そのよん
――4――
それから。
一週間が経ち、二週間が経ち、三週間も経つと騒動のことなどみんなあまり気に留めていないようであった。
結局どうして彼があんな力を使えたのかは、心理系能力者の力を以てしても謎のまま。かといって心理系、とくに読心能力は貴重すぎて、「じゃあ他の人でも試そう」と都合良く補充できる人材ではない。
現に、政府が力を入れているこの教育機関でさえ、心理系能力者は一人だけ。その一人も研究が主な活動内容であまり教師には向いておらず、ほとんど表に出てこない。逆に、心理系能力者である彼が解明できなかったのであれば、本当に偶然能力が覚醒したのか、もしくは――。
「先生?」
そんなことを考えていたら、ふと、声をかけられた。
見上げてみれば、一階の窓から身を乗り出す笠宮さんの姿。事件現場の中庭でうんうん唸る私を見て不審に思ったのだろう。申し訳ない。
「笠宮さんですか。もう放課後ですが……なにか、部活動に所属でも?」
「いえ、忘れ物をしてしまったんです。それで……」
「ふむ、なるほど」
忘れ物とはいえ、一人で校舎に戻すのも心配な子だ。
あまりひいきしてはいけないが、正直、なんだかきな臭いのも事実。ここは私自身を安心させるためにも、彼女に付きそうとしよう。
「私も参りましょう」
「ええっ、そんな、悪いです」
「ついでです。お気になさらず」
「は、はい、その、ええと……ありがとう、ございます」
あー、照れて頭を下げる笠宮さん可愛い。
チャラ男風なのに子犬系の陸奥先生も癒やされるが、やはり真の癒やしは彼女のような子にしかできない。
「忘れ物は教室ですか?」
「いえ、実習室です。第七実習室に、ノートを忘れてしまったようなんです」
ひらりと身を翻し、窓から廊下に降り立つ。
でも、あれ? 第七実習室は地下だから、放課後の解放はされてない、はず。
「そうですか……第七実習室ですと、教員の端末がないと入れませんよ?」
「へ? ……お、お手数をかけします……」
真っ赤になって身を竦ませる彼女の姿に思わず笑みを零すと、笠宮さんは恥ずかしそうにうなり声を上げた。
――/――
“特専”の地下には、幾つかの施設がある。
その中でも、地下実習室は闇系統の魔導術や異能を用いるのに適していた。第七はその中でもひときわ広く、実戦実習に用いられることすらある。
「あ、ありました!」
実習室の端に落ちていたノートを回収する笠宮さんについて、実習室をぐるりと見回す。照明は最小限で、室内は全体的に薄暗い。慣れない生徒はよくここで上着やら端末やらを忘れていく。
上級生でもたまにやらかすので、一年生の、それもまだ一学期の彼女が忘れ物をするのは無理もない。の、だけれど。
「付いてきてくださってありがとうございます! せんせ――」
「笠宮さん。私の後ろに」
「――え?」
ノートを忘れる、ということは、まずあり得ない。
実習では紙媒体のものは燃えて無くなる、濡れて溶ける、など珍しくはない。そのため、実習のデータは全て端末に送られる。
だというのに、何故かノートを忘れたなどと思い込み。実際に、ノートがぽつんと落ちていた。笠宮さんはそれが自分のものだと思い込んでいるようだが、どうみても新品だ。
まるで何者かに心理誘導されたような。
そんな、粘つくような違和感。その答えが、濃密な闇を纏って“出現”した。
「ひっ」
私の背中で、笠宮さんが怯えたような声を出す。
黒い、闇のようなオーラを蒸気のように立ち昇らせるのは、まだ三十路を越えたばかりの男性だ。
黒い髪は粘りけがあり、鷲鼻の下で歪む唇は青紫色。やせ細ったその男性の名は、吾妻英。特専における、たった一人の心理系能力者。
「あなたの隠匿があれば、なるほど、彼も、手塚宏正も逃げおおせることでしょう。で、あるならば、此度の事件。黒幕はあなたですね? 吾妻先生」
