そのにじゅうに
――22――
――東京・都心部。
未だ終わらぬ避難状況。
東京に大きな会社を持つオズワルド社長が、社屋の地下に配置しておいたという災害用シェルターに、近場の人間たちで協力して避難誘導を行っていた。
その最たる者が、避難誘導に安心感を抱かせる人間。一般人でもその存在を良く知る、液晶の向こう側の人間たち。
「慌てずに移動してください! 大丈夫です、みなさんのことは、特課の方々と私たちが守ります!」
よく響く声。
人目を惹く容姿。
「はいはーい、こっちだよー!」
可憐な声。
人を惹きつける容貌。
「あらかた終わりましたね、ミランダさん」
「ええ、協力ありがとう、リムちゃん」
「いえいえ、私はこれ“も”本職ですからね!」
女優、ミランダ・城崎。
アイドル、リム。
二人の芸能人が率先して避難誘導に買って出てくれたおかげで、避難はスムーズに済んだ。民衆の信頼は、映画告知でその実力を知らしめたミランダに。“関係者”の信頼は、リム……本名を、退魔五至家轟長女、轟夢理に。
二人の活躍により、あらかたの避難誘導は終え、あとは社屋の護衛となる。
「屋内は社長さんが守ってくれるそうです」
「泥の一粒も入れない、のだとか。すごいですねー」
社長、フィリップ・マクレガー・オズワルド。そしてその秘書、シシィ。
シシィはフィリップの息子であるエストの護衛に付いているが、民衆の護衛は社長自らで行う、という。
もちろん、屋外はプロの戦闘員という訳ではない二人だけで、努めはしない。特課の職員や一般の警察官、自衛官はもちろんのこと、都心応戦には、都市部に暮らしながら強力な異能を持つ異能者も、その制限を解除されて泥の神獣退治に応戦することとなった。
「来ましたよ、ミランダさん。ミランダさんは、映画のとおり?」
「ええ。なんとか習得したのよ。ほんっっとうに大変だったんだから」
「あははー、あの映画告知を見ていたら、それも伝わりますね」
……習得したのは映画告知のあとです。
ミランダは“そう言えたら楽なのに”なんて少しだけ思いながら、それでも、親身に魔導術を教えてくれた、自分によく似た女性に思いを馳せる。
(未知だって、鈴理だって、今頃頑張っているに違いないのだから――負けていられない)
でも、一応、念のため。
自分自身にそう言い聞かせて、大きく深呼吸。これで間違えてしまったら、恥ずかしいとかそういった問題ではなく、未知に迷惑を掛けてしまう様なバレ方をするかもしれない。
そう思うと、流石に気楽に展開させようとも思えず、ミランダは意識を集中させる。
「【術式開始・形態・炎熱変換展開陣・様式・手動固定・術式持続】」
左手に浮かべる魔導陣。
これだけでも相当辛いのだが、あくまで表情はクールに保ったままのプロ根性。ミランダは、“安定しきってしまえば力を抜ける”を合い言葉に、今度は右手に意識を集中させる。
「【術式開始・形態・加速矢・様式・右腕照準・連射・展開】」
安定完了。
これで、左手に固定された炎熱陣を矢が通過するだけで、ミランダが“他に比べたらまだ使える方”という程度だったはずなのに、いつの間にか“プロレベル”で使いこなしていることにされた、炎熱術式矢を扱うことが出来る。
「さすがです。では私は、支援しますね。“百花万声”」
珍しさで他の追随を許さない、“音”系異能者。
その中でも、轟夢理という少女の異能は、特別製だ。宣言と共に出現したのは、スタンド付きのマイク。音量も声色もなにもかも、音という音を編集できる万能芸能異能。
「これが私の共存型異能」
たったそれだけの異能。
たったそれだけの共存者。
たったそれだけ、という枠に収まらない、彼女の特性。
「そしてこれが、私の特性型異能」
大きく息を吸い。
降りゆく泥の神獣を見据え。
「音法【轟歌絢爛】!!」
マイクを通して響かせる音。
百花万声は忠実に、轟夢理――リムの“異能”による音だけを拡散させる。
すると、音が響いた神獣が、端から砂の様に分解されて、消えていった。
「建物に被害を与えないために、色々と小規模で使ってます。撃ち漏らしは、お願いしますね?」
「は、はは……りょーかい。それくらいなら、お姉さんに任せなさい!」
矢を番えるミランダの姿は、しゃんとしていて様になっている。
リムはそんな頼もしくも微笑ましい姿を横目で見ると、もう一度、マイクを構えた。
「さぁ、今日のライブは大盤振る舞い。入場料はいらないから、心砕けるまで聞いていきなさい!!」
リムが張り上げた声は、容易く神獣を粉々に砕いていく。
それをミランダは、引きつった表情で、見守っていた。
(撃ち漏らし、来ないのだけれど……まぁ、いいか)
気持ちを切り替えて、だからこそ獲物を見据えるミランダ。
そんな彼女に呼応するように、泥の神獣は、増えた。
「ようやく親玉の登場ね」
「あの大きな?」
「ええ、そうですね」
それに、どうやら気を抜かせてもくれない様だ。
鎧の様な姿を見せつけるひときわ大きな神獣に、ミランダは辟易とため息を浮かべるのであった。
――/――
東京都郊外。
