そのじゅうはち
――18――
茜色の夕焼け。
飛び交う鳥と花の色。
合宿二日目の夕暮れは、ほっこり温泉タイムなのです。
「はふぅ……生き返るぅ」
「なにおばさんくさいこと言ってるのよ。鈴理」
「ふぁ? 夢ちゃん……おつかれぇ」
「はいはい、お疲れさん」
髪を結い上げた夢ちゃんが、わたしの隣に腰掛ける。
乳白色の温泉が、緩やかに波紋を浮かべた。昇り立つ湯気すら心地よいのは、やっぱり疲れとか、そういうのが要因なのかな? んふふー、なんでもいいかー。
「あら、随分とだらけているわね」
「ほぇ? ぁっ、会長っ」
「良いから良いから」
夢ちゃんの逆側、わたしの隣に腰掛ける会長。
菫色の髪は、湿気を帯びると雨の日の紫陽花のように、艶やかだった。
「そういえば、なめろう、美味しかったわよ」
「ありがとうございますっ。でも、会長のトンテキもすっごく美味しかったです! ね、夢ちゃん」
「ええ、はい。最高でした。とくに美少女飯というのは独特の旨味が「夢ちゃん?」いえなんでもないです」
まったく、もうっ。
夢ちゃんをそっと諫めると、夢ちゃんはそっと目を逸らした。そうやって直ぐに調子に乗るのは、夢ちゃんの良くないところだと思うよ? そんな意味を込めて脇腹をつつくと、存外引き締まっていて悔しくなった。わたしはぷにぷになのに。むぅ。
「えい、えい、えい」
「ちょっ、んっ、だめ、やめて鈴理、くすぐった、ぁっ、はははははっ」
むぅ、ぜったい偏りがあるよね。神様は不平等だ。
「ふふっ、あははははっ、あなたたち、面白いわね」
「会長ぅ、このセクハラ娘を止めて下さいよ」
「こっちの台詞だからね? 夢ちゃん?」
「両成敗。あんまりはしゃぐと、のぼせるわよ」
それもそうか。せっかくこんな良いお湯なんだから、のぼせたらもったいない。
「――碓氷夢! サウナ耐久勝負」
「んあ? ごめん鈴理、席外すわ。――負けて泣きべそかかないでよ、刹那!」
夢ちゃんはそう、前を隠しもせずに堂々とお湯から出て、刹那ちゃんとサウナに入っていく。昼間の報復だ、と、あとをついていくフィーちゃんもいて、なんだかちょっと心配になってきた。
あ、でも、同じく心配そうな静音ちゃんと六葉ちゃんがついていってくれたから、大丈夫かなぁ?
「賑やかね。刹那も、前に比べて毒を吐くことが少なくなってきたのよ?」
「ふぇ、そうなんですか? ぁ、いや、そうかも」
ビーチバレーのときは、けっこう色々言っていたもんね、刹那ちゃん。
確かに、言われてみれば丸くなった気がする。それがわたしたちとの出会いが原因なら、えへへ、ちょっとだけ誇らしい、かも。
「――ありがとう、笠宮さん」
「わたしはなにもしてないですよ?」
「それでも、よ。あなたがそう思っていなくても、あなたの影響はみんなに伝わっている。なら、胸を張りなさい。あなたは、誰かを優しく出来る心があるのだから」
「な、なんだか照れちゃいます」
ぶくぶく、と、口元をお湯に隠す。
きりっとした会長からそんな風にまっすぐと褒められると、なんだか嬉し恥ずかしだったり。
「なにかお礼がしたいのだけれどね……思い浮かぶ?」
「お礼なんてそんな――あ、でも」
「はは。無理なモノで無ければ、良いわよ?」
そう、そう言ってくれるのなら、一つだけ。
「なら、会長も、みんなみたいに“鈴理”って呼んで下さい」
「ぇ」
目を瞠り、少しだけ動揺を見せる会長。
いつも余裕たっぷりで、優しい会長。そんな会長がこんな表情を見せるなんて、珍しい。
「そう、そうなの。そんなところまで……いいえ、詮無きコトね。良いわ、鈴理さん。それならついでに、私のことも会長、なんて他人行儀な呼び方ではなくて、凛と呼びなさい」
「えっと……はい! よろしくお願いします、凛さん!」
まっすぐと呼んでみせると、会長――凛さんは、僅かに視線を揺らす。
今日は、凛さんの珍しい表情を見てばかりだ。茹だった頭に思い浮かべるのは、そんな感想だったり。
「あはは。なんだか、のぼせちゃったみたい。先に上がるけれど、ゆっくりしていてね」
「はいっ、凛さんっ」
耳まで赤くした凛さんは、手でぱたぱたと自分の顔に風を送りながら、ゆっくりと歩き去る。足下がおぼつかない訳ではないから、のぼせた訳ではないだろう。
なんだかそんな凛さんの姿がなんとも年相応で、わたしはそんな些細なことが嬉しくなった。
