そのさんじゅうに
――32――
轟々と燃える炎の結界。
その中央でわたしを見下ろす凛さんの姿に、わたしは小さく覚悟を決める。
ぐらぐらと揺れる心。痛む胸。張り裂けそうな心臓に、カツを入れて立ち上がる。
「ああは言ったけれど、私はあなたを殺しはしないわ。生きていて貰わなければ、目的には利用できないから」
「……魔導術師を超人にする計画、ですね?」
「レルブイルは口が軽いね。でも、そうよ。そのために必要なのは、あなたの器と魂。例え擦り切れ摩耗し心が死のうとも、その能力は必要だから」
凛さんの手の中で渦巻く黒い炎。
漆黒に揺らめくそれは、形容できない苛立ちにも似ていた。
「わかり合えるはずです。まだ間に合いますから、だから――!」
「これ以上の言葉は不要よ。鈴理さん――楽しかったわ。でも、ごっこ遊びはここでおしまい。四肢を砕いても、連れて行く!」
「っ」
踏み出す足。
同時に、“常に身につけるように言われていた”夢ちゃん謹製のカフスが、強く震えた。
だから、頭上に盾を展開して、蹲る。
「? なにを――?!」
降り注ぐのは、雪と雹。
地面にぶつかり氷柱を生み出しながら、凛さんの悲鳴を轟音でかき消す。さすが、夢ちゃんだ。満身創痍でも活路を開いてくれる。
なら、わたしは、“親友”の開いてくれた道を、無駄にしない。凛さんから話を聞きたいのなら、その状況はわたし自身の手で作らなければならないから……!
「【速攻術式・平面結界・展開】」
体の奥から、ガリガリとなにかが削られるような感覚。
魔力とは、空気中の力を吸収して変換、運用する技術。器に溜められる魔力も、運用できる魔力にも限りがある。そして、わたしの限度はもう、目前だ。
魔力枯渇。痛む胸を無視して、平面結界を展開。わたしが初めて、扱い熟せるようになった、わたしの魔導術!
「“爆火矢”!」
「【反発】!」
爆発を、盾で跳ね返しながら動く。激しい動きはけっこう、キツイかも。ずきずきと痛む足首。動かすだけで疼く右手。霊魔力同調で使った最後の魔法の“反動”が、今になってわたしを削る。
辛い。けれど、ここで諦めた方が、きっともっと辛いから!
「“多重制御”」
爆風と熱。
振動と衝撃。
轟音と疼痛。
「“重力・流向”――“二重干渉”!」
ふわりと浮いて、超覚に導かれるままに動く。
超覚が追うのは、平面結界の反応だ。わたしの意志で動かす平面結界は、魔導術として発現している以上、これ以上の負担を強いない。その状態で平面結界を超覚で追わせれば、わたしの負担はがくっと減る。
……本来、超覚で魔力は追えないんだけど、細かいことは今は放置!
「いたたたっ、あたたたたっ」
「痛いで済まないようにしてあげる! みんなみんな、甘くなれ」
「っ【拡大】!」
平面結界を広げて、重力制御で大きくジャンプ。同時に、平面結界を足下に配置。
「“爆重煉”!」
瞬間、地面の至る所が大爆発。
わたしは足下から迫る衝撃で浮き上がり、遙か頭上から凛さんを――いや、周囲一帯を見回すことになった。
(ぁ)
血だまりに倒れ伏す夢ちゃんを、刹那ちゃんが抱き起こす。
セブラエルの猛攻を、ぼろぼろになりながらもゼノが凌ぐ。
リュシーちゃんと焔原君の傍で呆然としていた六葉ちゃんが、ゆっくりと立ち上がる。
レイル先生が血を吐きながらも、みんなに霊力と魔力の支援を続けてくれている。
そして、フィーちゃんが――
(そっか。なら、なんとしても、合流しなきゃ。この場を切り抜けて、直ぐに!)
