えぴろーぐ
――えぴろーぐ――
――鉄錆の街。
鉄錆の街では、今、多くの人が訪れていた。
かつては無能者と呼ばれていた人間たち。彼らは人々の愛と正義と希望から生まれた幻想の神、“魔法少女”によって力を授けられた。けれど、その力の使い方がわからずに呆然としていたのだが、鉄錆の街――今、アルハンブラと呼ばれているその街で、魔法少女から下げ渡された古文書を解読した人間が居る、と、流布されたのだ。
そこで人々はこぞってアルハンブラに訪れて、サーベが急造で拵えた石造りの講堂で、講義が行われている。講師は当然、古文書を読み解いた人間……という設定の、私であったりする。
「――つまり、基礎術式その一【術式開始・形態・展開】から、魔導術式は如何様にも応用できる、ということです。その、応用付加術式としてあげられる基本形三つ。これを【様式】、【付加】、【追加】といい、順番に全て付与すれば、三乗の効果が得られます。例えば――」
黒板に文字を書き連ね、それを、老若男女関わらず、様々な人間が書き写す。
「先生、形態の術式を抜いて様式を展開することはできないのでしょうか?」
「可視化すると顕著にわかりますが、形態は魔導陣の内円に位置します。ここを切り取ると、様式の術式を書き込む際にエラーを起こしてしまいます」
「先生、付加が展開できません。咄嗟に展開できずとも、複雑な術式を形成することは出来るのでしょうか?」
「できます。因数分解を思い浮かべて下さい。公式を当てはめれば簡単に解けるように、その逆も然り、です。もちろん突き詰めれば、【速攻術式】というさらに短縮した術式も捕まえます。ようは、全ての術式を並べてしまえばいいのです。例えば――」
「先生、術式持続が安定しないのですが、どうするのが良いのでしょうか?」
「術式で言うのなら、【術式持続】を使うと良いでしょう。この上で、【展開陣】を用いると、術式は安定し、展開効率が上がります」
生徒たちは、みんな、とても熱心だ。
それまでは異能者の影で怯える日々だった。そう、私に頭を下げて喜んでくれた方もいたほどだ。これまでずっと苦しんできたことをバネに、新しい希望へと飛びついている。
そのエネルギッシュな姿には、敬意を払うと共に見習いたいと思わせる魅力があった。
「――それでは、本日の講義はこれで終了です。明日は応用講義に入りますので、皆さん、解読古文書の二十四ページから三十二ページまでを予習しておいてください」
『ありがとうございました』
早速今回の復習を始めるみんなを尻目に、講堂から出る。
そうすると、子供たちに囲まれる、見慣れた黒頭巾が視界に映った。
「もう、まだその格好をしているの?」
「おいおい、少なくとも格好についてはおまえに言われたくねぇよ。ほれ、おまえら、散った散った」
「はーい、アルさまー!」
散り散りに離れていく子供たちをぶっきらぼうに見送りながら、アルはやれやれと首を振る。その仕草がなんだか面白かったので、失礼なことを言ったのは見逃してあげよう。
「すっかり人気者ね、サーベ」
「ハッ、先生殿には負けるさ」
「あまり嬉しくないわ。帰らないとならないのに」
「目処がつくまで居るんだろ? ほら、アリスと春花が家の間取りを持ってきたぞ」
「三人寝られるベッド? ……永住させる気でしょう、これ」
「はっはっはっ」
――本音を言えば、この世界の行く末を見守りたいという気持ちは、強い。
これだけ向き合ったのだ。そう、思う部分もある。でもそれ以上に、向こうに残してきた人たちの元へ帰りたい。
……の、だけれど、あのあとなぜだか直ぐには戻れず、あれから一週間が経ってもまだここにいる。きっと、中途半端にせずに、きちんと魔導術を教えろ、ということなのだろう。
「なぁ未知、別の世界のこと、聴いても良いか?」
「……なにが、知りたいの?」
「ハッ、警戒すんな。人様の悲劇を掘りかえそうだなんて思わねぇよ」
「そう、よね。それで、聴きたいコトって?」
サーベに連れられるまま、屋上に連れてこられる。
ずっとどこか戦闘の緊張にあったこの場所も、今は見渡す限りの青空と活気ある住民の声が、周囲を包み込んでいた。
手すりに体重を預けるサーベ。いつの間にかコートやマスクは外していて、反転した七の表情がよく見えた。
「他人のことなんざ、知ってもしょうがねぇ。ただ、オレはどうしている?」
「なるほど、サーベらしいわ。……あなたは、私の勤めている学校の養護教員よ」
「オレが?! はぁ、変わるもんだね。で? おまえとの関係は?」
「あなたは私の弟分よ」
「……見栄を張りたいのはわかるがな? そんなポンコツで姉は無理があるだろ」
「ちょっと、どういう意味よ」
本当に、失礼だ。
私がちょっと声を荒げても、生易しい目で私を見るだけ。そのままため息までつくのだから、たまらない。
「で、ツガイはいるのか?」
「いないけれど、それが?」
「そんなことだろうと思ったよ。だからほれ、加護をやる」
「――ぇ?」
そんなことって、どんなこと?
