そのろく
――6――
灼熱と極寒。
二つの地区に挟まれたその場所は、せめぎ合うようにベクトルの違う環境が衝突した結果なのだろうか。中央から北西に、放射状にまったく別の環境の土地が続いている。
黒土の大地。地面から伸びる紫の巨大な水晶。髑髏のような魔物が、周囲を見ることもなく、ふらり、ふらりと徘徊している姿だけが見える、不毛の大地。
『水晶荒野“リスクリスタ”』
「この先に、お母様の居城があるわ。魔玲王扱いは禁句だから、気をつけなさいな」
「やっぱり、ワル・ウルゴの配下扱いはイヤだよね……。ええ、わかったわ」
荒野、と、その名が示すだけのことはある。
延々と続く荒野。視界の先には、地平線の代わりに水晶が見える。
「勝手に配下にされて怒ったお母様は、自分の周囲――魔界の半分を進入不可の水晶地帯に変えたわ。私が新しい魔王になると、魔界の半分は遠慮をしてくださったの。おかげで今や魔界の三割、水晶荒野の大半は、ああして水晶に覆われているのですわ」
といっても、リリーが人間界に来てから半年が経過している。
その間になにか変化があれば、面白いだろう。リリーはそう言って、ころころと笑った。
そして、ポチも同意見であったのだろう。口角を上げて楽しげに笑うと、私を乗せたままスピードが上がる。それこそ本当に、野を駆ける狼のように。
「あわわわ、ポチ、早い!」
『しっかり捕まっていろよ、ボス!!』
「っ」
ポチの身体にしがみつき、振り落とされないように踏ん張り。
風を切る景色に、なるべく気にしないように努め。
駆け抜ける彼の脈動に、目を逸らさず。
『ぬぉ?!』
「え、急に止まらな――きゃっ」
緊急停止したポチに巻き込まれて、大きく前に投げ出された。
お尻から荒野に着地するのは、さすがにイヤだ。どうにか体制を整えてうまく着地したものの、脚がびりびりする。
『リリーよ、存じていた訳ではないな?』
「さすがに予想外ですわ」
「いたた……え? なにが――へ?」
広がる水晶の壁。
……に、大きく備え付けられた、城門。
門戸は開かれていて、たくさんの悪魔たちが歓談しながら出入りをしている様子であった。
「進入不可、じゃなかったっけ?」
「そうよねぇ。ま、良いわ。確認すればわかることでしょう?」
『うむ。では我とボスはここで待っていよう』
「ええ、そうしていてちょうだいな」
リリーはそう告げると、ふわっと飛んで城門へ行く。
それから門番らしきひとといくらか会話をすると、また、ふわっと飛んで戻ってきた。……よくよく考えてみれば、リリーこと新魔統王の顔を知る悪魔でなくて良かったわ。
いや、道行く悪魔たちも、以外とリリーを見て騒いでいない。ひょっとして、あまり周知されていないのかな?
「リリー、意外とみんな、あなたの顔を知らないのかしら?」
「雑魚は知らないわよ。選別も面倒だから、手っ取り早く居城に侵入できた賊のみを叩き潰していましたもの。私の顔を知るのは、叩き潰されてお父様の大好きな主のもとに贈られた雑魚か、リリラピランドで働く従順な僕たちだけですもの」
「そ、そうなんだ」
リリーは何気なくそう言うけれど、その、それってとてもアレなことなのではないのでしょうか。
どうしてもそれ以上深く聞こうとは思えず、ぎゅっと口を噤む。知らない方が良い世界もあるよね!
