そのに
――2――
明けて、金曜日。
授業を終えた放課後、私と笠宮さんとポチは、長野県に向かう新幹線の中にいた。
「夢ちゃん、大丈夫かなぁ」
正直なところを言えば、不登校が発覚して直ぐに訪問をしたかったのだが……こうして、笠宮さんの同行を願わなければならなくなってしまったので、少しだけ遅れてしまった。
と、言うのも、碓氷さんのご実家にアポイントメントを取った際、先方に言われた“ある条件”が理由であった。
「笠宮さんは、碓氷さんのご実家を訪問させていただいたことはあるの?」
「いいえ、師匠。夢ちゃんが嫌がるので、一度も行ってません」
「そう……」
うーん、行ったことないのかぁ。なら、気に入られて、ということでもないのかな?
「それなら、単純に碓氷さんが笠宮さんに会いたかったのかしら?」
「……だとしたら、嬉しいです。その、あの一件以来、夢ちゃんあんまり元気なかったから」
あの一件……悪夢の事件のことだろう。
碓氷さんが見せられた悪夢は、彼女が深層心理に隠して大切にしまっておいた欲求。ズバリ、他ならぬ笠宮さんとイチャコラしたい、というものだった。
それ以来碓氷さんは、己の性癖に疑問を持ち、また笠宮さんへの罪悪感から中々浮上できずにいたのだという。その経緯から一度実家に戻り、自分を見つめ直してくると笠宮さんや有栖川さんに告げ……そのまま、実家から戻ってきていないのだ。
「結局、夢ちゃん、“ゆり”がなんなのか教えてくれないんです。そうまでして頑なに拒むのなら、ネットで調べてしまうのも悪い気がして……」
「ああ、うん、そうね……」
そう、落ち込む笠宮さんに“碓氷さんは笠宮さんとイチャコラしたいんだよ”と告げるわけにもいかず、言いよどむ。
しかしそうなると、本当に“あの条件”の理由がつかめない。
「ポチー、夢ちゃんに嫌われたらどうしよう……」
『わんっわふぅわうっ』
「繁殖? よくわからないけれど、うん、自分の力で取り戻せってことだよね? ポチ」
『わん』
「うん……ポチ、わたし、頑張るよ!」
あれ、笠宮さん、いつの間にポチ語がわかるように?
笠宮さんにポチ、ずっと預けていたからなぁ。契約者でもないのに言葉がわかるようになるとは……笠宮さん、案外ポチと相性が良いのだろうか。
新幹線の窓から、空を見上げる。
天気は快晴。雲一つ無い夏の空が、野山を照らしていた。
「けど、本当に、なんでわたしなんでしょうね? 師匠」
「そうね……。碓氷さん自身の希望とハッキリしていればまだ別だったのだけれど」
うーん、本当に、なんでだろう?
先方の、碓氷さんのご実家を訪問する際の条件が、“笠宮鈴理の同行”だった、なんて。
――/――
さて。
駅を幾つか乗り継いで、山奥を登山し、案内地図に従って移動することしばらく。
午前授業で学校を終え直ぐに向かったというのに、空はすっかり茜色だ。
「と、とおかったですね、ししょー」
「そうね……。最早、秘境ね」
ぐったりとした笠宮さん。
自然の空気が色濃くなったせいか、艶々としているポチ。
対照的な二人を尻目に視線を上げると、それはもう立派な門構えが私たちを出迎えた。
「大きいわね……」
寺か道場かと思わせるほどに巨大な門。
敷地を示す生け垣は、見渡す限り先がない。
お金持ち云々というよりも、歴史というワードを連想させる。
「師匠、呼び鈴がありません」
「うーん、ノックしてみて、ダメだったら他の手段を考え――」
――よう、と、言い切る前に。
「ようこそおいでくださいましたなぁああああああああ!!」
「ひゃぁああっ!?」
笠宮さんの背後からかけられた声。
とくに敵意は感じないので身構えはせず、声の主を見る。
相手は買い物籠を引っ提げた、小柄なおばあちゃんだ。ひっくり返った笠宮さんを見て笑う姿は、茶目っ気たっぷりな様子であった。
「初めまして。関東特専教員の観司未知と申します。こちらは、同行の笠宮鈴理さんです」
「ひょえっ、ひょえっ、ひょえっ、年甲斐もなくはしゃいでしまう申し訳ありませなんだ。儂は碓氷様方にお仕えする家政婦の、清見キヨと申しまする。お話はお伺いして申しましたので、直ぐにご案内いたしますよ、ひょえっひょえっひょえっ」
家政婦さんだったのか……。
着物に割烹着のおばあちゃん、であるのならそれも頷ける、のかな?
