そのご
――5――
――頬に当たる風。
――瞼を焦がす光。
「――り」
――揺れる身体。
――耳を打つ声。
「――理」
「す――」
――だんだんと、声が、強く。
「鈴理」
「へぁ……はれ?」
――わたしを見下ろすメアちゃんと、目が合った。
「あれ? メアちゃん」
「まだ寝ているの? 意外と図太い」
「ず、ずぶと? えぇ……?」
なんだかふらふらする頭を抑えて、身体を起こす。
服装はいつもの魔導衣制服。炎獅子祭の練習をしていたから、飛翔補助の術式刻印が施されたコート。
寝ていた場所は……地面。特専の校舎間にある、舗装された石畳。ちょっとこの季節にこんなところで寝ていたら、十中八九風邪を引く。
……なんだかちょっと、肌寒く感じてきたかも。
「なんでわたし、こんなところで?」
「ショックが大きかった? 結界は間に合ったように見えたけれど」
「結界?」
結界を張るようなこと?
あれ、というかわたし、練習をしていてそれから――
『悪いが、もう遅い!』
『ッ……捕まりなさい、鈴理』
『えっ? きゃっ』
――思い、出した。
あの、稲光する銀の光に飛び込んで、防御結界を展開して、そこから先の記憶が無い。きっと、意識を失ったんだろうなぁ。
「あのあと、どうなったの? どれくらい時間が経った?」
「“ここに到着”したときにはもう、あの男はいなかった。時間はまだ十五分も経っていない」
「そっか……。とりあえず、師匠と夢ちゃんに連絡して――あれ? 圏外? 特専の敷地内なのに?」
端末を開いて、圏外と表示されていることに驚く。
特専から特殊な電波を使っているから、世界中何処でも通じる端末。それが、見るからに特専の敷地内なのに、届かない。
「まだ、詳しいことはわからないわ。けれど、ここは私たちが居た世界とは違う」
「え……?」
「まったく同じと言ってもいいほど似通っているけれど、ここの“竜脈”――世界の流れは、銀の光に呑み込まれる前と少し違う」
竜脈って、あれだよね? 地脈とか霊脈とか呼ばれている、パワースポット。
天使カタリナの事件の時、病院が確か霊脈の上にあったんだったと思う。
「――どの道、往来で寝ているわけにもいかないわ。動き回ってあの男を捜しましょう」
「うん、だね。あんまり理解が追いついてないけど、じっとしているよりずっと良い」
「その意気」
立ち上がって、改めて周囲を見回す。
他の人の姿は無い。あと、おそらく時間もちょっと違う。東に太陽がまだ傾いてるから、ひょっとしたらまだお昼前なのかも。
「ひとまず、仮説を立てられるだけの材料探し」
「人目をつかないように移動?」
「放課後までは施設の観察。そのあとは、生徒に紛れたら良い」
「わかった」
メアちゃんは、さすがというかなんというか、落ち着いてる。
こんなとき、一人じゃなくて本当に良かった。一人だったらきっと、今頃、職員室に飛び込んで大変なことになってると思う。
「じゃあ、早速――」
「オイ!」
「――ひゃあっ」
移動、しよう。
そう思った開口一番、大きな声に思わず変な声を出してしまう。な、なに? なにが起こったの?
「私たち宛じゃない。ほら、あっち」
「あっち……?」
指さされた先。
校舎の裏から聞こえる、喧噪の音。
ま、まさか、喧嘩?
「なにかの情報が得られるかも知れないわね。姿を隠して見に行きましょう」
「あわわわ……って、そっか、確かに。行ってみよう」
念のため、わたしとメアちゃんを包むように“遮光迷彩”で姿を消す。端末が圏外だから、使用記録に残らないのは助かる。あとで反省文はちょっとやだ。
聞こえてくるのは、第三実習室の裏。確か、ちょっとだけ人目がつかないようになっている場所だ。静音ちゃんが、“もしも過去に戻れるのならここで攫われる前にたたっ切る”と言っていたから、事件に巻き込まれやすい場所なのかも。
「聞いてんのかテメェッ!!」
「やんのかコラ、いてこますぞ!」
顔を覗かせて見ると、二人の生徒が言い争っていた。
二人とも白い制服。片方は金髪に赤メッシュの不良さんで、もう片方は紫に染色した髪をつんつんに逆立たせている、すごく目つきの悪い不良さん。
「良いからさっさと言えッ!! “売人”はどこに居るんだよッ!」
ツンツンと逆立たせている方の不良さんが、金髪赤メッシュさんの胸ぐらを掴んでそう言う。すると、赤メッシュさんは苛立った表情でその腕を外した。
「さわんじゃねぇよッ! どいつもこいつも聞いてきやがって。しらねぇッつってんだろ!」
「あ、オイコラ! ……チッ」
走り去る赤メッシュ君。
取り残されるツンツン君。
わたしとメアちゃんは、ぽかんと顔を見合わせて、首を傾げていた。なんだろう? 売人って。えっ、もしかして……ま、麻薬とか?
