そのろく
――6――
「【第一……いいや、やっぱり第三の太陽】!!」
火柱が悪魔を包み込む。
だがその程度では、足止めもできなかったのだろう。もう何度目かもわからない毒の爪から逃れるために、俺は身体を“炎”に溶かす。
「つっぶねえなァッ!」
燃え上がる腕を振り下ろせば、悪魔は身体に巻き付いた鎖を解き、俺に向かって投げた。
また“炎”になって逃げようとするも、何故か鎖は実体のない俺を絡め取り、強制的に人の身に戻しやがる。
『捕まえたぞ』
「こちらの台詞じゃ!」
俺を捉えた一瞬を好機と見たジジイが、悪魔の背に拳を打つ。
だが戻ってきた鎖が、鎧のように悪魔を護る。おいおい、万能だなあの鎖!
「獅堂、仙衛門、無事か!?」
鎖からは解き放たれたが、仙衛門を投げつけられて吹き飛ぶと、それを七が水で受け止めた。が、状況は変わらず、英雄三人がこぞって向かっているっつうのに、悪魔は未だ無傷だ。
まぁ、連携がある分こちらも無傷なんだが……ジリ貧じゃあ、誇れることではないな。
「あー、いてぇ。ったく馬鹿力で重たいもん投げやがって」
「失礼な、儂、軽い老人じゃぞ?」
「ノリとキャラの軽さは置いといてくれねーか?」
「二人とも、集中して」
「ほっほっほっ」
「はいはい」
軽口を叩く一番の理由は、状況の確認だ。
声に力はあるか。動きに精密さが欠けていないか、全うに認識できているか。
それらを、こんなやりとりで確認し合う癖。だから、七も軽口の範囲でとがめたように見せかけている、敵に漏らさない一種の暗号。
『終わりか。どうした? 我らが王を打ち倒したその力、まだ見せきってはいないだろう? 全て使え。その上で押しつぶす。所詮、七人揃わなければ何もできない塵芥であろうと、教育してやろう、家畜共よッ!!』
七人いなきゃ魔王に勝てなかった、と?
ハッ、ならば証明してやろう。あの日よりも強くなった俺たちが、悪魔なんぞに劣りはしない。今なら、三人でも魔王に打ち勝って見せる、ってなァ!
「七、おまえ、どこまでやれる?」
「実家から持ってきたアイテム、温存してあってね」
「ジジイ」
「おうよ」
会話はたったこれだけ。
だが、これだけで充分!
俺が足止め、ジジイが温存、七が追い詰め、俺とジジイで止め!
「【第一煉獄】――刮目しろッ!」
俺の周囲を∞の字に周回する九つの炎球。
これの役割は単純明快!
『なにをするかと思えば、また火遊びか』
「いいや、焼き切りさ……!」
高速周回の炎球が、悪魔の構えた鎖に当たる。
その役割はチェーンソー。文字どおりの、焼き切り。
「はっ、はーッ! どうした、気合い入れて防げよ!」
――ギャリギャリギャリギャリギャリッ
『う、ぬぅ、貴様』
俺のチェーンソータックルに押され、地面を抉りながら後ずさる悪魔。
だが、いいのか? 防いでばかりで。俺の目的は、この鎖だぜ?
