えぴろーぐ
――5――
結局、あの事件は外部に漏れることなく終わった。
そりゃあそうだ。悪魔が出てきた、なんてことになれば混乱は必至。下手したら新しい悪魔を呼び込むような事態にだってなりかねない。
手塚宏正は吾妻英の心理操作によって操られていた、ということで大きな処分はまぬがれた。しばらくは魔導科の校舎で奉仕活動、ということに落ち着いたようだ。
私は、というと、笠宮さんのきらきらした視線を痛く思いつつも、本当に口の固かった彼女のおかげで平穏な教師生活は守られている。
こんな良い子じゃなければ後遺症覚悟で記憶処理を施しても良かったのだが……いや、詮無きことか。
なんだかんだで日常が戻り、ようやく一息。ということで、私はあの居酒屋で悪魔の報告も兼ねてたまたま時間のあった英雄仲間、九條獅堂と杯を交わしていたりする。
「あはははははっ! 見せたのか?! 生徒にアレを!」
「わらいすぎだよ。うぬう……」
「で? なに? 弟子入りってか?」
「弟子にはしないしできません。だいいち、既に教師と生徒なんだから関係なんか変わんないわよ」
に、しても、だ。
この男は相変わらず失礼だ。あのときの姉貴分を泣かせた同窓会で、過呼吸になるほど笑ってくれやがったのもこの男だ。
獅堂は相変わらず無駄にイケメンな顔を緩ませながら、おっさんみたいにビールジョッキを傾けている。
「なにシケた顔してんだ。ほら、呑め呑め!」
「呑むわよ、呑みますよーだ。ったく、シケた顔もしたくなるわよ。結局、“種”を渡した悪魔は行方知れずなんだから」
そうなのだ。
吾妻に種を渡して契約した悪魔は、どうやらよほど逃げ足が速かったらしい。私が我に返って探知をしたときにはもう、影も形もなかった。
「言いたかないけどさ。“魔法少女モード”の私から逃げ切るなんて相当よ?」
「そりゃあみつからんだろ。俺が消したからな」
「なるほど、地獄まで逃げたってわけね。そりゃ見つかんない――って、はぁぁ?!」
おいこら。
この男、今、なんてった?
「いやな。妙な気配がしたから特専に、こう、飛んでいったわけだ。そしたらちょうど悪魔が逃げてきてな。こう、ジュッ、と」
「ジュッと、じゃないわよ! なんで教えてくれなかったの? もー、要らぬ気を揉んじゃったじゃん!」
「いいじゃねーか。呆け防止だよ」
「ばばああつかいしたらころす」
「ぐっ……す、すまん。だがあれだ、正直、おまえから話を聞くまではどこに関わりがある悪魔だったなんてわからなかったんだぜ?」
「むぐっ……そっか。そーだよね……」
まったく、なんて苦笑いしながら私の頭に手を置く獅堂。
思えばこいつは昔からこんなやつだった。中二病で、大雑把で、見栄っ張りで。でも、いざというときは先頭に立って、矢面に立って、笑って頭を撫でて。
ひとを安心させるのが、妙に巧い男だった。本当に、笑っちゃうくらい。
「こういうときだけ大人っぽくなるのは禁止」
「そういうおまえは相当酔ってるな? 子供っぽくなってるぞ、未知」
飲んで安心したからだろうか。
なんだかちょっと、眠くなってきた。
「うるせー、ちゅうにびょう」
「男は何歳になっても中二病なんだよ」
「むだイケメン」
「無駄ってなんだこら……と?」
瞼がだんだん、下がってくる。
ねぇ、獅堂。いつだって、私はね、英雄なんて持て囃されても、あなたたちの、“仲間たち”のことを誰よりも頼りにしているんだよ。
だから、なんだ。
「タクシー、まかせた」
「ったく……はいよ、任されましたよ、おじょーさま」
ふざけたような言い回しがどうにもしゃくに障って。
振り上げた拳は、抱き留めてくれた獅堂の胸にすとんと落ちた。
――/――
「まったく、困った女だよ、おまえは」
そう、獅堂は安心しきった顔で眠る未知の頭を優しく撫でる。
信頼されているということは、裏切ることができない、ということだ。獅堂はそう、愛しいものを見る目で未知の寝顔を眺める。
「そうやって、俺にだけ甘えていれば良い。あの頃みたいに、少女だったときみたいに、俺に懐いてくれよ、未知」
――実のところ、獅堂は己の打ち倒した悪魔がどこでなにをしてきたのか、把握していた。
悪魔の身体が放つ“力”の残り香は、獅堂の理性を吹き飛ばすには十分だった、ともいえる。
「おまえは、自分の価値をわかっていない。いつかそれがおまえ自身に牙を剥くかも知れない。そうなったら、俺は――」
獅堂は、数年前の同窓会を思い出す。
英雄同士で集まったたった七人の宴会は、実のところ、破滅へのプレリュードとなるはずだった。英雄たちが一堂に会し、己の近況を語り合う傍ら。何人かは、人間に反旗を翻す腹づもりでいたのだ。
英雄として祭り上げ、くだらない政治で己を縛り、時間が経てば用済みと言わんばかりに厄介者扱いをする国々。ならば“超越者”足る自分たちが、選ばれた者たちの楽園を作ることになんの躊躇いがあるか。そう、語り合う影の中に、獅堂の姿もあった。
未知は反対するだろう。けれど彼女のことは、仲間たちみんなが好きだった。だから反対されても、敵対しても、未知だけは傷つけない。
そう、交わした約束は。
あの日の“変身”で砕け散った。
肌で感じる力の奔流。
血が沸き立つような圧倒的な恐怖。
年月を経て、誰もが己の力を成長させる中、彼女だけは“神の領域”にたどり着くほどに進化を果たしていた。
笑うしかなかった。
獅堂たち反旗を翻そうとしていたものたちは、己が如何に傲慢であったか思い知り、絶望から笑うことしかできなかった。
未知の姉貴分は、彼女に押しつけられた運命を不憫に思い、涙した。
未知の弟分は、彼女が背負わされた残酷な運命への悔しさから、唇を噛んで震えていた。
そして獅堂は、心から歓喜した。
己が生涯全てを賭して愛し抜く女を見つけた喜びと、彼女を裏切らせなかった人生に。
「俺にとっては、もう、妹分じゃねぇんだよ。だから、ゆっくりでいい、俺をもっと信頼して、懐いて――堕ちてきてくれ」
獅堂はそう、眠る未知の額に口づけを落とす。
ただ、真綿で包み込んで、がんじがらめにしてしまうように――。
――To Be Continued――