そのじゅうよん
――14――
アリスちゃんが指を弾くと、射線上の一線が熱風によって“焼き切られる”。
それをジャックは、アリスちゃんが攻撃を躊躇う先――生体ポットを盾にすることで避けて、さらに、その影からナイフを投げてきた。
(迂闊だった……。セントラルは蜘蛛の幽鬼をいちいち退けていたのではなく、他に通路があったんだ。と、すれば、おそらく、大講義堂から繋がる道だったんだろう)
私は他の機材の影で、アリスちゃんに攻撃を任せてしまう罪悪感を封じ込め、勝機を見いだそうと分析する。
(ジャックの異能は確か、ナイフを無限に生み出すものと、自身の分身を作り“保険”を置いておくこと。保険は生み出した時点までの記憶しか保持できないから、切り抜けるだけなら今は気にしなくて良い。慎重なアレが、保険を生み出してないとは思えないし)
あとは、霧を生み出す異能と、水を操る異能と、ナイフに毒を付与する異能。
他者から異能を奪って強くなるという彼は、所持した異能を惜しまず使う。霧の異能を持っていたら、まず間違いなくもう使っているだろう。なにせ、彼は安全圏からいたぶるのが趣味だ。面白おかしく霧で包み、アリスちゃんを誘導して生体ポットを破壊させるくらいのことはやるだろう。
同時に、一度敗北する前の彼は、慢心もしているしプライドも高い。そこをうまくつけば、あの凶悪な【魔刃装】を使われる前に仕留めることも可能なはずだ。そのために必要なことは――まず、生体ポットから離すことだ。
(生体ポットは等間隔に置かれている。実験の効率化を図るためかな? だとしたら――やっぱり、メインモニター前に大きな机。あの区画だけ、ぽっかりと空間がある)
アリスちゃんが空中に風の膜を作り、三次元軌道によりナイフを避けている。
小柄な体躯を生かしての軌道は中々のモノで、ジャックは射的に夢中になる子供のように投擲を楽しんでいる様子だった。
(作戦の肝は二つ。水を差すこと、ストレス発散できるかのように思わせること)
生体ポットや機材の間。
ジャックの視線の動きを読んで、隙間を縫うように移動する。やがてメインモニターの裏手までたどり着くと、ちょうど、ジャックの背に回る形になった。
(チャンスは一度きり。警戒されたら、それで終わり)
周囲を見る。“使えそうなもの”はなにもない。
持ち物をチェックする。サーベに貰った杖、マント、他には? そうだ、供養するつもりで持ってきた、生徒手帳。
(――ごめんなさい。あなたの力をお借りします)
重さは充分。
一度、手を合わせて、それから決断した。
「はっはははははっ! 逃げてばかりかな?! くっふふふ、いいよ、ノッきた。ほうら、狙いも定まってきたよ? どうする? ひっはははははっ!!」
「うるさい、黙れ」
「おお、こわいこわいっと!!」
確かに、複雑な軌道で避けるアリスちゃんに、だんだん、ナイフが迫るようになってきた。同時に、ジャックは生体ポットの影から出ているが、時たま当たるアリスちゃんの攻撃は、彼の体表に張られた妖力障壁に阻まれてしまっているようだ。
周囲に被害が出ないよう、威力を抑えているせいだろう。あの日、私を助けるために幽鬼の心臓を撃ち抜いたときのあの威力なら、障壁くらい破れているはずだから。
――だから、その役目は私が担おう。
「ほらほらほら、よし、次は当てるぞぉ、ひっひゃは――った?!」
影から身を乗り出し、生徒手帳を投げる。
手帳は綺麗に縦に回転し、ジャックの頭に当たった。当然、障壁に阻まれるが――それ以上に、“無能者”の“攻撃”に当たったことが彼のプライドを刺激したのだろう。
「こっちよ、バケモノ!」
「チッ、良いところだったのに。いいよ、おまえから死ね」
怒りに満ちた目。
下等な虫に生活圏を穢されたような、そんな、苛立ちに染まった双眸。
「ッ未知?! ダメ!!」
アリスちゃんが私を守ろうとするよりも早く、ジャックは私に飛びかかる。
それはそうだろう。彼は元々が快楽殺人犯だ。気にくわないけれど、自分の嗜好に合う獲物が居れば、自分の手で切り刻みたいと思うはずだ。
アリスちゃんとの決闘に夢中になって、こちらにはナイフを投げてあっさりと対処されたらどうしようかと懸念していたのだけれど……賭けには、私が勝ったようだ。そう、サーベに貰った短杖を構えながら、チャンスを逃すまいと迎え撃つ。
「そんな棒きれ一つで勝てるとでも思った? 屈辱と後悔に塗れて死ねよォォッ!!」
「だめ、やめて、逃げてっ、未知!!!!」
振り上げられたナイフ。
いくら早くても、初動から軌道が変わらないのであれば、対処は可能だ。短杖を軸に、ナイフの軌道を、半歩踏み込むことで避ける。
無防備な脇腹に、短杖で一撃。連打することに意識を向けて、素早くもう一撃――当てた場所へ、正確無比の一撃を加える!!