「【仙法・疾雷剛体】ッ!! ぬぅぅぅおおおおおおッ!!」
『後か、ならば鎖よ!』
悪魔の背後で、腰だめに力を蓄えるジジイ。
その弓が如く引き絞られた右腕に宿るのは、周囲一帯を照らし上げるほどに白く、稲妻を迸らせている。
『小癪! だがッ』
悪魔はチェーンソーを、己の翼を犠牲にして防ぐ。
だが、防御用の鎖は既に焼き切れていて、腕を使ってガードするのにもワンテンポ必要。
そのカンマの世界で、七の用意が完成する。
「砕けよ――」
七の周囲に配置された、三つの懐中時計。
時針だけの時計は七時を指し、分針だけの時計は七分を指し、秒針だけの時計は七秒を指す。
その溶け出してしまいそうなほどに透明なのに、向こう側が一切見えない不可思議な懐中時計こそ、七の専売特許。アイツが、蒼き時の雨と呼ばれる所以の一つ。
「――“時空結晶”」
懐中時計が砕け散る。
そして、“時間が停止”した。
時間の結晶というトンデモ技術で作られた時計が、概念と共に砕け散ると、その時間はその流動を一時的に停止し、結晶が元の姿を取り戻すまでの数瞬、“世界を止める”のだという。
七が施した条件には、俺と、七と、ジジイが時間停止に含まれないというものだろう。そしてその条件だと、縛れる時間は僅かカンマ七秒七七のみ。
「【第二煉獄】!」
縦周回四個ずつ二本の円環が、悪魔の背の両腕を落とす。
筋肉によって引き締められていた胴体がこれだけで緩み。
「堕ちろ。ふんぬぅぅぅぉおおおおッ!!!」
ジジイの白雷が、轟音と共に悪魔の心臓を穿った。
「時は戻る」
『な、に、が、ァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?!!』
混乱したまま、後ずさる悪魔。
その心臓に穿たれた穴と、ジジイが手に持つ結晶――上位悪魔が宿す命と魔力の固まり、紫に輝く“魔核”を見比べ、断末魔の悲鳴を上げる。
「悪ぃな。これでも俺たち、英雄なんでな?」
悪魔の悲鳴は、もう聞こえない。
指先から灰になったアイツは、跡形もなく消え去った。
「ふいー、終わったぁー」
「早く戻って未知と合流したいよ」
「あの嫌み眼鏡と二人きりだろ? まさかフラグを立ててやしねーと思うが、未知だからなぁ」
「本人が望まない結果に陥ることが多いよね。運が、ほら、さ」
「言ってやるなよ?」
「言わないよ。獅堂じゃないんだから」
いや、もう、本当に未知は運が悪いからなぁ。
周囲を念のため警戒しながら、そうぼやく。
だが、いつもとは違い、一つ、反応がなかった。
「ジジイ? なんか見つけたか」
「獅堂、七よ」
「んだよ? 改まって」
祭壇の手前。
灰になった悪魔の前で呟く、ジジイ。
影になって目元は見えない。だが、正気であることは窺えた。
「この世界を、どう思う?」
「それは、ここでしかできない話か?」
「未知には聞かせたくなかろう?」
「仙衛門? どういう、意味?」
言葉に抑揚はない。
だが、無感情とは違う。押し殺したような声、とでも言えば良いのか。いつもと様子が違う。だが、俺が俺に告げる警告音は、様子の一言で片付けられるほど生易しいものではない。
「英雄が日本人ばかりだったことが気にくわない諸外国、英雄とは屍山血河の上に立つ幸運な殺戮者だと広言して憚らない“異界共和党”の連中、英雄を金儲けのできる手軽な兵器としか考えていない政府――本当に、儂らが大人しくしている必要があると思うか? あの日の問いかけの続きだよ、獅堂、七」
思わず、口を噤む。
それはあの日、あの同期会の朝、ジジイが、楸仙衛門という老人が俺たちに投げかけた問いだ。
絶対に頷かないであろう未知を除き、全員に告げられた言葉。
「今こそ、もう一度問おう――儂と共に、世界を手中に納めようぞ」
七は、未知と共に在る為に断った。
時子は、ふざけんな、とジジイを叱った。
拓斗は、仲間として聞かなかったことにする、と苦笑した。
クロックは、ジジイの正気を問うた後に拒否して、ため息をついた。
俺は、一度は頷いた。
あの日、未知に魅せられたあの瞬間までは。
「――あの日、俺は確かに頷いた。未知に魅せられて前言を覆して、今に至るのは確かだ」
「ならば」
「だけどよ」
くだらない世界だと思った。
