そのご
――5――
森林地帯。
その名の示すとおり、全てが森で覆われた場所だ。見かけるのは全て緑と虫と獣ばかり。魔虫、あるいは魔獣と呼ばれる生き物たちの天国であるようにすら思える。
その全てが地球のものより遙かに巨大であり、木の根に至ってはそれだけでリリーの体躯を越えるサイズなのだから、おそろしい。
私はポチの背で、流れゆく光景をあまり見ないように、あるいは考えないように、並走するリリーに顔を向けた。
「悪魔はいないのね?」
「ええ。悪魔たちは魔界の首都、“魔王領域”に暮らしているわ。もちろん、その他に暮らす変態もいるけれど、彼らは一様に面倒事を嫌うわ。他ならぬ“私”に近寄らないわよ」
「そ、そうなんだ。それにしても、首都、かぁ」
てっきり、無尽の荒野に魔王城がぽつん……かとも思っていたのだけれど、違うのね。
『首都ダイギャクテイか。懐かしいな』
「古い名ね。ポチも棲んでいたことがあるのかしら?」
『我は主に極寒領域アイライスと水晶荒野を根城にしていた。魔王任命の際に呼ばれたのみよ。ところで、古い名、とは?』
「あら? 知らないの?」
さすがに、魔界の話題にはついていけないなぁ。
そう、仕方がないので二人の会話聞くに留める。まだ、リリーもポチも魔界の情報を教えてくれていないからね。少しでも、自力で情報収集しないと。
だからこそ、一言も漏らさずにきちんと聞き留め――
「改名したのよ。“魔法少女領域リリ☆ラピランドに」
――って、え、は、んんんんん?!
「今、なんて?!」
「だから、リリラピランドに改名したの。だって、せっかく魔統王にすげ変わったのよ? 文句を言うやつもみーんなねじ伏せたら、快く納得してくれたわ。中には当時魔法少女から逃れた悪魔もいて、彼ったら、人間界に訪れては厭がる幼児に無理矢理踏んで貰って、満足して帰るというくらい傾倒しているのよ?」
「聞きたくなかった!!」
あわわわ。
もしかして魔法少女モードで首都とやらに行ったら、大変なことになるんじゃないのかな?!
魔界ってこんなのばっかりなの? ポチはポチで相当なキワモノだし、ワル・ウルゴもアレだったし……もうやだ、早く用事を済ませて帰りたい。
『む、ボス、そろそろ“切り替わる”ぞ、身構えろ』
「え? え、ええ」
言われて、身構えて。
森が拓けていき、目の前に赤茶けた土が見えて。
「っ!?」
急激に、温度が、変わった。
『これより先は火山地帯トロンドンだ』
「ふふ。どう? 面白いでしょう?」
「お、面白いっというか、これは!?」
異界の起源は悪魔にある。
悪魔が死の間際に顕現する場所。それが、異界だ。それはつまり、悪魔の根底にこの魔界の風景があると言うことに、相違ないのだろう。
なるほど、と、納得せざるを得ない。階層が変わって世界が換わるような感覚。悪魔たちはそれを、日常的に知っていたということなのだろう。
肌に触れる気温は、そよ風から熱帯へ。喉の奥を、蒸発した水分が焼くような感覚。赤茶けた大地には、どろどろに溶けた岩石――溶岩が、流れ出していた。
「っ~【速攻術式・体気温平温調整展開陣・展開】!!」
即席魔導で気温を調整。
異界なんかよりも遙かに暑く鋭い気候は、たいへん、危険だった。
「軟弱ねぇ。将来はここでお母様と三人で暮らすのに、そんなことで大丈夫?」
「可能な限り良いおうちを用意するので、おかあさまにお越しいただけないかしら?」
「ふふ、殊勝ね。良いわ、話しておいてあげましょう。“未知がプロポーズを受けてくれた”、とね」
「えっ、今のそういう話だったの?!」
