そのさん
――3――
――新宿・旧都庁・封鎖ゲート。
通常のそれよりも遙かに小さくなった旧都庁のゲート。
魔界と人間界を繋ぐ唯一の道導であるここは、リリーが以前通ってきたものよりも更に小さくなって封鎖されている。通れるのは。本当に小さく力の弱い小悪魔だけだ。
もし、力が強く大きな悪魔が通れば、次元の歪みによって身を裂かれるような激痛を味わうことになる。好んで痛い思いをする酔狂な悪魔などいないため、この地は今も小悪魔のみの専用通路でしかなかった。
『ウォオオオオォ』
そう。
今日、この時までは。
『オォォオオオォ』
地の底から響くようなうなり声。
直径で三十センチもないようなゲートから、無理矢理突き出される“腕”。
引き裂かれたように朱に染まった腕の持ち主は、相応の代償を今まさに“痛感”していることだろう。けれど、突き出される手が弱まることはない。
『ォオオオオオオオッ!!』
やがて、骨の砕けるような音が響き、ずるりと悪魔が落ちてくる。
「き、ひ」
白すぎる肌。
くすんだ紫の髪。
身に纏う服はぼろぼろだが。
鋭い牙は、隠しようも無い。
「あ、ァア、到着した」
悪魔の男は、そう、歓喜に震える声で新宿の空を見上げる。
それ相応の代償を支払い、己の“主”の屋敷から盗み取った妖力珠。次元に歪みを与えるそれは、使い勝手が悪いことで評判だったため、彼の“主”が奴隷に紐付けして補完していたものだ。
それを彼は掠め取り、己の身が引き裂かれることを対価に次元を歪め、文字どおり引き裂かれながらゲートを潜り、人間界に降り立った。
「目的はスマートに。なんとしても、成し遂げねばならない」
男の目は、決意に満ちている。
ぎらぎらと輝く目。そこに宿るのは、強い執着と欲望に満ちた、醜い野望であった。
「場所は“学舎”。歪みから“遡行”し、ワタクシ好みの性癖に調教しなければならない」
男は。
「痛いって気持ちイイと教えてくれたあの方を、芯からドS女王様にするために」
かつて、六天王と呼ばれた吸血鬼は、痛みという快楽に打ち震えながらそう宣言する。
「きひ、ひひは、ひひゃははははははははっ!!」
どこかの某魔法少女が魔界に残した忘れ物。
当の本人が、おそらく一番忘れたままでいたかったことであろう忘れ物が、今、静かに芽吹く。
「ははははぎゅっ……むぅ、舌を噛んだか。うふ――きもちいい」
――ここに、因果が成される。
――もっとも厭がられるであろう、自業自得と揶揄するには酷すぎる因縁が、関東特専を襲おうとしていた……。
――/――
「はっ……くちゅんっ」
「あれ? 観司先生、風邪ですか?」
「すん、と、ごめんなさい。なんだかむずむずしてしまって」
二月。肌寒いこの季節、どうやら冬の風に当てられてしまったようだ。
職員室で思わずくしゃみをすると、横で情報処理をしていた新藤先生に心配をかけてしまった。
黒い癖毛の髪に、黒縁の眼鏡がトレードマークの新藤有香先生は、鈴理さんたちの所属する魔導科のクラスの、担任の先生だ。
「観司先輩……じゃなくて、先生の部活動は、出し物はなにをされるんですか?」
同時に、特専に通っていたときの後輩でもある彼女は、時々こんな風に呼び間違える。
いやしかし、出し物、出し物かぁ。その時、私は浅井学園長と一緒に、“今後のこと”について話し合いをしていた。だから、その間だけ監督権限で色々と許可を出せるように、レイル先生に部活印を預けていた、の、だけれど。
(まさか、よりによって魔法少女イベントとは……)
いや、ダメとは言えないけれどもね? 部活の趣旨にもあっているし。
でもなぁ……うぅ、なんとかこう、私に繋がるような部分はなくしてもらわないと。監修にクロックとか呼ばれたらしんじゃうから、全力で止めなきゃ。
「観司先生?」
「ああと、ごめんなさい。……私の部の出し物は、生徒会と共同になったから言えないの」
「ええーっ、そうなんですか……大変ですね」
「ふふ、生徒たちが楽しみにしていますから、大変でしょうけれど裏方くらいはなんとか頑張ります」
「さすが、観司先生です」
ほんわかと笑ってくれるから、私も優しく笑顔を返すことが出来る。
高校生の頃は、もっとこう、ほら、私が中二病だったからこんなに良い関係を築くことが出来なかった。というかそもそも、彼女を含めた大半の生徒には怯えられていたからなぁ。
当時、ちょっと調子に乗ってらした先輩を授業で沈めたら、その先輩がけっこうな不良さんで、その不良さんを基点に噂が広がったんだよね。いやぁ、本当にそんなつもりはなかったんだけどね?
