そのよん
――4――
夜の東京湾。
ポチの先導に従って、私たちはついにその場所にたどり着くことになった。
『ボス、見えたぞ』
「あ、ポチ」
黒い身体の、成犬フォーム。
狼の魔獣、ポチは、先を見据えてそう告げた。
……操舵室で人工知能に指示を与えていたから、存在を忘れていた――なんてことはないよ? ええ、もちろん覚えていましたとも。
『“そういえば居たんだっけ☆”という顔をしたな? ボス』
「していませんし、☆なんかつけませんからね!?」
『口調が変だぞ、ボス。やれやれ』
「ポチ、帰りは遠泳してみる?」
『入口が見えたわん!』
もう! 直ぐ、犬の振りして誤魔化して!
じとーっと冷や汗をかくポチを睨み付けてから、ポチの言う入口とやらを見る。
するとそこには、唐突に岩場があり、ぼんやりと光っているようだった。
『夜、それも三種類の力がある状態でしか観測できない現象だ』
「三種類?」
『妖力、霊力、魔力……であろう? 我のように鼻が利けば、観測する必要は無いが』
「なるほど」
つまり、魔力がない時代は、天力がその役割を負っていたということなのだろう。
近づいて、自動操縦がちょうど良い位置で停止する。さて、ここからどういう手順にすればいいのやら。ポチを見ると、ポチはこくりと頷いた。
『まずは我が空間に“ひずみ”を作る。それを、術者たちで固定してくれ』
「ハイハーイ。それならまずアタシが、この場所を支点に“縁”の構築をするわねぇ」
そう、馨は私とリリーとポチを並べる。
リリーも、構築とやらには興味があるのだろう。面白そうに馨を見ている。
「【大穴牟遅大神、みさちはえませ 結びの大神力振りたまひ。我が友に縁の糸を結び結ばしめ給へ】」
そう、馨が三礼四拍一拝する。
すると、馨の霊力と言霊と祝詞が合わさり、私たちの腕にミサンガのような橙色の結び紐が巻き付いた。
「はぁい、終わりよ。これは実体ではなく縁か可視化しているだけだから、千切れる心配は無いわ。存分に、暴れてらっしゃいね♪」
「暴れるとは限らないけれど……ありがとう、馨」
「ふふ、どういたしまして」
これで、いざ迷子になったとしても大丈夫ということだろう。
迷子になるつもりはないけれど、“道に迷って帰れない”という心配をする必要がなくなっただけでも、随分とありがたい。
「じゃ、次は僕らの番だね。準備はどう? 春花」
「はい、お兄さん! 目醒めて、“白夜の聖騎士”」
そう、春花ちゃんは心臓に手を当て、白い花のような紋章から剣を抜き放つ。
それは“向こうの世界”で見たときと相違ない、煌びやかな西洋剣であった。
「ポチ」
『うむ。行くぞ――わんっ!』
ぐっと身構えて。
ポチが一鳴きして。
「へ?」
たったそれだけで、空間に“ひずみ”が出来た。
あれ、たったそれだけで良いの?! み、身構えてしまって恥ずかしい。
「なら、次は僕だね。契約執行、精霊術詠唱“二小節”――【大空の覇者よ、我が手に集え】」
七の詠唱に合わせて、ひずみが大きくなる。
すると、その向こう側――まるで、宇宙空間のような光景が、現れた。
「固定します! 白夜の騎士よ、遙か未知たる紫雲の空を我が手に宿せ、“紫空の騎士”! 空間、固定!」
白夜の聖騎士が光と共に変化。
紫色の宝玉を持つ、まるで音叉のような形をした剣だ。それを春花ちゃんが一振りすると、空間が紫色の光で固定された。
「騎士よ、守り手となりて――よし、これで、私が離れてもしばらくは大丈夫です! 今日は帰らなければなりませんが、二日おきに更新に参りますので、ご安心ください!」
「手間を掛けてごめんなさいね、春花ちゃん」
「いいえ! お姉さんのお役に立てて、嬉しいです!」
