そのにじゅういち
――21――
――関東特専。
人々の祈りに満ちた黄昏時が、ゆっくりと夜の闇に染まっていく。
やがて空に彩りの星が浮かび始めた頃、再び、帳の中に雪が生まれる。
「泥だ」
「陸奥先生?」
「川端先生、まずは自分が標的を逸らします」
「はっはっはっ、任せましたよ!」
陸奥はそう、防衛拠点として指示された交通の要、特専の駅のロータリーで、降り注ぐ泥の神獣を睨み付ける。
泥の神獣は、昨晩の様に、ただ降るだけではない。空中で鳥の神獣に変化して、飛び立つ個体もあった。だが、早々に意志が生まれるのであれば、陸奥にとっては好都合でしかない。
「未知先生の帰る場所は、穢させない――“幻視・創想絶界”!!」
それは、標的を変える異能だ。
これで避難民を抱える中央部本校舎は、泥の神獣の標的にならない。陸奥自身も、範囲こそ巨大だが難しい操作ではないため、一晩なら持たせる自信があった。
――だからこそ、一晩で片付けなければならない。
「よし、では交代ですよ、陸奥先生!」
そう、ニカッと暑苦しい笑みを浮かべるのは、ジャージ姿の体育教師。
魔導術師であり、この場に集った大学部の学生たちを率いる、川端新介教員だ。
率いられる生徒たちは、いずれもガチガチの体育会系男子たち。夜の星に煌めく筋肉が、彼らの肌をてからせる。陸奥は、口元を抑えながら、そっと目を逸らした。
「これぞ我が本領、いくぞみんな! 青春爆発だーァッ!!」
『オウッ、アニキッ!!』
川端新介。
元々はプロアスリートであったが、肩を壊して引退。肩の治療は終えるが、その頃には教師としての情熱に目覚めていた。そんな彼が得意とするのは、通称“青春術式コンボマスター”と呼ばれるモノ。
「【術式開始・多重付与・様式・広域展開・追加・対象指定・付加・衝撃・粉砕・硬化・反射・回避・耐性・鷹目・俊足・跳躍・強化・豪腕・直感・情熱・連打・最大限・展開】!!」
自身を中心に半径五十メートル球体に発生する、付与効果。
初見では誰もが彼の実力の本質を見抜けない、得意術式。
「さぁ、燃えていこう!」
『オウッ、アニキッ!!』
“世界最高峰の魔導付与術師”。
それが、川端新介教員の、戦闘スタイルだった。
『ぐるぅああああああぁぁぁッ!!』
「らららららァッ」
ゴリラの腕を持つ神獣の大ぶりな一撃を、川端はステップで避ける。
引き摺った足が砂煙を起こし、蜘蛛の複眼を持つ神獣が混乱すると、川端は巧みなステップ捌きで懐に潜り込んだ。
「せい、やァッ!!」
『ぐらッ!?』
最適解を予測提示――“直感”。
攻撃時に防御貫通――“衝撃”。
相手の防御を破壊――“粉砕”。
連撃の威力を向上――“連打”。
心を情熱で満たす――“情熱”。
「ぜやァッ!!」
『ぐがらぐぎぃッ?!』
レバーに一撃。
浮いた身体にブローを一撃。
身体をひねってアッパーカット。
更に浮いた身体の、顎を膝で強襲、カチ上げ。
無防備な爬虫類の胴体に、渾身のドロップキック。
『げぼッ』
神獣は無様に吹き飛ばされ、それでもよろよろと立ち上がる。
――だが、この場は既に、川端新介の支配領域。学生たちは弱らせる班とトドメを刺す班に分かれて、テンションマックスのまま、神獣たちに群がっていく。
『お、お、ぐる、ぅ、ああああああああああぁぁッ!?!?!!』
人の波に呑み込まれていく神獣。
その姿を見ることもなく、川端は次の班に飛び込んでいく。
「流石ですね、川端先生」
「はっはっはっ。昔見た幻理の騎士をお手本にしているのです。彼ほどえげつないことはできませんが、ね!」
イキイキと神獣を打ちのめし、テンションを途絶えさせることなく、集団を一つの生き物のように運用する川端。そんな彼の背中は頼もしく、陸奥は異能の使用に専念できた。
(こっちは大丈夫そうだ。だからアンタもしくじるなよ、亮治)
だからこそ、陸奥は悪友の無事を願う。
今、彼の悪友、瀬戸亮治は――激戦区、都市部防衛戦にあたっているのだから。
――/――
――そう、陸奥に無事を願われていることなどつゆ知らず、瀬戸もまた都市部防衛に奮戦していた。
「【術式開始・針弾散撃・展開】」
“速攻詠唱使い”。
速攻術式やら重装術式やらを操る観司未知の登場で最近影が薄くなってきたモノの、彼は未だ一線級の術者だ。
群がる泥の神獣を食い止めながら、都市部の避難誘導を続けている。あらかた誘導は終えているが、未だ残っている人間は、ここで商店を営んでいた者が中心だ。店から離れるのを嫌がり、説得が完了した頃には夜になっていた。朝になれば泥が降るのは止むかも知れないが、確証はない上にばらばらの場所で守るのはリスキーだ。であるのなら、特専に誘導しつつ集団を纏めて守った方が効率が良い。