でも、世界は俺が偏見に満ちた目で見ていたものよりも、ずっと優しかった。
英雄への僻みと妬みで日本に嫌みを言っていた諸外国。
――世界を救ってくれた俺たちに、涙を流して花を渡してくれた少女がいた。
――日本相手に嫌みを言う国も、国中の人間たちは、俺らと肩を並べる度に祝福をくれた。
ことあるごとに英雄を嗤う“異界人共存和解党”の連中。
――全員が全員“そう”じゃねえんだ。
――これ以上失いたくないから、怨みを捨てたいと、共存の可能性を見つけたいと、あなたたちに申し訳ないと泣くいい年したおっさんだっている。
ことあるごとに英雄を政治利用しようとする政府。
――いつもすんでのところで食い止めてくれてるのに、やりきれない後悔ばかりの政府高官。
――俺たちと同じ時間に戦っていた仲間だって、上に昇り詰めて国を変えると、“戦い”で力になりきれなかった今こそが自分たちの戦いだと、そう言ってくれるヤツらだっていた。
「なぁ、本当に世界はくだらないのか? 本当に、ダメなのか? 俺はまだ託せると思っている。俺たちにできることが、あると思っている。だからあの、四年前の同期会で覆した俺の言葉を、俺は後悔しちゃいねぇよ」
俺たちが本気になれば、世界を覆すことは不可能ではないだろう。
だが、それはたくさんの血を流す。たくさんの、笑顔を穢す。
俺には、それほど価値のある、魅力のある言葉には思えない。
「言いたいこと、全部、獅堂にとられちゃったよ。仙衛門、僕らの選択は変わらない。だから、きっと今の英雄たちの総意であろうから、あの日の拓斗の言葉を借りるよ」
「『今なら、聞かなかったことにする』――ってな」
そう、告げると、ジジイは肩をふるわせる。
怒るか、嗤うか? 泣くってことは……ねぇだろうなぁ。
「ふくっ、ははははははっ――若いな。その若さが羨ましくもある」
「ジジイ?」
「そう、儂はジジイだ。故に恐ろしいのだよ。明日すら見えぬ日々、ただの人間として、忘れ去られた英雄として終わることが、儂はなにより怖いのさ」
「仙衛門? っなにを?」
ジジイは暗く、昏い瞳でそう嗤うと、おもむろに、手に持っていた“魔核”を砕いた。
「秘術“薬仙”――【錬成・魔血交合】」
そして、砕いた粉を手の上で液体にし――一息に、飲み込む。
「恐怖だ。老骨となったこの身で、あるかどうかもわからぬ未来よりも、儂は儂の価値ある優れた存在だけの世界を、作り上げるッ!!」
「テメェ、ジジイ! んなことしたら……」
「ダメだ! 獅堂! 一度離れて!!」
七に捕まれて一歩引く。
その間に、ジジイは身体を変質させた。
心臓付近から伸びる鎖の紋様。
漆黒に変質した四肢と、真紅に光る目。
なによりも、その纏う空気が、人間のものではない。
『ふぅ……【邪法・業魔練体】――これは一歩だ。脆弱な殻を捨て、蛇の如く新たな自分へ生まれ変わるという、なぁ』
「ジジイ……んなことしちまったら、アンタ、戻れなくなっちまうぞ……ッ」
抱えてきたものはあったんだろうさ。
だが同時に、温かく得たものもあったんじゃねぇのか?
未知との……孫娘のように思うと言った未知とのことは、良かったのかよ――!
「仙衛門。僕はあなたを止めるよ」
「七――テメェ一人にはやらせねぇぞ。ジジイ、ふん縛って未知に謝らせてやるから覚悟しておけ!」
『カカッ、言うのお。じゃ、が』
ジジイの姿がかき消える。
同時に、七が吹き飛んだ。
「っ」
衝撃。
七の様子を視る間もなく、背中に走ったインパクト。
宙を飛ぶ感覚。一回転し、地面に叩きつけられる前に着地。
「【第一の――」
『遅い』
「――ガァッ!?」
腹にブロー。
身体がくの字に曲がり、きらずに、襟を掴まれて投げられる。
視線の先には――七の、姿。
「ぐぁっ」
「くぅっ」
ぶつかり、派手な音を立てて転がる。
炎に溶ける暇すらない、強烈な連撃。
威力もスピードも、桁違いってか? ちくしょう!
「ちぃッ、この!」
「獅堂!」
「おう!」
七が俺の前に身を乗り出す。
合図は簡単。七が盾になり、俺がその間に炎に溶ける!
「これで――」
『すまんが、無駄じゃ』
「――あづッ!?」
炎に溶けた――瞬間、“実体”を捕まれて投げ飛ばされる。
眼前には倒れ伏す七。ジジイの腕には、俺の炎を防いだ、あの悪魔の鎖か!
