そのにじゅうに
――22――
まるでオークのようだ。
獅堂がそう称したこともあるずんぐりとした体型に、禿頭が印象的な、黒ずくめの悪魔。
それが今、悪魔特有の強烈なプレッシャーを纏い、空中に浮かんでいる。みんなは、状況が状況だけに上位天使だと思い込んでいるようだけれど……このままだと、まずい。
“アレ”を使われる前に、なんとか、油断と慢心のうちに、追い込まないと……!
「小手調べだ。【次元吼】」
ワル・ウルゴが手を翳すと、周囲の空間が揺れる。
空間を揺らして圧力により攻撃する、という、防御は出来ても回避は出来ない完全範囲攻撃。なんとか防御できたが、避けようとしたアリスちゃんが吹き飛ばされ、馨に支えられていた。
――かつて、新宿にゲートを築いたワル・ウルゴの妖力特性は、“空間作用”。彼の血を引き継いだリリーの“重力支配”と似て非なる能力だ。万能性ではワル・ウルゴに勝り、威力ではリリーに勝る。
けれど、ワル・ウルゴの恐ろしさは“そこ”ではない。私たちが彼を倒したときは、奇襲でボコボコにして、その能力の全てを発動と同時に潰し、“とっておき”を出した瞬間に砕き、呆気にとられたところを消滅させた。つまるところ、魔法少女の桁違いな出力と、みんなの機転と、クロックの反則技で拾えたような短期決戦。
それが今、こんなにも追い詰められてからの戦いで、果たして勝ち抜くことが出来るのだろうか。不安と、焦燥で、身体が震えた。
「――大丈夫だ。何があっても、オレが守ってやる」
「ぇ……?」
ぽん、と、肩に置かれた手。
風のように通り抜け、ワル・ウルゴに駆け出す黒い影。
サーベは、ほんの僅かな私の焦燥を見抜いて励ますと、一足飛びに距離を詰めた。
「よう、ちょっとここでくたばっていけやッ!!」
「闇霊術師か……ちょうど良い。貴様の存在は目障りだった」
「ハッ、言ってろ――【――――】」
小声で行う高速詠唱。
サーベの周囲に炎の槍が四本出現し、空を焼きながらワル・ウルゴに迫る。それを、ワル・ウルゴは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、指を弾いて対処した。
「【次元吼】」
「ぐぁっ?!」
起動から発動までが、早すぎる……!
問答無用の全方位攻撃。気合いを入れれば怪我なく防げる程度だが、確実に出鼻を挫かれる。サーベの炎の槍もかき消され、サーベ自身も弾かれて――
「なんてな」
「む?」
――泡となって、サーベの身体が消えた。
「【――――】――もう一つッ【――――】」
「小賢しい【次元吼】」
範囲攻撃。
それを――切り裂く、サーベ。
「なに?!」
「今だ! 一斉攻撃、行けェッ!!」
号令。
アリスちゃんが熱風を。
春花ちゃんが斬撃を。
凛さんが爆発を。
テイムズさんが稲妻を。
馨が大きな釘を。
「アレが、妖力なら」
霊力は、対となる力だ。
「【清言魂】」
弓なりの音が浄化の力を持つように、音と聖は深い繋がりがある。
縁や思いといった不安定な力でも効果を増減させる異能は、それだけに、こういった退魔と呼べる力も扱うことが出来る。
音、そして声に乗せた霊力が、二度目の次元吼を放とうとしていたワル・ウルゴの腕に当たり、その手を痺れさせた。
「チィッ、羽虫がッ!!」
周囲の攻撃全てを身に受け、よろめくワル・ウルゴ。
そんなワル・ウルゴに、サーベはさらに追撃を掛ける。
「【――――・――――】……砕けろ」
高速詠唱。
悲鳴を上げることもなく、ワル・ウルゴの身体が氷の棺に閉じ込められる。
「合わせる」
「ええ、頼むわ、アリス! “爆響火”」
「力を呑め、メギンギョルズ。大いなる力を支えよ、イルアン=グライベル、雷霆纏いて、打ち崩せ、ミョルニル!!」
「魔を祓え、闇を切り裂く白刃よ! “白夜の聖騎士”!!」
「んふふ、縁よ淵より至りて怨と成れ。厭界法技“呪邪絶禁”よぉっ!」
抜群のタイミングで放たれる、最高練度の超高密度攻撃。
息の合った彼らだからこそできる、互いを信頼し合った一撃。
その一撃は、棺を砕き、予定調和のようにワル・ウルゴに吸い込まれた。
「これなら!」
行ける。
そう、私は、口に出そうとして。
「ブレインは貴様か、女。――油断していたことは事実。故に、我が隙を突いたこと、褒めてやろう。褒美は、我が手で直接、地獄を味わえる権利だ。嬉しかろう?」
土煙の中から見えた赤い目に。
視線を媒介に放たれた、高密度の妖力に。
(あ、まず、い)
声を、奪われた。
「未知、下がれ!」
「テ、イムズ、さ、ん」
震える身体を叱責して、なんとか後方に跳ぶ。
同時に、テイムズさんが私の前に出て、ミョルニルで“防御の姿勢”をとった。
けれど、だめだ。“アレ”が使われるのであれば、まずい……!
