そのよん
――4――
――第七階層。
あれから。
慎重に、けれどやはり最初の一日目で区切りよく進めておきたかったわたしたちは、リュシーちゃんのレーダー機能を活用して手早く構造を把握。トラップに気をつけながら敵との接触を最小限に抑えて、第七階層まで降りてきた。
迷宮タイプの異界に必ず設置されているという“セーフティエリア”。侵入者を長居させて、自分の心臓により近い場所で戦わせることで、その魔力や霊力を己の運用に利用する。魔物の出ないセーフティエリアも、そうやって侵入者を万全に保つための設備だ。
「次の階層にセーフティエリアがあるわね。そこまで降りたら今日はもう休憩にしましょう」
夢ちゃんの言葉に、みんな異論なく頷く。
……もちろん、夢ちゃんを信用しているというのもあるけれど、もう一つ。なんでも最初のセーフティエリアまでは敵も弱く、さくさくと進むことが出来る。その代わり、灰界石ばかりしか落とさないんだけどね。
ただ、セーフティエリアを抜けたあとからは、難易度が跳ね上がるのだとか。紫界石だけでなく、藍界石も落とすようになる敵。当然のように格が上がり、強くなり、トラップも意地悪くなる。それ以降は四階層ごとにセーフティエリアがあるが、八階層以降ほど急激な変化は見せないそうだ。
その代わり、本気で攻略しようと思えば、少しずつ強くなっていく魔物と延々と戦わなければならない。長く厳しい時間が延々と続き、最高記録で五百三十五階層なのだとか。半年間潜り続けてこの記録だというのだから、恐ろしい。
「久遠店長も、それで問題ありませんか?」
「ああ、異論はない」
と、久遠店長は淡々と頷く。
久遠店長は、時折メモをとる仕草を見せる以外はほとんど気配を感じさせない。なんでも自然体のままのデータを収集するために、極力気配を消しているのだとか。おかげで、気にかけていないとわたしたちですら、存在を見失いかける。
詳細は流石に聞けてないけれど、そういう異能なんだろうなぁ、とも思う。久遠店長、異能者らしいからね。超覚で捉えた感じだと、おそらく、サーモグラフィのように対象を色分けする感覚を持っている。熱に関係する異能なのかも。
「ユメ、階段が近い……が、門番だよ」
リュシーちゃんの言葉に頷いて、進んでいく。
時折飛び出してくる魚を討伐しながら歩くと、少しだけ大きな部屋に出た。
ごつごつとした岩場と、薄く張られた水。それから大きな灰色の扉の前に立つ、槍を持つ兵士――リザードマンだ。
「いい、みんな。八階層から下の標準クラスがアレよ」
「中ボスが雑魚モンスターに成り代わるってこと?」
「そうよ、鈴理」
それは……なるほど、難易度が跳ね上がるとはそういうことか。
「まぁ、編列を組まないでただ一体だけなら、この人数は過剰にも程があるわ」
「なら、ユメ。実力を確認できるように私一人で当たってみるよ。あとでデータ共有もしよう」
「……そんなこともできるのね。どう? 碓氷に売らない?」
「はは、お父様には話してみるよ」
「ありがとう! いやー、助かるわ。あ、無理はしないで良いからね?」
軽く言葉を交わしながら、リュシーちゃんは警戒するリザードマンに向かって歩く。
その足取りは軽やかで、柄だけの剣を持ちながらも、散歩でもしているかのようにも見えた。
『シャアッ!』
「【起動】――フッ」
小さく息を吐く音。
前に一歩踏み出しながらリュシーちゃんが腕を振ると、瞬時に形成された銀刃が槍の穂先を切り落とした。
「シッ」
さらに、踏み出しながら回転。
咄嗟に切られた槍で突いてきたリザードマンの、その一手先を読んだ動き。
リュシーちゃんは避けながら横薙ぎに刃を振るい、リザードマンの首をたたき落とす。瞬く間の、ほんの一瞬の出来事だった。
「すごいよリュシーちゃん!」
「いや、まだまだだよ。それよりも、ユメ、どう見る?」
「知性はあるようだけれど、筋力も速度もたいしたことは無いわね。これなら、編隊を組まれても大丈夫よ」
そう良いながら、夢ちゃんはリザードマンが消えたあとに歩き、何かを拾う。
……と、思えば、それをみんなに見せてきた。
「これが紫界石よ」
「き、綺麗だね」
「意外だな。もっと淀んでいるモノかと思ったが」
丸い石。
紫界石は、まるでリリーちゃんの瞳のように鮮やかで、綺麗な色をしていた。形も灰界石みたいにゴツゴツしていなくて、綺麗なものだ。
「今は丸いけれど、ランクが上がれば自然とカッティングされたかのような形になるそうよ」
へぇ、そうなんだ。
そんな風に感心していると、ひょい、と、気軽な様子で久遠店長が覗き込んだ。
「……市場にも回ってくることがある。透明の界石は、ダイヤモンドと大差はない」
「そうなのですか? 久遠店長」
「君も見たことがあるはずだぞ、フィフィリア・エルファシア」
「見たこと……ああ、あれが」
そう、フィーちゃんはぽんと手を叩く。
「ん? ああいや、すまない。一度だけオーナーに指名ランキング一位のボーナスと表彰状を貰いに行ったことがあってな。その時に確か、机に飾ってあったんだ。私には無縁のものとして、すっかり忘れていたよ」
「ちょ、ちょちょちょ、待って。透明の界石ってなに?!」
「夢でも知らないことがあるのか。珍しいな」
確かに珍しい。
珍しいからこそ、驚かされる。なんで夢ちゃんでも知らないような石を、そのオーナーさんは持っているのだろう?
