そのご
――5――
――白で満ちた世界だった。
純白の空間。
上も下もなく、ただただ広々とした、終わりのない場所。
そこにぽつんと置かれた遊戯台の上には、宙に浮かぶ三つの惑星。それは、人界と魔界と天界――“そのもの”といえるような、精密なものであった。
その、遊戯台の傍。安楽椅子に腰掛ける青年の姿がある。長いとも短いとも言えない髪。宇宙の様な深い黒でありながら、数秒ごとに色合いを変える、夜空を溶かし込んだような髪。時折、様々な色が浮かぶ不可思議な瞳。平服したくなってしまうような、人知に及ばぬ美貌を空ろにさせて、彼あるいは彼女は、安楽椅子にぼんやりと腰掛けていた。
「――侵入?」
だが、ふと、何かの気配に気がついて、起き上がる。
出入りの激しい魔界や人界ではなく、異なる次元に位置する精霊界でもなく、侵入者など許したことのない“天界”への侵入。
「なんであろうと」
青年の表情に、色は映らない。
青年の声色に、音は響かない。
「最早――」
あるいは失望。
あるいは諦観。
あるいは絶望。
あるいは諦念。
青年は遊戯台の上に放り出された、ボロボロのノートを手に取る。
ページをめくる度に手が震え、美しい顔立ちに苛立ちが乗る様になった。
「まただ、まただ、まただ! また|こんなはずじゃなかった《・・・・・・・・・・・》!!」
ノートを地面に叩きつけ、遊戯台を蹴り、ヒステリックに髪をかきむしる。
先ほどまで表情を無くし、安楽椅子に揺られていたときとは、まるで別人のような有様だ。
「みんなみんなみんな! どうして思い通りにならない?! どうして、筋書き通りにならない! 全部全部全部、ボクのモノだったじゃないか!!」
青年はそう、さめざめと泣き叫び。
この世の終わりを迎えたかの様に、地面を拳で叩き。
「だからさ、やっぱり、そうだよね」
やがて、空が裂ける様な歪な。
それは、花が咲く様な可憐な。
「全部、やり直せばいいんだ」
悼ましい笑みを浮かべて、青年はそう、嗤った。
――/――
突き抜ける様な青空。
無限に見渡すことの出来る地平線。
地には余すところなく芝生が敷かれ、小さな白い花が見えた。
「これはこれは……天国、という言葉が相応しい様な場所じゃのう」
「おいおい仙衛門、そのまま召されないでくれよ?」
「もう、拓斗さん? 冗談でも変なことは言わないで」
「カカッ、未知も拓斗も、大丈夫じゃよ。まだ死ぬつもりはないわい」
澄んだ空気。
温かなそよ風。
色々と、魔界とは正反対だ。
『カタリナ、もう再構築しても大丈夫そうか?』
「いえ、まだです。ここは中継地点に過ぎません。天使はここで天装体を構築して、地に降りるのです」
『なるほど。……なぁ、そういやおまえは、“鍵”とやらは持っていなかったのか?』
「天装体が消えれば、天界に転送されます。天装体のまま天界に入ることは、地上の空気を持ち込まない、という意味も含めてあり得ませんから、鍵を持つ必要はありません」
神道でいうところの、“穢れ”っていう考え方かな。
死や俗物には穢れが纏わり付く。だから、浄化の火で“火葬”をしないと、天国にはいけないんだよね。私も、詳しくは知らないのだけれど。
『で? あれが門ってワケか』
獅堂が呟く声の先。
空中に浮かぶ白い板。それらは鍵盤の様に並べられ、段差を付けられ、階段を形成している。続く先に浮かぶのは、白い大きな門だ。
「では、未知さん」
「ええ」
全員で階段を登り、門の前に立つ。一歩前に出て鍵を翳し……あれ? 鍵穴どこ?
差し込み口がわからなくて首をひねっていると、察したカタリナが声を掛けてくれた。
「あっ。通行証の様なモノですから、もう少し前に突き出すだけで大丈夫、だと、思います」
「そっか、カタリナも実際に使ったことがあるということではないものね。……ありがとう」
「いえっ。お役に立てたのなら、なによりです」
カタリナに教えて貰い、そっと鍵を前に突き出す。
するとどうだろう。白く大きな門が瞬く様に輝いたかと思えば、音も無く、扉が開いて私たちを歓迎した。
よし、と、私はカタリナとハイタッチ。色々あったけれど、こうしておずおずと答えてくれる彼女は可愛らしい。
「獅堂よ、どう思う?」
『どうって、微笑ましい光景じゃねぇのか?』
「俺は、未知が少女の頃であればと願わずにはいられんよ」
『よし、わかった。クロック、おまえはもう黙っとけ』
……後ろの会話?