息を吸う。
――呼び起こせ。
息を吐く。
――わたしに流れる因子。
目を閉じて。
――相棒がくれた力の源流。
「そのズタボロの体で何が出来るの? これ以上、痛い目を見ない内に下りなさい。少なくとも、他の子たちは死なずに済むのかも知れないよ――!」
「お断りです、凛さん。わたしは、わたしたちはまだ、負けていないから!」
目を開き、獲物を見据え、爪を揃え、牙を剥く。
体の奥から取り出すのは、渦巻くような“赤い”力。
「そう、なら、そのまま砕け散りなさい――“爆王臨”」
凛さんを中心に渦巻く力。重なるように生まれる焦げ茶色は、深く重なり漆黒になり、さらには闇よりも暗くなる。
そこに生まれる力の重圧は、息が苦しくなるほど強大だ。このまままっすぐ落ちれば、周囲も丸ごと粉砕しかねない。
「嫌です! 来たれ、我が眷属。瞬け、ハティ! 狼臨“ブリッツ=オブ=ロア”!」
体に宿った稲妻の眷属に、深紅の力を喰わせてやる。
するとハティは獰猛に吠え立てて、わたしの体に乗り移った。黄金の毛並みと、空気を焼く稲妻。わたしをポチが復活させてくれたときに芽生えたわたしの“妖力”を糧に、ハティは狼王の眷属として相応しい姿を、見せつける。
「やぁああああああぁぁッ!!」
「爆ぜよ、王よ。我が声に――」
漆黒の殻にぶつかり、割り、降り立つ。
ガラスのように粉々に砕けた霊力の中心で佇む凛さんは、目を見開いてわたしを見ていた。
「狼雅雷臨ッッッ!!」
「――“爆響、ッ!?」
「“ハティ=ロア=フェンリール”ッッッ!!!!」
わたしの体の中に残っていた妖力も魔力も霊力も、全部食い散らかしてハティが“飛び出す”。その大きな姿は、さながら砲弾のよう。
防ごうとした凛さんの異能を文字どおり食い破り、凛さんの体を包み込み、放電。
「ぁっああああああああぁぁぁっ!?!?!!」
轟音。
悲鳴。
「私、は、こん、な、ところ、で」
それでも、ぼろぼろになりながらも、凛さんは手を伸ばす。
(おねがい、立ち上がらないで、おねがいっ)
対するわたしは、立っているのがやっとだ。
足は震え、手にはもう感触がない。右目は霞んでいてよく見えないし、左の脇腹は泣き出したいくらい痛い。ここで立ち上がられたら、もう、勝てない。
「季衣、の、ために、私……は、こんな……ところ……で」
そうして、凛さんは立ち上がる。
動かない左足を引きずって、動かせない右手を抑えもせず、わたしを、“視”た。
「我が瞳は、万物を縛る、獄徒の枷――【縛鎖の魔眼】ッ!!」
赤く光る瞳に吸い込まれるように、体の動きが止まる。
思考だけはめまぐるしく動いて、それでも、伸ばされる手は止まらない。
「鈴理さん、これで、おしまい……“――――”」
話すこともままならず、わたしの首に置かれた手を、見ることしか出来ない。
そういえば前にもこんなことがあった。あのときはまだ敵だったリリーちゃんに捕まって、このまま師匠の弱点になるくらいならって、ああ――そう、だ。
(“霊魔力同調”)
なけなしの霊力と魔力を集中。
掻き混ぜて、混ぜ合わせて、当然のように不適合する力。
こうなってしまえばスパイスだ。ついでに少量の妖力も混ぜれば、意図的な暴走状態が仕上がった。
「っあなた、まさか!」
狼狽する凛さんの、声。
その眼前に差し出される光の結晶は、不可思議な色合いに染まっていて。
「え、へへ、どっかーん」
「きゃあっっっっ!?」
暴発。
爆発。
爆音。
渦巻く力を意志を用いて取り出して、直ぐに爆発。
当然のように衝撃に踏ん張ることは出来ず、わたしの体は木葉のように吹き飛んだ。
きっと、体は見ていられないほどにぼろぼろだ。それでも、爆炎の向こう側、倒れ伏す凛さんに起き上がる気配は見られない。
「づ、ぁっ」
地面に落ちて転がって、満身創痍の体を自覚する。
それでも――必ずみんな切り抜けて、迎えに来てくれるって信じているから、捕まりさえしなければどうにかなるって信じられる。
「無茶しすぎだ、って……げほっ、げほっ、つぅ、ぁ、はぁ……みんなに怒られちゃう、よね」
際限なく流れる、わたしを維持するためのもの。
訪れる寒さに苛立ちながら、わたしは目を閉じる。どうにも開けていられなくて、寝たらまずいとわかっていても、それでも。
(音が聞こえる。フィーちゃんたちも、セブラエルに勝ったのかな? きっと、勝てたよね? だったら、少しくらい眠っても、良いよね)
瞼が重い。
体から、感覚が遠ざかる。
ただ、暗闇に堕ちるように。
意識を、手放し、て。
「傷は治療しよう。意識はそのままの方が良い」
「はい、承知いたしました」
「ああ、丁重に頼むよ? なにせ、大事な“鍵”だからね」
「畏まりました。そのように」
あまりにも場違いな声が、聞こえた、気がした。




