そのいち
――1――
――関東特専・養護室。
ベッドに腰掛ける私に、リリーがそっと近づく。
とん、と押される肩。抵抗もなく、ベッドに沈む私。咄嗟に目を逸らすと、リリーは艶やかに微笑んだ。
「ねぇ、未知。手、どかして?」
「でも……」
「ふふ、だぁめ。あなたから頼み込んできたのよ?」
そう、言われてしまうと反論することが出来ない。
身体を隠すように置いていた両手を、そっと開く。すると、リリーの細い指が私の鎖骨を撫で、そのまま、喉から、真下へと滑っていく。
途中、スーツのボタンが邪魔だったのだろう。引き裂こうとして、それから、思いついたように指を止めた。
「自分で外しなさい、ね? 未・知」
「いじわる……ぁ、ま、待って、外すから」
「それでいいのよ。もう、手間を掛けさせないでちょうだいな」
自分で外すのは、なんだか気恥ずかしい。
けれどスーツを破かれたらコトだから、顔に熱が集まることを自覚しながらも、自分の手で外していく。
「あ、あんまり見ないで、リリー」
「ばかね。見るに決まっているでしょう?」
「うぅ……」
決まっているって、なんで、とか、浮かんでくる言葉が羞恥で紡げない。
「ああ、もしかして、オーディエンスが気になるの? 良いじゃない、可愛い未知の姿を見て貰いましょう? どうせ、犬とカボチャよ」
「犬はともかく、その、カボチャには見られないわ」
「ふぅん? らしいわよ? カボチャさん。ちょっと目を逸らしたらどうかしら?」
リリーが悪戯っぽくそう言うと、カボチャ……と呼ばれた青年は、すっと手を挙げた。
「僕のことはお構いなく」
『見ない内に図太くなったな、弟殿』
「ちょっと、“向こう”から“僕”の記憶を受け取ってね」
『わふ?』
え、あの、鋼の要塞で交わした“加護の口づけ”って、そういう?!
あれから二週間も経って知った衝撃の事実に、思わず動揺する。え、だって、告白後の時ならまだしもあのときは、ただのセクハラかとばかり。
「ん? ああ、そうだね。他の人よりも鮮明に受け継いだのは、アレのおかげだね」
「他の人より……って?」
「あれ? 母さんに聞いていないかい? “ご褒美に、得た絆の分だけ並行世界とリンクする”って。記憶は無理でも、感情――好きとか嫌いとか、“なんとなく懐かしい”というレベルで受け継いでいるはずだよ」
「へぇ、それなら今度、拓斗さんに頼んで――きゃっ」
刺激。
思わず見れば、少しだけ機嫌の悪くなったリリーが、私の首筋に歯を立てていた。
「私に組み敷かれているのに、他の女のことを考えるなんて」
「え、何故、女の子だとわかったの?」
「あなたが自分から殿方に粉を掛けるはずないでしょう?」
「未知は、鈍感でポンコツで天然だからね」
「七までひどい?!」
さ、サーベみたいなことを言われるとは。
ポチはポチで頷いているし、いったいなんだというのだろう。
と、いうか、そもそもね?