「はっ、その程度――」
「【歪気・震神】!」
「――な、はぁッ?!」
以前、合同実践演習で見せたことがある。
霊力障壁に一撃を打ち込み、揺れを産む。そこへ魔力を放出させながらもう一撃素早く加えることで、障壁を破る“基礎の応用”――魔震功。歪気・震神は、単純にそれの霊力バージョンに過ぎない。
どうもこのラピスラズリには霊力をため込む性質があるようだった。それを利用し、一撃目で揺らし、二撃目で揺れの狭間に短杖の霊力を潜り込ませた。たったそれだけで、ジャックの障壁は粉々に打ち砕かれる。
「――ッ穿て」
「ぎッ?!」
そして、その隙を逃すアリスちゃんではない。
アリスちゃんが指を向けた先。ジャックがナイフを持っていた側、右腕の付け根に不可視の何かが突き刺さる。同時に、私は大きく跳ぶように、転がって離れた。
「ぎ、さまッ」
「爆ぜろ」
たったの一ワード。
けれど、瞬時に周囲を確認し、生体ポットから遠いことを確認したアリスちゃんの行動は、なによりも早かった。
「なに、を――」
爆裂音。
「――ギィッアアアアアアアァァッ!?!?!!」
「跳べ」
「ガッ!?」
熱風。
右腕の付け根から大爆発を起こし、さらに追撃された爆発で吹き飛び、モニターに衝突するジャック。アリスちゃんは離れた私を素早く回収すると、油断なくジャックを見据えた。
「許さんぞ、小娘ェェッ!! 我が最強の力で、藻屑に変えて――」
『させねぇよ』
「――や、あッ?」
響く声。
ああ、この声は、間違いない。
『アリス、未知を抱えて跳べ!』
「っうん」
私を掴んで、アリスちゃんが跳ぶ。
――同時に、周囲が光に満ちた。えっ、救援じゃないの? なにをするつもりなの?!
