そのさんじゅうよん
――34――
狂笑。
腹を抱えて狂ったように嗤う静間を前に、誰一人として身動きすることが出来ない。
そもそも彼は、本来ならば英雄たちがこぞって退治に向かっているはずだ。だというのに、自然と足を向けて、平然と立っている。
「虚堂博士、まさかあなたの救援を得られるとは思っていませんでしたよ」
そう、セブラエルはぼろ雑巾のような体で立ち上がり、静間の前に立つ。
虚堂静間。魔導科学の権威でありながら、魔導術師を根絶しようという天使側についている。誰に説明されなくとも、一目でわかる光景であった。
「契約どおり、あなたの超人化は安全性が確立されたあとだと、確約しましょう」
「くくっ――」
安全性の確立。
即ち、全人類を犠牲にした後、その成果を以て変化を辿る。
それは、全人類を裏切るには、あまりにも自分勝手な理由であった。
「そ、そんな、理由で?」
そう、立っているのもやっとだった静音が呟く。
そしてそれは、その場に立つ全ての人間の同意であった。
だが。
「それでは同士セブラエル。あとのことは私に任せて、あなたは……」
「ああ、わかっています。口惜しいが送還されましょう。なに、熾天使である私ならば、記憶の保持は可能です」
「……ああ、いえ、そうでなく」
「? 天装体の、治療の手立て――が、?」
誰かが、息を呑んだ。
「え?」
セブラエルの胴体に突き刺さる、プロドスィアの腕。
その腕は心臓の位置を貫き、“光輝く球体”を握りしめている。
「バケモノ共の元締めの分際で、いつまでのうのうと生きているつもりだ。もう充分、生きただろう? ここで本当の死を迎えたところで、何も変わらないさ」
「ぐ、ぎッ?! どういう、つもりだ、虚堂静間……ぎゃッ」
「どういうつもりもなにもないだろう? 最初からこの為だった。安全に“鍵”を手に入れ、解析し、世界中の異能者から異能をはぎ取る。バケモノ共に制御の出来ない力なんて、不要なんだよ」
「ガッ、離せ! わた、しの、“魂核”から、手を、ギッ?!」
引き抜かれる球体。
よく見れば、プロドスィアの両手がぼんやりと輝いてることがわかることだろう。その光と球体を見ながら、セブラエルは、苦痛に顔を歪ませて手を伸ばす。
「ヒッハハハッ! いい顔だよ、セブラエル! ボクの美琉を殺したあとも、おまえたちのようなバケモノ共はそんな顔をしていたねぇ。美琉の亡骸の前で、このボクが切り刻んでやったときみたいにさァッ!!」
狂笑。
それが己に向けられている恐怖に、セブラエルのひび割れた美貌が引きつる。
「良いことを教えてあげよう。セブラエルに、愚かにも友を裏切っておきながら、自分がただの道化だった塵芥の君たちもだよ! 四階堂君に鳳凰院君、だったかな?」
倒れ伏す凛と慧司に、おかしくてたまらないといった風に、静間は嗤う。
「最初からセブラエルはボクの機械に頼るつもりだった。そしてボクは最初から、全ての超人を根絶するつもりだった。つまるところ君たちは、魔導術師を無くしたいだなんて嘯いて置きながら、真逆のことに協力し続けていたのさ! あっはははははははっ! これを滑稽と言わずになんと言おうか?」
「きさ、ま、ギッ?!」
「ああ、セブラエル、君のおかげでこうして“鍵”は手に入ったんだ。最期に、お礼を言おう。ありがとう、間抜けな天使。君のおかげでコトがスムーズに進んだよ」
「な、に、を?」
「さて、君の顔にはもう飽きた――良いよ、プロドスィア」
静間の合図に、プロドスィアは恭しく頷く。
そして、おもむろに球体を掲げ――それを、砕いた。
「ひぎ、ぎゃぁぁぁあああああぁぁぁああぁぁああぁあぁあぁぁッッッ!?!?!!」
耳をつんざくような悲鳴が、場を満たす。
砕け散った球体は色を失い、地に落ち、灰になった。それをセブラエルは必死の形相でかき集めるが、指の隙間からこぼれ落ち、ついにはその指も落ち、砂に代わる。
光の粒子になるのではない。灰になるのだ。それはあたかも、ソドムの塩の柱のように。
「ああ、あ、あ、わたしのこあが、たまし、い、が――何故だ、神よ、私、は……」
そしてついには、その頭も灰になり――消滅した。
「無様な最期でしたねぇ? 熾天使殿」
「旦那様、そろそろ移動なさいますか?」
「ああ、そうしよう。プロドスィア。なに、設備は整っている。帰還後直ぐに――」
続けようとした静間の背。
そこに、プロドスィアが結界を展開すると、黒い弾丸が弾けた。
「――おや、心が折れたのでは?」