「B地区誘導終了、です。瀬戸先生」
「御食国さん、ご苦労様です。では、あなたも避難を」
「いえ。私は兄といきます」
「兄? ああ、“りつ”のオーナーの」
この避難活動。
都市部でも戦闘能力を持つ人間は、誘導と護衛に協力していた。実のところ、春期休暇で“りつ”を手伝っていたこの眠たげな目の少女もまた、生徒枠ではなく“都市部の協力者”という枠で、瀬戸たちと避難誘導に努めていた口だ。
「む、また来た」
「では、御食国さん。あなたはお兄さんの元へ」
「協力、します」
「そうですか……では、足は引っ張らない様に」
「はい」
降り落ちてきたのは、タコの足に牛の胴体、そしてむき出しの頭蓋骨。
手は巨大な蟹のはさみであるようだ。捕まれたら、ひとたまりも無いことだろう。
「調理は、任せて」
「では、釣り上げましょう」
「うん……じゃなくて、はい」
少女――美月は短くそういうと、無手のまま走り出す。構えは抜刀、居合いの様に手を引いて、けれど包丁の一つも持たず、
それに泥の神獣はうろたえる様子もなく、“餌が来た”とばかりの嬉しげな音を喉の奥から鳴らしながら、美月にはさみを振り下ろす。
『ヒュールルルルルヒィ』
「三枚に下ろす。――“えねるぎー・ぶれーど”」
途端、翡翠の力が集まると、抜刀の構えをとった美月の手の中から、身長を優に越える長さの光剣が出現した。それは出現から直ぐに赤く色を変えると、じりじりと空気を焼く音を響かせる。
「【術式開始・多重爆鎖・展開】」
『ヒュルイィ?!』
「さんくす、です」
構えたはさみが、振り下ろされることはない。
瀬戸の放った鎖は空中で分裂、幾重にも重なり、神獣の動きを封じる。藻掻く神獣だが、本当は、彼は逃げるべきだったのだ。
「ばいばい」
『ヒュルルルィッ!?』
「“すらっしゅ”」
焼き切れる音。
振り抜かれた光剣は、神獣を斜め一刀に切り捨てる。ただただ超高出力の剣は、タメが長く当たりにくい。だが、こうして補佐を受ければ、絶大な威力を発する異能だ。
「ぶい」
「いけません、戻りなさい!」
『……ごるぉおおおッ!!』
だが、そうは言ってもまだ少女だ。
どこかの特異魔導士や忍者のように、アホほど死線をくぐり抜けたわけではない。なので、焼き切った神獣の裏からもう一体出現するなど、彼女にとっては想定外であった。
「ぁ」
だからこそ、避けることは適わず。
「“剛腕”」
だからこそ、必然の助けに救われる。
「砕けろ」
轟音。
蜘蛛の巣状にコンクリートがひび割れ、神獣が粉々に砕け散る。厳めしい顔つきにウルフカットの大男は、それだけの現象を引き起こしておきながら、顔色一つ変えることはない。
「あ、兄」
「兄、じゃねぇよ」
「あたっ」
ぱちんっと、デコピンの音。
美月の兄――御食国亮月は、ため息一つ零しながら、美月を俵担ぎに持ち上げる。
「瀬戸先生、これが足を引っ張っちまって申し訳ない。あとでキッチリ躾けておきます」
「ぴっ」
「いいえ、こちらこそ指導が足りませんでした。私の方からも、教員として後ほどお話を」
「ひっ」
担がれた美月が震える中、眉一つ動かさず瀬戸は無慈悲にそう告げた。
「では、これを避難所に届けたら戻ってきますので、後ほど」
「ええ。ご助力感謝致します」
「ははっ、あんたも常連様だ。お気になさらず」
亮月はそう言うと、担いだまま、避難所である本校舎の方角へ狙いを定める。
「“剛脚”」
そして、やはりコンクリートを砕きながら、砲弾の様に跳躍して消えていった。
稀少度Eランク、“身体強化”の能力覚醒、稀少度Aランク“剛力”。とても敏腕料理人兼オーナーに見えない力に、瀬戸は大きくため息を吐いた。
(まったく、誰も彼も才能に溢れている)
羨ましくもあり、頼もしくもある。
だが、それにひがもうとは思わない。瀬戸には、この力の最高峰となって、愛する人を守るという、誰にも告げたことのない目標があるのだから。
(次は私が、あなたを守る番です。――ママ)
あいにく、彼の心の呟きに、“台無し”とツッコミを入れてくれる人は居ない。
瀬戸はあくまで生真面目に眼鏡をくいっとあげて服装を整えると、不敵に笑って空を見上げた。一線級の異能者が、直ぐにでも助力に来るのだ。
「であるのなら、少しくらいはハメを外させていただきましょう。【術式開始】」
瀬戸はそう、降り注ぐ泥の神獣を蔑みながら、魔導陣を展開させる。
エリート。そしてかつての、“最高峰”の魔導術師は、ただそうやってクールに笑った。