『歪められし摂理よ、我が名の下にその真なる姿を見せよ。我が名はアル・サーベ・エヴゾモス・タラサ・ヨス・アリア! 汝らの主の名に、忠誠を示せッ!!』
地震。
浮遊感。
大地から根こそぎ全てが“引っこ抜かれ”て、反転する。
「っ無茶を、する」
「った、高い!?」
土色の風景は夕暮れの空へ。
スポットライトの光は、茜色の太陽へ。
「着地」
「ひゃっ、あ、ありがとう」
「……」
アリスちゃんは、器用にくるっと回って、本来の位置に戻った屋上に着地。
同時に、ぐしゃりと効果音が聞こえてきそうな勢いで、ジャックが落ちた。
「ぐ、ぐぁっ!? どこまでも、馬鹿にしてッ!!」
右腕と右肩を失いながら、憎悪に猛るジャック。
「それも、もう終わりです」
「は?」
そんな彼の正面に降り立つのは、日本人形のような少女。
――春花ちゃんは、自身の心臓に右手を置いて、走る。
「我が剣に跪いてください――目醒めろ、白夜の聖騎士!」
心臓から引き抜くように現れた、銀の装飾に彩られた純白の剣。
陽光に煌めいてなお白く輝くそれは、ジャックが張り直した障壁を、意図も容易く切り裂いた。――いや、あれは、邪を払う、あるいは魔を打ち砕く。そういう性質のモノなのだろう。
「ぐ、が、ぁっ」
「そこは私の射程範囲よ。アリスのそれより甘く融かしてあげる――“爆重火”」
轟音。
「ぎがッ?!」
甘い、チョコレートの匂い。
同時に、漆黒のキューブが爆発。ジャックをはじき飛ばす。フェンスに激突する彼に追いすがるのは、橙色の長身。
「うふふ、アタシの可愛いアリスと未知を虐めた代償はぁ――」
まさか、橙寺院の“呪界”!?
退魔七大家の呪術が見られ――
「――オマエの命で贖えオラァァァッ!!」
――る、う、ぇ? 正拳突き?!
「げふぅぅぅッ!?」
フェンスを突き破り、吹き飛んでいくジャック。
そんなジャックに対して、レジスタンス・アルハンブラの面々は、決して慈悲など与えないのだろう。屋上から飛び出た黄金の影。
「我が雷霆、その身に刻め」
テイムズさんは、巨大な鎚を横殴りに、ジャックに放った。
「ミョル、ニルッ!!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?!!」
黄金の稲妻に呑み込まれ、ジャックの姿が掻き消える。
その膨大な霊力が注ぎ込まれた一撃は、ジャックを、灰すら残さず消し去った。
まさに会心の一撃、鬼神の技、雷神の怒りと言えよう。フィフィリアさんのも凄かったけれど、テイムズさんの一撃は、それ以上だ。
「はっはっはっ、さすが、テイムズだ」
「ふん。この程度の相手に何を誇れる」
まぁ、ジャックの強みは“奇襲・暗殺・嫌がらせ”だからね。テイムズさんのようなタイプは相性最悪だろう。
「さて、細かい話はあとだ。全員集合、とっととずらかるぞ!」
サーベに言われて、小走りで集合。
円陣を組むと、サーベがやはり小声で何事か唱える。すると、空気がぼんやりと霞み、鉄錆の街、鋼鉄の要塞の屋上部分に転移した。相変わらず、正確無比な長距離転移だ。
「よし、戻ってきたな。顛末を説明してやる。作戦室に集合だ」
「アル」
「ん? どうした? アリス」
「先に行ってて」
「……ああ、良いぜ」
サーベと、それからみんなが苦笑しながら離れていく。
訳もわからず取り残された私は、歩き去って行くみんなの姿に、首を傾げて。
「未知」
「アリスちゃん? ――っ」
パンッ、と、音。
アリスちゃんが、私の頬を張る。
「どう、して、あんな、無茶、した」
ずっと感情を外に出していなかったアリスちゃんが、そう、震えながら告げる。
「し、死んじゃうような、無茶、なんで、した!」
張られた頬が、じんわりと熱を持つ。
痛くはない。それよりも、目の前の少女の涙の方がよほど痛々しくて。
「ぁ」
私はただ、彼女の幼い体躯を、抱きしめた。
「ごめんね……ごめんなさい、心配をかけて、しまったね」