「いや、オーナーといえば“才能を見抜く目に優れ”、“奇人変人と呼ばれながらも飄々として”、“多数の事業に手を出しながらも成功する”という、奇妙な人物だったから、“そういうこともあるのかもしれない”と思っていたよ」
「フィーちゃん……慣れちゃったんだね」
「毎度毎度、奇妙奇天烈な惑星イベントを開催してくるから……」
そう朗らかに言うフィーちゃんだが、その目は確かに死んでいた。
ええ……いったい、何があるって言うんだろう。こわい。知りたくないけれど、思い知らされるんだろうなぁ。なにせ、遠足が終わったらメイド喫茶のイベントに、メイドさんとして働くことが決まっているんだもん。
「むむむ」
「ゆ、夢、大丈夫?」
「ぽんぽん痛いのか? ユメ」
「ん、ぁ、いや、大丈夫大丈夫。ただ、情報収集の甘さに辟易していただけ。うぬぬぬ、悔しいわ」
「くくっ、たまには良いじゃないか、夢」
「どんまいだよ、夢ちゃん!」
気にしていても仕方のないことだからね。
でも、まだまだ未知の発見があるっていうのも、面白いと思うけれどなぁ。
「さて、セーフティエリアだが……俺はここで待っていよう」
「む? 久遠店長、それは何故?」
「簡単な話だ、フィフィリア・エルファシア。――君たちは、着替えや水浴びがしたいだろう? 終わったら呼びに来てくれたらいい」
「あ」
そ、そっか、男性の目があると難しいよね!
素知らぬ顔で混ざってくるようなひとでなくて、本当に良かった。そういう変質者にはこりごりだからね! それにしても自分から促してくれるなんて、紳士的な人だなぁ。
「よろしいのですか? 敵がポップしないとも限りませんが……。別に、水浴びでなくとも、テントで体は拭けますし」
夢ちゃんがそう、心配そうに告げる。
けれど久遠店長は相変わらずの無表情で、首を横に振った。
「あの程度であれば、自衛はできる。それよりも、今後は確実に自衛できる状況とは限らない。今のうちに、出来ることはしておくべきだろう」
「……そうおっしゃるのであれば、甘えさせていただきます。ありがとうございます」
「気にするな」
……ええっと、うん、はい。正直に言えば、ありがたい。
ここはお言葉に甘えさせて貰うのがいいかな、なんて、頭を下げて階段を降りる。
水が流れ落ちていく階段は、なんとも綺麗だった。セーフティエリアに近づくにつれて小さな花や小魚が泳ぐ姿が見られるようになる。なんだか、すごい。
「お、ラッキーだったわね」
「夢ちゃん?」
「ほら、みんな、壁を見て」
言われて顔をあげると、壁に白いインクで文字が書かれていた。
簡単に、“Ⅷ”の文字。八階ということなのだろうけれど、あれってなんなんだろう。
「最深記録を樹立した異能者は、名前も名乗らずいなくなったと言う。けれど、名前は名乗らなかったけれど、残してきたモノは答えてくれた。それが、異能によって消えないインクでサインされた、階層の数字。長い異界生活での道導になるように、とつけたそうよ。もっとも、入口もルートも多すぎて、あまり意味を成さなかったのだけれど……」
「と、ということは、夢、このルートってまさか」
「ええ。その異能者が進んだルートに違いないわ。写真を撮っておきましょう。それだけで、良い値で売れるわよ」
ほへぇ。
そっか、確認できるだけで五百以上のルートがあるんだもんね。早々、同じルートを狙えはしないということかな?
うん、それなら、レア度の高さにも納得だ。
「さ、早く水浴びしちゃいましょ。待たせるのも悪いわ」
「そうだねー」
そう、少し地面から浮き上がる形の湿地帯用テントを張って、魔導術で浴槽を作り、水を入れて温める。
「準備できたよー」
食事はあとで、久遠店長を呼んでから。
今はただ、このひとときの快楽に、身を委ねたい。なんてね。




