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そのきゅう

――9――




 ――富裕街・涸沢邸



 涸沢容子は、天使恭順派の一人だ。

 時代の転換期、いち早く天使への恭順を示し、他者を虐げることで甘い蜜を吸うことに成功した、代表例といっても過言ではない。

 だがだからこそ、恭順を天使側に感謝された人間たちに比べて、能力に劣る涸沢は、どうしても権威に劣る。それこそ、舐められたら失墜しかねないほどに。


(クソッ、誰だか知らないけれど、舐めた真似を……ッ)


 そう、涸沢は爪を噛む。

 自身は悪戯には屈せず、犯罪予告にも旅行に出かけるほどの余裕がある。そう見せるために、こっそりと警備を厳重化させて出かけた。そして今、結局、警備からなんの連絡もなかったことに安堵しつつも、やはり悪戯であったことに苛立ちを覚えている。


(憂さ晴らしに、久々に本国の無能者でもいたぶるか)


 涸沢はそう、昏い笑みを浮かべながら展示室までの道のりをゆく。

 一日の終わりの己の像を見て心を落ち着かせるのが、涸沢の日課だった。己とうり二つに作られたそれの美しさを見ていると、不思議と、天使からの無茶ぶりも“愛故に”と受け入れられるからだ。

 涸沢は楽しげに扉の鍵を開け、閉まっていたことにもしっかりと確認し、にんまりと笑って布のかけられた己の像に向き合った。いつものようにワインボトルを片手に、ゆっくりと布を取り払い。


「…………………………え……?」


 木で出来た、醜い顔立ちの己の像。

 無様に突き出された口に咥えられているのは、メッセージカード。

 震える手で、涸沢はメッセージカードに視線を落とす。






『黄金の裸婦像 確かに頂戴いたしました ラピスラズリ怪盗団』






 達筆な時で書かれたそれ。

 その意味するところに、理解が追いつかない。けれど、木造の己と目が合えば、いかに現実逃避しようと逃れようがなかった。


「ひ、い、い、いやぁああぉぉおおおおおおおおおおおおッ!?!?!!」


 むせるほど叫ぶ涸沢の声が、張りぼての豪邸に留まらず、富裕街全域に響き渡る。






 誰一人感づかせることなく、何一つ証拠を残さず、厳重な警備をかいくぐって、丁寧に鍵まで閉めて異様に目立つ黄金の裸婦像を盗み取ったその手腕は、涸沢の悲鳴も合わさり、その比から瞬く間に富裕街に知れ渡ることになる。

 ラピスラズリ怪盗団。正体不明の凄腕怪盗誕生の、瞬間であった。
































――/――




 ――貧民街 拠点



 作戦会議室の机の上に、鋳つぶしてインゴットに変えた黄金が並べられた。

 黄金の裸婦像は目に痛いものだったが、この程度の輝きなら心地よいくらいであるとの言えるだろう。


「鋳つぶす段階で“ファミリー”への報酬も渡してある。その上でこの山積みだぜ。癖になりそうだよ。ククッ」


 サーベはそう、心なしか弾んだ口調でそう告げる。

 いや、うん、私もまさかこんな量になるとは思わなかった。豪邸の主も、よくもまぁこれだけの黄金を使ったものである。


「笑みが悪い」

「もう、アリスさん?! ダメですよ」

「春花がそういってた」

「アリスさん!?」


 組織への活動資金、としての効果。

 盗品だから捌けないということも考慮して、あくまで“ついでに多少効果があればいい”って思っていたけれど、この喜びようならかなりの儲けなのだろう。出だしがこれほど好調なら、今後、捌けなくともプラスにはなるのかもしれない。


「今回は言ってしまえばプロローグに過ぎない。次からは侮らず、相手も本気になってくるだろう。――つまり、次からが本番だ。アリス!」

「次の予告状は配達済み」

「もう確認は必要ないだろう。春花」

「家の見取り図はありますよ、お兄さん」

「よし。馨!」

「はぁい、昼間に呪は仕込んできたわよぉ」

「テイムズ、馨と侵入経路の割り出し頼むぞ。凛!」

「インゴットの捌き先の確保は大丈夫よ。次が美術品でも捌けるよう、手配しておくわ」

「ああ、頼んだ。未知!」

「は、はい!」


 え、あれ、私になにか指示、下ってたかな?

