そのじゅうなな
――17――
ニット帽の男が、湖に手を突き入れる。
水を掬う様に石を掴むと、彼はそれをわたしに投げつけてきた。
「“融合”!」
石を中心に、刃の様な水を纏った手裏剣。
そうとした表現できないそれを、男は幾つも投げつける。
けれど、その程度の攻撃では怯まない。
「【速攻術式・平面結界・展開】」
「速攻術式?! 未来では、そこまで再現されるのね」
感心する未知ちゃんには申し訳ないけれど、今のところ、わたしだけなんです。
そう告げることはせず、今は目の前の男に集中する。麻薬取引の犯人。ニット帽の男。彼の有する異能は“融合”する力の様で、条件はおそらく、手で触れることだ。
「なら、私も【速攻術式・影縛の茨・展開】!」
そう未知ちゃんが詠唱すると、無数の茨が未知ちゃんの影から出現する。
枝分かれして男に襲いかかるそれを前に、男は岩場に手をつくと、咄嗟に影を避けた。
「“融合”!」
そして、岩場と影を融合させて無理矢理止める。
相当、自分の能力を使いこなしているように見える。きっと時代的に、あの大戦で磨いた力なのだろう。それがどうして麻薬の売人に手を出したのかなんて知りたくもないけれど、厄介だ。
厄介な異能者では、ある。けど。
「【回転】」
身体強化。
踏み込んで、盾でなぎ払う。
男は岩場とコートを融合させて耐えたが――正解は、避けることだった。だって彼の後ろにはもう、わたしたちの中で現段階最強の、メアちゃんが構えていたから。
「盟約に従い我が力に応えよ【幽体召喚・限定顕現――」
「は……しまっ」
「――龍爪】」
メアちゃんが手を振り下ろすと、赤黒い龍の腕型オーラが男を包み込む。
死なない様に最大限まで手加減された一撃は、それでも男を大きく吹き飛ばし、男は地面で三バウンドして転がりながら、壁に叩きつけられてやっと止まった。
「……こ、殺したの? メア」
「無事」
「えぇ……」
未知ちゃんは恐る恐る男に近づいて、呼吸を確認。
無事を検めると、ほっと胸をなで下ろしていた。メアちゃんを犯罪者にしたくないとか、そういうことなんだろうなぁ、きっと。
「とりあえず……未知ちゃん、ちょっと退いて」
「え? ああ、なるほど」
「【速攻術式・麻痺鎖・展開】」
男を鎖で拘束して、それをメアちゃんが俵担ぎにする。
有香ちゃんは未知ちゃんが負ぶって、わたしたちは狭い階段を登り、どうにか洞窟の一階部分に到着した。
「無駄に長い階段だとは思っていたけれど、主な理由は時間稼ぎ、かな」
「メアちゃん?」
「未知、有香を降ろして。鈴理、有香に防御結界」
「う、うん。【速攻術式・円形結界・術式持続・展開】」
メアちゃんに言われるままに、未知ちゃんが床に横たえた有香ちゃんに、結界を張る。
――直後、覚えのあるプレッシャーが、洞窟の前に降り立った。
「人質を奪われたか。この俺に囮作戦とは、鬼畜よな――それでこそ、とも言えるが」
くすんだ紫の髪。
大きなマントに、黒い装束。
鋭い牙を覗かせて、わたしたちをここに迷い込ませた元凶は、嗤った。
「まさか、真っ先に君が会いに来てくれるとは思わなかったよ、未知」
「え? 私? どなたでしょうか……?」
「今の君が知らないのも無理はない。ああ、だから、ここでよく覚えて置いてくれ」
未知ちゃんに、そう、語りかける男。
未知ちゃんがらみ、ではなくて……きっと、師匠がらみのことなのだろう。師匠も色々と牽引しちゃう体質だしなぁ。
「我は誇り高き吸血鬼。古きオルオイム伯爵様に仕えるササワエル子爵家当主、“オーフ・オン・ササワエル”なり!!」
「爵位持ちの悪魔?! なんで、そんなものが……?」
爵位持ちの悪魔?
ええっと、どういうこと?
「ねぇねぇメアちゃん、爵位持ちって?」
「基本的に悪魔は古いほど強い。血が濃いほど強い。血が濃くて古いのが爵位持ち」
「なるほどー」
「適当な説明をするな! 小娘が!!」
メアちゃんのざっくりとした説明に、男――オーフは、牙を剥いて威嚇する。
それを、メアちゃんは何処吹く風で受け流していた。
「子爵位は下から二番目。たいしたことない」
「メア、そんなに刺激して大丈夫なの?」
「器を受け入れる度量すらないのなら、そもそも敵ではない」
「メアちゃん、でも、あの人、青筋を浮かべてるよ?」
容赦なく言葉の暴力で嬲られて、オーフはぷるぷると震えていた。
うん、いやでも、そうなるよね……。
「言いたい放題、言わせておけば――この身は苦痛を快楽とする身なれど、それは俺より強く美しいものから受ける傷に限る! 弱者の分際で侮ったこと、後悔させてやろうか?!」
ん? 今、なんて言った?
