そのなな
――7――
――深海迷宮・五百四階層。
重厚な、大きな扉。
聳え立つそれを前に、わたしたちは一晩ぐっすりと眠り、準備を整えていた。
もう、ここまで来たら後戻りはできない。ここから二十八下層分戻ることも、ここで救援を待って餓死を選ぶことも、難しい。
なら、覚悟を決めるだけだ。必ず生きて戻るって、覚悟を決めて進むだけ。今までどおり、なにも変わらない。
「久遠店長、本当に、扉の外で待っていなくても良いんですか?」
「構わない。足は引っ張らないと言っただろう? どのみち、ドラゴンを倒したからといって、この扉も開かれるとは限らない」
「そうですが……いえ、そうですね。わかりました。一緒に、生きて帰りましょう!」
「ああ」
久遠店長にも最後の確認を済ませて、扉を開く。
ごごご、と、少し押しただけで勝手に開いていく扉。その奥には、青い鱗の巨大なドラゴンが、地響きのような寝息を立てていた。
「寝てる……」
「うひゃあ、全長何メートルよ? 立ち上がったら三十メートルはありそうね」
近づいていくと、勝手に扉が閉まった。
逃がさない、ということだろう。閉じた途端、ゆっくりとドラゴンが瞼を開けてわたしたちを見下ろす。とても、敵対者を見ている目ではない。縦に割れた瞳孔からわかるのは……彼が、わたしたちを“か弱い餌”としてしか見ていない、ということだ。
「鈴理は防御補助、私とリュシーは後衛、静音とフィーは前衛。作戦展開、行くわよ、みんな!」
「応ッ!!」
まずはフィーちゃんが、霊力を纏わせた体で突撃する。
それを鬱陶しそうに振り払おうと手を挙げたドラゴンを、夢ちゃんとリュシーちゃんが射撃で止めると、ドラゴンは機嫌悪くうなり声をあげた。
「雷揮神撃――」
『ウルルルゥオオオ』
「――【ミョルニル】!」
ミョルニルが、轟音を上げてドラゴンに直撃する。
駆け巡る稲妻。金の光に満ちる石造りの空間。ドラゴンは額に受けた一撃によろめくように、一歩二歩と下がり――。
「いけない――全員、防御を!」
「っ【平面結界】!!」
――リュシーちゃんの叫び声に合わせて、結界を張る。
張って直ぐに響く轟音。ドラゴンは一歩下がり、二歩目も下がると見せかけて尻尾を回したのだろう。水しぶきと風切り音に紛れて、とてつもない衝撃が結界に走り、ただの一瞬で砕かれる。
けれどその一瞬で全員、回避に移ってくれたようだ。尻尾を飛び越える形で跳躍。わたしの体は、後衛だったリュシーちゃんがついでに拾って跳んでくれた。
「無事かい? スズリ」
「うん、ありがとう。あっ、久遠店長は?」
「霊力強化で跳躍していた。本当に、心配はしなくても大丈夫そうだね」
視界の端では、難なく着地する久遠店長の姿。
良かった。気を裂かなくて戦闘に集中できるのなら、それはそれで安心だ。けれどそれ以上に、善意で申し込んでくれた久遠店長に怪我がなくて、本当に良かった。
『グルウウウウウウオオオオオオッ!!』
「咽頭収縮、妖力値増大――まずい、ブレスだ!」
リュシーちゃんの言葉に息を呑む。
“ドラゴンブレス”。ドラゴンの代名詞とも呼ばれるソレは、言うだけあって強大だ。もしも準備なく受ければ、粉々に吹き飛ばされることは想像に難くない。
「口から吐くなら、カチあげる! ミョルニル!!」
『グルゥア?!』
轟音。
顎下からミョルニルを打ち付けたフィーちゃん。その一撃でドラゴンは上を向き、ブレスは上空へ放たれる。
水属性のブレス。それは、水の固まりとかそういうことではなかったみたいだ。レーザービームのように細い閃光は、異界の天井を容易く撃ち抜いて。
「嘘でしょ?! 異界の魔物は異界の一部。傷つけるコトなんてできないはずなのに……いや、まさか、限界値を飛び抜けるほどの威力? 冗談じゃないわよ!」
怒りで満ちた双眸を、わたしたちへ光らせた。
『グルオォオオオオオオオオオオオオオッ!!』
踏み込み。
ドラゴンの足踏みに合わせて、水しぶきが壁のようにせり立つ。
「ゼノ!」
『応ッ』
振り下ろし。
巨大な爪がフィーちゃんめがけて振り下ろされ、そのフィーちゃんを出現したゼノが攫う。同時に、大きく後退した静音ちゃんが、喉を震わせた。
「汝は鳥、汝は鷹、汝は風を纏う翼人なれば、その身は【天空の使者】と知れ♪」
わたしたちの背から、風で出来た翼が生える。
なんとなく、付与されたことで理解できる力。速度、反射神経強化と“飛翔”能力。反面、軽くなってしまうようだけれど、そもそも風のないこの場なら関係ない!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉッ!! 合わせろ、ゼノ!!」
『心得た、雷神の眷属よ!!』
ミョルニルがドラゴンの腕を打ち払い、がら空きとなった胴体へゼノの剣が放たれる。
漆黒の光。巨大化したそれは、ドラゴンの皮膚を切り裂き裂傷を与える。攻撃が通る。なら、このまま押し切るだけだ!