「ひ、ひひっ、ああ、そうさ。そして君たちは最初の犠牲者だ! 自身を捕まえた憎き教師と、その教師を慕う“絞りカス”の女生徒の焼死体を以て、悲劇は幕を開ける! キヒヒヒヒヒヒヒッ! さすればあとは天下だ! 世界を支配するのは劣等者でも、過去の遺物でもない! くひっ、この私が、異能者が! 世界を統べるのだ!」
狂信的に叫ぶ吾妻の足下から這い出てきたのは、空ろな目をした手塚宏正。
品行方正な生徒ではなかったが、同時に肝が太いわけでもなかった。大それたことはできないが、善人というには捻くれていた“普通の”不良生徒だったから、こうして手駒として操られているのだろう。不憫な。
「先生、こわい……」
「防御の魔導術は使えますか? 結界系であれば好ましいのですが」
「は、はい」
「では、それで自分の身を守ってください」
「え? でも、先生は?」
「私は自分でどうともできます。ですが、守りながらだと難しい」
「っ……はい。その、先生! が、がんばって、ください!」
「ええ、お任せを」
「【術式開始・形態・防御・様式・結界・展開】」
自身の周りに結界を張る笠宮さん。
どうもサポートに特化しているのか、彼女の結界は中々優秀なようだ。
これなら、流れ弾程度ではどうにもなるまい。
本当なら、別に守りながらでも問題は無い。
が、もう一つ気になることがある。
「吾妻先生――」
「遺言か? キヒッ! 聞いてやろう」
「――“種”を食べましたね」
「…………」
沈黙は肯定と見なすぞこんちくしょう。
“種”は魔王がまだイキイキとしていた頃にばらまかれたドーピング剤だ。魔王に対抗するために知らずに種を食べた人間は、いずれ身も心も悪魔に変質し、人類の敵になった。
そのあまりに危険な“種”は、もう現代には出回っていない、はずだ。けれど吾妻は食べている様子。
となれば、答えは一つ。
「悪魔の残党と契約しましたか。嘆かわしい」
「ううううううううるさい! これは必要なことだ! 劣等者どもがのさばるこの世界に革命を起こすことに必要な投資だ! そんなこともわからない愚かな“絞りカス”が」
うだうだとわめく吾妻を無視して、もう一度、周囲の状況をよく観察。
黒いオーラが張り付いたドアと警報装置。地下室だから窓はない。端末は圏外。
「やれ! あの憐れなゴミ共を、消し炭に変えろォォォッ!!」
吾妻に命じられた手塚宏正が、空ろな目のまま手に陽炎を生み出す。
予備動作の後に放たれるのは、橙色の炎。化学反応だとか、そういった色合いではない。異なる次元の能力は、私たちの常識では測れない。
だが、それがどうしたと言うのか。あれが高熱の炎で、放たれれば私たちを消し炭にするというのなら、させなければいい。
「【速攻術式・捕縛鎖・二連弾】」
速攻術式。
本来の魔導術式に必要な行程を短縮詠唱する、いわゆる高等技術というやつだ。
難しすぎて机上の空論扱いらしいが、私には関係ない。そもそも魔導術は、“魔法”からこぼれ落ちた物にすぎない。
ならば、“変身”しなければ魔法を扱えない私でも、こぼれ落ちた力を十全に扱うこと程度、いったいなんの支障があるのか。
「【展開】」
最初に放たれた鎖が、手塚宏正を拘束。
二段階目に放たれた鎖が、彼を床に固定した。
「さて、手札は封じられたようですが?」
「ッ……なんなんだ、なんなんだよオマエ!」
狼狽し、床に尻餅をつき後ずさる吾妻。
なんなんだ、と言われても、今の私は一教師に過ぎないのだが。
「もういい、もういいもういいもういいもういいもういい! おまえたちなんかみんなみんなみんな殺してやるああああああああああああああ」
他人を操り、その能力すら強化する力。
ドーピングによって得た力は、彼に狂気をも植え付けていたのか。吾妻は叫び声をあげながら、その身体を膨張させていく。
……というか、展開早すぎません? って、私が速攻で手塚宏正を無力化してしまったからか。
「ッ……【速攻術式――」
私の速攻術式は、確かに相応の速度を持つ。
