忘れるところだった。ついてこい』
「えっ、あっ、ちょっと、ポチ?!」
ひらりと窓から身を投げるポチ。わたしはちょっとだけ躊躇って、それから窓枠に脚を掛けて跳ぶ。
「“干渉制御”」
重力制御。
浮遊制御。
姿勢定着。
「よっ、と」
『来たな? こっちだ』
「ええっ、待ってよ、もう!」
走るポチに追いすがる。わたしだって、この三年でびっくりするくらい足が速くなったけれど、校庭を抜けて森にさしかかると、ポチに追いつくのがやっとというところ。
けれどポチもぜんぜん速度を緩めてくれないものだから、ポチが足を止めたときには肩で息をするような有様だった。うぅー、悔しい。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……もう、どうしたの? 本当に」
『見ろ』
「見……え? ええっ」
『ボスより先に鈴理が見つかったからな。どちらでもいいだろう』
大きな木にもたれかかる、外套。
細い脚が伸びていて、そのぼろぼろの外套が誰かを包んでいることに思い至る。
「たいへんだ……」
『うむ。見捨てるのも、魔法少女のマスコットとして微妙だろう?』
「そんなこと言ったら師匠に怒られるよ――じゃなくて! わたしはこの人を運ぶから、ポチは師匠を呼んできて!」
『心得たワン』
「そういうのいいから!」
マスコットになりきるポチを振り切って、外套の人を背負う。あんまり重くない、けど、一応身体能力強化。未だ特異魔導士は異能の不正使用に引っかからないから、こういうときにとても助かる。
ポチは素直にわたしの言うことを聞いてくれて、一足先に駆けだした。負けじと、わたしも走り出す。
(まずは鏡先生のところ。いなかったら、部室!)
そうしたらきっと、夢ちゃんがなんとかしてくれるから!
……という経緯だったのです。
そう説明したわたしに、夢ちゃんは大きくため息を吐いた。呆れたような表情だけれど、赤らんだ頬が夢ちゃんの内心を見せていた。
「じゃ、とりあえずこの子だけど」
夢ちゃんはそう、わたしと静音ちゃんのあたたかーい視線に堪えきれずに目を逸らす。それからそう、こんなふうに慌てて話題を切り替えた。
回復術式はわたしのもの。なんていったって、不正使用に引っかからないから。直ぐにポチが師匠を連れてきてくれるから、そうしたら、もっと的確に処置してくれる。本当は静音ちゃんが異能を使ってくれようとしたけれど……今の、こんな大事な時期に、静音ちゃんに背負わせたくない。
「うーん」
「どう? 夢ちゃん」
夢ちゃんは、ぼろぼろの外套を脱がして診察してくれている。
中から出てきたのは、なんとなく予想していたけれど、やっぱり女の子だった。
「打撲に切り傷、火傷……いや、電気かな?」
「そうしたら夢ちゃん、電気系の異能者か魔導術師に?」
「そうねぇ。あと、過労もあると思うけど……静音はどう見る?」
「え、えーと……日本刀、かな。手練れだよ」
切り傷を一目見ただけで、静音ちゃんはそう応えた。
さすが、日夜鍛錬で己を磨き上げている静音ちゃんだ。頼りになる。
「ど、どこから来たんだろう……?」
「鈴理、拾った場所は?」
「森だよ。丘の公園の傍」
「だとしたら特専の敷地内ね。あの事件で壊れた結界は紫理が張り直したんでしょ? だったら破られることはないと思うんだけど」
夢ちゃんから出来た単語に、静音ちゃんは小さく眉を寄せた。
えーと……退魔七大家序列七位、結界の紫理。次期当主は穏やかな方だって時子さんから聞いたことがあるんだけど、現当主は厳しい方らしい。静音ちゃんも、後見のことで色々あったのかも。
「か、硬すぎるものはかえって切り崩しやすいから……」
うん、紫理さん、頭の固い人だったんだね、静音ちゃん……。
「そんなもんかしらねぇ? それはともかく、弱みの一つや二つ、三つや四つ、必要になったら教えて頂戴。静音?」
「あ、あはは……しばらくは大丈夫だよ。あ、ありがとう、夢」
夢ちゃんがさらっとそんなことをいうものだから、静音ちゃんは顔を引きつらせていた。でも、助けようとしてくれていることに関しては、とても嬉しそうだ。
「――ぁ」
……と、小さく聞こえてきた声に、わたしたちは慌てて女の子を見る。
全力全開の回復術式だ。効いてきたのかも!
「……――は、……?」
目を開けることも出来ず、唸るようになにかを呟く女の子。
顔に掛かる赤混じりの金髪を振り払うように、頭を揺らす。苦痛に寄せられた眉。苦しげにはき出される息。声にならない言葉。助けるのに、手段を選ぶことを考えてしまった自分が、唐突に情けなくなる。
「鈴理、大丈夫。こうした場合は相性のわからない異能よりも、相手を選ばない魔導術式の方が有効よ。それより、今は見守るしかないわ。せめて未知先生が間に合ってくれたら――ッ?!」
言葉を遮るように、女の子の手が夢ちゃんを掴む。
慌てて腕輪に手を掛けた静音ちゃんを、夢ちゃんは手で制した。
「未、知に、知らせ、な、きゃ」
「未知に? ……未知先生に、知らせるのね? 今、呼んで貰っているわ。だからあなたは体力の回復を優先させなさい」
「時間が、ない。急が、ない、と、急がないと――アルが」
「え……?」
アル……?
聞き覚えのない単語に、首を傾げる。わたしも、夢ちゃんも静音ちゃんも知らない単語みたいだ。
『ここだ! ボス!』
「……みなさん! 人が倒れていたとは?!」
「師匠!!」
黒い髪。瑠璃色の瞳。
息を切らして、ポチに先導された未知先生が走ってきた。未知先生は直ぐに机に寝かせている女の子に近づくと、目を見開く。
「え……なっ、何故? あなたは――」
『――反応照合・自動展開・転送準備・カウントダウン・Ⅲ』
「静音! 鈴理! 自分の鞄をひっつかんで!」
『Ⅱ・Ⅰ・詠唱起動【流れし者よ・定められし束縛を超え・時の操り手となれ】』
「えっ、あっ、わたしの鞄、教室だ!!」
地面に出現する不思議な紋様。
時計と、水と炎。絡み合った紋様は光を放ち。
「全員、分断されないよう捕まって下さい!!」
「はい、師匠――」
そして、みんながみんなの手を取って。
「――きゃぁああああああっ」
光の中に、沈み込んだ。
一人、光が止んだ空間に取り残されたポチは、ぽかんと跡を見つめていた。
『こういう時に取り残されるのは初めてだな――ワン』
そんな空しい言葉を零しながら、ポチは大きくため息を吐く。
さしあたる問題は――置いていかれたと拗ねるであろうリリーを、どう窘めるか、と。
2018/11/27
2024/02/09
誤字修正しました。




