そのろく
――6――
セーフティエリアの中。
折りたたみの机の上に、ホログラム端末を置いた夢ちゃんが、簡単に方針を伝えてくれる。
「セーフティエリアに転送とボスがくっついているのは、基本的に二十八の倍数だけよ。ここからだと、二十登って四百七十六階層のボスを倒すか、八下って五百四階層のボスを倒すか、その二択ね」
「夢ちゃん、その、転移石は?」
「今回のものは、“致命傷を負った場合のみで作動する”といわれていたわ。こんなとんでもイレギュラーの中で致命傷を負ってみせるのは、最後の最後。餓死の瞬間にでもとっておくべきね。転移がなされなくても応急処置で救援を呼べる上層と違って、転移失敗だけで死に至るわ」
うぁ、そ、そっか。
確かに、試してみるにはちょっとリスクが大きすぎるよね。気に出来るのならした方が良い。
「ごめんなさい、私がもっと下層のデータも集めておけば、みんなの選択の助けになったかも知れないのに……」
そう、夢ちゃんがぎゅっと強く拳を握り、後悔の表情で告げる。
だから、隣のわたしと反対側のリュシーちゃんで、その力が込められすぎて白くなった手を、包み込む。
「本来は、情報収集はみんなで行うことだよ、ユメ。それよりもユメは私たちの司令塔だ。頼りにしているよ、ユメ」
「夢ちゃんに甘え過ぎちゃってたかなって思う。夢ちゃんはいつも大変な時に決断して、進むべき道を教えてくれている。それってすごいことだと思うよ」
見れば、フィーちゃんも夢ちゃんの背を撫で、静音ちゃんもそっと夢ちゃんの頭を撫でている。だからか、夢ちゃんはいつの間にか耳まで真っ赤にしていた。
相変わらず、自分が構われるのは苦手みたいだ。夢ちゃんはいつもがんばり過ぎちゃうから、こうして夢ちゃんの肩の力を抜くのに協力できたら、良いよね。
「っよし! ちょ、ちょっともう大丈夫だから、だから離して!」
「ゆ、夢、髪さらさらだね、気持ち良い」
「こういう機会でもないと、夢は隙を見せてくれないからな」
「目的変わってるでしょ?! それ!」
結局、さんざん撫でられて解放された頃には、夢ちゃんは目がうつろになっていた。
けれどそこに、さっきまでのほの暗さはない。元気になった夢ちゃんに、ほっと一息吐くことが出来た。
「んじゃ改めて……どうする?」
「うーん。そうだ、あの、久遠店長は下層について何か知りませんか?」
「そうだな……」
ふと、思いついて久遠店長に聞いてみる。
そういえば、久遠店長のオーナーさんのトコロには、透明の界石があると聞いている。その、件の最深記録保持の異能者さんとオーナーさんが知己の中で、それで武勇伝を聞いていた――って可能性もあると思うんだよね。
そうしたら案の定、久遠店長は“記憶が定かでないが”と無表情ながら申し訳なさそうに告げて。
「……四百七十六階層の番人は巨大魚で、特殊エリア。五百四階層の番人はドラゴンだったはずだ」
「特殊エリア?」
「深海だ。エリアに入ると、中央に二人分程度の岩場が一つ、二つ? いや、この辺りはすまない。そして、水に“触れる”と、深海四千メートルほどの圧力をかけられる」
ぺしゃんこだ……。
深海が張り巡らされたエリアで、その中を自由に泳ぎ回る魚と戦う? お、落ちたら死んじゃうよ……。
「翻って、五百四階層はいっそ単純だ。ただ硬くただ大きくただ強く、せいぜい水属性のブレスを吐く程度のドラゴンが一体、巨大な普通のエリアに鎮座している」
つまり、ひたすら面倒な敵と、ひたすら強い敵に挟まれているってことだよね?