 もう予告状受け取り確認は不要、ということだったから……。


「おまえはオレとデートだ」

「はい……はい?」

「出かけるぞ。ついてこい!」

「えっ、ちょっ、サーベ!?」


 踵を返してとっとと歩いてしまうサーベ。そんなサーベを追いかけながら少しだけ振り向くと、馨がどこか楽しげに手を振っていた。

 ええっと、どういうことなの? みんなはわかってるの?


「早くしろ、置いていくぞ!」

「っ待ちなさい、サーベ! デートだと嘯くのなら、歩調くらい合わせなさいよ、もう!」

「ククッ、言うようになったじゃないか。だが待たねぇ、さっさと行くぞー」

「もう、もう!」


 いったいぜんたい、なんだというのだろうか。

 私はただ、彼の背中が遠くならないように小走りで追いつき、腹いせに長いコートの裾を踏む。すると、蛙が潰れたような“ぐぇっ”といううめき声が聞こえてきたので満足して、隣に並んだ。


「おまえなぁ」

「サーベが悪いのよ?」

「はいはい。ったく、こぇー女」


 で、何の用だというのだろうか。

 そんな想いを込めてじとーっと睨んでいると、サーベは楽しげに喉を鳴らした。


「なに、挨拶だよ」

「挨拶?」

「ああ。セントラルを襲撃するにあたって、やはりオレたちを支援してくれているお偉いさんに一言、言っとく必要があるわけだ」


 そっか、スポンサーが論述会にいるのであれば、話を通しておかないのは不義理か。

 というか、やっぱり天使側にもレジスタンスの内通者、居たんだね。それはそうか。


「そうならそうと言ってくれたらいいのに、あんな言い方して」

「ハハッ、悪い悪い。期待させちまったか?」

「まだお休みには早いわよ? サーベ」

「寝言じゃねぇよ」


 ふてくされるサーベに苦笑する。

 達観して世界を見ているように見えて、その実、身内や味方には甘い性格なのだろう。そういう意味で、いつの間にか身内だと数えられているようでむずがゆくも感じた。

 けれど彼がそう言って、味方だと言ってくれるのであれば、私も最大限それに応えないと。


「それで、向かう場所は?」

「旧ハワイ州。そこに、日本籍要人の家屋が無数にある。中でもひときわデカい屋敷さ」

「ああ、そっか、京都が……」


 あのときに見せて貰った、虫食いだらけの地図。

 京都も東京も消し飛んでいる以上、そこに棲み暮らしていた人間は移り住む必要があるのだろう。


「そうだ。そして向かうのは、“大戦の英雄”」

「……え?」

「馨から聞いたが、おまえ、面識があるんだろ? ――黄地様の、お屋敷さ」

「え、ええええぇぇぇっ!?」


 時子姉の、お屋敷!?

 あわわわ、どうしよう、面識がないのがバレちゃう。いや、嘘ではないのだけれど、私の世界の話だからなぁ。

 いや、もう、それならそれで仕方がない。私は覚えている、ということで貫くしかない。それに――会えるのは、嬉しいから。この、誰がどうなっているかもわからない世界で、時子姉の姿が見えるのであれば、それに越したことなどないのだから。






 だから、私は気がつかない。

 出会う混乱と出逢えるうれしさにかまけて、自分のことで精一杯になっていたから、気がつくことが出来なかった。




 どうして、“人間の勝利”に終わらなかったこの世界で、時子姉が“英雄”と呼ばれていたのか――と。





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