だが吾妻の変異は、魔導術では捉えきれなかった。
「せ、せんせい? あ、れは?」
「直視しないように。精神をもっていかれますよ」
「ひっ……は、はい」
笠宮さんに呼びかけながらも、私は目をそらさない。
いったい吾妻はいつ種を食べたのか。熟成されきった種が彼の中で開花したのだろう。吾妻の肌は紫に染まり、筋肉は異常に膨張し、腕が二本も背中から生えてくる。見るものに狂気を、近づくものに瘴気を与える異次元の敵対者。
「――悪魔」
魔王を打ち倒した後もなお魔王にかわって地球侵略を企む存在が、異様に伸びた牙で私たちを威嚇する。
『如何にも。我が名は悪魔、レジェルセンド。開花し君臨したのならば、最早貴様たちに勝利はない。我は持て囃されし七を打ち崩し、この地を絶望に覆うものなり』
振り向くと、笠宮さんが顔面を蒼白にして蹲っている。意識を失ってしまっているようだ。
結界ごしで、直視せずに魂を軋ませる存在。教師である私を含めて、これに叶う存在など今の特専にはいない。七英雄なら、別だろう。だが、彼らがたどり着く前に、これは特専の人間を、そこに根ざす人たちを殺し尽くすことだろう。
『恐怖に震えるか。それもまた良し。この男も矮小であったが、我が苗床としては優秀であった。であるのならば、貴様たちも我が同胞たちを呼び起こす苗床として、いまわの際まで生き存えさせてやろう』
「苗床としては優秀?」
『そうだ。数少ない選ばれた力を持ちながらも、収まる枠は学校教師。頂点に立つべきだと嘆きながらも努力は積まず、世界を憎む。ククッ、“悪魔”の苗床に相応しかろう』
ああ、そうだ、勝てない。
教員である私では、これには勝てない。
悪魔であるということは、そういうことだから。
だから。
「来たれ、【瑠璃の花冠】」
ああ、認めよう。
“教員の私”では、おまえに打ち勝つことはできないと。
そして、後悔して貰おう。
私を――“この姿”に、させたことを。
『足掻くか。よかろう。一撃は許そう。それが羽虫とて、な』
私の手に“ステッキ”が現れる。
持ち手から本体は白。柄の直ぐ上には瑠璃色の花と澄んだ青の宝石。可愛らしくデザインされた、子供用玩具のような魔法の杖。
「すぅぅ……」
さぁ、覚悟を決めろ、観司未知。
教師人生にピリオドを打たないためにも、“この姿”を見たモノは、等しく滅殺すれば良いのだから!
振り上げた手。輝くステッキ。そう、我が能力の名は――。
「【マジカル・トランス・ファクトォォォォッ!!】」
――“魔法少女”。
魔法少女の能力使用条件は、基本的には単純明快。
物語の、おとぎ話の“魔法少女”のように戦うこと、だ。
衣装を着て、詠唱をし、ポーズを決める。たったそれだけで得られる膨大な力。
だが、待って欲しい。
“少女”じゃなくなっても条件が変わらないとか、聞いてない。
身体を包み込むのは、ふりっふりの魔法装束。
白い衣装にアクセントの瑠璃色のリボンと銀の装飾。少女時代にヘソ出しルックだった可愛らしい上衣は、これでもかと胸を強調する、下着よりもひどいパッツンパッツン。
スカートは膝が隠れる程度だったのに、今や膝上二十センチ。魔法のパンツが動く度に見える。おまけに太ももはニーハイがキッツキツに食い込むボディコン衣装。
少女時代は良かったが、クール顔に成長した今では絶望的に似合わないツインテールは花飾りで可愛らしく固定。眼鏡は空中に溶けて消えた。
『ち、痴女だァァァァァァァァァッ!?!?!!』
さっきまでのキャラを投げ捨てて、怯えながら後ずさる悪魔。
ああそうさ。そうだとも。これこそが仲間たちを爆笑で過呼吸にさせ殺しかけ、姉貴分を泣かせ、慕ってくれた真面目な仲間に唇を噛んで血を流すほど笑いを我慢させた痴女衣装。
――ステッキを天にかざし。
「魔法少女!」
――回しながら胸の前へ。
「ミ・ラ・ク・ル」
――スカートを翻しながら、くるっと回転して。
「ラピっ!」
――片手は腰に、ステッキは口元に。