告げようとした言葉は、引き寄せられたサーベの行動で防がれる。
ついでに文句も言えなくされて。
「んっ――っ……ぁ」
抱きしめられて。
唇を重ねて。
濡れた瞳に、真剣な表情。
赤と黄金の双眸。
その中に居る顔を赤らめた私の姿に、目眩すら、覚える。
「未知」
唇が離れて。
返事を持たずにまた、唇を重ねられる。
引き寄せられる腰。熱を孕んだ瞳。力強い腕。
「未知」
息をすることも、かなわなくて。
「未知」
愛おしげに呼ばれる声に、溺れていくように。
「未知」
熱が。
幾度となく。
「み――」
「セクハラ両断剣」
「――ちだッ?!」
両断され……えっ、両断?
べりっと私たちを引き裂いたのは、額に青筋を浮かべた馨だった。そして、頭を抑えて蹲るサーベの後ろで、すたんっと手刀を降ろしたのはアリスちゃんのようだった。
「もう、あんな不意打ちひどいわ! 乙女の口づけをなんだと思っているのかしら?! ねぇ、未知!」
ぷりぷりと怒る馨に、苦笑しながら窘める。
「えっと――それはともかく、ありがとう」
「いいのよん。さ、未知、アタシで口直し」
「いつつ……バカ野郎。どうしておまえが口直しになるんだ」
「起きたのね、セクハラ魔」
「誤解すんな。オレはちょっと加護を与えていただけだ」
悪びれもなく言い切るサーベ。
きぃぃっとハンカチを噛む馨。
ぽんぽんと背を叩いて、慰めてくれるアリスちゃん。
「あんなのは放っておいて、行こう。良い茶葉が手に入った」
「ええ……ふふ、そうね」
喧嘩をする二人を放って、屋上から歩き去る。
――なんだか、妙に早い鼓動を誤魔化してしまったようで、気恥ずかしい。
なんとなく、自分で唇を触れようと手を伸ばして。
「未知?」
「……いいえ、なんでもないわ」
「そう?」
あげた手が、一瞬、薄くなった。
そうか、そろそろタイムリミット、なんだ。基礎だけでもちゃんと教えきって、それから、ああ、そうだ、凛とチョコレートを作る約束もしていて、あとは……。
「この一瞬を、大切に」
そう、自分に言い聞かせて。
それから。
さらに三日ほど経ってから、ついに、“ああ、そろそろだ”と、感覚でわかった。
いつものように食堂で食事をして、最後の講義は色々なことを盛り込んで、ついでにとっておきも見せて。
お昼から色んなトコロへかけずり回って、みんなにそれとなく挨拶をして。
「……色々あったなぁ」
一人、夜の屋上で、佇む。
なんとかかんとかアリスちゃんと春花ちゃんのベッドから抜け出して、置き手紙をしてきた。全員分色んなメッセージを込めて、ただ、私がみんなことが大好きだって伝わるように。
「これで、終わり、か」
空に手を透かす。
もう、目をこらさなければ輪郭をたどれない。
やりきった、とは言い切れないけれど、後悔はない。
だから、このまま――
「見送りもさせないとは、相変わらず水くせぇ女だ」
――掛けられた声に、振り向いた。
屋上の入口に佇む、サーベの姿。その後ろには、向かって右から、馨、テイムズさん、凛、春花ちゃん、アリスちゃんの姿。
気がつかれていたのだろう。焦った様子もない。
「手紙なんかじゃなくて、顔を見て言え。――引き留めたりはしねぇから、せめて最後だけは、な」
「サーベ……ごめんなさい。――いいえ、ありがとう」
歩く、ことは、まだできる。
だから歩いて、私は馨の前に立った。
「行くのね、未知」
「ええ。今まで、ありがとう、馨」
「んふふ。いいのよ。どんなあなたでもとてもステキで、それはいつも、アタシたちの元気の源だったわ。元の世界に戻ってアタシに会えたら、仲良くしてあげて」
「――私も、いつもあなたの明るさに、励まされてばかりだった。ありがとう、馨」
額に口づけて、頬に口づけを返される。
笑い合って離れて、今度はテイムズさんの前に立った。
「色々と、その、お手数をおかけしました」
「本当だよ。君は、びっくり箱のようだった」
「うぅ、その節は、その、ごめんなさい」
