表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
401/523

そのご

――5――




 ――夜。



 もちろん、異界の中で空は見えない。

 けれど時計が指し示す夜の時間になると、自然と全員で眠りに就いた。

 わたしもそれは例外ではなくて、テントに入って直ぐに寝てしまった。


「ふわぁ……はれ? んにゅにゅ、まだこんなじかんだー」


 だからだろうか。

 ひとり、目が覚めて起きてしまう。


「むむむ、おみず……ひゃっ、つめたい」


 テントから出て、裸足のまま薄い水の上に立って、少しだけ目が覚めてしまう。

 足の裏にあたる柔らかな水草が気持ちよくて、思わず、小さな笑い声をあげてしまったけれど、みんなが寝ていることを思い出して直ぐに口を閉じた。

 危ない危ない。起こしちゃったら大変だからね。


「――あれ? 久遠店長?」

「笠宮か。寝なくても良いのか?」

「えへへ。目が覚めちゃいました」

「そうか。……ココアは好きか?」

「はいっ」


 水草の上、折りたたみの椅子に座って飲み物を飲んでいた久遠店長。

 どうやら、中身はココアらしい。久遠店長は、ポットからわたしの分も次いで、分けてくれる。


「ありがとうございます。……ふぅ、ふぅ、ん、あまい、おいひぃ」

「ク……喜んで貰えてなによりだ」


 久遠店長、今、笑った?

 ……と、思ったんだけど、気のせいだったのかな?

 いつもの無表情に戻った久遠店長は、足を組んだ姿勢でココアを口に付ける。なんだか、それだけでとても絵になる人だ。

 そしてふと、久遠店長を見ていて気がつく。久遠店長はペンダント型のロケットのようなものを持っていて、どうやらそれを開いて見ていたようだ。あれだよね? 映画とかで良く見る、写真が入っている……。


「あの、なにを見ていらしたんですか?」

「ああ……。そうだな、昔、恋した人の肖像さ」


 ロケットをしまいながら、久遠店長は優しげに目を細める。

 ――はじめて、きちんと見た、久遠店長の表情だった。


「そのひとは……」

「もう、いない。遠い人になってしまったよ」

「……っ、ごめんなさい」

「いや、気にするな。恋しくはあるが、致し方ないことだ。会えなくとも、肖像は残る」


 ……好きだったひとに、二度と、会えなくなる。

 それはまだ、わたしにはわからない感情だ。覚えのない、感覚だ。それでも、久遠店長の瞳が優しげだからこそ、憂いの欠片もなく、ただ、純粋な慈しみが溢れているからこそ――ここまで割り切るまでに得た道程に、胸を締め付けられるようですら、あった。


「……やっぱり、ごめんなさい、です。不躾なことを聞いてしまいました」

「勝手に話した俺が悪い。――だが、そうまで言うのなら受け取ろう。それから、君の心遣いが嬉しく思うよ、笠宮。ただ、願わくば……」

「え?」

「ああ、いや、気にしないでくれ。それが一番の詫びと受け取ろう」

「はい……そういうことであれば」


 気にしないのがお詫び、なら、そうせざるを得ないよね。

 気になるけれど……って、だめだめ。それで言わせたくないことを言わせちゃったんだから。同じ間違いは繰り返しません!


「……さて、そろそろ明日に備えて寝た方が良い。俺も、休もう」

「はいっ――あ、ココア、ごちそうさまでした! 美味しかったです!」

「どういたしまして。お休み、笠宮」

「はい、久遠店長も、お休みなさい!」


 悲しい過去を背負った人。

 大切な誰かを失ったひと。


「ふぅ……ふわ、確かに寝ないとなぁ。――ん、でも」


 正体不明でよくわからない方だった久遠店長のことを、良く知ることが出来た。失敗もしてしまったけれど――うん、得られたモノは大きかった、かな。

 高揚した気持ちのまま、テントに潜り込む。そのままフィーちゃんの抱き枕にされると――なんだか直ぐに眠くなって、意識は闇へ、落ちていった。



































――/――




 ――翌朝。



 微睡みから浮上するように、ゆっくりと目を覚ます。

 周りを見れば、テントの中には誰も居ない。首を傾げて時間を確認すると、時刻は朝の七時。けっこう、みんな早起きだったのかも。まぁわたしは、ココアを飲みつつ一度起きちゃったからなぁ。