「っ、避けてください、テイムズさん!!」
「避け……? ッ」
咄嗟に、身をかがめるテイムズさん。
刹那、土煙の向こうから振られた“斬撃”が、ミョルニルの角の一部をバターのように、切り落とした。
「ミョルニルが、切り裂かれただと?!」
「如何にも。我が愛剣、次元剣“パンデモニウム”に、斬れぬものはない」
完全に土煙が晴れると、ワル・ウルゴの全貌が明らかになる。
ワル・ウルゴの右手に嵌められた腕輪。宇宙の色をした宝玉が明滅するそれと、対になるように浮かぶ剣。鍔の部分に宇宙色の宝玉がはめ込まれた、銀色の剣。両刃で、刃先は滑らか。全長はワル・ウルゴの身長をも超えるほどで、おそらく二メートルくらい。柄に当たる部分も、六十センチ程度の刃で覆われている。
浮かして使うから持ち手がない、まるでSFチックな戦闘機のような見た目をしたそれが、ワル・ウルゴを強者たらしめている“とっておき”。次元ごと切り裂くことで、如何なる物をも両断する、魔剣だ。
「嘘……なん、で?」
呟く声は、誰の物か。
視線の先には、次元剣ではなく、それを出すことで解放された姿、ワル・ウルゴの背中に注がれていた。
背を覆う、四対八枚の、悪魔の翼に。
「む、解放されてしまったか。仕方在るまい――では、改めて名乗りをあげよう」
爆発するような、濃厚な血色のオーラ。
解放された妖力が渦を巻き、施設を覆う。
伸びた牙と、両側頭部から生える大きな赤い角。
「我が名はワル・ウルゴ・ダイギャクテイ。大魔王、ワル・ウルゴ・ダイギャクテイである」
かつて、人間界を襲った悪魔。
天使が退けたとされるそれが、天使側に立ち、獰猛な笑みを浮かべる。
彼が天使側に立つということは、“そういうこと”なのだろう。全ては仕組まれていたことで、天使が人間を支配し、ワル・ウルゴも役職を与えられた。
(こんなの……酷すぎるッ)
握りしめられた手が、震える。
命を賭けて戦って、あんなにぼろぼろになっても人間のために戦う時子姉。
家族も友達も失って、今も昏い炎を背負って生き抜いている凛。
多くは語らない。けれど失った物への寂寥で口数少ないアリスちゃん。
唯一の肉親を失い、それでも他人を尊敬することを忘れない健気な春花ちゃん。
いつも、どこか遠くを見つめて、家族のようにみんなを見るテイムズさん。
散り散りになった仲間。裏切られても、人類の側に立ち続ける馨。
失って。
足掻いて。
未来を取り戻そうとして。
その全てが、箱庭の人形遊びのように、無残に弄ばれていたなど。
「ハッ、クソ天使共と悪魔で、繋がっていたということかよッ」
「ふむ。少し違うな。ああ、せっかくだ。冥土への土産話にすると良い」
「なにを、ほざいてやがる!」
「天使と悪魔は敵対する運命だ。ただ、我らと天使の信仰する“主”が、同一であるというだけのこと」
「主、だと……?」
「如何にも」
天使と悪魔と人間。
その全てが戦い、最終的に天使が勝利する“プラン”が、あった?
それは、マッチポンプなんていう次元の話ではない。本当に、他人の尊厳を弄ぶような――“運命”を、弄ぶ行為ではないのか。
「貴様たちウジ虫共は、我らが主の意向を裏切った。故に、信仰を忘れた蒙昧な虫たちを間引こうという我が慈悲に、何故逆らおうというのか――些かも理解できんよ」
尊大に。
傲慢に言い放つワル・ウルゴ。
呼応するように明滅する、次元剣の宝玉。
「おまえたちは、創造主に逆らった愚者に過ぎん――己こそが“悪”だと理解したものから、疾く、首を出せ」
絶望。
失望。
あらゆる感情が渦巻く中、ただ、沈黙だけが落ちていた――。