リリーはからかっているのか本気なのか、解りづらい。
いや、さすがに結婚の了承は出来ないけれどね? もちろん、家族の希望は可能な限り聞いてあげたいから、魔法少女時代に貰ったは良いけれど突き返すことも使うことも出来ず、ついつい放置してあるアメリカドルで、可能な限りの豪邸を建てるのはやむなしとしても。
「ふふふ、楽しみね、お母様も喜んでくださるに違いないわ」
「いや、リリー? 結婚はしないわよ?」
「っ……そう、そうやって、弄ぶのね」
「そそそ、そうじゃなくてね?!」
「――……ええ、ええ、解っているわ。所詮、私なんて遊びだったのよね?」
「だから、そんなつもりはなくて――って、笑ってる?!」
「ふ、ふふっ、なんのことかしら?」
ぐぬぬ、やっぱりからかわれているのね……。
はぁ、サーベに言われた“鈍感ポンコツ天然”の意味、ちゃんと考えた方が良いのかなぁ。
『ボス』
「ぁ、ごめんなさい、ポチ。なにか見えた?」
『うむ、最初から我が背に桃源郷――ではなく、見ろ、山がもう一つあるな?』
「ええっと……ぁ、雪山? ぇえ、寒くなるのね……?」
あからさまに火を噴き上げる活火山。
その奥に、まるで温度など感じさせないように雪を降らす、豪雪地帯。気候もなにも、物質世界の法則と違いすぎないかしらね……?
『うむ。我が背にも幸福に満ちし二つの丘――ではなく、あの山間が目的の場所へと続く道だ』
「ポチ? さっきから何を言っているの?」
『わふ? 道案内だと言ったはずだが?』
そうなのかな。
なんだか、誤魔化されているような気がするけれど……まぁ、良いか。
「私は未知が心配だわ」
「そうかしら?」
「ええ、そう。ポチはあとで締め上げるから良いとして」
あ、やっぱりセクハラか。
ポチはほんとうにどうしてくれようかと、ため息と共に眉間を揉む。皺になったらどうしよう。
『ボ、ボス、このままでは日が暮れる。飛ばすぞ!』
「あ、ちょっと! 目の前、目の前!」
速度を上げようとしたポチを、私は無理矢理押しとどめる。
火口から“溶岩浴び”を終えたところだったのだろう。鱗の端々に黄色く燃焼する溶岩を張り付けたドラゴンが、風呂上がりの一杯でも求めるかのような目で下降してくる。
『む、火山竜か。我に任せろ』
「できるの?」
『うむ』
ポチの背から降りると、ポチはゆっくりとドラゴンに歩み寄る。
――いや、それにしても大きい。見上げると首が痛くなりそうな巨体は、三階建てのビルくらいだろうか。
真っ赤な体表に大きな角。巨大な翼の根元には、鈍色に輝く宝石。って、宝石?
「リリー、あれは?」
「妖力珠のことかしら? ――あれは、高位の悪魔や魔獣が潜在的に宿す、“武器”よ。ポチや私のように持っていない悪魔の方が多いのだけれど、効果は……ふふ、まぁ、見てなさいな」
? 見ていろ、ということなので、とりあえず視線を戻す。
ポチは威厳たっぷりに歩み寄り、鋭い目でまっすぐとドラゴンを見る。ドラゴンもまた、威厳という意味では負けていない。のっしりと歩き、口の端から炎を噴き上がらせながらポチを見る。竜と狼。本来ならばドラゴンの方が遙かに格上であるようにも思えるが、そこはさすが、元“魔狼王”ということなのであろう。
空の王と陸の王。二つの視線が絡み合う果てになにがあるのか。私は知らず、ごくりと生唾を呑み込んだ。
そして。
『わんわん!』
『がう? がう』
『わふ。わんっ』
『がおー、がおー』
『わんっ! わふ?』
『がぅ。がう、がおー』
『わふぅ……。わん!』
どっと、疲労が押し寄せた。
だから! なんで! こう! いつもいつも!