「もう、っ、もうあんな無茶、しないで! 無茶しなくてもいいように、わた、私が、うぁっ、頑張るから、だから!」
縋るように、私の背に回される腕。
痛みに震える背を撫でると、回された腕に込められた力が、強くなる。
「うぁっ、っぁあああぁ……あぁぁああああああぁぁぁっ」
「ごめんね、アリスちゃん――約束する、絶対に、死んでいなくなったりしないって」
「ばか、未知はばかだ! ――ひぅっ、ぁ、っ、でもっ、たすけてくれて、ありがとう、ごめん、なさい、ごめんなさい、うぁぁぁぁぁっ」
「謝るのは、私の方。だから、ごめんなさい――アリスちゃん」
夕暮れの中。
抱きしめるアリスちゃんの涙が、鋼の中に溶けていく。
私はそうして震えるアリスちゃんの頭を、いつまでも、いつまでも、撫で続けた。
どうか、あなたの涙が笑顔に変わりますようにと、願いを、込めて。
――/――
――セントラル・郊外。
荒野の岩陰に隠れた場所。
一振りのナイフがひび割れ、漆黒の枝葉を伸ばす。やがてそれらは幾重にも絡まると、その場に人間の形をした何かを生み出した。
「――いや、久々に身体を失ったなぁ」
ナイフから生じたモノ――“魂の保険”を発動させたジャックは、気怠げに髪をかき上げそう呟く。
「さてさて、死因がわからないのが痛いな。レジスタンスに強力な能力者が潜んでいるのか? 厄介だなぁ」
“この”ジャックは、大講義堂裏手の秘密通路へ潜り込む寸前に置いておいたものだ。
それ故に、秘密通路以降の出来事はわからない。ただ一つ解ることがあるとすれば、セントラル学舎があったはずの場所に、古びた木造校舎が鎮座していることだけだ。
「反転結界が崩されたのか? レジスタンスの“闇霊術師”アル・サーベの仕業かな」
ゆっくりと、ジャックは事の顛末を推測する。
なにせ時間はあるのだ。どうせ、彼らは己が蘇っていることなど気がつかない。気がついても、今更この場に戻ってきてジャックを探すことなど、リスクが勝ちすぎる。
「けれど、僕が彼らに正面から挑むか? せいぜい一人か二人、安全に戦える場で嬲るのが僕だ。となると――どう見ても力の無い、そう、例えるのなら無能者のような存在が、僕の意表をついた? ……まずいな。即刻報告しないと」
ジャックはそう、険しい顔で呟く。
無能者が力を持ってはならない。無能者が戦える証明をするなど、もっての他だ。そんなものがいるのなら、こちらの損害を気にせず、早々に全軍を投入して殲滅してしまうべきだ。
ジャックはそう、己が快楽を満たし続けるために、最速で思考を展開する。弱いモノを嬲って殺す。そのために人間を捨てた男は、生きるためなら手段を選ばない。
「そうと決まれば、こんな砂埃しかない場所、とっとと――っつ、なんだ?」
踵を返したジャックは、不意に、己の胸に違和感を覚える。
首を傾げながら見下ろせば、身体の中央から全身に向かって、百足のような紋様が浮かんでいることに気がついた。
「な、なんだよこれ、うぐッ、ギッ?!」
激痛。
身体を蝕む痛みに、ジャックは蹲る。
「ガッ、なんなんだよ、ギッグ、ゥ、ァ!?」
ムカデの紋様は端から実体を持ち、四肢を削り取るようにジャックを喰らう。
――もし、彼に記憶があれば、広がり始めた基点がなんであるのか、気がついたことだろう。
「嘘だろ、グッギガッ」
“呪詛”。
橙寺院馨が拳に込めた“縁”の呪いは、魂を同一とするジャックの分体すら、容赦なく食らいつく。それは、馨が“天使共ってなんか丈夫だから、全力で呪っておこ☆”と残したモノであるなど、ジャックは知る由もない。
ただ。
「痛い痛い痛いッ、ギッ!? 嫌だ、いやだいやだいやだッ、まだ、遊び足りな――」
断末魔。
悲鳴とも呼べぬ欲望の声の中。
喰らい尽くされたジャックの身体は消滅し――そこに、彼が生きてきた痕跡すらも残さずに、ここに、一つの外道の魂が終焉を迎えるのであった。
2017/09/12
誤字修正しました。