「……会長まで虜にしたのか? いけないスズリだ」
「ひゃっ……リュシーちゃん? もう、驚かせないでよぅ」
「あっははは、ごめんね、ついつい」
わたしの肩を冷たい手が撫でるモノだから、思わずびっくりしてしまった。
リュシーちゃんはわたしの反応に満足すると、さっきまで凛さんがいた場所に腰掛ける。
「で、虜ってなに?」
「ふふふふ、虜は虜だよ。会長を夢中にさせただろう?」
「そんなことないよ。ただ、会長の妹さんが、わたしに似ているらしいから」
「そうなんだ? スズリみたいな妹が居たら、さぞ、楽しいことだろうね」
うぅ、その直球は照れるよリュシーちゃん。
でも、そう。これは副会長から聞いたことだけれど、凛さんにはわたしによく似た妹さんがおられるらしい。確か、季衣さん、って言ったかな? 足が悪くて、あまり外には出られないのだとか。
「そうか、それで会長は、スズリを見る目が優しいんだね」
「なんだか、そうみたい。ちょっとだけ恥ずかしいけれどね」
「はは、良いじゃないか。誰かに愛される。誰かを愛する。それが如何に素敵なことか、教えてくれたのはスズリたちだよ?」
リュシーちゃんはそう、優しげに目を眇めて微笑む。
そんなことを言ったら、わたしだってそうだ。わたしだって、みんなに、誰かの隣にいられる幸せを教えられた。
「お互い様、だよ? リュシーちゃん」
「ふふ、そうかな? そうなら、嬉しいな」
「そうだよ。ぜったいに、そう」
「そっか。ああ、そうなんだね。うん――嬉しいよ、スズリ」
互いに笑いあうと、室温だとか温泉だとか、そんなものは関係なく胸の真ん中がほっこりと暖かくなっていく。気持ちを、心を、交換できているような、不思議な感覚。
「――ねぇ、スズリ」
「なに? リュシーちゃん」
「そういえば、話したこと、なかったね。私の“エンフォミア”」
「へ?」
「父様にはついていないだろう? エンフォミア」
有栖川昭久博士。ベネディクト・有栖川・エンフォミア。
そう、言われてみればそうだけれど、それってお母さんの名字というだけのことかと思ってた。
「これは、意味ある言葉なんだ。“End for me alive”――“わたしと共に生きてくれ”。ある意味では、父様が母様に贈ったプロポーズであり、私に託した祝福の言葉」
「祝福の、ことば。……うん、やっぱり、リュシーちゃんは愛されるべく生まれてきたんだよ。だって、今、こうやってリュシーちゃんの口からその言葉を聞けたことが、こんなにも嬉しい。生きて、出会ってくれてありがとう、リュシーちゃん」
それは、とてもしっくりとくる言葉だった。
だから、わたしはわたしの思いを紡ぐ。ただ、わたしの大好きな友達に、わたしの心が伝わるように、祈って。
「っ。やめてくれ。そんな風に言われたら、泣いてしまうよ」
「ふふん。胸を貸してしんぜよう」
「もう。スズリのばか」
とん、と、肩に乗る体重が心地よい。
ちょっとだけ高い位置にあったプラチナブロンドを撫でると、指の隙間から優しく流れた。
――?――
「なぁに? こんなところに呼び出して」
「……」
「ふぅん? だんまり? あ、そうだ。わかったわ。――遊んで欲しいんでしょう?」
「っ」
「もう、こんなに誘ってあげているのに、手の一つも差し出せないのかしら?」
「……」
「はぁ。そ」
「術式、起動」
「なにがしたいの? どうでもいいか」
「聖天法典」
「ばいばい。【闇王の――」
「略式起動――ゴルゴタの丘」
「――っこの光、まさか! は、ははははっ、そう、随分つまらない存在に成り下がったのね? 残念だわ」
「重複詠唱――ベツレヘムの星」
「ッ。まぁいいわ。よくってよ。僅かばかりの間、思い通りになってあげる。だから精々、私が出てくるまで頑張りなさいな」
「っ……」
「ああ、でもそうね、覚えておきなさいな。私が出てきたらそれで終わり。闇の果てまですり潰してあげるから――せいぜい、最後の刻を楽しみなさいな」
「……ッ」
「ふふ、そう、その顔が見たかったのよ。ええ、良いわ、一時だけ溜飲を下げて差し上げます。それでは、ごきげんよう」
「……不安要素の封印、完了――第二フェイズへ移行」
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