和やかな空気に水を差すわけにもいかず、項垂れる。そんな私に、リリーは楽しげに笑いかけてきた。
「ふふ、交渉が決裂したことに落ち込むのはわかるわ。でも、妖力珠を見る絶好のチャンスじゃないかしら?」
「それは――えっ、決裂?」
「それはそうよね。――“おまえの雌をどちらか片方寄越せ”だなんて、身の程知らずにも程があるわ」
それは確かに身の程知らずだ。リリー相手にそんなことを言うなんて。
……って、よく二人がなんて言っているのかわかったのね、リリー。
「良い? 未知。一つレクチャーしてあげる。魔界の中でも、妖力珠を持つモノはごくごく一握りよ。そしてその一握りは、自然と淘汰されていくの」
「淘汰? ええっと、強い力を持つモノは、おのずと敵を呼び寄せる、ということかしら」
「五十点。もう半分、足らないわ」
もう半分?
首を傾げたとき、ちょうど、ドラゴンが咆吼をあげるところだった。
耳に響くびりびりとした震動。ドラゴンの咆吼はそれ相応の威圧感があったが、しかしポチはそれに怯まない。真正面から咆吼を受け、悠然と佇む様はまさしく“王者”であった。
『グォオオオオオオオオオオォオォッ!!』
「正解は――【闇王の重鎚】」
『ギャンッ?!』
その、たっぷりの余裕を、リリーはただの一撃で吹き飛ばす。
漆黒の柱が真上からドラゴンの頭を叩き潰し、ドラゴンは数度痙攣して動かなくなった。……あの、ポチの出番は良かったのかな? わんわんと吼えて交渉決裂して、そのまま終えてしまった。心なしか、出番を全てかっさらわれたポチの背中が、すすけているようにさえ見えた。
「ほら、見てご覧なさい」
リリーが指さした先。
ドラゴンの妖力珠がさらさらと消え、リリーの中に吸い込まれる。その妖力珠を、リリーは指を弾いて出現させて見せた。
「他人の妖力珠を、奪えると言うこと?」
「妖力珠は、より相応しい、強い持ち主を選ぶの。でも、あの程度のドラゴンを主と認めていた妖力珠なんて、たいしたことは無いでしょうね。ほら」
リリーがそう、腕輪になった妖力珠に妖力を込める。
すると、黒色だった妖力珠が血のような深紅に変化。発光と共に、リリーのドレスに“溶岩の鎧”を纏わせた。
「ほら。この地から抜けて極寒地帯に行けば、それだけで役立たずになるような能力よ? 井の中の蛙でしたのね、あの、羽根付きの蜥蜴は」
『それよりリリー、我にもう少し、こう、出番を、な?』
「あら、いましたの? セクハラ駄犬は前座で充分だと思うのだけれど……不満があるのかしら?」
『ないワン』
ポチ……。
リリーはため息と共に、妖力珠を掴む。そして、それをおもむろに砕くと、改めて取り込んだ。
「んっ……こうやって、いらない妖力珠は純粋な妖力として還元、器を大きくすることに使えるのよ。格下の妖力珠なんかいらないから、こうして取り込んで」
「その度に、ただでさえ少ない妖力珠が、減っていく?」
「そ。で、わざわざ説明したのには、もちろん理由があるわ」
「理由?」
首を傾げると、説明に疲れたとばかりに、リリーがさがる。
そこへすかさず、丁寧に躾がされた室内犬のような俊敏さで、ポチがすくっと立ち上がった。
『うむ。かの魔玲王、リズウィエアル・ウィル・クーエルオルトは、あらゆる財宝の“コレクター”だ。即ち、強力な妖力珠の全てを貢がれている、と、考えた方が良い』
「まず間違いなく、お母様に対価なしでお願いを聞いて貰おうというのなら、お母様の暇つぶしと退屈しのぎに尽力することは確定事項よ。目の前で出されて驚かないよう、注意しておきなさいな」
「……なるほど。ええ、わかったわ。肝に銘じておくね」
「ふふ、そうなさいな」
悪戯っぽく笑うリリーに苦笑を返して、私はまた、ポチの上に跨がる。
火山地帯、そして極寒地帯。間に広がる場所に、いったいなにが待ち構えているのだろうか。私はぎゅっと服を掴んで鼓動を抑え、誤魔化すように前を見据えた。