「話を戻して良いかしら?」
「あっ、ごめんなさい。お願い、リリー」
「よろしくてよ。……なんでも、リリラピランドに馴染めない根性無し共がお母様に大量の貢ぎ物と共に懇願して、定期的に退屈しのぎと貢ぎ物を捧げる代わりに、許可をしたそうよ」
『うむ、つまりはリズウィエアルの暇つぶし要員か』
「そ。でも困ったわね、そのせいでお母様の元にたどり着くのが面倒になったわ。結界が張られていないから、“結界を中継に起動する”連絡水晶が使えないわ」
そんな連絡手段だったんだ……。
でも確かに、妖力結界なんかが張られているようには見えない。巨大な水晶の壁が十二分に要塞としての役割を満たしている、ということなのだろうなぁ。
そうなると、なるほど、連絡は難しい。
『ならば、まずは入場することが第一か。だがそうなると、ボスをどうする?』
「変身系の魔導術で侵入するのはどうかしら?」
「それが霊力であろうが魔力であろうが、妖力でない以上気がつく悪魔は居るわよ、未知」
『我もそうだが、魔獣や魔獣人は鼻が利く。変身自体が見破られなくとも、妖力でない力を使用していることはわかることだろうさ』
「そうなのね……」
そうか、感知されるのか……。
隠蔽にも魔力を使う。隠蔽している事実が発覚しなくとも、魔力を使っていることソノモノは発覚することがあるのか。こわい。
「……あ、そうだ。ふふふ、いいこと思いついたわ」
「リリー? あの、すごく嫌な予感がするのだけれど……?」
リリーは艶やかにそう微笑むと、とたん、手の中に闇を集め始めた。
その闇はいつしか光を呑み込み、まるで水が凍る過程のように、硬質化していく。
「未知、ちょっと見てみなさいな。ほら、ここよ」
「え? ここ?」
リリーに手招きされて、その闇の中央を覗き込む。
すると闇は徐々に形を作り、もぞもぞと蠢き始めた。でも、これだけだったら全体像を見るだけでも大丈夫だよね? わざわざ覗き込ませて、なにを見せたかったのだろうか。
「ほら、もっと近くよ。こっち」
「こっちって、リリー、これ以上近くには……」
「――ふふ、いいえ、これで充分よ。【闇王の楔】」
がちゃ、と、直ぐ近くで音がする。
驚いて後ずさると、リリーの手から闇が消えていた。というか……。
「なっ、なにこれ!?」
「ふふふ、良い、未知。人間で魔導術師のままでも侵入できる方法なら、これが一番安全なの」
安全って……いやいやいや、危ない人にしか見えないからね?!
よりによって、その、真っ黒で錠前つきの“首輪”なんて!
『なるほど、リリーのペットか』
「なるほど、じゃないわよ。うぅ、取れないのね」
「当たり前じゃない。けっこう便利なのよ? それ」
「便利……って?」
街に入れるようにするため、だけではないのかな?
そう首を傾げる私に、リリーは楽しげに微笑んだ。
「頭の中で、私に語りかけてみなさいな」
「頭の中で……って、それってまさか」
意識を集中。
魔力でも行ったことがある。
そのときと、きっと感覚は変わらない。
<伝言――こう、かしら?>
<ふふ、そういうことよ。巧いじゃない>
なるほど、伝言の魔導術をノーリスクで行える、ということかな。
悔しいけれど、確かにこのはぐれたらどうなるかわからない魔界で、はぐれるリスクが減るのは非常に嬉しい。
「さてさて、楽しくなってきたわね。さ、行くわよ」
『うむ。では我も、此度ばかりは堂々と乗り込もう』
「あ、待って、リリー、早い!」
いきなり置いていこうとしないで!
そう、慌てて追いすがる私を、リリーは楽しげに見つめるのであった。
――/――
紫の水晶。
紅の水晶。
蒼の水晶。
翠の水晶。
色鮮やかな水晶で覆われた、水晶の宮殿。
その玉座に、この世のモノとは思えないほどに美しい女が、性別どころか種族の垣根すら容易く越えて蕩かしてしまいかねないような、妖艶な笑みを浮かべて透明な水晶を眺めていた。
「ふふふ、そう、ようやく来たの」
脳髄を揺らすような甘い声。
豊満で蠱惑的な肢体。
妖しく濡れる双眸。
「――誰か、居る?」
「お嬢様、こちらに」
女のかけ声に現れるのは、白髪に白いヒゲの老紳士であった。
彼は悪魔の羽を器用に使って、腕と一緒に洗練された礼を見せる。ほれぼれするような完璧な礼だが、こと彼女においては、傍仕えに対する“最低限の教養”でしかなかった。
「今日はきっと記念すべき夜になるわ。けれど、あの子たちが私の元にたどり着くことも出来ないなんて、それはあまりにも可哀想」
「さすがお嬢様、お優しくあられます」
「ふふ、そうでしょう? だから、面会する機会を与えようと思うのよ。せっかくですもの、楽しい愉しい機会をね」
本当に優しい人間は、優しくする相手を退屈しのぎに利用したりはしない。
だがあいにく、この場にそれを教えるようなことができる存在もなく、彼女の言い分はあっさりと受諾された。
「して、催しのタイトルはいかがなさいますか?」
「うーん、そうねぇ。――ここは一つ、皮肉も込めて、可愛らしく」
「ほほう……では、どのような?」
「簡単よ。――今日この日を、私は“聖夜祭”と名付けましょう」
そう、愉しげに微笑む女に、老紳士は丁寧に礼を返し、消えていく。
これで手続きは完了。企みもとおり、女は嬉しそうに笑って、笑って、そして。
「さぁ、リリー。上手に母の下に辿り着けるのか、今からとても楽しみよ」
ひときわ妖しく、艶やかに、微笑みを浮かべるのであった。




