そのはち
――8――
……。
…………。
………………あ、れ?
「準備は終えた。心ゆくまで堪能しろ――」
いつまでも訪れない衝撃。
強く閉じていた目を、開ける。
「え? ええ? ええええええっ?!」
そこには、花畑の中でひっくり変えるドラゴンと、わたしの周囲に集められた夢ちゃんたちの姿。五人全員、何故か花冠を被っている。
そして、ドラゴンとわたしたちの中間に佇む、久遠店長の、姿。
「――“空想哲学”。制約を課しすぎて、異能の使用に手間取った。もう少し幼い少年少女が居れば話は早かったのだが……笠宮が童顔で助かったと言わざるを得んな」
なんだかよくわからないことを口走る、久遠店長。
その言葉に、わたしたちは揃って首を傾げる。ええっと、異能の使用になんらかの制約があって、それを解放するのに手間取った?
理由が、ええっと、わたしが童顔……えっと、つまり、どういうこと??
「ぁ、これって……え?」
混乱するわたしの目の前に落ちてきたのは、あのとき、久遠店長が柔らかい表情で見ていた“恋したひと”の肖像が入ったロケットだった。
落ちた衝撃で開いて見えたのは、瑠璃色ベースのフリフリ衣装。そのどことなく師匠に面影のある少女は、えっと、まさか。
「久遠、店長」
「助力が遅くなってすまなかったな、フィフィリア・エルファシア」
「いえ、それは構わないのですが……ドラゴンは、どうなったのですか?」
「ああ、それなら――」
久遠店長はそう、無表情のまま指さす。
その先でドラゴンはゆっくりと起き上がり、転んだ。
『グルゥォ?!』
「――観たままだ。ドラゴンは、花の上で立ち上がることが出来ない」
「え、そ、そうなんですか?」
「いや、“幻理の法典”だ」
「え? ま、まいるーる?」
久遠店長が自分で決めたルールってこと?
い、いや、それならそれでどうして――ぁ、そういう異能なんだ? あれでも、どこかで聞いたことがあるような?
「ねぇ夢ちゃん、あの異能って……夢ちゃん??」
口を開けたまま、石のように固まる夢ちゃん。
何故か、久遠店長を差す指が、震えている。
何事か尋ねようと口を開いた、瞬間。新しい光が視界の向こうから飛び込んで、ドラゴンを灼いた。
「灼き尽くせ――白炎浄剣“ディルンウィン”!!」
「【速攻術式・影縛の剣軍・展開】! みんな、無事ですか?!」
『グルォオオッ?!』
視界を埋め尽くす白い炎。
同時に降り注ぐ黒い剣が、ドラゴンを拘束する。
その姿と声に、わたしは思わず顔を上げた。
「師匠!!」
「ああ、こんなに怪我をして。みんなも」
「大丈夫です! その、久遠店長が助けてくれたので!」
「そうなの? あ、あなたが、久遠……くお、く、く、くくくく!?」
……と、久遠店長を見て、震える師匠。
なんだか夢ちゃんにそっくりな仕草に、わたしも首を傾げた。
「久しいな。年老いた君を見るのは辛かったが、こうなれば致し方ない」
「なんで、あなたが、こんなところにいるの?!」
「聞いてなかったのか? 俺が“メイド惑星めるるんぱるーん渋谷出張星店”の店長だ」
「いえ、管理は瀬戸先生と陸奥先生だから……って、そうでもなくてね!?」
「なんだというのだ? まさか更年期障害か?」
「もう! そうじゃなくてね!?」
なんだろう、久遠店長、師匠とすごく気安い。
ドラゴンの様子を警戒しているイルレア先生も、不安げに二人を見るほどだ。
いやでも、気安いというか、この反応、なんだろう? 今までに見たことがない感じだ。
「――ちゃんと説明してって言ってるの! “クロック”!!」
やだなー師匠、久遠店長の名前は東山久遠……って、え? 今なんて?
「え!? ちょっと未知、どういうことなの? 彼が、“幻理の騎士”!?」
「え? え、ええ。クロック・シュバリエ・ド・アズマ騎士爵。騎士アズマ、クロック卿――私たちの仲間で、英雄の一人よ」
え、えええええええええ!?
