そのに
――2――
――都内某所。
ホテルの一室。
防音設備が完備された高級ホテル。その対面ソファーの上座に座る男。優雅にロックグラスを傾けながら、その無駄に顔の整った男は、妙に様になる仕草でウィスキーを呷った。
「で?」
男――獅堂が問いかけた先にいるのは、眼鏡に七三の気弱そうな中年男性だ。
男性は緊張からかハンカチで何度も顔を拭いながら、獅堂に「はい」とうわずった声で返事をする。
「私がマネージャー勤める女優、ミランダ・城崎の護衛についていただけないでしょうか? も、もちろん、報酬は約束いたします」
「今更金品の類いに興味もないんだが……まぁそれはあとでも構わん。何故、俺なんだ?」
「そ、それはもちろん、英雄である九條様以上の異能者など、探そうという方が難しいですよ!」
なるほど、英雄の中でも獅堂はアポイントメントが比較的取りやすい人間だ。
なにせ、七は基本的には興味のない人間と約束など取り付けない。時子は忙しい。拓斗は必ずこの世界にいるとは限らない。仙衛門は隠居中。魔法少女は天に還り、クロックはそもそも消息不明。獅堂も決して初対面の人間に気を裂くほど優しくはないが、他に比べたらなんとかなりそう、ではある。
獅堂は冷静に、そう、己が選ばれた理由を脳内で考察する。もちろん顔や地位、ネームバリューで選ばれた可能性もあるが、その程度の浅い理由ではないはずだ。獅堂には、そんな確信があった。
「そうじゃねぇよ、わかってんだろ?」
「と、いいますと?」
「惚けるな。特課にも依頼しておいて、何故、俺にも声をかけた?」
そう――特課の課長、楠正路は獅堂の友人だ。決して内部情報を漏らすような人間ではないが、今回は、向こうが先に獅堂を雇うという情報を入手したため、獅堂に確認の連絡が入ったのだ。
もちろん獅堂としては寝耳に水であり、だからこそ、此度のことに疑問を抱いていた。
「信用を得たいんだったら、情報は隠さず話せ」
「……雇われてくださるのであれば。もちろん、報酬は望むモノをお支払いします」
「そうか――じゃ、他を当たるんだな」
立ち上がって、帰ろうとする獅堂。
そんな獅堂に男性は目を瞠り、それから慌てて獅堂を引き留めた。
「ッお待ち下さい! お話、しますから、どうか!!」
獅堂の前に回り込み、床に額を擦りつける男性。
その必死な様子に獅堂は大きくため息を吐くと、先ほどのソファーにどっかりと座り込んだ。手酌でウィスキーを注ぐ姿は実に品が悪い――はずなのだが、この男が行うと妙に絵になる。
そんな獅堂に、男性はゆるゆると安堵の息を吐き、話し始める。
「――城崎は、白い羽根の異形に狙われています」
言われて、獅堂は眉根を寄せる。
当然ながら、思い浮かぶのは白い翼の異形――天使の姿だ。
「天使か? ……いや、いい、続けろ」
「天使かどうかは、わかりかねます。本物を知りませんので。ただ、ちょうど一週間ほど前から、異形に付け狙われ始めたのです」
なるほど、と頷いて、獅堂は疑問点を告げるに留める。
「その時点で、警察には?」
「提案しましたが、城崎はこれを拒否しました。“撮影に支障がある”、と。主演映画が控えている中、ここで妙なスキャンダルは欲しくはない、と」
「命よりも、か?」
「城崎は、女優業に命を賭けているのです。そして、我々もその気持ちはよくわかります。駆け出しの頃から、引っ張り合ってのし上がってきましたから……」
のし上がってきて、ようやく切り拓いた道。
他ならぬ惚れた女が昔からの夢――教師――を貫いている姿勢を知っているだけに、獅堂は、それに口を挟むことは出来なかった。
「最初の内はプロダクション専属の警備員や、社員で対応してきました。ですがどうにもそれだけでは追いつかなくなり、内密に、という約束でお願いしました。ですがそうなるとどうしても、離れた場所からの警護になります」
「まぁ、そうだろうな。だが、それがどうして俺に繋がる? 悪いが、女優とのスキャンダルなんてごめんだぞ」
獅堂はそう、ほんの数ヶ月前、イルレアとの誤解で起きた騒動を思い出す。
そのときに離れた距離感を、修復し切れてはいないという現状だ。できることなら、余計な波紋を生みたくはない。それが、獅堂の偽りなき胸中であった。