「んっ、ふわぁ……」


 ぐぐぐーっと背伸びをして、一息。

 のそのそと起き上がって、着替えて、顔を洗って、歯を磨いて、やっと一息。


「おはよー……」

「ん? 起きたか、スズリ。クス……こっちにおいで。寝癖が付いているよ。整えてあげよう」

「ふわぁ、ありがとー、リュシーちゃん」


 椅子に腰掛けて、櫛で丁寧に髪を梳いて貰う。

 だんだんとはっきりしてきた視界の向こうでは、やっと状況が見えてきた。


「みんな、起きたばっかり?」

「いいや。ただ、シズネと君は、ほとんど変わらないよ」

「そうなんだー……だから、“ああ”なんだね」

「ふふっ、そういうこと」


 椅子の上、手鏡を持ったまま二度寝をする静音ちゃん。

 地図や資料を展開して、折りたたみ机の上でフィーちゃんとなにやら話し合っている夢ちゃん。

 持ってきた魔導コンロで火を焚いて、料理を作っているエプロン姿の久遠店長。


「リュシーちゃんは、なにをしていたの?」

「シズネの髪を梳いてたんだよ。そうしたら、“ああ”なってね」


 ……たしかに、リュシーちゃんの手は気持ちが良い。

 温度とか、手つきとか、伝わってくる優しさとか、その全部が心地よい。これは、寝ちゃう気持ちもわかるなぁ。


「よし。これでどうかな?」

「……うん、ありがとう、リュシーちゃん!」

「いいえ。どういたしまして」

「――そろそろ朝食が出来る。水守を起こしてくれ」

「ぁ、はーい、久遠店長!」


 静音ちゃんを起こして、それから夢ちゃんとフィーちゃんを呼びかける。

 朝食を食べたら、いよいよ遠足二日目――深海迷宮の本番とも謂われる、第九階層の始まりだ。



















 それぞれ装備をしっかりと確認して、いよいよ第九階層に降りる。

 風景はさほど変わらない。けれどなんだろう。道幅がちょうど一回り分、大きくなったような気がする。


「夢ちゃん、なんだか広いね」

「ええ。なんでも、階層ごとに広さはバラバラらしいわ。ただ、風景は基本的には変わらないのよ。劇的には、ね」


 なるほどー、と頷きながら、気になった言葉に首を傾げる。


「基本的には?」

「ルートによっては、他のルートの上層に戻されるような道もあるらしいわ」

「うひゃあ、大変だ」

「下層よりはマシだけれどね」


 まぁ、確かにそうだよね。いきなり敵が強くなるよりは良いのかな。

 でも、攻略までにすっごく時間が掛かっちゃいそうで、いやだなぁ。


「まぁこのルートは、一度は誰かが五百階層以上進んだ道だからね。そういう心配はないとは思うわよ」

「そっか。データがあるんだ」


 なるほど、それならちょっと安心、かな。

 ……うん、でもわたしたちの場合、そういう時ほど注意した方が良いんだよね。気がついたらとんでもない罠にかかっている……なんてことも、今までにあったのだし。


「よし、攻略再開よ」

「おーっ」


 夢ちゃんの合図で、薄く水が張られた迷宮を歩き出す。

 慎重に、慎重に。そう思っていると、リュシーちゃんが合図のために片手をあげた。


「リュシーの消耗は避けたいわね。私が狙撃するから、フィーは撃ち漏らしをお願い」

「了解した、夢」


 夢ちゃんがそう言って構えるのは、完全復活した黒風だ。

 右腕の手甲を前に突きだし、ボタンでも押すような動きで親指を動かす動作によって、あらかじめ組まれた魔導術式(プログラム)を起動する、碓氷の秘技。

 “行動展開モーション・イグニッション”と、そう呼ばれた技術が、迫り来るリザードマンの編隊の、リーダーの頭を撃ち抜くという行動によってその威力を見せつける。


「まずは一つ。ついでにもう二つ」


 動作のみがキーワードという力は、有り体にすさまじい。

 夢ちゃんの放つ鏃の弾丸は、余すことなくリザードマンを貫通し、フィーちゃんに回ることなく打ち終えた。


「ありゃ、一匹は漏らすつもりだったんだけど、貫通でどうにかなっちゃったわね。……威力あげすぎたかな?」

「あはは、みたいだね、夢ちゃん」


 三発目の弾丸が、貫通して後ろのリザードマンを討ち倒したのだ。

 なるほど、確かにこれは威力が高い。確か、夢ちゃんの腕甲、黒風には刻印鋼板レリーフィング・プレートという形で魔導術式が刻印されているはずだ。だから、その刻印された術式を、強化しておいたのだろう。


