そのいち
――1――
十二月中旬。
この季節には、忘れていられない大イベントがある。私はそう、提出された“チーム申請用紙”に目を通しながら、去年のことを思い出していた。
去年は直前まで三人組で大丈夫だと思い込み、結果、静音さんと出会うことが出来た鈴理さんたち。彼女たちは今回は忘れていなかったようで、しっかりと五人メンバーでの申請をしてきた。
「ふふ、今回は間に合ったみたいね」
「あ、遠足の、ですか?」
「はい、陸奥先生」
前回、それならば、と静音さんを紹介してくれた陸奥先生が、申請用紙を覗き込んで安堵の息を吐いていた。まぁ、私としても、彼女たちが引き離されるのは見たくない。
もっとも、今年は他にも“厄介な要素”があるのだけれど……さすがに、忘れていないよね?
「今年の二年生は、どこになったんですか? 観司先生」
「ええと、去年までは三年生の行き先だったのですが、何故か変更になりまして」
「へ? それって、観司先生、まさか……」
パソコンのモニターに表示された場所。
地図上では、日本列島の南。世界で見ても最大規模の、“海溝”。
「ええ、そうです。“マリアナ海溝異界”――未だ解明されていない、世界最深規模の大迷宮。例によって、一部の英雄は入れませんが」
魔界鋼鉄でできているとかいう悪魔を倒した際に、彼は死の間際に異界を発生させ、そのまま沈んでいった。悪魔の消滅が確認されたときには既に、その亡骸は海の底へ。
マリアナ海溝のどこまでも下に沈んでいって、未だ人類が到達できていない秘境から、異界を発生させた。そのため、“深さを誰も知らない”という概念をキーワードに形成。未だ全容が知れない異界が完成してしまった。
入口は一つ。マリアナ海溝中央部の真上、海上二メートルの地点にぽつんと浮かぶ岩場と、大きな金の扉。岩場はギリギリ六人が乗ることが出来るサイズで、遠足の“六人規制”の由来にもなった。
その岩場から扉を潜ると、現在確認されているだけでも五百を越える“スタート地点”のどこかに飛ばされる。生徒たちは力を合わせて協力しながら、この大迷宮の第二十八階層を目指す。第二十八階層には大型の“ボス”と呼ばれる魔物と、それを倒した先に財宝と階段と、ワープポイントが設置されていて、それで帰還するという形だ。
なお、途中で致命傷を負った場合は、英雄の力が込められた結晶が自動で砕け、転送される、異界の仕組みを逆手に取った帰還システムだ。それまでの実績が成績に考慮はされるが、再チャレンジはできない。
「進入不可の英雄は、九條先生と鏡先生だけですか?」
「あと、東雲拓斗さんも、ですね」
そうそう。
確か、喧嘩しながら悪魔に向かっていった獅堂と七を、拓斗さんが仲裁しながら倒したんだった。
私はそのとき、時子さんたちと他の事件を担当していたのよね。本当に、懐かしい。
「ちなみに、その、魔法少女さんは?」
「入れると思いますが……陸奥先生、セクハラは犯罪ですよ?」
「ちちち違います、そんなつもりじゃなくて!」
「ふふ、存じております」
「あ、からかいましたね!」
陸奥先生に謝りながら、改めて手元の資料を見る。
マリアナ海溝異界――通称“深海迷宮”。企画案に突如として盛り込まれた、生徒たちの足を引っ張るためとして思えない、一つのルール。
「本当に、意味あるんですかね、これ」
「そうですね……私からは、なんとも」
“特専の未来性を示すため、チームに最低一人、企業からの取材担当をつける”。
まぁ、岩場も頑張ればもう一人乗れる。
けれど異能と魔導と魔物とトラップでひしめく迷宮に、一般企業団体の人間などを放り込んだら確実に足手まといだろう。企業の社員は流石に致命傷を負っても個人が転送されるだけに調整されているが、点数は大幅に削られる。
しかも、どこの企業にするのかは申請が来ている企業から早い者勝ち。余れば余るほど、経歴の怪しいギリギリ企業の参入を許さなければならない。
「うーん……やっぱり一度、確認しておこうかな」
企業の申し込み受付は、一括で瀬戸先生だ。
私の担当するところではないからわからないのだけれど、そうも言ってはいられないことだろう。
「贔屓は良くないけれど、去年みたいなことになっても大変だからね」
