そのろく
――6――
石垣島で食事を終えて、次の移動先である四国、高知県に飛行機で移動。
宿泊予定のホテルに到着する頃には、すでにあたりは暗くなっていた。
「ふぅ……ん、良い眺めね」
宛がわれたのは大きな部屋だ。
余裕で複数人は泊まれそうな部屋だが、一人部屋扱いなのだとか。これは、城崎さんが演技の立ち回りをすることも考慮された部屋で、防音で広い部屋、というのが毎回の彼女の要望なのだとか。
さっそくお風呂をいただき、マネージャーさんが手配してくれたプロのメイクさんに、ナチュラルでも似るようにして貰った。
“ちょっとなにこれこの肌質羨ましすぎるメイクいるこれ?”などとお世辞まで貰ってしまい、恐縮の限りである。
――コンコンコン
「? はーい」
と、考え事をしていたら、不意にノックの音が響く。
ちょっとだけ警戒をしつつ開くと、私の目の前にワインボトルが突き出された。
「よぅ。どうだ? 一献」
「……誰にも見つからなかったのでしょうね?」
「もちろん。抜かりはないさ」
「まったく……どうぞ、歓迎するわ」
ワインボトルにグラスを二つ持った獅堂を、苦笑と共に招き入れる。
まぁ、酒盛りは大人の特権だ。せっかくの夜景、ワインと一緒に楽しむのも、悪くはないかな。
「乾杯!」
「なにに?」
「今日という偶然に、だな」
「ふふ、いいね。かんぱい」
カチン、とグラスを合わせて、一口。
あっさりとした白ワインだ。フルーティーですごく美味しい。高そう、なんて今は思わない方が良いのかな?
「思い出話に花を咲かせるのも良いが、これからのこと……なんてのはどうだ」
「だめよ。あなた、口説こうとするとポンコツになるから」
「はっ、言ったな? 俺の本気を知らないだろ」
「……いつだったかな、時子姉がふざけて見せた、“幻影大人モード”」
「おいばかやめろ」
なんて。
獅堂と二人きりで話していると、いつの間にか懐かしい話ばかりがぽろぽろと出てくる。
二人で一つのボトルを飲み干して、獅堂がどこからかもう一本持ってきて、気がつけばもう三本目の白ワインだ。
「クロックの馬鹿はどこでなにやってんだかなー」
「クロックはきっと、どこでも生きていけるんでしょうね」
「ああ。時子の幻影大人モード。解除の切っ掛けはクロックだったな」
「“幻影で背伸びをする幼女は好みだが、自身の最大の魅力を潰す行為であることを自覚しろ”……でしょ?」
そうそう、あのとき時子姉がびっくりするほど怒って、クロックに青龍をけしかけたんだよね。表情を一切変えずに吹き飛んだクロックが当時はそこらへんを飛ぶこともあった悪魔に直撃して、二人できりもみしながら落ちて爆発したのはさすがに笑えなかったなぁ。
いや、獅堂は爆笑してたよ。お腹抱えて死ぬほど笑ってたよね。当時はまだ私以外の人間に心を許していなかった七が、クロックと獅堂を冷たーい目で見ていたけれどね。
「はははっ、あったあった! ……あの頃は、いつも明日が見えねぇ毎日だった。いつもっと強力な悪魔が出てくるのか。本当にこの戦いは終わるのか。悪事を企んでいた悪魔が、白昼堂々攻勢を仕掛けるようになって、世界中に攻撃をして、俺たちは誰しもに注目される“勇者”になって、ワル=ウルゴをぶっ潰したアトは祭り上げられるように“英雄”になって――思ったよ。俺は本当は、おまえたちといつまでも、“あの日々”を過ごしたかったんじゃねぇかってな」
――言われて、言いよどむ。
あの頃は苦難の連続だった。悪魔たちの狂宴を阻止し、幾度となく止められなかった涙に悔やみ、人間たちの浅はかな違法実験を目の当たりにし、泥に中で雲間の月に涙した。
あの頃は冒険の連続だった。誰も踏破したことのない秘境に潜り、時には極寒の海底を震えながら進み、動物の助けを得て謎を解決して、遺跡の奥地で笑い合いながらキャンプでたき火を囲った。
「全てを終えて、今が出来て、みんながそれぞれの道に進んで。それでも、こうして杯を交わすことが出来る――それって、素敵じゃないかしら?」
「ははっ、なんだ、言うようになったじゃねぇか」
「今、大人になったあなたとお酒を飲み交わせることが、私は嬉しいよ。獅堂」
あのときは。
あの大戦の時は、誰がかけてもおかしくはなかった。そう言えてしまうだけ、厳しい状況だったから。それでも、あの日に戦い抜いた私たちは、誰一人欠けることなくこうして杯を交わせている。
……それはとても幸福なことだと、私はそう、思って止まないから。
「未知、やっぱり俺はおまえが好きだよ。今すぐこの腕にかき抱いて、閉じ込めてしまいたい。その瞳に映るのが俺じゃねぇなんて、耐えられるはずがない」
伸ばされる手。
頬を撫でる、切ない瞳。
「俺の想いには、答えちゃくれねぇか? 俺は未知以外を愛するコトなんて、できないんだ」
「……今、答えが欲しい? だったら、私は――」
獅堂のことは好きだ。
きっと誰よりも好きな――無二の“親友”だ。
私はその気持ちを、獅堂のように、恋に変えることができない。
不思議だね。
あなたのことを他の誰かに渡したくないと思う気持ちは一緒なのに、友達にしか見られないなんて。なんでだろうね。私は――私は、きっと、恋が解らない。