「観司先生ー! 学園祭の警備表についてなのですが……って、有香」
「ずいぶんと嫌そうに人の名前を呼ぶんですね? た・か・は・ら・先生?」
「そりゃ、おまえが居るより観司先生と二人きりの方が……な、なんでもないです、観司先生!」
「うわぁ、へたれ」
「うるさい!」
そう叫ぶのは、異能科の先生である高原一巳先生だ。前髪で目元を隠して、気弱そうな先生……っぽくなっているのは、“先生”として生徒を怖がらせないためだと聞いたことがある。目つき、悪いモノね。高原先生。
高原先生は新藤先生の幼馴染みで、私の後輩の一人だ。知り合った切っ掛けは妙な事件に巻き込まれて、それでこう、色々あった。
「それでですね、観司先生」
「ちょっと一巳、私が先に観司先生とお話ししていたんだけど?」
「うるせぇな、雑談だろ? 俺は仕事の話をしてんだよ、馬鹿有香」
「馬鹿とは何よ馬鹿とは。猪くんに言われたくはないかなぁ?」
「誰が猪だ誰が! だいたいおまえは――」
「そっちこそ、名指しで馬鹿とは何よ。だから一巳は――」
さて。
繰り返すけれど、ここは職員室だ。だからまぁ、そろそろ止めた方が良いだろう。そう声を掛けようとすると、言い争う二人の後ろに立つ影が、口元に人差し指を立てて沈黙を指示してきた。まぁ、そうすると、部下でしかない私は口を噤むしかないわけで。
「――随分と楽しそうですね、新藤先生、高原先生?」
「げっ」
「ぴっ」
かけられた声に、二人の肩がわかりやすく跳ねた。
「おかしいですね。私は二人に仕事を用意していたようですが、もう終わったと?」
「ちちちち違うんですよ瀬戸先生、ただ、俺は、観司先生にお聞きしたいことがあってですね?」
「ほう、警備表ですか。でしたらあちらで川端先生が、とてもわかりやすい講義をされています。そちらにいかれたらよろしいのでは?」
そう、影――瀬戸先生の視線の先には、筋肉を至近距離で見せつけながら学園警備について語る、角刈りマッチョの川端先生と、その筋肉を至近距離で見せつけられて泡を吹いている陸奥先生の姿があった。大丈夫なのかな、あれ……?
「あ、あれですか、その、あれはちょっと――」
「今すぐ行けば、“げっ”については不問にしましょう」
「――川端先生! 俺も陸奥先生と戦……じゃない、警備についてご質問が!!」
走って川端先生に向かい、筋肉に巻き込まれていく高原先生。
う、うわぁ、脈動する筋肉のサンドイッチだぁ。
「新藤先生は、なるほど、まだ遍参が終わっていないと?」
「いいいいえ、もう終わっています! ただ、ほら、高原先生に声を掛けられてしまったので」
「ほう、ではこれから次の仕事に入れる、と?」
「ええ、もちろんです!」
「なるほど。次の仕事と言えば明日の分なのですが、先取りしようとはご立派です」
「えっ、明日の分? それって明日に回せば……あっはいごめんなさい自分から言い出したことですすぐ行きますひぇぇぇぇぇっ」
そう、まるで幽霊でも見てしまったかのような態度で逃げる新藤先生。
瀬戸先生に、へたな言い訳は通用しない。よしんば巧いことを言っても、ああして丸め込まれるか論破されるのが常だ。私も気をつけよう。
「観司先生も、あまり相手にしないように。ああいう手合いは、甘やかすとつけあがります」
「は、はい。いつもご迷惑をおかけします」
「まぁ良いでしょう。私も、あなたには甘えてしまうことが多い。そうさせるのは、あなたの魅力でしょうし」
「……えっと、恐縮です」
瀬戸先生はそう、厳しい表情の中でふと肩の力を抜いて、おっしゃってくださる。
そういうギャップを見せられるとどうしていいか解らず、私はただ、頷いた。
「ああ、そういえば、私もまだ仕事を残しているのに話し込んでしまいました」
「……ふふ、そういえば、私もです」
「お揃いですが、あなたが話し込んでしまったのは私のせいです。ということで」
あれ、おかしいな。さっきまでとても良い雰囲気だったのに、嫌な予感がする。
「どうぞ一つ、激励をお願いします。――ママ」
「…………………………――……めっ」
「うぐっ……ふぅ。それではお互い、頑張りましょう」
本当にこのひとは、これさえ無ければなぁ。
“そっち”のギャップにも、どうしていいかわからない……わかりたくないんだけどなぁ。
なんだか、どっと疲れてしまった。私はそう自分で肩を揉みながら、ため息と共に仕事に戻る。ううん、もうこれ気力的には、結果的に損をしているよね……。