そう、私は、鈴理さんたちにメールを送る。
内容は簡潔に、“受け入れ企業は決めましたか?”と。
まぁ、杞憂ならばそれに越したことはないのだし、ね。
――/――
――魔法少女団・部室。
十二月の半ばの特専は、それはもう寒い。
山間部に近いからか、空気は冷たく雨も多い。今日も例年と変わらず、冷たい雨の降る日だった。
「抜かったわ……」
去年のような失敗は繰り返さない。そう、早々に五人で提出していたわたしたちだったが、明るい空気は“Pikon!”というポップで軽快な音と共に打ち崩された。
未知先生が教えてくれたワード。“企業受け入れ”というメッセージ。すっかり忘れていた。でも、さすがにまだ大丈夫だろう。そんな私たちの楽観視は、“有名企業売り切れ”という現実にたたきのめされた。
そうだよね……せっかくなら実績のある企業じゃないと、怖いもんね……うん……。
「調べてみたけど、残りは全部、避けた方が良いわね」
「夢ちゃん……一応、なんで?」
「国連にコネがあるブラック企業」
「あ、うん、大丈夫です。理解した……」
ということは、まだまだ企業側の申請が終えていない以上、希望を持ってホワイトな会社を待つしかない、ということだ。もちろん、それも早い者勝ちになるだろうけれど。
「よし」
「リュシーちゃん?」
「お父様に、企業を立ち上げて貰おう!」
「だだだめだよ、さすがに無理だよっ」
そんなご迷惑はかけられないし、なにより間に合うかわからない。
というかさすがに、却下されちゃうよ!
「ゆ、夢、他に手段はないの?」
「うーん……一応、申請してない企業にアポをとって、私たちのチーム所属になって貰うように交渉、参加して貰うという手もあるんだけど……」
「ほう? それではダメなのか? 夢」
フィーちゃんがそう尋ねると、夢ちゃんは難しい顔で唸った。
「――単純な話、企業側に提示できるメリットがないのよ」
「貴重な異能の研究……とか?」
「鈴理、それ、“卒業後は企業に所属します”って意味に捉えられるからね?」
「あ」
そ、そっか。
全員の未来が確定しちゃうんだ。
「実際、それ狙いで申請はせずにどっしりと構えている企業もあるわよ」
「こ、交渉の場に立つとき、企業側が有利な条件で、こ、交渉できるもんね」
「そういうこと」
あぅ。
しかも、色々と条件をつけられてしまうかもってこと?
それは、なんというか、だったらやっぱり申請待ちしかないのかな?
「困った、いや、さすがに困ったわ」
夢ちゃんはそう、天井を向きながら額を抑える。
もしこのまま時間制限が来てしまった場合、わたしたちには二つの選択肢が与えられる。
一つは、その時点で締め切られた中から一つ、企業を選ぶこと。もう一つは、解散してばらばらのチームに入れて貰うこと。その場合、わたしは特性上、生徒会のチーム所属になるそうだ。
……できればどっちも、選びたくない。
「いや、待てよ?」
「ん? どうしたの? フィー」
「ああ、夢、すまない。一本電話をかけてきても良いか?」
「え、ええ、もちろん」
フィーちゃんはそういうと、立ち上がってさっと部室の外に出る。
突然のことで呆然としながら帰りを待っていると、十数分後、フィーちゃんは落ち着いた表情で戻ってきた。
「私たちの将来もとくに束縛せず、“とくに”見返りなく、国連と繋がっていない企業が受け入れ可能になったが……どうする?」
「とくにってことは、少しはあるのね? いやでも、でかしたわ、フィー! それ、どこなの?」
「ああ、これだ」
すっとフィーちゃんが取り出したのは、一枚の紙。
そこに描かれているのは、可愛らしい惑星のマーク。
「メイド」
「わ、惑星」
「めるるん」
「ぱるーん」
「って、フィーちゃん、これまさか」
にっこり、と、可憐な笑みを浮かべるフィーちゃん。
わたしたちはそれに、引きつった笑みを返す。
「取材にはうちの店長が宛がわれるそうだ。条件は、今度の二周年イベントで一日新人メイドをやること。どうだ? この機に私と、メイドをやらないか?」
――最早、選択肢は無いに等しい。
わたしたちは互いに目を合わせ、色々なことを考えて、ただ、頷くより他になかった。
師匠。
どうやらわたしたち、メイドさんになるようです。




