そのに
――2――
喧噪からやや離れて、路地脇の小さなレストランに身を寄せる。
手書きイラストで紹介されるパスタは、どれも可愛らしくて美味しそう。うーん、迷っちゃうなぁ。んふふふ。
「あ、あの、おねえさん」
「ん? 決まった?」
「あ、いえ、その、ボク、お金……」
「気にしないで。今日はおねえさんの顔を立てて、奢られてくれないかな? お願い」
「……はい、その、いつか必ず、このご恩はお返しします!」
お腹を空かせて。
でもそれ以上に、思い詰めた顔をしている少年。
なりたくてなった教師のサガか、お節介だとわかりつつも、放っておくことはできなかった。
「うん。楽しみにしてるね?」
「あぅ……」
そう、微笑みかけると、少年は顔を赤くして俯く。
初心だなぁ。年上の女性とお話しする機会が、そんなになかった子なのかな?
「で? どれにする?」
「あ……え、ええと、こ、これで!」
慌てて彼が選んだのは、昔ながらのナポリタン。
私はそうだなぁ。今日はボロネーゼでも食べようかな。
と、店員さんを呼んで手早く注文。さて、お話、聞けるかな?
「あなたは、なんて呼べば良い?」
家出か、遠出かわからない。
だがこういう子にまず名前を聞いてしまうと、警戒されてしまうことがある。単純に有名だから知られたくない、という子も居るしね。
そういった子には、呼んで欲しい名前を聞くのがベストだ。
「ぁ――彰、です。そう呼んで、ください」
「彰君ね。よろしくね。私は、そうだなぁ……未知、とそう呼んでくれたらいいわ」
「未知、さん」
名字を言いたくないのなら、やはりそれなりに有名なのかな?
単純に偽名ということもあるけれど。まぁ、合わせて私も名前で呼んで貰う。隠し事が共通だと、安心感も深まるからね。
さて、素直に事情を聞いても無駄かなぁ。うーん、どうしたものか。
「彰君は、観光?」
「――は、はい、その、はい」
そんなに戸惑われると、嘘をついていますと言っているようなものなのだが……ううむ、心配だ。
本当は親御さんに連絡を差し上げるのがベストだろう。でも、おそらくそれは逃げられる。逃げられると、またさっきのように絡まれかねない危うさがある。さて、どうしたものか。
……というか、教師としての使命感はあれど、どうしてここまで心を砕いているのだろう?
なんかこう、すっごくほっとけない、というか……。
「今から、どこを見る予定なの?」
「え、えと、その、ぁ、そう、そうだ……東京タワーに行ってみたくて」
本当は、そんな予定はなかったことだろう。
でも、口に出したときの彼の声は、憧れと憂いに満ちていた。
諦め。
憧れ。
願望。
希望。
失望。
ああ、そっか。
「そうなんだ。それなら、おねえさんもご一緒してもいいかな?」
「え?」
「私もね、久々に行きたいと思っていたの。だめ? 迷惑なら――」
「迷惑なんてあるはずがありません!! ……っあ、す、すいません」
「――ふふ。いいえ。ありがとう、彰君」
「うぁ……い、いえ、こちらこそ、です」
出会ったばかりの頃の。
自分の人生に、性質に諦めてしまい、いつもおどおどとしていた頃の。
笠宮さんに、似てるんだ。
あー、うん、ふふ。
それなら放っておけないのも、頷けちゃうなぁ。
「――お待たせしました」
ウェイターさんが持ってきてくれたパスタを前に、彰君に笑いかける。
「なら、今日は一日観光巡りだね。腹ごしらえ、しよっか?」
「は、はい……!」
こうして、美味しそうに食べる姿を見ると……うん。やっぱり男の子だなぁ。
――/――
電車に乗って、空いてる席に座って、ネットで調べた東京観光スポットを見る。
なんだか前世を思い出す瞬間だが、前世と違う観光スポットもけっこうあったりする。その最たる者は、新宿都庁だろう。
都庁、と呼ばれるものは現在、渋谷駅の直ぐ傍にある。昔は新宿にあった。と、いうのも……。
「『魔王決戦場跡』?」
「ああ、それはね、かつての英雄と呼ばれた人たちが、魔王を打ち倒した場所にして、異次元との“ゲート”がある場所だよ」
観光には、近隣の特別展望台から見るほかない。
というのも、“ゲート”そのものは魔王を倒してずいぶん小さくなったのだが、現在も小型悪魔が徘徊している側面がある。
そのため、入れるのは警察機構の中でも特殊事例専門の部署、“特異能力及び魔導術師及び異界生物対策課”――通称“特課”の警察官か、特別な事態の時の、我々特専教師。
そして、特専二学期後半に控えた、第一学年最大のイベントで学年全員で遠征に赴く場合のみ。
「――だから、実質、特専の生徒たちは全員、この決戦場跡にいくことになる、ということなの」
「そう、なんですね――悪魔、か」
そう呟く少年の肩は、僅かに震えている。
やっぱりこの子、いや、早計か。詮索はまだ、いい。
「……こわい?」
「はい、その、恥ずかしいですけれど」
「恥ずかしくなんかないよ。怖いっていう気持ちは、すごく大切なものだよ」
「え?」
「怖いっていう気持ちが、命を繋ぐこともある。本当に大切な誰かのために戦うことは、すごく大事なことだよ。でもね? 大切な誰かが自分を思っていてくれているのなら、逃げることも大事なこと。だって、死んじゃったら――もう、還ってはこないから」
がらんとした家。
灯りの付いていない窓。
聞こえなくなった、声。
怖い、ということは、それは相手が自分の生命を脅かすものだということだ。
そんなものと戦わなくてもいい。死んでしまったら、もう二度と会えなくなる。
私が戦うから。私が、みんなを護るから、だからどうか逃げて欲しい――そんな、我がことながら独善的で身勝手な願いを抱いてしまっているのは事実だ。
「未知さん、は、失ったことがあるんですね……って、ごめんなさい、こんな! 無神経な、こと」
「ううん、大丈夫だよ。話し始めたのは私だしね。気を遣わせちゃって、ごめんなさい」
「いいえ! ボクの方が悪いんです!」
「ふふ、それならお互い様ということで、いい?」
「ぅあ、ふぁ、ふぁい」
笑いかけてそう言うと、彰君は顔を真っ赤にしてしまった。
電車に乗るとき、切符の買い方もわからなかったようだし……これはたぶん、お金持ちのおうちで、同年代の女の子にも遊ばせて貰えなかった……っていうパターンかなぁ。
それなら、こんなに初心なのにも頷けるな。うん、うん。
「……と、そろそろだよ」
「ふぇ……ふぁ、は、はい!」
「ふふ、手を繋ごうか?」
「へ? 手? てててて?! あわわわわ」
慌ててしまった彰君の手を引いて、旅行客で賑わう駅の構内を抜けていく。
せっかくこうして、巡り会えたのだ。楽しまなければ損だし、楽しんで貰えなければちょっと寂しい。
と、いうことで。
拒否権はたくさんあります。でも、もし一緒に来てくれるのなら。
今日はたっぷり、お姉さんと遊んでね?
明日の君が、笑顔でいられるように、なるために。




