そのさん
――3――
東京タワーからの一望に目を輝かせて。
よしじゃあついでにスカイツリーも登って、ガラスの床に戦々恐々。
芝公園から都営線を一直線。東京ドームシティの遊園地にも足を運び。
列に負けずに観覧車に乗り込んだ頃には、空は夕暮れ。茜色に染まっていた。
「未知さん、ほら! 東京タワーも見えます!」
「ふふ、そうだね。ほら、あれがスカイツリーで、あっちには富士山も見えるよ」
「本当だ……」
感動に声も出ない彰君の姿は、やっと、年相応に見える。
遠慮も、謙遜も、自分を抑えようとする姿も。全部、まだしなくていいことだ。大人になって、必要になるまでは、子供はのびのびとしていて欲しい。
なんて、お節介かな。あれ? おばちゃんくさい? うぅ……。
「あ、夕焼け」
観覧車が真上に来ると、ちょうど、日が落ちようとするところだった。
西の空が朱色の染め上げられていくと、東の空は瑠璃色に満ちていく。昼と夜の狭間。すれ違う人の顔をも見られなくなる、黄昏時。
「きれい、です」
「……うん」
声もなく頷く。
空は、何度も見てきた。
あの夕暮れに、何度も平和を誓ってきた。
でも。
街も復興され、人の顔にも笑顔が戻り、誰もが自分の人生のために戦えるようになった今の景色は、戦いばかりのあの頃よりも、戦いを終えたばかりで誰も彼も余裕のなかったあの頃よりも、ずっとずっと輝いて見える。
私たちが、みんなが、この日のためにつかみ取ったものを、心の底から実感できる。
「未知さん、あの」
「? どうしたの? 彰君」
「今日は、ありがとうございました。ボク……ボク、こんなに楽しかったことは、今まで生きていて、初めて、で」
「どういたしまして。でも私も、彰君と遊べて楽しかったから……こちらこそ、が、正解かな?」
笑いかけると、彰君は頬を染めながらも笑い返してくれる。
だけど、ほんの僅かに寄せられた眉が、悲しげだ。
「自信がない、かな?」
「!……すごい、です。なんでも、わかるんですね」
「なんでもは、わからないよ。わかりたい人のことは、わかろうと努力しているだけ」
私がそう告げると、今度はちゃんと笑ってくれた。
でもなんでちょっと目をそらすの?
「……………………未知さんは、ずるいです」
「え?」
「なんでもないです」
「でもいまなにか」
「なんでもないです」
「そ、そう?」
「はい」
あれなんか、笠宮さん@後期に似てきた気がする……。
「ボクは、未知さんを楽しませられるような振る舞いができたのでしょうか。ボクは、独りよがりで、弱くて、こんな、いつも自信がないようなボクが……」
弱々しく告げる彼の目には、焦燥が浮かんでいるようだった。
努力が実を結ばない。やっていることがうまくいかない。他人のように、と、比べてしまう。
誰もが陥る、感情の穴。
「……自信はね、これから身につけていけば良いんだよ。今はまだうまくいかなくて、たくさん戸惑ってしまうことはあると思うよ。でもね、自信にしたくて頑張ったなにかは、いつかあなたの“根拠”になる。土台になるの。だから、周りの声に、自分の心の叫びに負けないで」
「自分に、負けない」
向き直って、彰君の目を覗き込む。
不安に揺れる、綺麗な緑色の瞳を。
「そう。それでも負けそうになったら、逃げたくなったら、おねえさんと遊んでくれる? それでね、私はあなたと遊んで楽しかったけれど、その言葉を受け止めきれないのなら――」
「な、ら?」
「――そのときは、今よりもっと格好良くなって、私をエスコートしてくれると、嬉しいな?」
「っ――」
目を瞠り、やがて破顔する彰君。
その瞳からは翳りが薄れていて、少し、ほっとした。
「約束します。必ず、未知さん……あなたをエスコートできる男に、なってみせます」
おおう、ちょっとドキっとしちゃうくらいの、いい顔だ。
それが彰君の、本来の魅力なのだろう。きっと色々なことがあって、翳りを帯びてしまった彼の、秘めていた力。
でもやっぱり、男の子だなぁ。変わるとき、男の子はずっと格好良くなる。なんだかそれが嬉しくて、頬が綻んだ。
「――うん。ふふ、楽しみにしてる」
「あ、信じてませんね?」
「そんなことはないよ。ふふふ」
「むぅ……まぁいいですよ。いつか、そんな余裕はなくさせてやりますから!」
屈託なく笑う彰君を見ていると、実現は早いような気がしてならない。
そう思って微笑むと、彰君は勘違いをして、また、むくれてしまった。
観覧車を降りると、人もまばらになってきた。
出口まで一緒に歩いて行くと、ふいに、彰君は足を止める。
「今日は、ありがとうございました」
その横顔は、最初に見たときよりもずっと、スッキリしていた。
「……もう、大丈夫?」
「はい。未知さんの、おかげです」
「私は背中を押しただけ。歩くことを決意したのは、彰君自身だよ」
願わくば、この一歩を最初の自信にして欲しい。
そんな願いを込めて微笑むと、彰君は理解したかのように微笑み返してくれた。
――まだ、少しだけ翳りは残っている。気持ちの方向性が変わっただけで、明確な“なにか”がハッキリしていない、の、かな。
でも、一歩進めた。それなら、それもまた、自分の力でつかみ取ることも不可能ではないはずだ。
「ありがとう、ございます。ボクは――」
『見つけたぞ』
「――!」
淀んだ声。複数人の男。
私たちを取り囲むのは、浮浪者のような格好のものから小綺麗なチンピラまで様々だ。
だが一様にその目は空虚で、視線が合っていない。というか、いつの間に?!
