そのにじゅうさん
――23――
戸惑いと、混乱。
重い沈黙が場を包む中、誰もが言葉を紡げずにいた。神さまとは、創造主とは、いったいどんなつもりでこの世界を生み出したというのだろうか。
平穏を壊した悪魔と、偽りの安寧を強いた天使。二つの種族から人間たちが受けた傷は、計り知れないものだ。多くの悲しみがあって、多くの痛みがあって、多くの後悔があって、多くの悲劇を繰り返さないために集ったサーベたちにとって、自らの世界の創造主が刻んだ傷跡は、どこまでも無念で残酷なものだろう。
「理解したか」
でも。
「大人しく頭を垂れ、首を晒すのであれば介錯くらいはしてやろう。そら、膝をついて――」
「黙りなさい」
「――なに?」
だからどうした。
私を救ってくれた、転生させてくれた神さまは、とても温かいお方だった。彼らが人間を理不尽に追い落とすことなど考えられない。別人であったのならば、納得だ。けれどもし、あの方とワル・ウルゴの語る“創造主”が同じ存在だったとするのなら。
「主の計画? 裏切り? 本当に創造主で、私たちが子であるというのなら、なぜなんの意志も示さないの? 何も言わず、身勝手なプランに巻き込んで、ただ殺して、悲劇を作る。それが神のやることだとは、信じられない」
もし、ほんとうにそれが神だというのなら。
「いたずらに私たちの運命を弄び、悲劇の上で高みの見物をするような存在を、私は神だと認めない!」
「運命を弄ぶ? 違うな。元より豚のように跪くことが、貴様たちの運命だったのだ!」
「それがあなたたちの示す運命だというのなら――この命、燃え尽きるまで、抗い続けるわ」
今、この場に居る私は、ちょっと小手先の技術を持つだけの、普通の人間だ。
異能者でも、魔導術師でも、ましてや魔法少女でもない、力なき人間だ。
けれど、弱いことを理由に屈したりはしない。自分の世界でないことに、逃げたりなんかしない。みんなの優しさに助けられてきた私が、与えられた幸福から逃げるようなことだけは、絶対にしてはならない。
だから、ワル・ウルゴから、目を逸らしはしない。弱い私でも、意志の力だけは、決して負けはしないのだと。
「――なるほどそうか」
「?」
「貴様が、羽虫共の希望か。なら、より、話は早い」
瞬きの間。
目の前まで瞬時に移動したワル・ウルゴは、剣ごと右手を振り上げた。
「おまえを消せば、希望は潰える。そうであろう?」
「ぁ」
ワル・ウルゴの右手の宝玉を軸に、プロペラのように高速回転する次元剣。とうてい剣としての扱い方はしていないが、だからこそ、避けられない。
それでも、目を逸らすことだけは、したくなくて。
「ああ、そうだな、おまえの言うとおりだよ。悔しいが」
だからこそ、目の前に飛び出してきた黒い影に、目を瞠った。
「サーベ!? ダメ、避けて!」
「【――――・――――】――ぐぁっ!」
高速詠唱。
ワル・ウルゴの背後に生まれた球体が、彼の体を吸い寄せる。おかげで両断されるルートからは引き離されたが、それでも、完全には引きはがせない。
次元剣は強固に張られたサーベの障壁をいとも簡単に切り裂いて、衝撃でサーベの身体を吹き飛ばす。
「サーベッ!!」
「ぐ、づぁッ……ぜん゛い゛ん゛、かかれッ!!」
私がサーベに駆け寄ると同時に、ミョルニルを構えたテイムズさんが突撃する。
「雷霆よ、打ち崩せッ!!」
欠けたミョルニルでも、その力は衰えないのか。
横振りの鎚は、ワル・ウルゴを攻撃すると見せかけて、次元剣の腹を叩いて逸らす。
「ぬぅ、小癪な!」
「アルの言うとおりだよ。彼女の言葉は、私たちに妙に響く。だからこそ、こうして奮い立たされたッ!」
瓦礫を背に、座り込んだまま動かないサーベ。
彼の傷口に霊力を注ぎ、止血をする。お願い、ああ、どうか……っ!