えへへ、と笑う春花ちゃんの、頭を撫でる。
うん、これはちょっと、失敗はできないね。
「さ、そろそろ出発するわよ、未知、ポチ」
「ええ」
『うむ』
「気をつけてねぇ」
「ご武運を!」
リリーの言葉に頷くと、すかさず馨と春花ちゃんがそう言ってくれる。
それから直ぐに、七も微笑んで頷いてくれた。
「頑張っておいで」
「ええ、ありがとう、七」
ポチの先導についていく形で、私たちは空間のひずみに思い切って飛び込む。
「すごい……」
すると、そこは宝石箱のようにたくさんの光がちりばめられた、美しい空間だった。
並んでいるリリーもこの光景には思うところがあるのか、楽しげに頬を緩ませている。
『光の一つ一つが異なる空間への入口だ。宇宙空間に生身で放り出されるか、剣と魔法とハーレムの世界に飛ばされるかは皆目見当が付かん。魔界の魔の字も拝まず迷子になりたくなければ、我から離れるなよ』
「ええ、わかったわ。【速攻術式・飛行補助展開陣・展開】」
「ふふ、ここで暴れ回ったら幾つの世界に被害が出るのかしら? 楽しそうね」
り、リリー。そんな可愛らしい笑顔の裏で、そんなことを考えていたんだね。
ポチについて、そのまま亜次元を移動する。すると、その先に、ひときわ黒い穴を見つけた。
これって、まさか?
「ポチ」
『うむ。飛び込むぞ!』
「ふふ、なんだか秘密の通路みたいで面白いわ」
真剣な様子のポチ。
楽しげな様子のリリー。
私はそんな二人から離れないように、揃って穴に飛び込んだ。
――鬱蒼と茂る木々。
――どこまでも晴れ渡る空。
――見たこともない巨大な芋虫。
「っ、ここ、が?」
果たして魔界とは、どんなところなのだろうか。
期待と不安をない交ぜにして飛び込んだ先は、まるで魔物の跳梁する“異界”のような光景で、私は想わずぽかんと口を開ける。
『うむ、懐かしい気候だ』
「ララリューイ? お母様の領域まで、少し遠くはないかしら?」
『入口はランダムだ。ミスルスィでなかっただけ良いだろう』
「ランダムなの。そう、なら、未知のことを思えば最適ね」
“驚かせるので教えません”。
そう、悪魔的な発想で知識無く、しょうがないので遠足のときのような完全武装で来た私は、話について行けずにぽかんと固まる。
というか、もっと荒々しい場所を想像していたのだけれど、なんというか、意外に普通だ。いや、動植物はやたらと巨大だけれど。
「ふふ、驚いたかしら?」
「ええ、とても」
「でも、驚くには早いのよ?」
「えっ」
まだ、驚き足らないというのだろうか。
いや、リリーとポチのことだから、おいそれとは教えてくれないのだろうけれど。
「良い? 未知。今私たちがいるのは、森林地帯“ララリューイ”よ。ここから北西に進むと、お母様の居城があるわ」
「北西、というと……まさか」
太陽の位置からだいだいの方角を割り出して、北西であろう方向を見る。
そこには、ぐつぐつと煮えたぎる山頂が見えた。というかアレ、火山だよね?!
「そうそう。あの火山の裏よ」
『よし、ボス、我に乗れ。リリーはどうする?』
「浮いていくから心配ご無用、ですわ」
『心得た。ボス』
「ええ。“限定解放”」
ポチの姿が馬よりも大きくなると、私はポチの背に跨がった。
「火山地帯トロンドンを抜けて、極寒領域アイライス方面へ、ね」
『うむ。それで問題あるまい。ゆくぞ!』
「ポチ、私に指示だしなんて良い度胸ね?」
『わふ』
リリーの単調な声に、ポチはそっと口を噤む。
――なにはともあれ。魔界へは無事たどり着いた。あとは、怯むことなくリリーのお母様と対面するだけだ。
(格好悪いところは、見せられないからね)
そう、己に告げて、
私たちの魔界攻略が、幕を開けた。