こんな傲慢、死んでも口に出せないよ。本当に、先生としてどうなんだろう、なんて落ち込んでしまう。
「いや、待て、“獅堂好き好き愛してる”っておまえから言わせるまで、やっぱり保留」
「……恋をしても、そうはならないと思うけれど?」
「そんな目で見るなよ、いやマジで。――ったく、知らないのか? 恋はヒトを変えるんだぜ? じゃなかったら俺は今頃仙衛門に荷担して、世界征服を達成しているはずだ」
「ふふっ、なぁにそれ? すごい自信じゃない?」
「馬鹿、俺から自信をとったらスーパー格好良いイケメンしか残らねぇぞ?」
「ふふっ、あはははっ、もう、自分で言うの? それ」
――うん、えっと、なんだかはぐらかされてしまった。
いや、違うか。私の戸惑いを見抜いて、きっと、肩の力を抜かせてくれたんだ。叶わないなぁ、まったく。いつもそうしていれば、格好良いのに。
「あー、やめやめ! 明日も早いんだ。とっとと寝るぞー」
「あら、誘ったのは獅堂のくせに」
「……俺は朝までだって構わないんだぜ?」
「お帰りはあちらでございます」
ボトルを持って、ひらひらと手を振りながら扉に向かう獅堂。
ああ、そうそう、くれぐれも気をつけて貰わないと。そう追いかけると、獅堂は振り返って不敵に笑った。
「おやすみ、俺の未知」
「あなたのものではありません」
「くくっ、そうか……だが、中々に扇情的な格好だったぜ? 俺以外には、見せるなよ?」
「洗浄……せんじょう……扇情的?」
言われて、見下ろして、お酒で火照ったからだと乱れた浴衣。
いや、そこまで派手に乱れているわけじゃないけれど――思わず、顔が熱くなる。
「ちょっ、この、もう!」
「はははっ、寝坊するなよー」
「したら獅堂のせいだからね?! もう、ばか!」
扉が閉まり、遠ざかる足音。
もう一人の時間だというのに、私は浴衣を直して布団に倒れ込んだ。
「本当に――もう」
呟く声では、熱は冷めない。
吐息まで火照っているのはきっとお酒のせいだと誤魔化して、睡眠欲求に導かれるままに、そっと目を閉じた。
明日には、この熱が冷めていることを、ほんの少しだけ惜しく想いながら。
――/――
――ビル・屋上。
特課から派遣された三人組は、特殊部隊服に身を包んで監視を行っていた。
周囲の異常を監視しながら、ホテルの隣のビルから、ミランダの様子を見守る。
「ほうほう、九條獅堂め、さっそく女優を口説いているぞ」
「不潔です。信じられません。やはり魔法少女のみが真なる英雄なのですね」
「なんだ? マクレガー殿は潔癖かい? 英雄色を好むというじゃないか」
そんな品のない会話を繰り広げる二人の後ろで、凛はひたすらため息を堪える。
もしかしなくても大スキャンダルな光景だ。だというのに、二人の……特にエルルーナの態度はなんとも飄々としたものだ。凛はただでさえ、“敵は天使かも知れない”と聞いて戦々恐々としているというのに。
「お二人は、緊張はされないのですか?」
「なんだ、生徒会長殿。緊張しているのかい? 私はもうそんな年じゃないからね。酸いも甘いも痛いも快いも、どっぷりと溺れたあとさ」
「不潔です、エルルーナ。……と、失礼しました。私も初任務ということではありません。それなりの緊張はありますが、肩の力を抜く場面は心得ています」
突拍子もない答えのエルルーナ。
真面目にきちんと会話をしてくれるジェーン。
話を聞くのならジェーンにしよう、と、凛は心に決めておいた。もっとも、凛の主観的に“自分が一番常識人”という状況自体、あまり胃に優しいモノでは無かったが。
「凛、もしかしたら濡れ場になるかもしれんぞ。見るか?」
「未成年になにを見せようというのですか。良いですか? 凛。これの言うことは聞かないように」
「は、はぁ」
頭を悩ませ、頭痛を堪える。
なにかしらの手段で発散したい。この愚痴を誰かに聞いて欲しい。そう思いつつも、凛はただただ“これも罰の一環”と、自分に念じていた。もちろん、そんな罰は含まれていないのだが。
「――?」
と、凛は上空でなにかを見つけたような気がして、首を傾げる。
だがどんなにスコープで見回しても、なにも映らなかった。
「どうした? なにか映ったか?」
「いいえ、気のせいかも知れません」
「ふむ……ジェーン、異能使用許可をくれ」
「ええ。小さな勘も見逃さない。警察官とはそうであるべきですから」
ジェーンの言葉に頷くと、エルルーナの腕から人魂が放たれる。
人魂はそのままふよふよと漂いながら、夜の雲間に消えていく。
「なにかあったら、これでわかるさ」
「はい……ありがとうございます」
夜空は沈黙を保っている。
可能であれば、いつまでもこの静寂が続けば良い。凛はそう、願わずにはいられない。
「おお、引っ込むぞ、やはり濡れ場か?!」
「ままままさかそそそそんな――こほん。私は特課として、彼らを見守る義務があります」
「おやすみからおはようまで、か?」
「ええ、もちろん!」
「エロートめ」
「エロエリートとでも言う気ですか?!」
――それはもう、切に。