「っつ、ぁ」
『なに、殺しはせんよ。“閉じ込めた”未知ともども、事が終わるまでここで暮らせ。魔物は食えるし水もある』
「閉じ、込めた……? そう、か、ルートを、指示、したのは、テメェ、だった、ぐっ、な」
そうだ。未知の調査ルートの指示はジジイが出した。
だからこんな……いや、待て、どういうことだ?
俺の混乱を掬い取ったのか、確信に満ちた目で七が立ち上がる。その目は、疑惑と、悲しみに満ちていた。
「仙、衛門――いつから、“これ”を計画していた?」
『――流石、御子よ。頭の回転が違うのぉ。どこで気がついた?』
「いくつもあった。調べているうちに、いくつも違和感があった。あなたが今ここで反乱を起こさなかったら、こじつけも良いところ、で、終わったはずだった――!」
血を吐くような叫び。
温厚で、感情を大きく揺らすことは滅多にない七の、怒りの声。
「久留米孝治――ここ、特専で生徒の拉致を行った“魔人”は、九州エリアの出身だそうだね。そして、あなたは五年前に九州エリアに顔を出している……これは、久留米が“魔人”になった年と同じだ」
『カッ、続けよ』
「……心理系能力者として赴任した、吾妻英は、別に第七実習室でなくても良かった。強いて言うのなら、久留米の時のように学校郊外で事に及んだ方が、リスクは少なかった」
『うむ、くくっ、うむ』
「ッ……通り魔事件を起こした清掃員の男は、異能者であることを偽装した自覚はなかった。ただ漠然と、侵入方法を知っていた」
『ほう』
「仙衛門…………沖ノ鳥諸島の“異界”はわかりやすく異常だった。誰かが侵入して、脅しつけたように」
『――』
「何故……何故、あの夢魔は今になって動いた? ……確実に自身より強力な仲間ができたからじゃ、ないのか? 今までは他者を“夢”で誘導するために動いて、“ここ”を解放させる予定だった。夢魔は、自分こそが主導権を握っていると、思い込まされていたのだろうけれど」
語りきる七の言葉。
その全てが、痛いほどにしっくりと来る。
最初の事件に関与した悪魔は、俺が消し炭にした。だが、悪魔とは、未知に気がつかれないうちに焼却できるほど、弱い存在だったか?
……まるで、事件の全貌を隠すような、捨て駒のような存在だったとしたら?
辻褄が、あっちまう……。
『流石、流石は彼の者の子よなぁッ。そのとおりじゃよ。あの夢魔にはよう働いてもらったわい。最後には儂を裏切る気だったようじゃが、その分、本当によく働いてくれた』
「その力を、手に入れるために?」
『そうじゃよ。そして、もう一つ。“弱点を探るため”じゃよ』
「……まさ、か」
そうは言うが、一度は諦めた世界征服。
諦めた理由が未知の力であったのなら、こうして堂々と表に出てきた理由は……?
んなもん、一つしかねぇ。
「わかったっていうのかよ……未知の、弱点が?」
『そのとおりじゃ。ようできたのぉ、正解じゃよ、獅堂』
話は終わりだと言わんばかりに、闇の気配を携えて歩くジジイ。
おい、くそ、動けよ! 頼むから動いてくれよ! 未知が、未知の、ピンチだってのに!
『さて、獅堂、七――仲良く眠れ』
そして拳が、振り下ろされる。
黒く変色した悪魔の拳が、俺たちの意識を刈り取るために――
「そ」
――黒い影が拳を弾く。
「こ」
――その影は、ジジイを突き飛ばし。
「ま」
――そのまま蹴り上げ。
「で」
――大きく、はじき飛ばした。
「にゃんっ☆」
すたっと降り立つ黒い影。
今だけは来て欲しくなかった、大事な仲間。
「魔法少女ミラクル☆ラピっ♪ ――レンジャーフォームでキャットだにゃんっ☆」
未知が――俺たちの魔法少女が、虚空から降りてきた。
その頭と腰に、クッソあざとい瑠璃色の猫耳と尻尾をつけて。