「なんですか? あなたたちは」
彰君が、警戒を露わにした声で問いかける。
すると、浮浪者の男が一歩、前に出た。
『殺す』
「ッ――特専教員権限起動、緊急コード00090、魔導術式、限定解放!」
浮浪者の男が、バールのようなものを彰君に振り下ろす。
私は彰君を追い越すように走ると、彰君を少しだけ横に倒して、バールの下をくぐり抜けた。
「【速攻術式・麻痺・展開】!」
『がゥっ!?』
悲鳴をあげて倒れる浮浪者。
それが地面に倒れる様を見届けることなく、彰君の手を取って走る。
取り囲まれている状況はまずい。まずは、切り抜ける――!
「【速攻術式・身体強化・展開】!」
「わ、わわっ!?」
「ごめんね、先に謝っとく!」
彰君をお姫様だっこで掲げ上げて、跳躍。
陸橋の欄干に足を置き、跳ねてビルの看板に着地して、飛び上がって七階建てのビルの屋上に。よし、暗くなってきたおかげで、私たちに気がついている人は居ない!
「ふぅ、ひとまず、は――【速攻術式・封印・展開】」
屋上に繋がる扉を一時封印。これで、奴らが登ってきても、しばらくは大丈夫だ。
その間に、教員端末から救助コードを飛ばしておく。これで、“特課”の警察官が助けに来てくれることだろう。
――ちなみに、教員指定コードで魔導術式を使用しても怒られないように対策はしたが、これはあとからちゃんとした検査が入る。状況的に使わなくても良いはず、なんて判断されたら罰則だ。主に罰金で、一使用につき九千円。つらい。
まあでも、状況的に通るはず。……通るよね?
「未知、さん、今の奴らは、いったい……」
「“悪魔憑依”だとは思うのだけれど……意志薄弱の人間に無理にとりつく低級悪魔。新宿周辺にたまに出没する小型の悪魔に、とりつかれた人たち、ね」
ポチと合体した変質者のように、よほど相性と意思の一致がなければ、意識を残したまま悪魔を憑依させることはできない。そしてそれは、悪魔側にも力量を求められる。
今回襲ってきた連中は、あくまで低級悪魔に無理矢理憑依させられただけだろうけれど……あの人数。ざっと数えて、八人。その人数に憑依させているのなら、どこかに大元の一体が潜んでいる、と考えるべきかな。
「悪魔……なら、ボクの、せいだ」
「彰君?」
「ボクは、ボクは、悪魔と敵対する一族の人間です。だからきっと、ボクの血が、ボクが、未知さんを危険に――はぅあっ!?」
ぱちんっと、彰君の顔を両手で挟む。
すると彰君は、先ほどまでの思い詰めたような表情を消して、困惑に顔を染めた。
「未知、さん?」
「悪魔が人を襲うのは、悪魔のせいだよ。誰のせいでもない。それは、悪魔だけが背負う罪だよ」
自分のせいで、悪魔に襲われた?
それは違う。いつだって悪いのは、悪意を以て傷つけようとする加害者だ。
被害者が、それに思い詰める必要はまったくない。
「それに、私は特専の教師なんだ。だから、私も十二分に狙われる可能性がある」
「特専の、先、生」
悪魔の敵対者を育成しているようなものだからね。
彼らにとっては、面白くないだろう。
「だから今は、二人でできることをしよう?」
「できる、こと?」
「そう。ひとまずは――」
ガダン、ガダンと響くのは、扉をこじ開けようとする力。
一度認識した今ならわかる。この気配は、悪魔のものだ。
「――お巡りさんが来るまでの、時間稼ぎ。ここからちょっと、行ってみようか?」
指さすのは、隣のビル。
それがビルからビルへの乗り移りだと感づくと、彰君はちょっとだけ顔を引きつらせた。