雑居ビルが建ち並ぶ裏道に、一軒だけ手入れの行き届いたバーがある。カフェ&バー、“SkyCrown”と並べられた青いネオンの看板が、泥の神獣の溢れる街並みの中で鮮やかに輝いていた。
二階建ての物件の、屋上部分。モップを片手に夜空を見上げるのは、黒髪を足首に届くほどの長さのポニーテールにした、ウェイトレス服の少女だ。
彼女の目の前にはラジオが置かれ、マスコミが不安を煽りながら状況の報道をしている。
『埼玉県では避難誘導が終わらぬ中、複数の建物が倒壊し』
『オーストラリアで発生した泥が、海の様に街を襲って』
『中国ではヘドロの中から泥の化け物が溢れ出ています』
『アメリカ本土では大統領自ら奮戦するも状況は厳しく』
『異能、魔導を用いない兵器の効果は薄く、兵器撤廃運動が』
役に立つ情報がほとんどなくとも、他に情報を仕入れる先がないのだから仕方がない。
端末は残念ながら攻勢の中で破損し、インターネットは常に混雑。今も階下で彼女の保護者が接続を試みているが、無駄だろう。
「風子! どう? 繋がった?」
「あー、レン。繋がったけど、碌な情報が無いよ」
少女――風子は、ウェイター姿のレンに声を掛けられ、ため息と共にそう答える。
「総合的に言えるのは、“強力な異能者を配置している近辺と特専のみは被害が少ない”ってところかな」
風子はそう、頭上に向かって手をぱたぱたと振りながら、お手上げ、と告げた。
日本は人口密度が高いので比較的避難誘導が楽だが、海外など広い土地を持つ場所での避難誘導は容易ではない。軍を派遣したり、虚堂静間の機械兵士を派遣してなんとか均衡を保っている、というだけの話だ。
いずれは、主要都市そのものにシェルターでも建設して、全てを封印して怯えながら生きるしかないのではないか。ラジオから聞こえる“有識者”の声は、そんなのものばかりだった。
「……ところで風子、さっきからそれ、なにしてるのさ?」
レンはそう、手を振る風子に首を傾げる。
すると風子も、“なにを当たり前のコトを”と言いたげに、首を傾げた。
「斬り墜としているんだけど?」
「あー、構えも必要ないんだね?」
「未知先生がねー、色々と教えてくれたのよ。ほんと、あの人なにものなんだか」
「異能者の教鞭も執れる魔導術師か。今頃、どこかで大活躍だろうね」
「ま、私の“絶対切断”を防いで見せたんだから、そりゃあね」
和やかに談笑する風子とレン。
その上空、あるいは周辺空域では、泥の神獣が突如粉々に“切り刻まれ”ながら墜落していた。おかげで、近辺に泥の神獣は一切おらず、人間もいないのも相まって非常に静かな地区となっていた。
指の直線上のものを、問答無用で両断する“発現型の最強異能”は、本日も絶好調のようだ。彼女の手指の動きに合わせて、泥の神獣は全て切り刻まれているのだから。
「このまま、風子だけで全滅させられるんじゃないか?」
「どうだろうね。未知先生みたいな例も……あ、あった」
ぴた、と、風子の指が止まる。
同時に、レンは上空を見て、あまりの光景に目を瞠った。
「あのデカブツ、切れないね」
「いやいやいや、落ち着いている場合じゃないからね?! 逃げないと!」
上空。重力に逆らう様に、ゆっくりと降りてくる姿。
それは奇しくも、別の場所でも出現した、鎧を身に纏う巨大な神獣。ビルの一つや二つなら呑み込んでしまいそうなサイズに、レンは思わず口元を引きつらせる。
「ッだめだ、間に合わない!」
それでも、レンは風子の手を引こうとして。
「“空縛り”」
響いた声に、固まった。
「おいおい、なんだあの化け物は。アタシの店を潰す気じゃないだろうね」
真っ赤に染色したひっつめ髪に、真っ赤なカラーコンタクト。
男性物のウェイター服に身を包む、吊り目の女性。風子たち親の居ない子供たちの育ての親であり、SkyCrownのオーナー――如月真は、天に手を掲げ、握り拳を作ったままそう問う。
「ナイス。真、そのまま抑えていて」
「いやいや、重いんだが?」
「重量なんて感じないでしょ」
空中に縫い付けられた巨体。
まるで見えない何かに縛られている様なそれに、風子は手を掲げる。
「霊力循環――“斬り絶て”」
時々未知に教えて貰っていた風子は、己の異能の力をさらに引き出すことに成功していた。
それが起動ワードであり、霊力循環。潤沢な環境から生み出された斬撃現象は、僅かに神獣に傷を付けた。
「うん、いいね。だけど、削りきるのは難しいかな」
「はぁ……わかった、いいよ、徹底抗戦だね。レナを呼んでくる!」
そう、階下に走るレン。
彼の後ろ姿を眺めながら、風子は隠していた冷や汗を拭った。
「おまえでも難しいか?」
「あれで、傷だけっていうのは想定外」
「なら、勝ち抜けば大番狂わせだ。やるぞ、風子」
「ええ、真さん。ふふ、燃えてきたわ」
不敵に笑う真に、同じような笑みを返す風子。
例え適わぬほど強い相手でも、それがどうした。信頼できる仲間が居るのなら、畏れることなどなにもない。
「いいわ。発現型最強の異能――その身に刻めッ」
負ける気がしない。
そう、風子は吼える。
激戦はまだ始まったばかり。だが、風子の目には既に、消えぬ闘志が宿っていたのであった。