(「なんだったんだろうね」)
(「なんらかの取引が行われているようね」)
(「だよねぇ。うーん、いっそあの人に聞いてみる、とか?」)
(「名案……いえ、待って、誰か来た」)
メアちゃんに言われて、視線を戻す。
わたしたちとは反対側の、校舎の影。黒い制服の女の子が、ツンツン君に走り寄る。
「こんなところでなにをしているの?!」
「あ? ……チッ、おまえかよ」
「またこんなところでサボって……授業、ついていけなくなるわよ!」
「知るか。良いか? 俺は異能者なんだ。超能力者だ。わかるか? 就職先なんか山ほどあるんだよ」
あれ、これってもしかして、こう、青春的な?
でもなんだろう。相手の女の子、ちょっと見たことがあるような気がする。同じクラス……? いや、だったらもっとハッキリわかると思うんだけど。
「山ほどある? そんな訳ないでしょ。努力したこともないのに、なにになれるっていうのよ!」
「チッ……俺はおまとは違うんだよ! 生まれたときから恵まれている俺と、“絞りカス”を比べるんじゃ――ぁ」
ひ、久々に聞いた差別用語だ。
最近はこう、師匠のとんでも魔導術を目にした異能者のみなさん、“返り討ちにあったら死ぬ”と思ってくれているようで、耳にしなくなったからなぁ。
ツンツン君の暴言に、女の子は悲しそうに目を伏せる。それに、ツンツン君は“失敗した”という表情を浮かべると、唇を噛み、逡巡するように手を伸ばし――その手を、捕まれる。
ええええええ、これってまさか、恋の青春スクランブル?! あわわわ。ど、どうしよう。
「――の……」
「お、おい?」
「一巳の、馬鹿ッ!!」
「げはッ?!」
掴んだ手を引き寄せて、ボディに重い一撃。
土煙が立つようなブロウに、ツンツン君は膝から崩れ落ちた。
「あんたなんか、魔女に串刺しにされれば良いんだわ!」
「ぐっ、げほっ、げほっ、~~ふざけんな、この馬鹿力!」
「うっさい、しね!」
走り去る女の子の背に、ツンツン君は蹲ったまま手を伸ばす。
「おい、待てよ、コラ……ッこの、大馬鹿有香が、クソッ」
後悔するように項垂れて、それから、おぼつかない足取りで立ち去るツンツン君。
私はその光景に――ぴしっと固まって、身動きを取ることが出来なかった。
あの。
これって。
まさか……?
「鈴理?」
ツンツン頭の目つきの悪い不良さん。
――聞き間違えてなければ、“一巳”と、そう呼ばれていた。
癖毛のセミロングと黒縁眼鏡の、見たことがあるような女生徒。
――聞き間違えていなければ、“有香”と、そう、呼ばれていた。
「め、めあちゃん」
「なにか、わかったの?」
わたしの、こう、厄介事に巻き込まれる率の高さから考えれば、あり得ないことではないだろう。そんな風に思ってしまえることがもうちょっとイヤなんだけどね?
だから、そう、もしかしたら、だけど。
「ひょっとしたらわたしたち――過去に来ちゃった、のかも」
高原一巳先生。
新藤有香先生。
幼馴染みだったという、ふたりの先生。
思い返せばどう見ても、若くした感じの容姿。
「……え?」
戸惑うメアちゃんに、引きつった笑みを返すことしかできない。
どうやら、今回は――とんでもない厄介事に、巻き込まれてしまったみたいだ。




