そのさん
――3――
――外部クルーザー。
生徒たち全員の出発を見送ると、私は周辺状況の確認をしてから異界に乗り込むための確認作業に移る。
そう、今回の遠足も例年どおり、教員は二人一組で多数組潜入し、見回りをしながら攻略することになる。もっとも、異界そのものが広すぎて、生徒たちに遭遇できないまま攻略して帰ってくる……なんてことも、珍しくはないのだけれど。それでも行かなければならないのは、PTAやらなんやらと、色々関わってくるから……らしい。私としては、これで少しでも生徒たちの安全確保に助力が出来るのであれば、異論はないのだけれどね。
「未知、準備はどう?」
「ええ、大丈夫よ、七」
私に声をかけてくれたのは、残留組の七だ。
七は致命傷を負って戻ってきた生徒の治療という、重要な役割を背負っている。英雄である七がここで待って居てくれるから、生徒たちも安心して異界に乗り込んでいくことができる、というのもあながち間違いでは無いだろう。
「まぁ、未知なら心配はいらねぇだろうが、気をつけろよ」
「ちょっと、獅堂、肩により掛からないで。重い」
それから、周辺警護を担当してくれる獅堂もやってきて、私の肩を肘置きにする。
重い重い。まったく、もう! 子供みたいなコトをするんだから。
「……怪しいな」
「七?」
「二人とも、この間から距離が近くないかな?」
七に言われて、首を傾げる。
「友情の確認くらいしかしてねぇよ。なぁ、未知?」
「なによその笑顔、気持ち悪いわ」
「はっはっはっ、言うじゃねぇか、こいつ、この」
「痛い痛い痛い、額を押さないでよ、もう!」
まぁ確かに、以前よりは距離が縮まった……というよりは、もっと前のような距離感に戻ったような気はする。けれど、そんなに変わっただろうか?
主観では、以前とそうたいして差はないのだけれど……?
「むぅ、やはり怪しいな。獅堂、君、なにかしたかい?」
「何もしないおまえに比べたら、なにかしたかもしれねぇな?」
「へぇ、そう言うんだ?」
「ははっ、なんだ坊主。まさか、ヘタレの癖に俺に適うとでも?」
ど、どうしよう。
何故かすごい勢いで喧嘩を始めてしまいそうな二人。いやいやでも、ちょっと待って? そろそろ私も出発しなくてはならないから、仲裁をしなくてはならないのだけれど。
「そろそろその茹だった脳みそを冷やしてあげるよ」
「てめぇのツルツルの脳みそでも拝ませて貰えば、確かに肝は冷えるかもなぁ?」
いやー、なんだか昔みたいで懐かしい。そういえばしょっちゅう、こうやって喧嘩をしていたなぁ。
……っと、しまった、思わずほのぼのとしてしまった。さっさと仲裁して、二人ともに頭を冷やして貰おう。そう踏み出した私の脚は、視界の影から飛び込んできたものによってもつれさせられた。
「あわわわ」
「ハイ、未知。お待たせしてしまってごめんなさいね?」
「い、イルレア、ちょっ、恥ずかしい」
横から飛び込んで、ひょいと私を持ち上げて抱きしめてくるくると回るイルレア。
もう生徒たちはいないとはいえ、さすがにこうされるのは恥ずかしい!
「ふふ、ごめんなさい。ここのところ、毎日ほとんど会いに来られなかったから」
「いいえ、その、やっぱり毎晩花をくれるのは、迷惑ではないかしら?」
「あら、未知は私の毎日の楽しみを奪ってしまうと言うの? 悲しいわ」
「ええっと、そういう訳ではないよ、イルレア。気持ちは、嬉しく思う、し」
会えない日も会える日も、必ず窓下に花を一輪置いていくイルレア。
一本一本の花は、気候や花言葉に合わせて、落ち着けるモノや安らぐモノをチョイスしてくれる。なんというか、そこまでまっすぐと思いをぶつけられ続けるのには慣れていないから――その、照れる。
「女を放って喧嘩に明け暮れる男なんて、置いていけば良いわ。それよりも、今日からよろしくね? 未知」
「ふふ、そうね、そうかもしれないわ。……ええ、よろしく、イルレア」
前回の遠足でのパートナーは陸奥先生だったが、今回は違う。
なんとイルレアが、私のパートナーとして申し出てくれたのだという。
「おいおいおい待て待て待て、俺たちほどの仲良しこよしはそうそういないぜ?」
(意訳:おいこら合わせろいいな七!)
「ははははは、そうだよ未知、ほら肩で組んでいるじゃないか? ね!」
(意訳:ちっしょうがない今回だけだよ獅堂!)