「ところで、その、リリー?」
「なぁに? 私の未知」
「僕のだよ」
「リリー、七、私は私のものだからね?!」
って、いや、だから、そうでもなくて。
このままだと延々とリリーたちのペースに巻き込まれてしまうので、慌てて口を挟んだ。
「“魔界に行ける程度の加護があるのか確認する”ということだったわよね? その、失礼だけれど、まだ終わらないの?」
「終わってるわよ? これは私へのボーナスタイムよ、未知」
「えぇぇっ、だったら脱ぐ必要ないよわね?!」
「もう。私へのサービスタイムがそんなにイヤ? 悲しいわ」
「ええっと、その、今度いっしょに、デートをしましょう?」
「しょうがない子ね。それで我慢してさしあげるわ」
私の上から退いて、ふわりと浮き上がったリリー。
ベッドの隣に腰掛けた彼女を尻目に、慌ててボタンを留める。
こんな姿、誰かに見られたら大変だよ……。
「魔界への移動にはどこを経由する?」
「新宿のゲートは、大きさが足らないのよねぇ」
「広げてあげましょうか? 広がりっぱなしになるけれど」
「リリー、それはちょっとまずいわ……」
魔界へのゲート。
それもまた、困った問題だった。当初は精霊界から界を跨いでいけないものかと思ったのだけれど、精霊神アリア――七のお母さんの話によると、私を“試練”という形で並行世界に飛ばし、戻すのでけっこう力を使ってしまったのだとか。
あの経験は私にとって、本当にかけがえのないものだった。だからそれに対しては、“そういうことなら”としか言えない。でもそうすると、代替え案をどうするか、なんだよなぁ。
『魔界にいける加護があるのであろう? では、亜次元からの侵入を試みてはどうだ?』
ポチが、そう、何気なく提案する。
それに、私たちはきょとんと首を傾げた。
「ねぇ、ポチ、それってどういう……?」
『む。知らんのか』
見回しても、リリーも七も要領を得ないようだ。
――“亜次元”。これそのものは知っている。現世にある精霊界への入口や、通り道。それから、異界というのも亜次元の一種だという。つまり、独立した世界と世界を繋ぐ、なにもない空間のことを言うのだとか。
『通常は、我らのような個体が気ままに人間界に遊びに行くための道だ。やたら入口が強固な天界と違って、魔界は緩いからな』
「え、でもそれなら、ワル・ウルゴは何故新宿にゲートを?」
『大軍向けではないからだ。せいぜいが二人。子供ならもう一人いけるだろう。存在は知っていたことだろうが、大勢で少しずつ通しても辿り着けずにはぐれたら、永遠と彷徨う可能性がある。ワルの次元剣“パンデモニウム”なら、大きなゲートを開くことも容易いからな。直接ゲートを築いた方が何十倍も楽なのだろう』
「な、なるほど。え、でもそれだと、私たちも迷ったらコトではないかしら?」
『ボスよ。そのために、我がいるのだ。なに、鼻は利くし道順も覚えている。ボスとリリー程度だったら、引率くらいは容易い』
た、容易いんだ、そっか……。
魔界への加護――即ち、高位次元の中へ進められる加護だ。
それなら、亜次元へ移動できるのも頷ける。
『我とリリーとボス。これでちょうど良いだろう。一応、入口は安定させておきたい。弟殿、心当たりは?』
「次元系異能者? 僕もやれるけれど、そうだね、念を見るのならもう一人居れば安心じゃないかな?」
七はそう、コーヒーを片手に何気なく告げた。
次元系異能者か……。それならやっぱり、クロックかな? 魔法少女姿を見せるぞって脅せば、えづきながら協力してくれそう。
――あ、どうしよう、心が折れそう。いや、そんなことではまず、変身できないのだけれどね? 掟で。
「クロックにでも協力させようかしら?」
「クロックは今、メイド研修で海外だよ。それに、リリーが無事では済まない」
「あら? 七は私が未知以外に敗北するとでも思っているのかしら?」
「ロリコンなんだ」
「別のにしましょう」
リリーとクロックは、幸いなことにまだ遭遇していない。
このまま生涯会わずに済めば、それで良いのじゃないかとも思う。問題はクロックの能力封印なんだよね。万能性がものすごいから、来たるべき戦いまでには解除しておきたいのだけれどね。
「というか、それなら一人、応用力が高い異能者がいるじゃないか。頼んでみるのはどうかな?」
「応用力の高い異能者?」
「そう。次元系の力“も”持っているだろう? ……あれ? “向こう”では使っていなかったかな?」
話しについて行けず、首を傾げる。
そんな私を見て、七は得心がいったように頷いた。次元系で、“向こう”? それこそサーベ……七が、そういった意味ではもっともそういった力に造詣が深かったと思うのだけれど。
「属性転換の稀少度Sクラス共存型――拓斗の、妹だよ」
告げられた言葉に、ぽかんと口を開ける。
異能名“白夜の聖騎士”。あの世界での仲間であり、妹のように接していた少女。そしてこちらの世界でも面識のあった、拓斗さんの妹。
「春花ちゃん、が?」
「ああ。そうだね、今度、連絡をつけておこう。向こうの世界からの絆の共有で、僕もある程度は受け入れられるだろうしね」
東雲春花。
御年十三を数えたばかり。もうすぐ、中部特専で中等部二年生になろうかという女の子の、名前だった。
2018/08/21
誤字修正しました。




