そのなな
――7――
――水域領土・カタリナ・拓斗・仙衛門。
水ばかりで覆われた大地に、鋼腕が着陸する。
元々次元移動に特化した拓斗が、咄嗟のところで巨神の鋼腕を展開。近くに居た三人を掴んで、鋼腕で護りながら辛うじて着地した。
「大丈夫か? 二人とも」
「は、はい。私は問題ありません」
「うむ、儂もじゃ」
「……ということは、はぐれたのは未知と獅堂と七と時子と、クロックか」
拓斗の視点からだと組み合わせはわからないが、それでも拓斗はなんとなく、組み合わせを察していた。
(未知の近くにいた七が、未知を離すことはないだろう。で、獅堂は人魂状態で未知に纏わり付いていた。おれの直ぐ後ろに居たクロックがいないということは、クロックは十中八九見目が幼い時子と一緒に居る。未知たちと一緒でなかったとしたら、クロックと時子だけ別ルートか)
時子の胃を心配しながら、同時に、拓斗は仲間のことを信頼している。
仙衛門もそれは同様のようで、顔色に焦りは見受けられなかった。
「まぁ、未知のことじゃ。どうせ放って置いても一人で核心に近づくじゃろうて」
「で、ですが」
「ははっ、否定できねぇな。なに、カタリナ、心配するな。全員、なんらかの“とっておき”がある。合流くらいだったらしてくれるはずさ。おれたちはおれたちで、セブラエルの居城を目指すしかない」
自分たちの居場所を探り当てて貰うよりも、どうにかして同じ目的地に向かった方が良い。まったく焦りを見せずに、仲間たちに信頼を寄せる拓斗と仙衛門。そんな二人を見て、カタリナも、ようやく納得したようだ。
「わかりました。水域領土……少し離れてしまいましたが、道順は解ります」
「おう、助かるぜ。今度は直ぐに復帰できるよう、鋼腕はこのままにしておくぞ」
「それが良いじゃろうのう」
拓斗は右腕に巨神の鋼腕を装着したまま、案内役のカタリナの後ろに着く。
仙衛門は僅かに悩み、それからひょいとカタリナを持ち上げた。
「きゃっ」
「ほっほっほっ、離れん方が良いなら、こちらの方が安心じゃよ」
「し、しかし、重くはありませんか……?」
「なぁに、幼い時分の未知の方がよほど重かったさのう」
「おいおい仙衛門、それ、未知には言ってやるなよ?」
拓斗はそんな、孫を抱き上げるかの様な仙衛門に苦笑して、彼の直ぐ隣に立つ。
なるほど、これ以上安全なこともないだろう。左手一本で己の肩にカタリナを乗せる、巨躯の老仙人。道案内と防御はカタリナに任せて、自身で殴り込むスタイルだ。かえって安全かも知れない。
「では、参ろうか」
「はい……その、ご案内いたします」
「ああ、任せたよ、カタリナ」
仲の良い親子。
そう言われても納得できる光景に、カタリナは、少しだけフィリップのことを思い浮かべる。もし、平和になったとき、その資格が自分にあるのなら。
(もう一度、あなたと話がしたく存じます――お兄様)
あの、明るく優しかった日々に、責務もなく過ごした日々に戻れるのかも知れない、と。
――/――
――峠域・時子・クロック。
雲海から突き出る、幾つもの細い峠。
そのうちの一つに、クロックは立っていた。
「あの、クロック?」
「どうした? 時子」
いや、正確には“時子を抱えた”クロックというべきか。
峠の一角。離散する前に時子を掴んで抱き寄せたクロックは、まっすぐ引き寄せられたのにもかかわらず、難なくこの峠に着地した。
「離してくれても良いのよ?」
「着地できる場所がない。力を温存しておくべき場面で、法則に抗って浮くのは余分な負担だ。違うか?」
正論を言われて、時子はもみほぐす様に額を抑える。
それからややあって、改めて口を開いた。
「で、本音は?」
「幼女を抱きしめている状況に感無量」
「離しなさい」
「良いのか? 先ほどの言葉も本音だぞ」
「むぅ」
幾度か唸って、それから時子は妥協する。
そうは言っても、童子が傍に居るときのクロックは強い。それはもう変態的に強い。それをかつての大戦で実感している時子は、色んなコトを諦めた。年をとるのは残酷だ。諦めることばかり巧くなっていく。そう黄昏れながら、もぞもぞと身体を動かして、クロックの首筋に抱きついた。どうせなら、安定感が欲しい。
「クロック」
「なんだ?」
「せめて、余計なことを言わないで」
「承知した」
色々なことに妥協しながらも、それだけは譲ることが出来ない。
なにせクロックは、声を荒げたり表情を緩めたりといったことは滅多にしない。口を開かずにいれば、内心でどのような感想を持っていようが、誠実な騎士のようにしか見えない。
言うなれば、時子は深く考えることを辞めたのだ。
「さて、行く宛はどうしましょうか」
「それならば、俺が案内しよう」
「来たことがある、とか言わないでね?」
「無論だ。天界に足を運んだ過去など無い」
言われて、時子はほっと息を吐く。
なにせクロックという男は、心情内情を読ませない。口から出任せでも、来たことがあると言われたら信じかねない部分がある。同時に、来たことがないというのも信用しきれないのだが。
「では、どうやって?」
「おそらく、時子、おまえの言う“余計なこと”に抵触するが、良いのか?」
「へ?」
聞くべきか、聞かざるべきか。
こんなタイミングで、そんな提案をされることになるとは想定しておらず、時子はうんうんと唸る。
(いっそ聞かずに……いえ、それだとクロックになにかあったとき、引き継げない)
合理的な判断など、わかりきっているはずだ。
なにより今、この場でこうしてクロックに抱きかかえられている現状は、クロックを喜ばせるばかりで、時子はこれっぽっちも得をしない。
「……――…………――……いいわ、教えて」
そうして、時子は折れる。
折れてはならなかったのかも知れないという予感を、心の隅に追いやって。
「幼女カタリナの匂……気配を覚えている。辿ればいずれ追いつくだろう」
「もうやだ早く未知に会いたい」
「未知の匂……気配は追えんぞ? 昔ならいざ知らず。ああ、時子なら――」
「黙りなさい」
「うむ」
色々と聞きたくもない言葉を耳にして、時子の目が据わる。
そのただならぬ雰囲気に、けれどクロックは動じた様子がない。
「早く行きなさい。今からあなたは馬車馬よ。良いわね?」
「ああ。正直、幼女に馬扱いされるのは興奮する」
「いい加減にしないと、怒るわよ?」
「……良いか? 時子」
真剣な表情。
まっすぐと、時子を見つめる目。
「幼女に怒られるなど、俺に得しかない」
「余計なことを言うなって言っているでしょうこのお馬鹿!」
「む?」
時子はそう叫び、むせて咳き込み、大きく深呼吸をする。
このペースに巻き込まれ続けたら、己の胃が崩壊する。それは、予想し得る未来だった。だからこそ、時子は再び、もう一度、頑張って、色んなものを諦める。
「良いからもう、急いでちょうだい」
「承知した。姫君を守護する黒馬として、全力を尽くそう」
「はいはい」
時子はそう言い切ったきり、げんなりと黙り込む。
その瞳に光はなく、空ろに虚空を眺めていた。
(ああ、未知に会いたい)
そう、時子は想像の中で、日頃色々と苦労している未知の顔を、思い浮かべる。
今は無性に、可愛い可愛い妹分の笑顔が、恋しかった――。