……なんだか、こう、異様な空気を感じる。
引きつった笑みで肩を組む二人を見て、イルレアはにっこりと、花咲くような笑顔を見せた。
「まぁ! なら未知も安心して、異界に潜れるわね! さ、行きましょう?」
「え、ええ。――二人とも、仲良くね!」
手を振って、引きつったまま固まる二人と別れる。
そのまま、イルレアに手を引かれながら、私たちは岩場を目指した。
「ごめんなさい、イルレア。仲介させてしまったわね」
「あら、私は未知を助けたのよ? だったら、違う言葉が欲しいわ」
「……ふふ、そうね。助かったわ、ありがとう。イルレア」
「ええ、どういたしまして。あなたのその言葉が、なによりの褒賞よ」
そう、可憐に投げキッスまでサービスしてくるイルレア。
イルレアと話していると落ち着くのは、こういう明るいところにあるのかもしれない。ええ、はい、崇拝してこない貴重な女友達としても見ています。うん。
「準備は万端かしら?」
「ええ、だいたいは魔導術で、この中に」
今日の私の格好は、さすがにいつものスーツ姿ではない。
厚手のズボンにロングブーツ。その上から収納の多いロングスカート。軍服を改造したような形で、ナイフなどを差しているベルトも、何重かに巻き付いている。
上半身もシャツの上からベスト、その上からジャケット。そして、足下までのロングコート。髪は一結びにして肩口から垂らし、色々機能を組み込んだ伊達眼鏡も装着。
コートの下、腰のポーチが荷物入れだ。魔導術式で圧縮して、内部空間にテントから非常食まで詰め込んでいる。色は全体的に黒。トラップ感知諸々に使用する長い杖を持つ手は、指出しのグローブだ。
「流石ね。もしかして、二人分?」
「ふふ。救助の可能性も含めて、もっとよ」
「準備万端ね。頼もしいわ、未知」
「ええ、ありがとう」
そういうイルレアは、なんというか、騎士姫という言葉が思い浮かぶ格好だ。
白を基調としたズボン、シャツ。淡い水色を基調にしたロングスカート、ブーツ、ベスト、タイ。その更に上から、白銀の装甲を装着しているので、全体のイメージは白銀と純白に見える。
普段は流しているロングウェーブヘアも、今は後ろで結んでポニーテールにしているのが印象的だ。
左腰には見慣れた剣。白炎浄剣“ディルンウィン”だろう。後ろ腰には無骨なナイフ。それらの上から隠すように白いマントを羽織っていて、マントの裏地に幾つもの特殊方陣が明滅していた。おそらく、荷物の収納はそこだろう。
「イルレアも、準備万端ね」
「ふふ。未知に負けていられないわ」
良いながら、黄金の扉に手をかける。
すると扉は鮮やかに明滅し、鎖を外して私たちを招き入れた。
「行きましょう、未知」
「ええ、イルレア」
二人で踏み込み、扉が閉まる。
直ぐ正面でぽっかりと口を開けているのは、石造りの壁だ。
踏み出すと、じっとりとした水気と“熱”が、ブーツから伝わってくる。
「炎の異界?」
「いいえ、イルレア。見て」
「あれは、煙? ……いえ、“湯気”ね」
階段を降りる度に浸る水気。
随分と下まで降りて床が見えると、その正体も直ぐにわかった。
珊瑚の張り付いた石壁。薄く足下を多う水の正体は――温泉だ。
「熱で体力が奪われないように、注意をしておく必要があるわね」
「ええ、そうね。魔導術式である程度、体感気温を調整しながら進みましょう」
「負担ではないかしら?」
「この程度、問題ないわ」
それよりも、熱中症が怖いからね。
余計なリスク、避けられるようなデメリットは極力避けて進んだ方が良いだろう。
「【速攻術式・気温維持領域・展開】」
私を中心に、周囲の空間の温度を調整。
イルレアも範囲内に設定しておくことで、多少離れても、イルレアに付随してある程度維持される。といっても、離れている時間が長いと、イルレア側は解除されてしまうけれど。
「これで、大丈夫よ。私から半径三メートルまでは持続しているから」
「わかったわ。ありがとう、未知」
これで、ひとまずは大丈夫だろう。
先行きの見えない旅路ではあるが、気の許せる人と一緒にいけるのであれば、いったいなんの問題があるというのか。
私たちはそう、周囲に充分に気を配りながら、熱と水の空間に向かって踏み出した。
「ああ、そうそう」
「イルレア?」
「その格好も素敵よ、未知」
「っ」
――むしろ、危険なのは熱よりも、イルレアの不意打ちかも知れない。
そんな感想を抱きながら、涼しくしているはずなのに暑くなった顔を、手で扇いだ。