「ああ、いや、だが、チャンスをやろう。未知、おまえが俺の望みを叶えるのであれば、他の人間は全て見逃そう」
「――聞きたくないけれど、その、望みとは? あなたは、私になにを望むの?」
未知ちゃんはそう、心底、心底聞きたく無さそうに告げる。
「クックックッ。それは――」
「それは?」
「――この俺を、奴隷にして毎日嬲ることだッ!!」
静まりかえる洞窟。
凍り付いた様に停止する空気。
それになにを勘違いしたのか、オーフは続ける。
「毎日俺を踏みつけて、毎日俺を椅子にし、毎日手ひどい言葉と暴力で痛めつけ、毎日首輪を付けて全裸で散歩させ、毎日床に料理を落として犬の様に食べさせ、夜は荒縄で縛って窓から吊るし、朝は熱湯を掛けて起こし、自力で縄を解くまで火あぶりにし――ああ、なんと屈辱的なんだ! ぞくぞくするよ、未知ィィィッ」
「ひっ」
びくんっ、びくんっ、と震えて恍惚の表情を浮かべるオーフ。
いったい、彼の人生になにがあったらこんなことになってしまうのか。未知ちゃんは既に涙目だった。
「最初は嫌だろう。だが、人間は慣れる生き物だという。繰り返し続ければ、君は真のドSとなって、俺というM奴隷を想像も付かない様な手段で嬲ってくれることだろう。いやはや、楽しみだ。なにせ俺は――そのために、過去に戻ってきたのだから!!」
……えっ。
それじゃあわたしたちは、彼の変態趣味に付き合わされてここにいるということ?
みんなで一生懸命、学園祭に向けて頑張って、努力して――その毎日を途絶えさせた理由が、それ?
「うぅ、なんでこんな人に好かれるの?」
「未知ちゃん……元気出して? 大丈夫。アレは今からわたしたちがとっちめるから」
「言うじゃないか! それで? ただの人間になにができる!!」
手を広げて嗤うオーフ。
そんな彼に、メアちゃんは無表情のまま首を傾げた。
「爵位持ちを自慢する割りに、他の爵位持ちには興味が無い?」
「はぁ? とうぜん、存じているとも」
「そう。なら、ここで潰える運命を、受け入れる準備も出来ているのね」
「だから、さっきから何を言っている? いや、待て、その容姿、どこかで?」
メアちゃんは、淡々と前に出る。
俵担ぎをしていた男を放り出し、悠々と歩いて行く、
その異様な空気に、オーフは一歩、後ずさった。
「私の名はファリーメア。ファリーメア・アンセ・エルドラド――爵位持ちが偉いというのなら、跪いて許しを請う立場にあるのはどちらか、己の魂に聞け」
「アンセ・エルドラド……ッまさか! 魔龍の祖、エルドラド大公爵!?」
その名に驚いているのは、なにもオーフだけではない。
未知ちゃんも同様に目を瞠り、息を呑んだ。
「魔龍王……あなたが、時子姉の好敵手と謳われた……?」
「今や時子とは酒飲み仲間。何故か、居酒屋に行くと通報されるけれど」
「メアちゃんと時子さん、見た目は子供だもんね。夜に出歩いているだけで補導されちゃうんだ……」
「そ、そうなの。まぁ、別の世界だものね……」
エルドラド。
その名前を持つ力は大きいのだろう。オーフはあからさまにうろたえて、じりじりと下がった。
「痛みを感じず死にたくはない……でも気持ちよさそう……どうしたら……」
「消し飛ばされる覚悟は終えた? では、さようなら【妖気呼応・幽体召喚・現れ出でよ・盟約の血壊龍】」
メアちゃんの足下に浮かび上がる、巨大な方陣。
複雑怪奇なそれが鳴動すると、徐々に、薄く透けた龍の姿が持ち上がってくる。サイズが調整できるのか、オーラで見た龍の腕よりも、小さな腕。でもその威圧感は、思わず後ずさるほど、すさまじい。
「来て、エルド――」
「ッ待て、俺を消し飛ばしたら、殺人になるぞ?! 忌避していたようだが、良いのか!?」
「――なに? どういう……」
「こういうことだ!!」
オーフが叫ぶと、転がって居た男の身体が吸い寄せられる。
それだけで拘束がはじけ飛び、男に、オーフの身体が“融合”した。
「まさか、“悪魔憑依”!?」
「未知ちゃん? それって、まさか」
「む、迂闊。これだと消し飛ばせない」
ニット帽の男から、帽子が落ちる。
輝く様な禿頭。ひげ面の男の目が、紫に染まる。
黒い蝙蝠の翼が生え、牙が鋭く伸び、オーフは愉快そうに嗤った。
「さぁ、俺を……思う存分、適度に痛めつけるがいい!!」
宣言するオーフに、わたしと未知ちゃんの頬が引きつる。
――ここに、かつてないほどにやりたくない決戦が、幕を開けるのであった。