おばあちゃん――キヨさんが扉を押すと、あんなに重そうだった扉は簡単に開いた。の、だけれど。無邪気についていく笠宮さんには申し訳ないが、私は驚愕を顔に出さないようにする事で必死だった。
いや、だってさ、開く扉の音。削れた地面の跡。どれを見ても“軽い”はずがないのだけれど……?
「さささ、どうぞどうぞ。ひょえっ、ひょえっ、ひょえっ」
「――はい、お邪魔しますね」
これはちょっと、一筋縄ではいかないなぁ。
石畳を抜けて玄関で靴を揃え、客間に通される。
一本木から削り出されたであろう机から薫るのは、ほうじ茶の湯気と生菓子だ。
「夢ちゃん……師匠、夢ちゃん、大丈夫ですよね?」
「病欠、というお話は聞いていないよ。焦らず、おうちの方を待とう?」
「……はい」
笠宮さんはそう、心配から目を伏せながらほうじ茶を手に取る。
だが味なんかわかりはしないだろう。湯飲みを持つ手は微かに震えていた。
……ちなみに、ポチはなにも気にせず私の膝でいびきを掻いている。なんだろう、笠宮さんにずっと預けていたせいか、ペット度が上がっている気がする……。
「――と、笠宮さん」
「? は、はい」
笠宮さんが私の言葉に、姿勢を正す。すると、ふすまが緩やかに開いて、壮年の男性が姿を顕した。白髪交じりに髪に優しげな風貌。
うーん、流石、忍者の家系――霧の碓氷。こうして目の前に居るのに、気配が全くない。
「遠路はるばる、よくお越し下さいました。私は夢の父、甲と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。夢さんの担任の倉戸の代理で参りました、特専魔導術式構築論教師の、観司未知です」
「夢ちゃ……夢さんの友人の、笠宮鈴理です」
私が頭を下げると、笠宮さんもそれに倣ってぺこりと頭を下げる。
「ああ――君が。ええ、よろしくお願いします」
「それで、夢さんのご様子はいかがでしょうか?」
「ああ、元気なモノですよ。今日も早く学校に行きたいと、まぁ、やんちゃなモノです」
「? と、言いますと、不登校の原因は、怪我などでしょうか?」
元気で、登校の意思もある?
……怪我、ならばわかる。精神的には元気で登校の意思も十分であろうが、外出は控えなければならないだろう。だがそれならば、学校にそう連絡しない意味は無い。
で、あるならば、きな臭くなってきた、かな。
「いいえ。実は、その件についてお話ししたいことがあります」
「それは――」
意識を集中。
改めて、甲さんをよく“視る”。――ふむ。
「――あなたが、魔導術を用いて姿を投影し、別の場所から観察をしているのと、なにか関係が?」
「!? ばかな」
「え? え? え??」
一言に気配を消す、といってもその技は非常に難易度が高い。
呼吸音、心臓の脈動、衣擦れの音。その全てを消すと、空気を押し止める“違和感”だけは消えない。本当に気配を消したいのであれば、世界に“溶ける”必要がある。すると、視線を逸らすたびに姿が見えなくなるような、そんな不可思議な感覚と戦いながら会話をしなければならないのだが、それもない。
そう思い隠蔽されているであろう“魔導陣”を“視る”と、そこにあったのは修学旅行で碓氷さんが見せてくれたモノと同じ形式の魔導術式、“術式刻印”が刻まれた“こけし”が置いてあるだけだった。
「特専の教師というものを、私は侮っていたようです。どうやって、など、問うても教えてはくれないのでしょう?」
――そう、そしてこの“視る”こと。
私は割と日常的に用いているし、瀬戸先生の術式をこれで読み取ったこともある、の、だが。
実のところ、これ、誰でもできるモノではないらしい。普通の異能者は“魔導術を扱えない”から、英雄仲間で魔導術師は私だけなので、他の方ができないことに割と最近まで気がつかなかったのは、内緒だ。
「――あなたであれば、掟に通じたのですが」
「掟、ですか?」
「ええ。笠宮鈴理さん」
掟、掟……というと、あれ? 魔法少女の魔法は私利私欲に使ってはならない、とかそういう?