……それは、どうしたらいいんだろう。
「だったら、下りが良いわね」
「ふむ。夢、何故そう思う?」
「単純な話、二十も登って面倒な敵と戦うのはリスキーよ。だったら単純さ故に情報がハッキリしている敵と、戦略を組んで戦った方が良いわ」
「な、なるほど。しょ、消耗していたら厳しいもんね」
た、確かに。
あと、深海の敵に下から登っていったらどうなるんだろう? ひょっとしなくても、上がった瞬間にぺしゃんこに……い、いや、考えるのは辞めておこう。
「あと、そうだ。五百四階層の前には、セーフティエリアがあるはずだ」
「えっ、久遠店長それ、五百三階層が……?」
「いいや、違う。五百四階層はドラゴンの棲む間に進む巨大な門が、出迎えてくる。その扉の前が、実質的な意味では――」
「なるほど。ボス部屋の一部だから、他の敵は出ない。そういうことですね」
「――碓氷……ああ、そうだ」
そっか、ゲームなんかでもよくある話だよね。
ボスの部屋の前に、封印の門がある……みたいな。
「――よし。なら、手を惜しまずに下層まで降り、ボスの部屋の前で全力で休む。それから挑んで勝って、みんなで帰る! それで良い?」
「もちろんだよ、夢ちゃん!」
「ああ、ユメの案が一番だよ」
「が、がんばろう、夢」
「くく、腕が鳴るよ、夢」
「ここまで来たのなら、最後まで付き合おう。なに、足は引っ張らないさ」
ぜったいに、全員で無事に帰る。
そう、円陣を組んで拳を合わせると、みんなの決意に満ちた瞳が、見渡せた。
今までだって、色んな苦難をみんなで乗り越えてきたんだ。これまでがそうなら、これからも。負ける気は、しない!
「魔法少女団+α、行くわよ、みんな!」
「おーっ!」
手を振り上げて、各々装備を構える。
いよいよ――正真正銘、命を懸けた攻略の端周りだ。
黒い皮膚、銀の槍、大きな体に相応しい膂力とその巨体からは想像できない速度。
まさしくドラゴンの眷属とでもいうべきか。上層とは比べものにもならないほど強力なリザードマンが、統率のとれた動きで襲ってくる。
「リュシーとフィーで前衛を抑えて! 鈴理は後衛の矢を防御。静音は全体補助、反射能力の上昇を中心にお願い! 私は指揮官を討つ!」
リュシーちゃんが武器を大剣に変化させ、フィーちゃんの鎚とともに抑える。
わたしは、平面結界をあらかじめしっかり詠唱して多重展開。干渉制御で矢の軌道も把握しながら防御に徹する。
その間に静音ちゃんが歌でみんなの反射神経や動体視力を底上げして、夢ちゃんが指揮官を狙う。
『シャアッ』
「息がくさい。近寄るな――砕け、ミョルニル!」
稲妻。
『ギシャッ?!』
炸裂音。
空気をつんざく音と光が、リザードマンの視界と、前衛の一体を叩き潰した。
同時に、その刹那を生かして放たれた夢ちゃんの鏃が、指揮官を討ち取った。
『シャギッ!? ガッ!?』
それだけで、指揮系統がなくなり動きがバラバラになるリザードマンたち。
そこからは、彼らを掃討するのはぐっと楽になる。バラバラに襲いかかってくるリザードマンたちを各個撃破すると、やっと、次の階層への階段が見えた。
これで、五百階層目を攻略。あと四階――折り返し地点だ。
「はぁ、ふぅ――見なさいよ、これ。界石のほとんどが黄色。指揮官は赤よ?」
「ねぇ夢ちゃん、何点でクリアなんだっけ?」
「クリアは二十五、優等生になりたいんなら五十よ。本来は一点か二点しか落とさない敵を地道にクリアして、二十八階層のボスが青界石、三点ね。それをとって終了」
確か、紫→藍→青→緑→黄→橙→赤の順番で一点ずつ上がるんだよね。
最高が七点。だけど、二十八階層までだったらボスが青を落とすだけで、それまでは零点の灰界石か一点の紫界石、運が良ければ藍界石、だったかな。
企業点(最後まで転送されずについてくる)と点数は据え置きだけど、転送されると二十もマイナスされるのだとか。
「ゆ、夢、私たちの今の点数、な、何点なの?」
「最速ルートをリュシーに予測してもらって最小限の戦いに納めている状態で……一番多い黄が五点だから……四百二十点ね! これ、来年度まで遊んでても許されるわよ」
わ、わぁ、今回の通知表が楽しみだなぁ。
ちなみに、これまでの界石はすべて久遠店長が拾ってくれている。なんでも、“君たちの努力の結晶だろう”ということで、わたしたちの足を止めさせることなく、バックパックを背負いながらいつの間にかちゃっちゃっと拾ってくれるのだから、もう、すごい。
「さて、あと三階層下りきったら一休みよ。いける?」
「もちろん!」
返事をして、頷く。
それから、五百階層のさらに下へ向けて、わたしたちは慎重に足を進めていった――。
――/――
二メートルはくだらない、蛇の群れ。
ごつごつとした岩で覆われた、硬い蛙。
炎を吐く鋭い牙の、大きな赤い蜥蜴。
「イルレア!」
蛇の喉を杖で突き、半回転しながら体勢を入れ替えて蛙を魔導術で拘束。
それを足場に飛翔して、蜥蜴の照準を私に引きつける。
「燃え上がれ、ディルンウィン!」
『ギャシャアアアアッ?!』
すると、私の下を白い炎が通過。
あとにはただ、鈍い色の界石のみが残された。
「ふぅ。お疲れ、イルレア」
「いや、まだまだよ。それはあなたもでしょう? 未知」
「ふふ、そうね。でも、油断は禁物よ」
「ええ、もちろん」
地下二十七階層を抜けて、次はいよいよボス階層だ。
二十八階層のボスは、これまでの道のりで現れた敵の強化された個体が出現する。それまでにしっかりと歩を進めておきたかったのだけれど、二十七階層の最後の部屋は、まさかのモンスター部屋。無数に現れる魔物を削り倒して二十七体。ようやく、道が拓かれた。
「さて、ボス部屋まで生徒に遭遇はなかったことだし、一度戻ってもう一度――」
「待って、未知。見て」
「――イルレア? ……って、階段が、二つ?」
私の視界から見て正面の一つ。
その真反対にも、何故か階段があった。
「どうする? 未知」
「そうね……罠でも困るわ。確実に行きましょう――来たれ【瑠璃の花冠】」
そう、私がステッキを取り出すと、イルレアは驚愕に目を瞠る。
いや、変身はしない……というか、ある意味では“楽をする”ための手段では、変身は出来ないからね?