あの、え? 戦争後の諍いを厭がり出奔したっていう、あの、英雄最後の一人?
え? 英雄が久遠店長で久遠店長がクロックさん?????
「それを言っても構わないということは……ここにいる全員、おまえの“正体”を知っているのか、未知」
「! ……ええ、そう。この子たちはみんな、私の魔法少女――」
「――の残滓を、か」
「残滓ではなくて本人だからね!?」
「言うな。――俺の愛しい魔法少女は、天に還った。もう、ずいぶんと昔のことだよ」
あわわわわ。
なんだか師匠が、子供みたいに頬を膨らませて唸ってる。あ、あんな師匠、初めて見るなぁ。慌ててきてくれたのかな? どこかで落としたのか、いつもの伊達眼鏡がない。
だからかな。顔がはっきりと見えて、どこか幼くすら見える。すっごく可愛いと思うんだけど、違うんだ。あ、夢ちゃん、こっそり撮影しているね? あとでわたしも……って、今はそんな場合じゃなくて!
「だから、愛しい魔法少女が戻るまでは異能を封印しようと、少年少女を護る場合以外では――」
「あ、あの!」
「――どうした? 笠宮」
すごく、もうすごく、不穏な言葉が聞こえた気がしたのだけれど、それはひとまず置いといて!
「ドラゴン、どうなりましたか?」
「あ」
「あ」
「未知、英雄さん、あなたたち……」
イルレア先生のじとーっとした目に、慌てて謝る師匠。
対象に、久遠店長――クロックさんは、最初から最後までテンションも抑揚も一切変化ない。
「さすがに、気がついたか」
クロックさんはそう、ドラゴンを見ながら呟く。
釣られて見上げると、大きな翼で低空飛行を始めるドラゴン。その瞳は、怒りに満ちている。
「クロック、付け加えられないのかしら?」
「無理だ。今は“幻理の法典”で無理矢理異能を騙している。これ以上異能の力を解放したり、抜剣を可能とするためには少年少女の願いが必要だ。時子では知りすぎている。他に、願ってくれる少女は知らないか?」
「知りません! ……ああいや、待って、リリーなら……でも……ううん……土下座して頼み込めば……」
そんなことを話しているうちに、飛行に慣れてきたドラゴンがゆっくりと体勢を整え始めた。この姿勢、この力、間違いなく――ブレスだ。
「未知、ということで任せたぞ」
「や、やっぱりか、クロックがいるのに変身しなきゃならないなんて……うぅ――来たれ【瑠璃の花冠】」
師匠がステッキを呼び出すと、ドラゴンは自らのブレスのチャージが強制中断させられたことに困惑し、困惑の余り着地し、そのままひっくり返った。
攻撃行動の全ては、魔法少女の変身シーンを前に抑制される。確か、そうだったはずだ。
「【ミラクル・トランス・ファクト】!】」
いつもよりもちょっとテンション低めで変身する師匠。
その体は予定調和のように瑠璃色の衣装に包まれて、髪はツインテールに、スカートはフリフリになった。
「いつみても、痺れるほどかっこういいね、ね? 夢ちゃん」
「あんたのその感覚だけは一生理解できないわ。それよりまさかあのクロックが、久遠店長だったなんてね、フィー」
「待ってくれ。まだ、私の頭は追いついていない」
そうだよね、ずっと一緒に働いてたんだもんね。
「魔法少女ミラクル☆ラピ! 愛と勇気と友情の果てに、ケ・ン・ザ・ン♪」
あ、前口上聞き逃した!
うぅ、あとでもう一度、口上だけでも聞かせてくれないかなぁ。
『グルォオオオオオオオオオオオッ!!』
雄叫びを上げるドラゴン。
片足をあげたままポーズを決める師匠。
にらみ合いは一瞬で終わり、ドラゴンはブレスを放つ。
「どっかーん☆」
『ガルゥオ?!』
それを、あろうことか、師匠はステッキでホームラン。
見事なピッチャー返しを胴体に受けたドラゴンは、溜まらず後ずさった。……いや、違う。後退に見せかけた予備動作だ!