いやぁ、嫌な予感しかしないなぁ。
「我ら霧の碓氷。任務の遂行のためには自身すら切り捨てる非情さを持たなければならない。だというのに夢は掟を忘れ、自身の内側に人を作ってしまった。これは、霧の碓氷にあってはならないことです」
「それが、笠宮さんであると?」
「ええ。ですから笠宮鈴理さん。貴女は、夢の友人であることをやめていただきたい。一言そう言ってくださるのであれば、夢にも伝え、転校させましょう。もうひとりの有栖川さん? は、まだそこまで深みにはまってはいないでしょう、まだ、突然転校しても思い出に消える。だが、君は違う、故に、確約していただきたい」
言われた笠宮さんは、驚愕に目を瞠る。
霧の碓氷――甲賀や伊賀とはその種別を異なる、進化し続ける忍者の家系。その内実は常に新しいモノを取り入れているが、掟は古いまま、か。
ふと、笠宮さんを見る。碓氷さんは笠宮さんの親友だ。動揺くらいはするであろうけれど――
「嫌です」
――って、あれ? 動揺すらしない?
堂々と言い放つ笠宮さん。その目は、なるほど、“運命と闘う”時の目だ。
「しかし、君の存在は夢の弱みになる。さすればどうなる? 君を人質に取られたとき、命を散らすのは夢だ。そうなったとき、君は」
「なりません。夢ちゃんは、わたしが護ります」
言い切った。
その姿に、私は思わず笑みを零す。うん、そうだね、君はそういう子だ。運命に縛られる痛みを知っているから、その痛みを大切な人に味合わせないために、矢面に立てる子だ。
「口で言うのは簡単だ。ならば貴様は」
「証明が欲しいのなら今ここで、なんでも挑みます」
「うう、む」
先ほどから言いたいことを全て潰されて、戸惑う甲さん。
決意する前の笠宮さんをどれだけ調べても、今の笠宮さんの影は見えないことであろう。彼女は今、それだけ成長し、なお成長過程にある。
笠宮さんのまっすぐな瞳を見るたびに、思うのだ。彼女の師匠であることが、誇らしくすらあると。
「いいだろう。ならば挑みなさい」
甲さんの姿がかき消え、こけしが残る。
ああ、なるほど、この場に本体がいないのはそういう訳か。
「笠宮さん、教員権限において魔導術式展開許可。衝撃準備。ポチはバックアップと警戒」
『わんっ』
「っ【術式開始・形態・身体強化・展開】――はい、師匠!」
「【速攻術式・身体強化・展開】」
私が唱え終えると同時に、床が“開く”。
流石、忍者屋敷。床が開いてもほうじ茶と生菓子は落ちることなく留まっているし、落下の際に危ないであろう机は消えている。
「あわわわ」
「試練、試練か。笠宮さん、気を引き締めていこう」
「っ――はい!」
暗闇の中に落ちていく。
……なんだかここのところ。落ちてばかりな気がするなぁ。
2016/09/02
誤字修正いたしました。