「ま、油断大敵。慎重に行きましょう」

「あ、ま、待って、夢」

「静音?」

「あ、あれ、あそこ……トラップかな?」


 そう、静音ちゃんが示した場所。

 天井の一部が変色している。


「うーん、怪しいわね。少し離れて起動させてみる?」

「待って、夢ちゃん。その前にほら、魚」


 トラップ擬きから一応距離をとり、泳いでくる魚を注視する。

 けれどなんだろう。まっすぐに泳いでくるのではなく、なんだか蛇行しているように見えた。なんだろう、こう、酔っ払い運転みたいな?


「念のため、私の天眼で見てみようか?」

「そうね……ええ、一応――」

「む、下がれ、碓氷!」

「――へ? 久遠店長?」


 声に戸惑いながら、一歩前に出ようとしていた夢ちゃんが飛び退く。

 そこに発射されたのは、水の弾丸。魚がはき出したそれは、じゅうじゅうと湯気を立てている。まさか、酸?


「チッ、倒して飛び散っても厄介ね。フィー、いける?」

「ああ、任せろ。ようやく出番だな!」


 そう言って、フィーちゃんはミョルニルを持っていない方の手を向ける。

 すると、霊力が集まって雷撃に変換。鋭い軌道で飛来した稲妻は、魚を簡単に焼き尽くした。


「酸まで吐くのか……厄介だな」

「でも、なんとか決着――」

「いや、まだだ」


 久遠店長の言葉に、周囲を見る。

 そこにはさっきのような、蛇行する魚が大量に、水を張って近づく様子があった。


「わたしの結界で押しとどめて殲滅、かな? 夢ちゃん」

「採用。それで行くわよ!」

「うんっ……【速攻術式セット領域結界フィールドバリア展開イグニッション】」


 魔導術を展開。

 わたしたちを護るように球状に張られたそれに、魚がぶつかってくる。予想どおりに結界は乗り越えられないみたいだから、このまま殲滅すれば良いよね。


「よし、じゃあフィーちゃ……え?」

「っスズリ!!」


 慌ててわたしに手を伸ばす、リュシーちゃんとフィーちゃんの声。

 急にひっくり返った視界の端。変色した天井に当たる酸。リュシーちゃんたちの手はわたしを掴んでくれたけれど、だめだ。

 なにせ、崩れているのはあたり一帯。――全員が、穴の底へ落下する。




「っっっ“干渉制御ロジック・コントロール”――“重力制御グラビティ・ロジック”!!」




 落下まで一瞬。

 まるで、転移でもしているような感覚は、きっと偽りではない。

 真っ逆さまに落ちながらも、なんとか着地だけは成功した。


「っ、みんな、無事?!」

「う、うん、ありがとう、鈴理」

「なんとかね」

「ふぅ、危ないところだったね、スズリ」

「久遠店長も……ご無事ですか、良かった」

「ああ。だが、ここは……」


 久遠店長の困惑するような声に、顔を上げる。

 そこは、さっきまでわたしたちが居たようなセーフティエリアだった。セーフティエリアに落ちるコトなんてあるんだね……。見れば、天井はもう塞がっている。


「――は、はは、嘘でしょ?」

「夢ちゃん?」

「なんの冗談よ、これ」

「ねぇ、夢ちゃん? どうしたの?!」


 震える手で、夢ちゃんが示した先。

 その先は、かの異能者が壁に残したという数字。




「へ? ――こんな、ことって」




 書かれていた文字は“CDXCVI”。


 ローマ数字での表記。わたしたちが普段使っているアラビア数字で表すのであれば――“496”。第四百九十六階層を、示す文字。







 落ちた先は……始まりの異能者以外はたどり着いたことのない、未知の深海を指し示していた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