そのいち
――1――
――冬休み。
生徒たちが冬休みとはいえ、私たち教員がお休みとは限らない。
具体的には惜しくも成績の振るわなかった生徒たちの補講を終え、受験対策の生徒のサポートをして、午前中で終えるとは言えまた翌日からの補講準備。
思うように暇が取れない中、どうにかこうにか作った時間で、私は七の下へ訪れていた。
「ここのところ、無理をしすぎていないか? 未知」
「ええっと、無理をしているつもりはないのよ?」
「クスクス……未知の“それ”は信用ならないからね。さ、お茶を入れるよ。座って」
「あ、ありがとう、七」
青い髪に灰色の瞳。
柔らかな笑みを浮かべる彼は、英雄の一人で私の弟分。
七はそう私に微笑みかけると、話しやすいように香を焚いて、空気を和らげてくれた。
「――と、いう訳なの」
「なるほどね。天界門の場所を探るために、知恵者であるリリーの母親を頼りたい、と」
「そうなのよ。でも、魔界に生身で行くことは出来ないというから、どうしたものかと思っているのよ」
そう、私は七に相談する。
クロックの混乱ですっかり失念していたが、思えば、彼は精霊だ。生身の人間が高次元に侵入する手段を、知っているかも知れない。
「まぁ、ないことはないよ」
「そうよね、そんな簡単に――って、本当に!?」
「ああ。簡単ではないけれどね」
「いいえ、充分よ」
なにせ、これまでその方法に目処すら立たなかったのだ。
そう思えば、なんと大きな進歩だろうか。闇に覆われた視界に光が差すように、私は思わずほっと息を吐く。
「ほら、紅茶」
「ぁ、ありがとう」
「思えば、こうして息を吐くのも久々だね」
「ええ、本当に……あ、美味しい。これ、どこで?」
「クス――君の求める、答えの場所さ」
「え?」
七に言われて、顔を上げる。
紅茶の茶葉が入っていたと思われる缶には、なんのラベルも貼られていなかった。
「高位次元に人間が生身で入りたいのなら、答えは一つ」
「それは……?」
「高位次元の上位者に、“加護”を貰えば良いのさ」
高位次元に行くのに、その上位者に? それはなんだか、矛盾が……。
いや、違う。そうじゃない。だって私は当時、上位者に会ったことがある――!
「気がついたみたいだね。そう――僕の母さんに、会いにいけば良い。精霊界に、ね」
唯一人間界と隣り合う、高位次元。
精霊界からの住人である七に言われて、頷く。
高位次元・精霊界。
どうやら、私の次の目的地が、決まったようだ。
未来を、切り拓くための――。
――/――
――精霊は騒然を嫌う。
――精霊は静寂を憂う。
――精霊は察知を厭う。
――精霊は好機に酔う。
精霊、という種族は、人間たちとは比べものにもならないほど高位の存在であるが、好奇心旺盛で悪戯好きな個体が多いため、遙か昔から人間界に現れて悪戯し、去って行くことがあった。
精霊の現象ということで有名なのが、“妖精の写真”や幻術による“ネス湖のネッシー”。それから、気に入った子供を精霊の子と入れ替えてしまう“チェンジリング”。これほど色々あるのに、気分屋で気まぐれな精霊は、自分たち自身が好奇の視線に晒されるのを嫌う。
そのため、精霊神王の住処まで、大人数で押しかけることは出来ない。条件としては、“何らかの形で精霊に好かれている”こと。それから、“何らかの形で精霊の住処に迷い込んだことがあるひと”という二つだ。
「お待たせ、七」
そんな訳で。
事情を浅井理事長に話し、補講などを免除。その上で、私は精霊界にでかけることになった。メンバーは最小限に、私と七。精霊を刺激しないためには、これで精一杯なのだとか。うーん、色々と難しい。
私は、七のお母さんのことを拝見させていただいたことはある。けれどそれだけだ。戦いの最中ですれ違った、とか、そういうレベルのことなのだ。普段からどういう方なのかは、とうてい、わからない。