「情けないところを見せた。だからもう、止まらない。灼熱飽和、風雅絢爛――燃やして過ぎ去れ、業火の竜巻。“焔嵐”」
「焼夷の竜巻だと?!」
「父さんは浮気ばかりするひとだった。母さんも決して良い人間ではなかった。それでも、私には優しくしてくれた記憶しかない。そして、なにより、いつもぶっきらぼうで優しくて、変なことを言ってばかりだけど大切にしてくれた、血の繋がらない兄さん。みんなみんな、壊し尽くした悪魔たちを、私は許さない。それをもたらしたのが神なら、私は神を許さないだけだ――それを、未知に教えられるまで忘れていた私が、きっと一番、ばかなのだろうけれど」
アリスちゃんの独白は、深く、己に刻み込むようなものだった。
けれど、憤怒で語る言葉の裏に、昏い闇は見えない。ただ私を見て薄く笑ったその顔は、希望を抱いて抗う、覚悟と決意を抱いた戦士の横顔のように、見えた。
「ぐっ、ごほっ、ごほっ」
「ッ【快癒】! 聞こえる? サーベ? どうか、意識だけは保って。お願いだから……っ」
「づ、は、はは、情けねぇ」
回復霊術。
みんながワル・ウルゴを引きつけてくれている間に、私はサーベに治療術式を施す。
「退け、羽虫がッ!!」
「その羽虫に寝首をかかれるのは、あなたです。――聖騎士の剣よ!!」
「ええい、邪魔だァッ!!」
「邪魔なのは、あなたです! 私たちの、お姉さんとお兄さんの、人間たちの邪魔はさせません!!」
剣撃の音が聞こえる。
散らされた炎の竜巻から、飛び出るように現れた春花ちゃん。その腕に純白の剣を抱いて、一歩も退かずにワル・ウルゴと渡り合う姿は、まさしく騎士と言えた。
「いつも助けてくれた兄に、甘えてばかりだった私に、足手まといでしかなかった私に、ひとの温かさを取り戻してくれたみんなとの思い出を、壊させはしません! ――悪魔から人間たちを守るために、悪魔と一緒に次元の狭間に飛び込んだ兄の覚悟を、無駄にさせはしません!!」
「おまえたちの成すこと全てが無駄であると、何故気がつかない?!」
「無駄? アリスと、春花と、未知の覚悟の言葉を前に、その言葉を吐けるあなたの脳髄こそ無駄だと思わないのかしら? 春花、後退。――“爆王臨・滅界・重煉火”!!」
素早く飛び下がった春花ちゃん。
そんな春花ちゃんと入れ替わるように落ちてきたのは、闇よりも深い漆黒の球体。一つ二つ、四つ六つと増えたそれが爆発すると、轟音とともに施設のさらに上階が崩れ、また、部屋が広くなった。
「ぐぬぅァッ、ゴミ屑がァァァァァッ!! 次元剣よ、切り裂――ぐっ?! 身体が、動かん、だとォッ?!」
つんのめるように動きを止めるワル・ウルゴ。
その影に突き刺さるのは、十はくだらない、極大の釘。
「逃がさないわよ。この、悲しみだらけの世界で、子供も笑えないような世界で、あの子は希望を与えられる子なの。見失った愛を、優しさを、呪うしかない世界に光を与えてくれる子なの! だから――オマエみてぇな豚野郎に、傷つけさせるかよ、クズが!!」
「ぬぅぅぅ?! そんな、馬鹿な?! 先ほどまで、こんな力は無かったはずだろうッ?!」
「あらん? 知らないの? これが、愛の力なのよ♪」
「愛などと、愚かな言葉で、この魔王を侮るなッ!!」
釘を抜け、一つ抜く度にワル・ウルゴに赤い稲妻が走る。
拘束から抜け出すことに条件を設定した、呪いの類いだろう。その絶大な効果に、ワル・ウルゴは思うように動けていないようだった。
「ぐ、つ、はぁッ――【――ぃ】、つぅ」
「サーベ?! 無理をしてはだめ!」
「悪ぃ、未知、マスクを降ろしてくれ。“この世界”の空気は毒なんだが、マスクが血を吸い込んじまって詠唱できねぇ。だから、頼む、未知。今しかないんだ」
「ッ――わかった。だから、無茶はしないで」
「約束しかねるよ、クックッ、づッ、は」
震える手を叱責して、サーベのマスクを降ろす。
同時に、コートの、フード部分が落ちて、その顔の全てが露わになった。
その、決意に満ちた、顔は。
「我が意に応えろ、万物に宿りし精霊よ! 合わせろ、テイムズ!」
「ああ、存分にやれ。おかげで私も、妻と娘の無念を晴らせそうなのでなッ!!」
「ま、この高さなら、充分だろうよ。嘘っぱちの天使共。これぞ真実の、神の鉄槌と知れ――【天の使徒よ・神判せよ】!!」
ワル・ウルゴの上に生まれた積乱雲。
小規模のそれが光輝くと、ワル・ウルゴと積乱雲の間に、ミョルニルを巨大化させたテイムズさんが割り込んだ。
「オオォォォオオォォォォオオォッ!!!!」
そして、積乱雲から生まれた塔のような巨大な稲妻が、ミョルニルを包み込んで振り下ろされる。
「ば、か、なァァァァァァァッ?!」
轟音。
怒号。
衝撃で舞う、土煙と炎。
「は、ザマァ、見ろ。どうした? 未知。オレのかっこうよさに、惚れたか? ぐぁ、つぅ、ぐ、はぁ、はぁっ、はぁっ、くそッ」
顔を青くしながらも、心配そうに眉を寄せ、自分が一番苦しいはずなのに……私の頬に手を当てて心配してくれる。
ああ、そうだよね。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、どんなに自分が痛くても、どんな時でもあなたは、私に寄り添ってくれたね。とても温かい距離で、優しい笑みを浮かべて。
「泣くな、未知。泣かないでくれ――おまえには、笑っていて、欲しいんだ」
“彼”との出会いは、悪魔に連れ去られる彼を、私が助けたことだった。
もしもその時、私が現れなかったら? きっと悪魔に連れ去れて、その先で“魔人”となり、それでも人類の側に立ってくれていたのだと、したら?
