そのじゅうよん
――14――
あれ? と、空を見上げる。
「メアちゃん、雨」
「そう。今日は、森に入って調査を進めるのはやめておく」
「だねー」
薄暗い空から降り始めた雨。
わたしはメアちゃんの提案に頷くと、急いで寮に戻った。けれど、有香ちゃんの部屋の前に来て、しばらく待っても有香ちゃんは戻ってこない。
「うーん、どうしたんだろう?」
「未知の部屋はわかる?」
「あ、聞いてない」
「そう。なら、一応図書室に行って、未知がまだ居るようであれば、端末で連絡してもらう」
「なるほど、そうだね」
いや、メアちゃんは頼りになるなぁ。
今、わたしの手の端末は圏外のままだ。相変わらず、存在しないIPアドレス扱いになっていて、連絡ツールとしては使えない。でもまぁ、それ自体は仕方のないことだからね。
「よし、校舎まで急ごう」
「ええ」
バレないのを良いことに、さくっと身体強化。
雨道を急いで駆けて、校舎へ直行。直ぐに図書室に向かうと、すんなりと扉が開いたことに安心する。
「未知ちゃん?」
「鈴理? それに、メアも。まだ帰っていなかったの?」
「うん。未知ちゃんはなにをしていたの?」
「小説を読んでいたの。どうにも、だめね。切りの良いところまで終えて見れば、こんな時間だもの」
もう、時計の針は六の数字を半ばまで過ぎていた。
校舎の鍵が閉まるまで、あと三十分程度しかない。そのことに気がついて苦笑する未知ちゃんは、どこか愛嬌があって可愛らしい。
「それで、どうしてここに?」
「あ、うん。有香ちゃんがまだ帰っていないようだったから、未知ちゃんに電話をかけて貰おうと思ったんだ」
「ああ、なるほど。そういえばあなたは未来の人間だったわね。良いわ、ちょっと待って」
未知ちゃんはそう言うと、姿勢を正して電話を掛けてくれる。
「これで一安心だね、メアちゃ……メアちゃん?」
声を掛けて、それから首を傾げる。
窓から空を眺めるメアちゃん。その視線は虚空に寄せられ、何処を視ているかは解らない。けれど、“いつもと違う”ということだけは、なんとなく、理解できた。
「どうしたの?」
「なにか、妙ね。妙な空気を感じる」
妙な空気?
本当に、なんのことなのだろう。でも……無視してはならない。そんな気がして、わたしも一緒になって空を見た。
「……だめね、繋がらない」
「え? 有香ちゃん、電話に出られないってこと?」
「ええ。何度か掛けてみたけれど、だめね」
電話に出られない状況?
そんな状況になるんだったら、有香ちゃんの性格的に一報あるはずだ。
そうでないのなら――。
「緊急事態……?」
「そうね。鈴理、メア、心当たりはある?」
「いいえ。虱潰ししかない」
ひとまず、会議で出た場所を探すべきかな。
下駄箱、第三実習室、崖際、山間の洞窟。
ピックアップして、どうにか――。
「――黒百合の魔女!!」
稲妻の音。
かき消す様に開かれた扉。
雨水で泥だらけになった、ツンツン頭の少年。
「ぐっ、ぁ……なんでもする、どんな対価でも払う! だから、アイツを――有香を、助けてくれッ!!」
大きな声。
悲壮に嗄れた音。
また、稲妻の落ちる音が、響いた。
――/――
――時は、僅かに遡る。
第三実習室の裏。
苦しみながら気絶した岸間を前に、一巳は小さく後ずさる。何が起こっているのかわからない。けれど、想像以上の厄介事に巻き込まれていることだけは、理解できた。
「チッ、こうなったらダチを集めて――」
「きゃああああああああああああっ!?」
「――ッ、今の声……有香か?!」
直ぐ近くで響いた悲鳴に、一巳はハッと顔を上げる。
校舎の影。また、お節介で傍に居たのか。一巳は舌打ちを堪えて、悲鳴の方に駆けた。
「おい! 有香――誰だ、おまえ」
「ん? はは、ナイトサマの登場か。ククッ、ちょうどいい」
「チッ、クソが……。おい変質者! さっさと有香を離せッ!!」
ぐったりと、青白い顔で抱きかかえられる有香。
そんな有香を抱えているのは、くすんだ紫色の髪の、男だった。
男は整った顔立ちを下品に歪めて、一巳を見下している。
「んっんっんっ……やはり、弱者の罵倒は響かんな。まぁいい、おまえにはメッセンジャーになって貰おう」
「はぁ? 頭おかしいんじゃねぇのか、アンタ」
男の、まったく一巳の話を聞こうとしない様子に、一巳は苛立つ。
