そのきゅう
――9――
温かいお布団にくるまれて、朝日と共に目が覚める。
起き出したら顔を洗って歯を磨いて、着替えて朝食を作る。
「へっくちゅんっ」
そんな毎日のルーティンができないことを、肌を打つ冬の風が知らしめてくれた。
「あううう、寒い」
端末が圏外で記録されないのをいいことに、魔導術である程度温かくしておいた。
けれど、朝の気温には流石に適応していなかったのだろう。肌を刺すような寒さが、けっこう厳しい目覚ましとなって襲いかかる。
笠宮鈴理、生まれて初めての“公園のベンチで就寝”イベント、実行し終えましたところでした。
「おはよう」
「おはよう、メアちゃん。ふわぁ……んむ。なんだか身体が痛い」
「野宿は、慣れていないと辛い。早朝の都市部で、パンを買っておいた。食べて」
「わぁ、ありがとう! コンビニ? いくら?」
「子供が値段を気にするモノではないよ」
それだけ言って、取り付く島も無し。
メアちゃんは自分の分のパンを口にしながら、わたしにコンビニの袋を差し出した。
クリームパンと牛乳? なんだか、刑事ドラマの張り込みみたいだ。
「あむっ……むぐ、おいしい」
「たまには、悪くないでしょう?」
「うん。メアちゃんは、甘い物が好きなの?」
「とくに、好き嫌いはない」
そっか……。
そういえばメアちゃんは、すっっごく年上なんだよね? それならもう、好き嫌いとかそういう次元のことはなにもないのかも。
「さて、あとは放課後まで待機かなぁ」
「そう。教職員の見回りなんかはない?」
「あ。うーん、どうだろう? 最近、事件があったーとかなら、あるかも」
「昨晩の集団を見る限り、なにもないというのも考えにくい」
「だよね……。微弱な探知領域。急ごしらえで、近くに人が来たら隠れる?」
「それよりも、情報収集のためには人の集まるところに居た方が良い」
それって、ひょっとしなくても校舎に入るってこと、だよね?
校舎に入るのはけっこう難しい。いや、入るだけなら簡単だけれど、教員に見とがめられたとき、けっこうどうしようもないと思うんだよね。特専の先生って、ほら、すごい人が多いし。
「見つかったら、言い逃れできないよ?」
「ええ。姿を消せば良いのでしょう? なら、任せなさい」
「え……?」
「人間如きに察知されるような術は、用いないから」
そう、淡々と告げるメアちゃんには、有無を言わせぬ迫力がある。
わたしはそんな彼女を否定することなんかできようはずもなく、ただ、頷くことで肯定した。
――特専・高等部魔導科校舎。
いざ術が切れるようなことがあっても大丈夫なように、と、わたしは魔導科の校舎に訪れていた。
ただいまの時刻は九時ちょっと過ぎ。廊下はしんと静まりかえり、教室では授業が行われている。さすがに授業中に情報収集もなにも難しいと思うのだけれど、どうなんだろう?
そんなわたしの疑問に答えるように、メアちゃんはどんどん先導しながら歩いてくれた。向かう先は、屋上。授業中の屋上になにが? そう、思っていると、そこには幾ばくかの人影があった。
(「古今東西、ひねくれ者は高いところに登るもの。授業から逃げる人間くらいいる」)
つまり、サボっているんだね?
そう、無言ながらに頷いて答える。確かに、不良生徒さんって、ドラマでもノベライズでも、屋上にいるよね……。
(「近づいても気がつかれない。会話が聞こえるところまで行くよ」)
わかった、という返事はジェスチャーで。
なんでもこの“龍の隠れ家”という術は本来はひとり用で、術者の所有物なら隠せるが、そうでないと難しいらしい。ただ、動く所有物だと術に認識させることは出来て、それで一緒くたに気配と姿を消しているのだとか。
おかげで、わたしは一切言葉を発することは出来ないけれど、それくらいなら問題は無い。
でも、不良さんからいったいどんな情報が得られるというのだろうか?
「――!」
……なんて、思っていたのだけれど、どうも様子がおかしい。
「授業は良いのかよ。優等生サマ?」
「だから、私はクラス委員として、あなたを連れ戻しに来たのよ!」
「はぁ? 余計なお世話なんだよ、ブス」
一人は、黒い制服の男子生徒。
染色された茶髪に、着崩した制服。
一人は、やはり黒い制服の女生徒。
黒い癖毛の髪に、大きな眼鏡が特徴的。
(って、まさか)
声を出さないようによく見ると、直ぐにその正体に思い至る。
わたしたちのクラスの、担任の先生。そしてあのとき、校舎の裏で高原先生と言い争いをしていたひと。
「で? マジメな新藤委員長サマは、不良生徒を更正させてあげて点数稼ぎか?」
「そうじゃなくて、だから、授業くらいマトモに受ければ良いでしょ?!」
――新藤有香先生は、そう、怒れる男子生徒に正面から向き合っていた。
「うるせぇ! オレはオレのやりたいように生きるんだ。オレはオレだけの自由を見つけたんだ! だから、おまえらに凡人に構っている暇なんかねぇんだよ!」
「な、え?」
あれ、なんだかおかしい?
最初はこう、真面目な生徒が不真面目な生徒を連れ戻しに来ているだけかと思った。けれど、どうにも様子がおかしい。
(「鈴理、彼の目を良く見て」)
小声で言われて、咄嗟に見る。
「オレは変わるんだ!」
「き、岸間君?」
――空ろな目。
「もう、粋がっているだけのオレじゃねぇ!」
「ちょっと、どうしたの?」
――おぼつかない足取り。
「オレオレが、この学校ガッコウでイチ一番ツヨ強くなルルるんだ」
「……っ、落ち着いて、どうしたのよ?!」
――定まらない、叫びのような訴え。
(「たぶん、あのときの集団と同じ」)
集団……そう、あの夜の森に溢れていた人たち。
ふらふらと寮に戻って、それから? 普通に日常に戻れたりは、しなかったんだ。きっと、こうしてなにかの拍子で、苦しんでしまう程度には囚われている。
「オレがアアアアアアアアアッ!!」
「まずい! メアちゃん!!」
新藤先生に襲いかかる、男子生徒。
思わずわたしが声をあげると、メアちゃんは一歩大きく踏み出していた。
「きゃああああっ」
「下がって」
返答は聞いていないのだろう。
下がろうが下がるまいが関係ない位置取りで、メアちゃんは男のみぞおちに膝を入れる。カウンター気味の一撃は、男の突撃にあわせて威力を増す。
男はもんどり打って吹き飛ぶと、フェンスに激突して停止する。よほど効果のある一撃だったのだろう。フェンスが、大きく揺れたのが見えた。
「終わった?」
「いいえ、まだ」
「うぉうううぁあああああぁ!!」
痛みなんて感じていないのか。
ぼろぼろだったはずの男子生徒。しかし彼は痛みや怪我なんかものともせずに、わたしたちに襲いかかってくる。
「鈴理、神経麻痺」
「あ! うん、わかった! 【速攻術式・麻痺拘束鎖・展開】!」
鎖が男に巻き付く。
その状態でメアちゃんが頭に手を置くと、男性は大きく痙攣して動かなくなった。
「ふぅ。ありがとう、メアちゃん」
「いい。それよりも」
「それよりも?」
メアちゃんが指さす先。
そこには、呆然と座り込む、見知った姿。
「あ、あなたたちはいったい……?」
そりゃ、そうなるよね。
わたしはそう、起こるべくして起こった風景に、がっくりと肩を落とすことしか出来なかった。
2017/10/14
誤字修正しました。