「変身、するの?」
「しません」
「ええっと、なら、何故?」
「こうするのよ――瑠璃の花冠よ、我らの進むべき道を示せ」
そう言って、杖を地面に立てて、手を離す。
そうすると――杖はころんと先ほど、私の後ろ側にあった階段に倒れた。
「なるほど……占いね?」
「ええ。ただ、なんのトラブルもないときはともかく、子供たちがピンチに陥ってたりすると、これで示した方角が正解だったりもするのよ」
それがなければ、私も、この魔導術用の杖を使えば良いしね。
「ふふ、そうね。では、降りましょうか」
「ええ」
ステッキを送還し、イルレアと並んで階段に立つ。
相変わらず湯気の立つ水。温泉水に注意しながら降りていくと、だんだんと、風景が変わり始めた。
お湯は水に、風景には苔が生し、フジツボと珊瑚が並び、小魚が泳ぎだし。
「ぁ」
降り立った先はボス部屋――ではなく、何故か普通のセーフティエリアだった。
「あら? 未知、ボスは?」
「ぁー、これはあれね。ごめんなさい、イルレア。“階層移動”よ」
「ああ、これが例の」
そう、階層によっては階段を降りた先が、別のルートである可能性がある。
見れば、セーフティエリアの中に“Ⅷ”と階層を示すマーク。これはきっと、五百階以上を踏破したという例の異能者が攻略した階層なのだろう。
「でもほら未知、ごらんなさい。野営のあとがあるわ。アタリよ」
「え? ああ、本当ね」
なら、ここを生徒が通過したんだね。
なら、追いついてしまわないように確認しつつ、下っていけば良いかな。
「直ぐに抜けて、追いつきそうであれば戻る?」
「ええ、イルレア、そうね。そうしましょうか」
ひとまず休憩は後回し。
それでも先ほど、二十八下層までに二日間使用して慎重に進んだから、体力は有り余っているからね。
「なら、降りましょうか」
「ええ」
階段を降りて、歩き始める。
飛び出す魚、編隊を組むリザードマン、変色してわかりやすいトラップ。
全体的に、私たちの進んだルートよりも難易度が低い気がしてならない。
と、思っていたのだけれど。
「未知、これ!」
「え?」
地面に入った大きな“罅”。
屈んで魔力を通しながら叩くと、あっさりと崩れ落ちた。
その先は――空間が歪んでしまっていて、よく、見えない。
「まさか、下層へのワープ?!」
異界がこうした罠を設置するとき、それは普通の罠と変わらず異界の一部である。
だからこうして崩落のあとが残っている、というのは奇妙だ。もしこれが本当に異界の罠であったのなら、次に通る人間を確実に罠に嵌めるために、完全に元通りになっていないとおかしい。
まぁ、人為的なものだったとして、どうすれば人為的に異界に干渉できるのやら……。
「ええ、未知。まずいわね……二十八階層よりも下だったら、目も当てられないわ」
「……イルレア」
私が名を呼ぶと、イルレアは薄く微笑んで、こくりと頷いてくれた。
「ええ、行きましょう」
「ありがとう」
「ふふ、気にしないで。私も“先生”だもの。放っておけないわ」
そう言ってくれたイルレアに頷いて、手を握って、下層を見据えて。
「行くわよ、未知!」
「ええ、イルレア!」
私たちはそう、遙か下層へと飛び込んでいった。