「いや、気にするな。正直に言えば、次はなにをしでかすのか、楽しみでもあったよ。未知、君のおかげで世界は救われた。ありがとう」
「救ったのは、皆さんです。みなさんの。愛と希望が救ったんです」
「くくっ、そうか。本当に、君は欲がない。未知、君の美徳を私は愛そう。元の世界でも、頑張るといい」
「はい――テイムズさんが居てくれて、支えてくれて、とても心強かったです。ありがとう、ございました」
柔らかく微笑むテイムズさんに頭を下げて。
それから、今度は凛の前へ。
「もう、行ってしまうのね」
「ええ。結局、一度しか、一緒にチョコレートを作れなかったね」
「本当よ。でも、良いよ。あなたと過ごした日々は、全部、チョコレートよりも甘くて刺激的で、本当に楽しかったから」
「――私も、凛と過ごして楽しかった。不思議ね、私の方がずっと年上なのに、姉と接しているようだったわ。ありがとう、私の相棒」
手を握って、それから離れる。凛とはそれで、充分だった。全て、伝わった。
そのまま横へ移動して、次は春花ちゃんの前へ。
「うぇぇぇ、お姉さん、ありがとう、ございましたぁぁぁ」
「ああ、もう、ほら、涙を拭って?」
「あぅあぅあぅ、ごめんなさい。わ、わたし、私も、お姉さんが、本当のお姉さんのようで、うぇっ、たのしかったです!!」
「私もよ、春花ちゃん。――本当に妹が出来たみたいで、嬉しかったわ」
春花ちゃんの涙を拭って、目線を合わせて微笑む。春花ちゃんはそのまま私に抱きついて、小さな声で“だいすきです”と言ってくれた。
そして、次は、アリスちゃんの番だ。
「未知」
「……アリスちゃん」
「あなたのおかげで、大事な物を思い出せた。きっと、未知が居ないと忘れたままになっていた。未知――私は、未知のおかげで、私になれた。例え世界が違っても、ずっと、好きだよ、未知」
「アリスちゃん……。ありがとう。でもね? アリスちゃんがずっと傍に居てくれたから、もっと頑張ろうって思えたんだ。だから、お礼を言うのは、私だよ」
額をコツンと合わせて、泣きそうな顔に、アリスちゃんは柔らかな微笑みを浮かべてくれた。
そして、最後に。
「未知――最初からどうにも、おまえは突拍子もなくて鈍感で天然でポンコツで、気がつけばいつも目で追っていたよ。おまえの行動全部が楽しみで、次になにをしてくれるのか期待していた。なぁ、未知、本当に、帰るのか」
「……ええ」
「そうか。なら、一言だけ良いか?」
「サーベ?」
「オレは、未知、おまえを愛してる」
息を、呑む。
それでも、この真摯な思いに、応えないと。
「ごめんなさい」
「ははっ、気にすんな」
「でも――すごく、気持ちは嬉しかった」
「おう――気にしないで良い。だからどうか、幸せになってくれ」
微笑むサーベに頷いて、私は大きくさがる。
もう身体はほとんど薄くなっていて、見えなくなっていた。
「さようなら、みんな。――あなたたちに出逢えて、本当に良かった!」
手を振って。
振り切れず。
涙を流して駆け寄る春花ちゃんとアリスちゃんを見て。
「ありがとう」
お礼に告げた言葉だけ、薄く、空に響いて消えていった。
――意識は闇へ。
――それから、眩い光へ。
――その果てに、美しい銀髪の美女を見た。
『あなたの試練、見届けたわ』
『精霊の試験を乗り越えることで、確かな加護が付与されたわ』
『その行いは異なる世界を救った、尊い物よ』
『だから、未知。少し、ご褒美をあげましょう』
『ほんの少しだけ、繋がりを作ります』
『本当に、ありがとう、未知』
――光は私を呑み込んで、そして。
「未知、未知! 目を覚ました? 怪我はない?」
私を心配そうに覗き込む、七の姿。
だから私は、七の頬に手を当てて、笑った。
「ただいま、七」
「ああ。お帰り、未知」
この一瞬が、ずっと続けば良い。
その平穏を守るために、戦おう。
だから、今は、せめてこのまま。
この優しい時間を噛みしめるように、私はそっと、微笑んだ――。
――To Be Continued――