まるで一巳を、羽虫か何かだと思っているかのような、無機質な表情だ。
「口には気をつけろ」
「なに? ――ガッ?!」
衝撃。
一巳の腹に突き刺さったのは、男の足だった。硬いブーツに覆われた蹴りをくらい、一巳は地面を跳ねて転がる。
「ヒヒ、良く跳ぶボールだ」
「ぐっ、つ、ぁッ」
「良いか? おまえは女子生徒が洞窟に攫われた、と、それだけ言って子供の様に泣きわめけば良い。すると勝手にあの方の耳に入り、悪辣外道な俺は天国を味わうことが出来るのだ!!」
ようは、学校で騒ぎ立て、洞窟に一巳の知らない誰かをおびき寄せることで、目的を達しようとしている。身体を襲う痛みに耐えながら、一巳は男の目的を推測しようとしていた。
小さな頃からの、文字どおりの幼馴染み。“分析”が得意な有香に付き合わされて培った、経験の力。
(騒ぎを大きくすることも、目的の一つ、か? ――だったら、騒ぎは最小限にして、強力な助っ人を……そうだ、アイツなら、もしかして)
追い詰められた状況が、一巳の頭を動かしていく。
普段よりもずっと早く、有香を救い出しつつ、男の目的を挫くために。
「では、任せたぞ」
「おい、待てよ、クソッ、この野郎、おい、おい――!!」
当然の様に、男は振り返らない。
けれどそんなことは、一巳にだってわかっている。
だから一巳は、自分に出来る“今、もっとも正しい行為”をやり遂げた。
「ククククッ、ヒャハハハハハハハハッ!!」
喜び勇んで飛ぶ男。
その背に張り付く、“一巳にしか見えない”透明な五角錐が、一巳に手を振る。
(頼んだぞ、兄弟)
突撃特攻弾丸兄弟。
一巳は、共存型の異能者だ。己の異能で生み出した。コミカルな仲間を張り付けたことを確認すると、ふらりと立ち上がる。
「ぐっ、づぁ」
痛みに耐えて向かうのは、魔女の根城。
教員すらも打倒する魔女ならば、あるいは。
一巳はそう、一縷の望みにかけて、痛みに鞭打ち走り出した。
――/――
高原先生……高原君の話が、終わる。
ぼろぼろの身体で、高原君は促されるままに事情を話してくれた。
「俺の力じゃ足りない。でも、アイツの思い通りにさせる訳にはいかねぇんだッ! こんなこと頼める義理がないのはわかってる。だが、頼む! 俺の寿命くらいなら持っていっても良い……だから、あの馬鹿を、有香を助けてやってくれ!!」
有香ちゃんを助けるのなんて、決定事項だ。
でもその前に、その、なんで未知ちゃんは“寿命を吸い取る”みたいな扱われ方なんだろう?
そう思うと、なんだかとってもやるせない気持ちになった。
「……命を対価にする。その言葉に、偽りはない?」
「み、未知ちゃん?」
「命を対価にするの? 儀式が必要だったら教える」
えっ、ほんとうに?
そう疑問を呈するわたしの隣で、メアちゃんは儀式を教えようとしていた。いや、なんで知っているのかは今更聞かないけれど、教えちゃだめだからね?
「――ああ。有香を助ける分だけ残してくれ。あとは、全部持っていけ!!」
高原君の覚悟は、本物だった。
僅かな怯え、僅かな恐怖、大きな決意。
友達のために、全部を賭けることが出来る。それが、高原君という人間の真実なのだろう。
「そう、なら目を瞑って」
「ッ、ああ! いつでも頼む!」
ぎゅっと目を瞑る高原君の額に、未知ちゃんは指を向ける。
どうなってしまうのか。未知ちゃんの表情が読めなくて、どうしたらいいかわからない。
そして。
「あだっ!?」
未知ちゃんは、高原君にぱちんっとデコピンをした。
「え? は?」
「ふふっ……あなたの覚悟は、言葉だけで充分よ。それに、有香さんは私の数少ない友達の一人なの。一緒に、手伝わせて」
「お――お、う」
未知ちゃんの、悪戯が成功した様な可愛い笑顔。
ぺろっと出した舌とか、小首を傾げる仕草とか、なんというか小悪魔チックで素敵だ。こんなお茶目な表情、わたしたちには見せてくれたことがないからなぁ。
その表情を真正面から浴びた高原君は、顔を赤くして、どもりながら頷いた。あれ、これってもしかして――いや、今は良いか。
「急ごう、鈴理、メア、高原君」
「うんっ、だね!」
「異論は無い」
「なんだよあの笑顔反則……じゃなくて、おう!」
話はまとまった。
なら、次の行動は決まっている。
わたしたちは互いに頷き合うと、雨の郊外へと飛び出していった。