「可憐に推参っ!!」
最後の仕上げにぱちっとウィンク。
リップ音を上げながら、ステッキで投げキッス。
可憐な少女時代ですら恥ずかしかった行動は、今、音を立てて私の胸に爪を立てた。さぁ、殺せ。いや、間違えた。殺さなきゃ。なにがあっても。
『ぐぅぅ、この我に膝を付かせるとはなんたる力!』
「うるせぇ、嫌みか。しね」
と、ついつい口が悪くなる。
だがだめだ。このクソステッキは、私の言動から少女度が下がると威力が下がる。改めて気を取り直して、口元に手を当てて微笑む。ころせ。
「乙女に痴女とか言っちゃう悪い悪魔は、お仕置きだぞ☆」
『恥ずかしくないのか貴様』
は、はは。
ははははははっ。
敵にまでこの扱い。
ああうん、そうだね。知ってた。
うん。だから、さ。
おまえだけは、この場を生きて帰さない。
『痴女として苗床となることを恥じて逝け!』
「――遅い」
一歩踏み出し、拳を避ける。
――翻るミニスカ。
『なに?! ならばこれで!』
四連撃を、後ろに飛んで避ける。
――引き締まるむちむちニーソ。
『ならば!』
放たれる毒のブレスを、ステッキで弾いてかき消す。
――無駄に揺れる胸元。
『おおおおおおお! 我が、必殺の悪魔剛弾!』
「お願い、ステッキさん!」
四本の腕から放たれた光線を、ステッキを振り回しかき消す。
――風に晒されるぴっちぴちの二の腕。
ああ、そうだ。
ここまで私に恥を掻かせたということの意味。
そろそろ、魂に刻み込んでやろう!
「【祈願・現想・等しく斬り分ける光】」
『ぐっ、まさか、痴女の格好で油断をさせて?!』
「【成就】!!」
放たれた斬撃は極光。
周囲を真っ白に染め上げるほど力強い光は、悪魔に難なく接触する。
悪魔もその膨大な力を練り上げて防御の姿勢をとるが、光は消えない。
『何故だ?! 何故、何故何故何故?! 何故防げない!』
「防ぐという選択肢が間違いだったというだけのこと。私は“斬る”と願い、その願いは成就した。故に――“斬る”までそれは、止まらない」
『そんな、馬鹿な!? それが可能ならば、それができるのならば、それは最早、人間などではなく――ァァアアアアアアアアアッ!?』
断末魔が響き渡る。
悪魔の身を切り裂いた光は、その奥に隠された“悪魔花”を切り裂いて、けれど他の何者をも傷つけずに消滅した。
後には倒れ伏す吾妻と、砂になって消えた花。私の願い、“斬り分ける光”は十全に願いを叶え尽くした。
「魔法少女のお仕置きコンプリート! これにて、決着っ!」
ステッキをくるくる回して、びしっとポーズ。
何故か爆発する背後。怪我なく吹き飛ぶ吾妻と手塚。
終了の合図に応えるように、魔法のステッキは宙に消え、私の姿も元に戻る。
後は気絶した笠宮さんを回収して、後始末は理事長に丸投げ……し、て?
「せ、せんせい」
「か、かかかかかか、かさ、みや、さん」
ぱちりと目を見開くのは、私の癒やし、笠宮鈴理ちゃん。
あれ? えっと? いつからどこから? 気を失っていたんじゃなかった、の?
「あ、あの――」
「ええっと、これはその、私はあれでそのこれで痴女などではなく」
「――格好良かったです、先生!」
「はぁ?」
呆然と呟くのも仕方の無いことではなかろうか。
いやだって、どうしろっていうのさ。
「ああ、まさか先生が憧れの魔法少女ミラクル・ラピちゃんだったなんて! あ、わかってますよ? 正義の味方は正体を秘密にするんですよね! 大丈夫です、わたし、口は固いんです!」
びしっと、魔法少女ポーズを決める笠宮さん。
うん、そうだね。君がやると可愛らしいよ。でもね、だめなんだ。もう私の心はぼろぼろなんだ。おうちかえりたい。
ああ、なんだろう。せっかく事件を解決したのにこの徒労感。
神様、私はどうやらあなたを許すことが、できそうにないようです。
2016/08/12
2016/09/05
2016/11/03
誤字修正しました。