「ごめんなさい、私、わたし、は……ぁあ……ごめん、ね――七」
優しい横顔。
反転した色合いは、“セブン”とよく似ていて。
「大丈夫、大丈夫だから、涙を拭え。オレは、ぐッ、死なねぇよ」
やせ我慢をするときは、よく、そうやって、引きつる口元を隠していたね。
忘れるわけがない。忘れて良い、はずがない。私の大切な仲間で、弟分で、一番最初のともだちで。
だから。
「ああ、そうさ、おまえが今、告げたとおり、オレの名前は“七番”だ。知ってるか? 七ってのは、幸運の数字なんだよ。“アル・サーベ・エヴゾモス”、“タラサ、“ヨス・アリア”。誇り高き、精霊神アリアが七番目に生み出した、霊術者と精霊の血を掛け合わせた、息子だ。こんなことじゃ、死なねぇよ」
誇らしげに笑う彼に、涙を堪えた。
「ッ呪いの拘束が?! 逃げなさい、みんな!」
「オノレェェェェェッ!!! やはり貴様か、貴様がイレギュラーかッ!! 貴様さえ、いなければァァァァァッ!!」
もしも私に、この世界に来た意味があるとするのなら。
「きゃあっ!? ッ、逃げなさい、未知!!」
きっと、優しくて強い彼らの、ほんの小さな一歩を踏み出す、お手伝いをすることだったのだろう。
「お姉さん!?」
だってきっと、彼らに“希望を与える”なんて言うのは、とても失礼で傲慢な言葉だ。
「アル、未知ッ!! 間に合え、稲妻よッ!!」
彼らはとても強くて。
自分の方が苦しいはずなのに、弱くて躓いてばかりの私は、助けられてばかりだった。
「だめ、逃げて、未知!!」
だから。
もう、“この世界に来た意味を見つける”なんて言葉で、力を振るうことから逃げたりは、しない。
「ぐ、くそ、退け、未知! オレは、おまえを――」
傷つくことは怖い。
傷つけることは、もっと怖い。
大きな力を持つと言うことは、常に、恐怖と戦うことだ。
それでも、私はとても大きな力を持った。力があるのに、誰かを守ることに使わないのなんて、間違っている。自分自身も、自分の大切な人も、名の知らない誰かも、全部守れる力なら、それを振るうべきだ。
ずっとずっと、そう思って戦ってきた。愛と正義と希望のために、私利私欲ではなく誰かの為に、振るう力。
でもね、それはきっと、一つの“逃避”だったんだ。
自分たちは世界に対する反逆者で。
人間を統治する強大な存在に、立ち向かわなくてはならなくて。
そこには、決して、一発逆転の力があるわけでもないのに、他人のために傷つくことが出来るひとたちがいて。
力、という言葉。
傷つけたくない、という言葉。
愛と正義と希望のため、という“義務”だと言い訳をして、“私利私欲のために魔法を使えない”というルールに、逃げていた。
「ありがとう、サーベ。私の英雄」
「――未、知……?」
「羽虫共が、死ねェェェェェェェッ!!!!」
でも、そうじゃないんだ。
守らなければならないから、守るんじゃない。
力を使わなければ守れないから、使うんじゃない。
愛と正義と希望、を、“掴み取る”ために、私は私の“全部”をかけて、戦うんだ!!
「だから、お願い、もう一度――私と一緒に戦って。唯一無二の、私の相棒」
言葉は、光に。
決意は、希望に。
覚悟に準えるように。
「来たれ――」
瑠璃色の、花が咲く。
2018/08/20
誤字修正しました。