ちょっとなんのことだかわからないかな!
「まったく、男の人はいつまで経っても子供なのだから」
「時子。その台詞は僕にも響くよ?」
「あなたにも言っているのよ、七。さ、行きましょう、未知」
時子姉に頷いて、一歩踏み出す。すると、私たちの眼前に、天界の風景が現れた。
「森……?」
七の呟きが、耳に残る。
確かに、その場所は森だった。高台の門から伺う風景。鬱蒼と茂る木々、広大に広がる草原、大きな湖から川が流れ、滝に繋がる。
けれどその大地は一つ一つ別れて……そう、天空に大地の浮かぶ世界、浮遊大陸の森が連なっていた。
「大地の外側に重力はありません。お気を付けて」
「ええ、そうね。その方がよさそうね」
うっかり落ちれば、慣性のままどこまでも飛んで行ってしまうということか。
異能や魔導で戻れば良いのだろうけれど、間違いなく、悪目立ちするのだろうなぁ。
「ここから、セブラエル様の居城まで行きます。足下にお気を付け下さい」
「ええ」
セブラエル。
超人至上主義団体のトップとして君臨し、私はその場面を見ていないが、虚堂静間博士によって天装体ごと抹消された天使の幹部。彼は“主”からなにかしらの密命を帯びていた可能性が高い。それを、彼の居城から見つけ出す。
そもそも、もう“主”なんていないのかもしれない。セブラエルを討ち倒し、それで全てが終わっていたのかも知れない。そう、願うのは、楽観視が過ぎるだろう。魔法少女として歩んだ私の生涯が、疼くのだ。
きっと、この先に――全ての元凶が潜んでいるのだ、と。
カタリナを先頭に、大地へ飛ぶ。
周囲に天使の姿は無い。どころか、生き物一つ見えない。カタリナが取り乱していない様子を視るに、きっと、これで平常なのだろう。
『なぁカタリナ。天使の姿が見えないが?』
「あなたは何故、まだ人魂なのですか? ……いえ、良いです。天使の姿が見えないのは、単純に、この大地を住処としている天使が、人間界に降りているからです」
『俺がこの姿でいるのは勘だ。……で、そういうの、わかんのか?』
「はい。独特の空気がありますから。天使は皆、徒党を組みません。天界兵士という形で戦闘訓練を受けている者以外は、主からの命が無い限り、日がな一日、自然を愛で、歌を唄い過ごしていますので」
『ニートかよ!!』
なんだろう、良くも悪くも天使のイメージが壊れる。もっとこう、信仰に溺れる様な狂信者たちの住処だと思っていた、というのはカタリナやフィリップさんに失礼かな?
元々は長閑に過ごすことを至上としている、ということ? それはそれで、天兵を繰り出し、高笑いをしながらゴーレムやらなんやらをけしかけてきた天使たちと、イメージがずれるのだけれど……うーん、個性もあるのかも。
「大地と大地に渡る際、落ちない様に気をつけて下さい」
『未知、俺はおまえに纏わり付いているが、良いな?』
「え、ええ……?」
「纏わり付く、か。獅堂、さてがおまえも目覚めたな?」
『おいこらクロック、風評被害だぞ』
「なぁ、おれの可愛い妹分に近づかないでくれるか?」
『拓斗、おまえなぁ!』
人魂状態でそんな風に言われても、説得力が無いと思うのよ……?
馬鹿なことを言い始めた悪友の姿に頭を抱えながら、カタリナに従って移動する。大地と大地の狭間にある、浮遊する石。身体強化でこれの上を飛び、極力目立たない様に渡る。
なんだか、ちょっと、忍者になった様な気分だ。夢さんの家って、こんな訓練もしているのだろうか?
『気をつけろよ』
「ええ」
「落ちても、僕が捕まえるからさ」
「ふふ、ありがとう」
人魂状態の獅堂を侍らして、後ろで七に見守って貰う。
なんだかその状況に気恥ずかしく思いながら、浮遊する石を跳んだ――瞬間。
「っ」
「未知!」
「地震?! 天界で、何故!?」
唐突に感じた揺れ。
空間そのものを揺さぶられた様な、不快感。
そして。
「あれ、は……?」
空から、私たちを覗き込む様な、宇宙の色を宿した瞳。
巨大なそれが嘲笑う様に歪められて。
「ぁ」
私の、いいえ、私たちの身体は、天界の空へと放り投げられた。