「うるさい。闇の影都を舐めるな、このド変態」
「刹那。影都だけじゃない、よ。伏見だって、まだ戦える」
夢とアリュシカと焔原をレイルの傍につれて置いて、刹那と六葉は静間に対峙する。
だが、凛と慧司が参戦して以降、心が折れていたとはいえ、それまでの蓄積がある。満身創痍と言っても過言ではない、が、それでもレイルの供給は続いていた。
「消しますか? 旦那様」
「ああ、いい。君は鍵を奪われないようにしてくれ。羽虫は私が潰すよ」
「承知いたしました」
静間の白衣からこぼれ落ちるように、幾つもの棒が落ちる。
それは中央の宝石を基点に三方向へ展開。三ツ矢のマークのように形成されると、静間の周りをぐるぐると回る。
「さて、ひとりひとり遊んであげよう。誰からでも来るといい。なに、準備が終わるまでに死ななければ、トドメはささないでおいてあげよう」
自動盾は自在に動く。
光の膜を展開させながら、ぐるぐると。
それはさながら衛星のように――歪んだ笑みを浮かべた静間を、守っていた。
――/――
古名家、四階堂。
名門の一つであり、また、古き血に縋る一族でもある。
凛は長女として生まれ、最早血の薄れた一族に特性型の異能者は生まれず、けれど魔導術師すら排出し始めた名家にとっては希望の証だった。
彼らは凛を厳しく教育し、コネで以て未だ清き血を保つ鳳凰院へ婚約を取り付け――比較するように、異能者に生まれなかった凛の妹を差別し、蔑んだ。凛の、腹違いの妹だった。
季衣。そう名付けられた妹は、凛にとって埒外の存在だった。愛情なんて知らない凛に、無邪気に笑いかけてくれる妹。
『おねえちゃん!』
その明るい声を聴くことが、凛の活力となるのに、そう時間はかからなかった。
『おねえちゃん、わたしね、大きくなったら――』
そんな季衣の趣味は、走ることだった。
凛が誕生日に買い与えたスニーカーで、走り回ること。それが趣味で、同時に夢であった。どのみち、異能者として期待されていない。魔導術師としての才能など、家からは求められていないから。
凛は家に見放された季衣を悲しく思いながらも、自身が当主になったら厚遇することを約束する。自分がスポンサーになって、季衣に世界で戦えるチャンスを用意するのだと。
『えへへ……ごめん、お姉ちゃん、失敗しちゃった』
そんな季衣が歩くことが出来なくなったのは、ある雨の日だった。
凛が留守の間に現れた妖魔。実家の人間たちは、あろうことか、見放してきた季衣に退治させ、自分たちは逃げ出した。命からがら妖魔を倒すも、代償は大きい。
両足の運動機能を失って、腫れた目元を隠しながら笑う季衣に、凛は強い願いを抱くようになる。
――異能者以外は力を持たず、自分たちが守るだけの存在であれば。
戦闘に弱者を駆り出す。
弱い異能者も魔導術師も、全て守られる側に回るべきだ。だが、同じ異能者ならば異能で叩き潰せば反逆しようとも思わなくなるだろう。だが、魔導術師は違う。彼らは、異能者を理解できない。
だから凛は、ただひとり、婚約者で悪友で――親友だった慧司にだけ思想を打ち明けた。そして接触してきた天使と手を組み、彼らの指示を聞くことになる。
あるときは、超人を信仰する英雄の手助けが必要だから、“仙衛門に影ながら手引き”し。
あるときは、邪魔モノの始末が必要と説かれ、“学園祭中”に、“結界に穴を開け”。
あるときは、天使の軍勢が鍵を入手するために、“天兵を招き入れ”て。
そうして、力量不明のリリーを閉じ込めて、背後から仲間を裏切り、倒れ伏しながらもセブラエルに鈴理が渡るように極限まで力を削って。
『最初からセブラエルはボクの機械に頼るつもりだった。そしてボクは最初から、全ての超人を根絶するつもりだった。つまるところ君たちは、魔導術師を無くしたいだなんて嘯いて置きながら、真逆のことに協力し続けていたのさ! あっはははははははっ! これを滑稽と言わずになんと言おうか?』
――今、こうして“報い”を受けている。
『必ず、戻ってきて下さい』
――私は、そんな笑顔を向けられる資格はない。
『そう、約束して下さい』
――あなたのためにできることをはき違えたから。
『わたしの、“お姉ちゃん”として、と、付け加えて下さい』
――なのに、あなたは、私をそんな風に、言ってくれて。
凛は、そう、強く目を瞑り。
指を動かし、唇を震わせ、目を開く。
「それ、が、私に――できる、こと、なら」
そしてそう、強く、言葉を紡いだ。