「【起動術式・忍法】」
『グルアアアアアアアアアアアアアッ!!』
咆吼。
それをモノともせずに、天井から落下する夢ちゃん。
「【八塩折ノ毒酒・展開】」
忍者刀“嵐雲”が、赤黒く輝く。
それを夢ちゃんは、ゼノが傷つけた場所に沿うようにすりつけると、そのまま空を飛んでふわりと離れた。
『グルゥア? ……ギッ!? ルゥアアアアアアアアアッ!?!!』
「対龍種特化の特性魔導毒よ。たっぷり味わいなさい」
『グルルルルルゥゥゥアアアアアアアアアアアッ!!』
それは、叫び声のようだった。
咆吼に合わせて震える空気。ぼこぼこと沸き立つ水。大きく広げられる翼。その鎧が徐々に硬質化し、鱗が、真紅へと染まっていく。
「なんだか、まずい?」
「ユメ、離れろ! 【起動】!!」
リュシーちゃんから放たれた弾丸が、ドラゴンの気を逸らす。
その一瞬で夢ちゃんが離脱したけれど、今度は、ドラゴンの照準がリュシーちゃんに合わさった。この距離でリュシーちゃんを援護できるのは、わたしだけ!
「【“霊魔力同調展開陣”】!!」
『グロォオオオオオオオオオッッ――……ッコォォォォォ――』
「【“心意刃如・創造干渉・狼雅天星・風龍烈牙”】!!」
黄金の狼を身に纏い、風の翼も己の一部のように取り込むことで飛翔能力を獲得。
リュシーちゃんを攫うように抱きしめると、稲妻の速度で離脱した。
「ぐっ、天眼……? まずい、スズリ、上へ避けろ!」
「え? ――っ」
言われるがままに、上へ方向を変える。
鋭角でのターン。リュシーちゃんへの負担を慮る、その前に。
『――ルゥォオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!』
「きゃあああああああっ」
放たれる“ドラゴンブレス”。
壁にぶつかって爆ぜるブレス。その中身は、“熱湯”だ。ぐつぐつと煮え立つお湯が、わたしたちに襲う。それはもちろん、ただのお湯ではない。妖力が凝縮されたそれは、僅かに飛び散った飛沫が、わたしの腕を焼いた。
「づぅぅぅぁぁぁっ」
「スズリ!!」
「静音、鈴理の防御。私はゼノを借りるわ! 行くわよ、フィー!」
「ああ、これ以上、無様は晒せんッ!!」
狼雅天星のおかげで、深刻なダメージには至っていない。
わたしをリュシーちゃんと静音ちゃんが護ってくれている間に、最低限、傷を回復させる。
「ゼノ、剣を私に投げろ!」
『応ッ』
「剛腕力帯――【メギンギョルズ】ゥゥァアアアアアアアアアッ!!」
翡翠の稲妻が、フィーちゃんの腕に宿る。
思い切り振り絞られた鎚は、驚くほどの正確さでゼノの剣に当たり、砲弾のように剣を射出した。ソニックブームを起こしながら飛来する剣弾を、ドラゴンは“背中”で受け止める。
って、背中? まずい!
『グロォオオオオオオオオオオオッ!!』
地震。
ドラゴンの強烈な踏み込みによって起こったものだ。それは、先ほどの焼き回し。けれど威力はその比ではない。迷宮の壁を削りながら放たれる赤い尾は、静音ちゃんとリュシーちゃんごと、わたしをなぎ払う。
咄嗟に投げ入れてくれた夢ちゃんの忍者刀が結界を張ってくれたが、僅かに速度を鈍らせることしか出来ず。
「うぁああああああああっ!!」
わたしは、自分自身に霊魔力防御を施しながら、静音ちゃんとフィーちゃんを引き寄せて、抱きしめた。
「っぁぁぁぁぁッ?!」
衝撃。
紙くずみたいに吹き飛ぶ体。
地面に滑りながら落ちて、追撃を加えようとするドラゴンと目が合う。
「やらせるかァァァァッ!!」
フィーちゃんと静音ちゃんの攻撃を受けて、ゼノに切り裂かれて、それでも、ドラゴンはわたしから目を離さない。
……そうか、力、だ。霊魔力同調によって膨れあがった力のみを、脅威として見ているんだ。
「す、鈴理、ぐぅ、あぁぁっ」
「静音ちゃん?! 起き上がっちゃダメだよ!?」
「わ、私の、私の親友を、これ以上、傷つけさせないッ!!」
「は、はは、同感だよ、シズネ」
「リュシーちゃんまで!? だ、だめだよ! つぅっ」
痛む身体。
ぼろぼろになりながら、立ち塞がる二人。
『グラァアアッ!!』
「きゃああぁっ」
「夢ッ!! この、ぐぁッ」
『ロウァッッッッ!!』
夢ちゃんとフィーちゃんを蹴散らして、ゼノを吹き飛ばして、血を吐きながらドラゴンは歩く。歩みはゆっくりと、けれど大きく、喉を震わせて。
「【魔神抱擁】ッ! スズリ、シズネ、君たちだけでも!」
「つ、つれないことを言わないで、リュシー。わ、私も、盾にくらい」
「やめて、だめだよリュシーちゃん、静音ちゃん! お願いだから、逃げてっ!!」
ぐつぐつと煮えたぎる視線。
吸い込まれる妖力。
『コォォォォォォ――』
渦巻く、力。
「助けて――し、しょう」
放たれる――ドラゴンブレス。
もう、避けることも、叶わなくて。
閃光が、全てを包み込んだ。
2024/02/09
誤字修正しました。