それなりに気合いを入れた格好が必要だろうと思っていたが、何故かラフな格好で構わないという。そこで、ロングスカートやジャケットに極力魔導陣を仕込み、万が一、精霊の悪戯被害に遭っても大丈夫なように装備を調えてきた。
「いや。待っては居ないよ、未知。うん、今日も綺麗だ」
「ふふ、ありがとう」
七はというと、実にラフな格好だ。
ダークグレーのジーンズに白い柄シャツ。青いジャケットを羽織っていて、首からは瑠璃色の宝石をイメージしたネックレス。なんだろう、こう、とても若い。
「知ってのとおり、精霊界は水の綺麗な場所に門が多い。この時期だと凍り付いてしまっている場所も少なくはないけれど、それでも門は開く」
「そうなんだ? 氷を割って進むのかしら?」
「いいや、そうだね……まぁ、行ってみればわかるよ」
そう微笑む七の横顔に、少し、安心感を覚える。
精霊界から迷い出て、迷子になっていた七。そんな彼を助けて、共に過ごした日常。最初の頃、七はよく人間以外の姿に“変身”して、私と一緒に居ることが多かった。
実のところ、当初の“魔法少女のマスコット”枠には七が居たことがあるのだけれど、それはあまり知られていない。いや、正確には、“精霊界に返して、代わりに精霊神王の息子”である七が、私たちの仲間になった。
世間一般には、そう、ひっそりと伝わっていたりする。
「移動は車?」
「船を手配したよ」
「水の上を移動ね」
「そういうこと。その方が、僕も調子が良いからね」
七はそう言って、私の手を取る。
人と人の間。意識と意識の境界。そういったものをすり抜けて歩くことができるのは、精霊である彼の特権だ。おかげで、七は英雄として広く顔が知られているのにもかかわらず、誰にも気がつかれていない。
「さ、乗って」
“その場所”に行くのに、本来なら陸路の方が早いように思える。けれど、東京湾から石造りの奇妙な形の箱船に乗ると、周囲の風景に霧が掛かり始めた。
“妖精の遍路”。もしくは、“精霊の道”と呼ばれる、精霊独特の移動方法だ。霧を生み出して、霧の中を限定的な精霊界のように設定。亜空間同士を限定的に繋ぐことにより、距離を縮める、というものだとか。
「この船は?」
「僕の力で生み出したモノ……と言えれば格好良かったのだけれどね。母さんが用意してくれたんだよ。“あのときの女の子が来るのなら”って」
「そう、なんだ。到着したら、お礼を言わないと」
「ああ、そうしてあげると喜ぶよ。母さん、“気ままで奔放”ではない話し相手に、飢えているからね」
妖精はみんな、気ままで奔放だ。
だからこそ、そうして“そうでない相手”が恋しくなるのかも知れない。大げさに話す七におかしくなって、思わず笑いを零す。
「ふふふっ、もう」
「ははは――やっと、笑ってくれたね」
「え? ええっと、笑ってなかったかしら?」
思わず、自分の頬をぐにぐにと解す。
う、うーん、顔が強ばっていたりしたのだろうか?
「いいや、顔は笑っていたよ。だけれど、僕たちが観るのは“心”だからね。やっと、緊張や無理が剥がれ落ちた。僕の大好きな、未知の笑顔だ」
「っ」
そっか……。
そうかー、なんだか、恥ずかしいな。心配をかけてしまっていたみたいだ。ううむ。
お姉ちゃん分としては、うん、彼にあまり恥ずかしいところは見せたくなかったり、とかね。
「さ。まだ到着まで時間がある。――お茶でも飲むかい?」
「ふふ――そうね。ええ、お願いしようかしら」
笑顔で提案してくれる七に、やはり笑顔で頷き返す。
今度は、きっともう、心配をかけるような表情にはなっていないはずだ。そう、肩の力を抜けた自分自身を、自覚しながら。