「師匠!!」
呼びかけも、遠く。
師匠に向かって放たれる龍の尾は、岩壁を削りながら進み――
「ラピラピシェイクハンド☆」
――師匠の手に捕まれて、止まる。
『グル?! グォオオッ!!?』
驚きのままに着地して、それから再びひっくり返るドラゴン。
師匠はそれに、気軽にお散歩に出かけるようなスキップで、一歩進む度に、その場で瞬間移動しながらドラゴンの上空へ移動。
じたばたと藻掻くドラゴンを見据える師匠。ドラゴンは足掻きながらめちゃくちゃにブレスを吐き、その一部がわたしたちに向かう。けれど師匠はクロックさんとイルレア先生にウィンクをして、それだけだ。
きっと、計り知れない信頼があるのだろう。応えるように前に出る二人の背は、大きい。
「いけるかしら? 英雄さん」
「この程度は問題ではない」
イルレア先生がディルンウィンから純白の炎を立ち上がらせ、クロックさんがその炎に手を合わせると、炎が勢いを増して“結晶化”した。
って、なにそれ?!
「それがあなたの異能? まぁ良いわ。灼き断て、ディルンウィン!」
うなり声を上げて迫るブレスを、イルレア先生はただの一太刀で“蒸発”させる。
その絶大な威力に、イルレア先生自身も驚いているようにすら見えた。
「私の仲間に攻撃しちゃう悪い子には、おしおきだよぅっ!」
『ゲロロロロ』
「ちょっと、今までそんな鳴き声あげたことなかったよね?! もう、怒ったんだから!」
『グロゥッ!?』
師匠がステッキを持ち上げる。
そこに集まる輝きは、悪夢を消し去る希望の光だ。
「ああ、思い出が穢されていくようだ」
「ちょっと、英雄さん? あれはあれで、セクシーだとは思わないのかしら?」
「十八年若返って出直してきたら構わん」
「えっ、十八年って未知、九歳よ? それを望むのは流石にド変態……」
「違う。紳士だ」
「いや、騎士でしょ??」
……だんだんとクロックさんに遠慮がなくなって来ているイルレア先生はともかくとして。
「【祈願・龍滅愛羅武悠】」
上空の師匠の周囲に、無数の魔法陣が現れる。
一つ、二つ、三つ。十、二十、三十。五十、百、千。
夜空に煌めく星々のように、無限に輝く魔法陣。それを師匠は、地上に導く先導者のように、ステッキを、振り下ろす。
『グロッ、ゲロロロッ、グロゥァォオ――』
「【成就】!!」
『――ォォオオオオオオオオオォオオオオォォォオォオッッッ!?!?!!』
ドラゴンの体を覆い尽くす無数の光雨。
眩い弾丸はあっという間に視界の全てを覆い尽くし、呑み込み、あとにはなにも残さなかった。
「今日も、魔法少女は華麗に解決! きらっ☆」
巻き起こる瑠璃色の爆発。
出現する転送陣。消え去る花畑。
フリフリ衣装の師匠は、今日もそっと、涙を流した。
「ぁ、夢ちゃん、あれ」
「? あ、透明の界石」
「ふむ、やはり記憶違いでなかったか。この先は全て透明だから、ここが透明界石の始点か自信がなかったからな」
「えっ、く、久遠店長、そ、それって、まさか」
「? ああ。俺がこの迷宮に目印を付けた。ふむ、そうか。俺は一度も、“潜ったことはない”とは、言っていないぞ?」
……そういえば、オーナーさんに透明の界石をあげたとは言っていないし、オーナーさんから武勇伝を聞いたとも言ってない。
うぅ、でも、普通は気がつかないよ。詐欺だよぅ。
「なに、それ……はぁ」
がくりと落とす肩。
それは奇しくも、変身を解除した師匠が同じ仕草をするのと同時で、ただ、引きつったような笑い声が、わたしの喉からこぼれ落ちた。