「実は、今回の主演作品は人気小説の映画化、というものでして」
「へぇ?」
「タイトルは“炎舞の歌姫”。九條様をモデルにした異能者と、魔導術師の女性の恋愛アクション映画です。ですので、キャラ造りのために無理を言って護衛のような役職をお願いした。今回限りという約束で、引き受けていただいた。そういった筋書きを用意してあります」
「なるほど。他からの要請は、全部、アンタらが引き受けてくれるってわけか」
「はい」
つまるところ、獅堂が今回引き受けたコトによる損益。
“一度受けたんだから良いじゃないか”という文句に対しては、全て引き受けるというのだ。それは尋常ではないほど大変なことになるのは目に見えている。であるのなら、彼らはそれほどの覚悟で来たのだろう。
「ま、及第点か」
「それでは!」
「コトが解決したら、そうだな、城崎が身につけている形見の品が妖魔に付け狙われる品だとわかっていたから、善意で九條獅堂が引き受けた。そんなような筋書きをブラッシュアップして用意しておけ」
「っ畏まりました!」
「それと、報酬なんだが――」
感動して頭を下げる男性に、獅堂は笑いかける。
整った顔立ちからのスマイルは同性でもくらりと来てしまいそうな妖しさがあったが、それ以上に、その笑顔は怪しかった。
「――ってことで、よろしく」
「は、はぁ、そんなことでよろしければ、もちろん、不足なく」
「ああ、頼むぜ?」
なにやらそう頼み事をした獅堂は、楽しげにほくそ笑む。
これは愉快なことになった。せいぜい、最後まで守り切ってやろう。そう、そんな不順な様がありありとわかる表情で、獅堂は楽しげに声を漏らすのであった。
――/――
――警視庁・特課特別作戦室。
並べられたデスク。
ホワイトボードに貼られた写真。
指揮棒片手に説明をするのは、このあと直ぐにアメリカに発たなければならないという、多忙を極める正路の姿であった。
正路は忙しい合間を縫って、今回の事件に担当する“三人”に、事件の概要だけでも伝えておきたかった。なにせ、“とある事情”で、柾崇には任せられないことなのだから。
「一週間ほど前から、ミランダ・城崎は謎の異形に付け狙われている。これを影ながら護衛、あるいは確保するのが今回の指令だ」
「警部、影ながら、でないとならない事情は?」
「主演映画の前に、スキャンダルは困るそうだ」
正路がそう受け答えするのは、金髪をショートボブにした、美しい女性だった。
胸は薄く、身長は男性よりも少し低い程度で、女性にしては高め。すらりとしたプロポーションは、どこは猫のような機敏さを連想させる。
彼女の名は“ジェーン・マクレガー”。階級は警部補であり、正路と入れ替わりで日本に来るはずが、正路が遅れてしまっているが為に顔を合わせることになった女性だ。
彼女はバリバリのエリート階級であり、この日本での現場研修で指揮官適正を見た後、本国に帰国し、出世の道が用意されている。
「今回の権限は君にある。握りにくい手綱だが、握ってしまえば力になるはずだ。やれるか?」
「はい、必ず」
そう、まっすぐと正路を見る目は純粋だ。
だからこそ正路は託すことを決意し、説明の続きに戻る。その、決意を固める彼女の後ろに座る、“手綱を握られる方”を、横目で見ながら。
「手綱を握ってくれるそうだぞ?」
「はい。私は、お任せする所存です」
「なんだ、つまらん。言ってやれば良い。自分の方が優秀だ、とね。“生徒会長”殿?」
「はぁ……遊びに来たわけでもないのに、どうして喧嘩が売れると思うのかしら? 元“犯罪者”さんは低脳なの?」
「くくっ。そのくらいの軽口の方が、私はやりやすいよ、“凛”」
「そうですか。私はとてもやりにくいです、“エルルーナ”」
言い合い。
それから何故か不時着し、フラットに戻る空気。奉仕活動中の二人の様子に、正路は小さくため息を吐く。同時に、真面目に話を聞いてくれるジェーンの姿に、安堵と、押しつけて海を渡ってしまうことへの罪悪感を抱きながら。
(頼むから、余計な問題はおこしてくれるなよ……)
正路はそう、祈ることしかできそうになかった。
2017/08/14
誤字修正しました。




